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ドリトル先生と奈良の三山

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第九幕その一

                 第九幕  土も取って
 先生達は橿原神宮に来ました、それで神宮の中を見回ってです。動物の皆は先生にこんなことを言いました。
「ううん、ここもね」
「随分と立派な場所ね」
「春日大社も立派だったけれど」
「ここもね」
「うん、さっき大三輪神社も行ったけれど」
 実はこの日はいつもより早く起きて桜井市にあるそちらにもお参りしていました。
「ここもね」
「凄いよね」
「広くて建物も立派で」
「まさに神様達のおわす場所」
「そんな感じね」
「そうだね、こうして見ていたら」
 先生は橿原神宮のそのお社を見て言いました。
「信仰している宗教は違っていてもね」
「それでもだよね」
「何か自然とね」
「神様を感じられて」
「神聖な気持ちになるわね」
「うん、それとね」
 こうも言った先生でした。
「これはお寺もだけれど神社も木造だね」
「あっ、そうね」
「欧州の教会は石造りだけれど」
「神社は木造ね」
「お寺だってそうだし」
「木にも神様が宿っている」
 先生は皆ににこりと笑って言いました。
「これもまたね」
「日本の考えね」
「神道の考えね」
「そうだよ、日本は木にも恵まれている国でね」
 先生達が今いる奈良では周りを見回せばそれこそ木に満ちた山ばかりです、それが実に奇麗なものです。
「それでね」
「木にもだね」
「神様が宿っていて」
「神社の建物にも使われている」
「神聖なものとして」
「そうなんだ、熊野とかも」
 和歌山のそちらもです。
「熊野権現がおられてね」
「木が神聖なものなの」
「そうされているの」
「そうだよ、木の持つ神聖さが」
 まさにそれがというのです。
「日本の神社にはあるんだ」
「そうなのね」
「それで神聖な感じがするのね」
「静かで落ち着いていて」
「心が清らかになる」
「そんな神聖さがあるのね」
「うん、何かこうも思ったよ」
 こうも言った先生でした、大三輪神社のことも思い出しながら。
「木造の、神聖な中にいるから」
「それで?」
「それでなの」
「森林浴をしているのかもってね」
 神社の中にいると、というのです。
「そうも思ったよ」
「ああ、木だからね」
「そうした考えにもなるかも」
 動物の皆も先生のお話にそれもという感じで頷きました。
「いいかもね」
「そうした考えもね」
「出来るよね」
「実際に僕達も感じるし」
「木の感覚をね」
「神社の中にも木が多いしね」
「そのこともあってね」
 見れば確かにです、橿原神宮にも木があります。そして動物の皆も大三輪神社について思い出しました。
「あそこなんかもう山自体だったし」
「神社の後ろが山だからね」
「もう木が沢山あって」
「森の中にいる感じがしたわね」
「そうだったね」
「そう、神社と自然は対立するものではなくて」
 日本の神社のそれはというのです。 
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