翌日の朝、大洗港区に二隻の学園艦が到着する。
埠頭には、小さなⅡ号F型が乗船用スロープの前で待っていた。
接岸作業が終わると、Ⅱ号は他のトラックなどと一緒に、大洗艦に乗り込んでいく。
トラックやタンクローリーなどは中甲板に入っていくが、Ⅱ号だけはリフトに乗って最上甲板まで上がる。市街地に出たⅡ号は大洗女子の校舎ではなく、右舷前方のアイランド(船橋構造物)に向かっていった。
「ん?」
Ⅱ号のドライバーズシートにすわる西住まほは、どう見てもここにありそうもない戦車が2両、アイランドの前に停車しているのを見つける。
何がどうなっているのかわからない、プロトタイプセンチュリオンA41ベースらしい戦車と、今まで戦後車両と頭から思われていたセンチュリオンMk.Ⅱ(Mk.3化されていないもの)と同仕様と思われる戦車だった。どちらも誰のものか、まほにはすぐ察しがついた。
「頭が痛い……」
「やあ、西住ちゃんのお姉ちゃん。お久しぶり、というか初めまして」
「初めまして。そして、さようなら」
まほはそこに居並ぶ面子を見て、回れ右をして帰りたくなった。というか本当に帰ろうとした。
いまやどのような意味でも宿敵になってしまった角谷杏。
そして以前からの宿敵のうえ、今度はドイツとイギリスにそれぞれ留学するので、もはや倶に天を戴くことなど断じてなくなった元・ダージリン。
さらにガキンチョのくせして上級生にして、先祖伝来の宿敵、島田家継嗣。
そして白いソアラに乗っているのにいっこうに事故で死ぬ気配もなく、失敗兵器ポルシェティーガーで黒森峰の集中砲火を耐え抜いて自分の初黒星の原因を作ってくれた、死神すら寄せ付けない新たな宿敵、ナカジマ。
だいたい「西住ちゃんのお姉ちゃん」って何なんだろうか。
まほは「私はみほの付録か?」と思った。
そんな扱いをされたまほはもう何もかも投げ出してここを飛びだし、筑波サーキットでⅡ号F型を走らせて履帯で路面ガチャガチャにしてやりたくなった。
しかし彼女の前に、実の妹にして最大最強最悪の宿敵、西住みほが薄ら笑いを浮かべつつ立ちはだかった。内側に開くドアにもたれかかって。
「お姉ちゃ~ん。私にあんなことしておいて、黙って帰れるとでも?」
(※あんなこと:ルクレールとか、マウスとか、Ⅳ号大砲とか、さっさと一人でドイツに逃げたこととか。アイスキャンデーの「あたり」を譲ってくれたことなどとっくに忘れている)
そして後からは四人が半包囲しながら近寄ってくる。ああ父上、先立つ不孝をお許しください。お母様はどうでもいいけど。と親不孝なことを考えたまほ。
「まほさん。あなたもおわかりなんでしょう?
高校戦車道がどうしてこんな無粋なものに成り果てたのか」
「優花里さんがなんであそこまで追いつめられたのか」
「戦車音痴の辻が作ったカール『自動』臼砲なんて真っ黒なものがまかりとおったのも」
「うんうん、あなたがマウスなんてろくでもないもの持ち込んだのが始まりだよね」
「だーっ! なんでも私の仕業か?」
「そのとおりですわ」
「だから、責任とって(取らないのなら島田流ドイツ支部に嫌がらせさせるわ)」
「そーそー、この大洗女子を次の大会で血まみれピエロにしたい人たちの陰謀を潰すのに、協力をお願いしたいの。わかる? 西住ちゃんのお姉ちゃん」
「さもないと、ソアラの助手席にご招待しなきゃいけなくなるのよね。
自動車部以外が乗るとあいつ、変な挙動するのよ」
「だからお姉ちゃん、最後までつきあってもらうよ」
まほは、レオポンが受けた以上の言葉の集中砲火にさらされた。
これはきっと実の妹の策に違いない。とまほは思うが、大当たりだ。
「……みほ、いつのまにかずいぶんたくましくなったな」
まほのまわりの五人が五人とも、そっくりな黒い笑いを浮かべている。
昨年四月の大洗女子では、会長室にいたひとりしかしなかった笑いである。
まほに皆で因果を含めたあと、みほはひとりで戦車倉庫に向かった。
優花里はずっとそこにこもったままだ。
みほがまほに言ったとおり、完全に優花里は追いつめられ切っていた。
「優花里さん……」
「西住殿、この戦車にしか大洗女子戦車道の活路はないんです!
