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ドリトル先生と奈良の三山

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第三幕その十一

「止めておくよ」
「そうなんだ」
「止めるんだ」
「それじゃあだね」
「このまま大仏さんを観て」
「あと四天王さん達も観るんだ」
「そうするよ、やっぱりね」
 また言った先生でした。
「仏像はいいね」
「キリスト教徒の先生から見ても」
「そうなんだね」
「神聖さがあって」
「芸術性も高くて」
「そう、だからね」
 それ故にというのです。
「観ていて素晴らしいと思うよ」
「そういうことだね」
「観ていて飽きない」
「そして素晴らしさを感じる」
「そうなんだね」
「うん、東大寺の仏像もそうだし」
 それにというのです。
「描いた像もね」
「そちらもなんだ」
「素晴らしいの」
「そうなの」
「そうだよ」
 先生は皆に笑顔でお話しました。
「そちらもね」
「絵もなんだね」
「芸術的な価値が高いんだ」
「そうなんだね」
「宗教的な価値観だけじゃなくて」
「そうだよ、それとね」
 さらに話した先生でした。
「色々な姿があるからね」
「色々?」
「色々っていうと」
「うん、例えば不動明王を描いてもね」
 この仏様をお話の例えに出すのでした。
「腕が四本あったりもするから」
「あっ、不動明王って腕が二本だよね」
「基本そうだよね」
「けれどそれがなんだ」
「四本描かれている場合もあるんだ」
「あと肌の色が違う場合もあるし」
 腕の数だけでなく、です。
「描いた人、描く様に言った人の解釈で違うんだ」
「そういえば千手観音っていう仏様もいるけれど」
「絶対に千本なの?」
「手が千本あるの?」
「どの像でも」
「いや、四十で一本ずつに目があってそれで二十五をかけて千本っていう解釈の場合もあるんだ」
 先生は皆に千手観音のお話もしました。
「大抵はそれが普通だよ」
「そうなんだ」
「千手っていっても四十が普通なのね」
「それで目が二十五本分で千本」
「そうなるんだ」
「そして実際に千本ある像もあるよ」
 まさに文字通りにです。
「何十本か生えていて後は後光の形で千本あるんだ」
「うわ、凄いね」
「そんな仏像もあるんだ」
「本当に解釈によって姿が違うけれど」
「本当に千本あるのもあるんだ」
「そうだよ、まさに文字通りに千手観音の場合もあるんだ」
 実際にというのです。
「これがね」
「成程ね」
「仏様は造る人、描く人、創作を頼んで人によって姿が違う」
「そういうものなのね」
「そうだよ、面白いよね」
 先生は動物の皆に笑顔でお話しました。
「僕は今はそうしたことも学んでいるんだよ」
「仏教のそうしたことも」
「そして論文にも書いているだね」
「今はこの大仏さんのことを書いて」
「そうしているのね」
「そうだよ、じゃあまだ時間があるし」
 ここでまた言った先生でした。
「次の場所に行こうか」
「うん、何処かな次は」
「一体何処に行くのかしら」
 動物の皆は先生に次の場所に案内してもらうのでした、その次の場所もまた歴史に関係が深い場所なのでした。 
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