ドリトル先生と奈良の三山
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第三幕その九
「二度も焼けてるのにその都度再建して」
「今もあるんだからね」
「信仰心はあまりないっていうけれど、日本人って」
首を傾げさせて言ったのは老馬でした。
「かなりないと二度も再建しないよ」
「普通の仏像じゃないからね」
ガブガブも勿論その大きさに驚いていました。
「この大仏さんは」
「そう思うと日本人の信仰心はかなりのものよ」
ダブダブも言い切りました。
「お金と人手をかけてだからね」
「僕もそう思うよ、日本人の信仰心は決して低くないよ」
先生も言うのでした。
「日本の人達が自分で言う様にはね」
「こんなにお寺も神社もあって」
「物凄い数だし」
「それで信仰心が低いとか」
「全然ないよ」
「そうだよ、というか神事も仏事も日常生活に入っているね」
日本ではというのです。
「そうだね」
「キリスト教のものだってそうだし」
「クリスマスとか」
「バレンタインは何か違うけれど」
「バレンタインさんの日とはね」
「商業も入っているけれど」
このことも言う先生でした、経済学も学んでいるのでこうしたことも理解出来ているのです。
「それでもね」
「仏事も神事もだね」
「日本には浸透していて」
「完全に根付いている」
「そうなのね」
「そうだよ、この大仏さんだってね」
先生はまた言いました。
「信仰心があるからだよ」
「二度も造ってるんだね」
「物凄い国力を使うのに」
「それでも」
「そう、日本はあまりにも宗教が身近になり過ぎていて」
他の国々よりもというのです。
「それでね」
「信仰心がないってだね」
「日本の人達は思い込んでいるんだ」
「自分達では」
「そうなの」
「僕は信仰心は低くないと思っているよ」
先生が観た日本人の信仰はです。
「それは今もだよ」
「こうして観光客の人も多いし」
「大事にされているしね」
「そう思うとね」
「本当に低くないね」
「そうだよ、まあ完全な無神論の人もいるけれど」
日本にはです、尚先生は神様を信じていて神学の博士業を持つ位の教養も備えています。勿論論文も書き続けています。
「それでもね」
「信仰心があって」
「それは低くない」
「そうしたことも論文に書くの」
「そうするのね」
「そのつもりだよ、奈良にいたら」
この街にというのです。
「そうしたこともわかるからね」
「東大寺の論文はそこね」
「大仏さんから見られる日本人の信仰」
「それね」
「それを書くからね」
だからだというのです。
「頑張るよ」
「そうそう、頑張ってね」
「学者さんは論文を書いてこそだしね」
「先生も頑張ってね」
「論文の方もね」
「そうするよ、しかし動かないと言っても」
先生は笑ってこうも言ったのでした。
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