大島の試合で倒されたのは、それこそまぐれです」
戦車倉庫の中で途方に暮れていた優花里だったが、みほに呼びかけられると、ほとんど血走った目を向けて叫ぶ。だけどみほには、みほの考えがある。変わってしまったものを元に戻すこともできないし、また次の全国大会で、四強が舐めプレイをするわけがない。
どの学校も全力で大洗女子を潰しにかかるだろう。そうすれば去年の優勝は奇跡に過ぎなかったことが明らかになる。それを一番望んでいるのが誰か、みほにもわかっている。
「優花里さん、放課後にアヒルさんたちと一緒にこの戦車に乗って、装填手をやってください。
この戦車が使えるのかどうかはっきりさせましょう」
「……何を、するのでありますか?」
「私が、別な戦車に乗って戦います。それですべてが明らかになる。
場所は艦内演習場。すきなところに陣取りしてください。
……では、待っています」
みほは優花里に背を向け歩き去る。戦車倉庫の中で一度だけ振り向くが、何かを振り切るようにまた背を向ける。
優花里を妄執から解き放たなければ、大洗女子自体が内紛の中で瓦解する。
それが、いままで皆と話し合ったなかで出てきた結論だった。
ならば……
「Tasは、正面装甲と主砲の射程及び精度が命の戦車であります。磯辺殿」
「だから、見晴らしのいい山に陣取るのはわかるが、隊長は何に乗ってくるんだ?」
優花里とアヒルの車長、「キャプテン」磯部典子はTasの砲塔の二つのハッチから顔を出し、双眼鏡で周囲360度を警戒している。
一方……
「みほさん。この主砲で倒せる相手って、至近距離の軽戦車止まりでは?」
「華さん、打ち合わせどおりにすれば必ず勝てます。100mまで近寄ることができれば」
「でも、その前に討ち取られてしまうのでは?」
「ふっ、軽戦車には軽戦車の戦いかたがある。
それをいまからお前たちに見せてやろう」
「お姉ちゃ~ん。マウス。マウスマウス!」
「総統閣下なら今ごろ自重自重自重! とか言われているところです」
「うっ……」
「でも、そんなことであのレオポンさんより重装甲のあれが……」
「華さん。それなんだけど……」
「――あの戦車が何かわからなくとも、達人ならすぐに弱点に気がつく。
ルクリリに『三度目の正直』があったことの方が驚きだ。
みほ、ハッチから顔を出せ。奴が撃ってきそうならすぐに言え。
五十鈴、あんたは歯を食いしばっていろ。飛ばすぞ」
林の中からフルスロットルでぶっ飛んできたⅡ号Fは、スキーのモーグルのようにこぶを避けながら約50km/hで突っ走る。
「Tasの後に出たよ。だけどまだ1,200mある。
相手は信地旋回でこちらを指向しつつあり。
優花里さんが車内に入って、いま止まった」
まほは左のレバーを思い切り引く。コントロールドディファレンシャルだから信地旋回にならないものの、まるで四輪のようにスパッと回る。違うのは「内輪差」がないことだ。
Tasから放たれた競技弾が予想進路上に着弾する。弾を避けたⅡ号はそのまましばらく直進。
「ふん、やるじゃないか。だが今度はアヒルどもが軽戦車の動きを追う番だ。
五十鈴、100切ったらいつでも行進間で撃て。貴様が私に一発くれたときのようにな」
「あのときは有効になりませんでした。装甲の溶接部分に当たりましたから。
ですから今度は5秒ください。20発とも当てて見せます」
「いい返事だ。なんとかしてやる」
「砲塔がこっちを指向!」
ふたたびまほは、今度は右のレバーを緩く引いて直進する、と見せかけてさらに引く。
Ⅱ号は複合コーナリングのような動きで2射目を避ける。
こんな動きはクラッチ&ブレーキ操向装置では、冷泉麻子しかできない。
「ねえ忍、黒森峰の元隊長ってたいしたことないんじゃない? ドリフトしてないじゃん」
「ちがう。たぶんあれが戦車のグリップ走法なんだと思う。
テールスライドをおさえて駆動力のロスを防いでるんだ」
「砲塔だけじゃ追い切れない!」
「河西! 車体を常に奴に向けろ。秋山、補助ハンドル回せえ!」
「磯辺殿、陣地転換した方が良いですっ!」
「だめだ。こいつの貧弱な走りじゃスキができるだけだ」
西住家Ⅱ号はブレーキと操向レバーを1本で兼ねているから「スローイン・ファーストアウト」を心がけなくても戦車の方でやってくれる。
タイトな峠道の下りなら1.6リッターのFF車について行けるまほが、日光いろは坂を登るようなライン取りで徐々にTasとの距離を詰めていく。
「パワースライドで一気に詰めるぞ。みほ、100切ったら教えろ」
Ⅱ号はいままでの「グリップ走法」をやめ、急ブレーキ急リリース、アクセルベタ踏みで強引に向きかえと同時にダッシュをかける。ドリフトでもスピンターンでもない動き。
オーバーもアンダーも出していないのは同じだが、コーナー脱出速度が上がる。
「120、110、100! 今!」
