信じられない話
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第一章
信じられない話
いつも机に向かって勉学に励んでいる者だった、だが。
彼の性格を知る者達は皆こう言った。
「あんな直情的な人間もいない」
「いいか悪いかは別にしてな」
「とかく自分を曲げない」
「場の雰囲気がわかっていない」
「正義感は強く平等主義なのはいいが」
「しかしあまりにも一本気過ぎる」
その徳分がかえって問題だというのだ。
「どうもな」
「ああした人間は使い方が難しい」
「確かに成績はいいが」
「配置は考えないと駄目だな」
陸軍士官学校で辻政信を見てだ、多くの者はこう言っていた。とかく辻は自分を曲げず場の雰囲気になぞ構わず己が正しいと思った道を突き進む男だった。
だからだ、彼等は辻については任官後の配置についてもどうなるかと危惧をしていた。
「前線指揮官ならいいが」
「憲兵士官もいいと思うが」
「間違っても参謀は駄目だ」
「成績がいいと参謀になるが」
そちらに任官されるのだ、頭脳明晰という評価になって。
「しかしな」
「辻は参謀に向いていない」
「あの性格では無理だ」
「とかく直情的過ぎる」
「しかも己の身体能力から考える男だ」
「あの身体能力は相当だぞ」
士官学校にいる者達の中でもというのだ。
「あいつの基準で作戦を考えられるとな」
「無茶な作戦ばかり考えそうだ」
「あいつは前線指揮官だ」
「間違っても参謀は無理だ」
「柴田勝家や加藤清正に参謀が出来るか」
「竹中半兵衛や黒田官兵衛だ」
参謀、即ち軍師ならというのだ。
「上官にも逆らいそうだしな」
「己が正しいと思えば」
「参謀になればいらん騒動も起こしそうだ」
「憲兵士官ならいいが」
「その辺りの人事はどうなる」
「辻のことは」
多くの者が懸念していた、辻を知ると誰もがこう思った。そしてこの懸念はさらに深まることになった。
辻は休暇となり実家に帰ることになったがその前にこんなことを言ったのだ。
「最短距離で帰ればいい」
「貴様の実家までか」
「そこまでか」
「そうだ、そうして帰ればいい」
こう同期の者達に言ったのだ。
「それこそが一番いい」
「待て、貴様の実家は富山だぞ」
同期の一人が辻にこのことを言った。
「そうだったな」
「そうだ」
その通りだとだ、辻はその同期の者に即座に答えた。
「俺の家は富山にある」
「その富山までこの市ヶ谷から一直線に帰るのか」
士官学校のあるそこからだ、帝都である。
「そのつもりか」
「そうだ」
まさにというのだ。
「そうして帰る」
「馬鹿を言え」
同期の者達は辻に一斉に言った。
「富山まで一直線だと」
「険しい山や川が幾つあると思っている」
「しかも歩いて帰るつもりか」
「そんなこと出来るものか」
「やる」
辻は同期の者達に強い声で言った。
「必ずな」
「そう言うがな」
「帝都から富山までどれだけある」
「しかも山も川も多くある」
「一直線で歩いて帰るなぞ無理だ」
「佐々成政公か」
「その佐々公の様なことが出来なくてどうする」
辻は強い声で右手を拳にさせて言い切った。
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