みほが叫ぶのと同時にまほが右レバーをいっぱいに引き、アクセルをコンマ数秒かけてリリース、同時にクラッチを切った。
Ⅱ号はクルマで言うブレーキターンで90度向きを変えてピタリと静止する。
20mm機関砲の軸線上に、Tasの正面がある。
「五十鈴、撃てっ!」
「はいっ!」
20発の20mm、PzGr.40想定の競技弾が、すべてTasの砲塔防循に吸い込まれていく。
「早まったでありますな! 止まったのが命取り」
優花里は勝利を確信した。20mm弾はことごとく砲塔防循、厚さ120mmの巨大カマボコに命中する。そんなものでは抜けはしない……
はずだった。
「?」
「何が起きたの?」
「発射ペダルが……」
「エンジン、止まりました」
「まさか!」
優花里はローダーズハッチから飛びだした。
判定装置からはまたも白旗が伸びている。
まさかまた砲塔と車体の継ぎ目を撃たれたのかと思い、優花里は防循下をのぞき込む。
「――! どういうこと……」
継ぎ目には1発も当たっていなかった。
しかし防循の下、乗員ハッチのある車体上面装甲に、20発中17発が貼りついていた。
上面装甲の厚さはわずか20mm……
「なぜ! いったいなぜなのですかああぁぁぁあ!」
優花里の絶叫が、Ⅱ号に乗っているみほたちにまで聞こえてきた。
「君は、『ショットトラップ』という言葉は知っているか?」
戦車道の座学で使用する教室、定員割れで空き教室になっていたそこで、今日の関係者と安斎と西が集まって、ミーティングしていた。
いま話しているのは、西住まほだ。
「たとえば『かまぼこ型の防楯』には、確かにメリットもある。
曲面装甲だから避弾経始に優れる。砲耳を砲塔前面より前に持って行けるので、砲尾も前進し、後ろのスペースが広くなる。だが……」
まほは黒板にチョークで簡単な砲塔断面図を描き始めた。
「上半分に当たったならいい、貫徹できない砲弾は空に飛んでいくだけだからな。
問題は中心線より下に当たったときだ。全部下に跳ね返る。
そしてそこにはたいてい、車体の天井や乗員用ハッチがある。薄いのがな。
パンターがデカい防楯の上にそういうレイアウトだったから、そういうアンラッキーヒットが良く出てしまった。正面を抜くなどとうていできない弱い弾で撃破されてしまう」
「まほせんせー、じゃあ黒森はそんなのをなんで「6両も追加で」買ったんですかぁ~」
ニヤニヤ笑いながら質問したのは安斎千代美。まほは鼻で「ふん」と笑う。
「あまりにもショットトラップ被害が馬鹿にならないから、パンターはG型後期型から対策をほどこした防楯を装備した。下半分に四角い『アゴ』を生やしたものだ。
G型まで放置されていたのは、変速機やダブルトーションバーなどというデカい不具合対処に時間をとられていたからだ。
なお戦車道ルール3-01項によりこの防楯は『搭載される予定だった部材』であるから、パンターD、A型でもつけて構わない。
黒森峰でもヨーグルトさんのD型に一つ進呈した」
「では、砲塔正面が半球型が多い旧ソ連戦車は?」
お堅く聞いてきたのは、西絹代だった。
勝つことより突撃することがレゾンデートルと化していた知波単だったが、「福田の覚醒」によって突撃するのは頭を使ってからに変貌したので、露助戦車にチハでも勝てるかもしれないネタなら聞きのがせない。
「残念ながら、KV-1か-2でもない限り、前面傾斜装甲にオーバーハングしているようなものなので、運良く砲塔継ぎ目に飛んでいった場合以外、前面装甲に当たって終わりだ。
コの字に跳ね返される」
「マウスは?」
しれっとした顔で無表情に聞いてきたのは、食わせ物の島田愛里寿。
わざわざ説明させようというのだ。
「あの総統閣下でさえ気がついたのだから、一応車体に『跳弾板』をつけている」
「でなきゃ西住ちゃんが、総員死に方用意の上で万歳突撃なんて命じるわけないでしょ。
で、肝心要のTasちゃんはどうなの?」
もう聞かずともわかっていることだ。
だが優花里は、まだ対処法があるかもと期待する。
「……手っ取り早いのは砲塔をパンターG後期型のに取り替えることだ。
だが正直、費用と時間がどれだけ必要かわからない。
Tasは試作中に製造会社ごと木っ端微塵にされたらしいな。
それでは防循自体に大問題が潜んでいるなどわかった者などいなかったろう。
だからあの砲塔をそのままにしても、改良されていない以上対処法はない。
そしてあの防循を見ただけで、手練れの選手なら正面を撃ちまくればいいと見抜いてしまう。
あの戦車を出したところで、相手にスコアを献上するだけだ」
つまり、二度も騙されたルクリリにさえ、それがわかってしまったと言うことなのだ。
四強の選手なら誰でも、それこそローズヒップだろうがアリサだろうが真っ先に狙ってくるだろう。ベテランとはそういうものだ。