ルヴァフォース・エトランゼ 魔術の国の異邦人
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辺境異聞 4
地面の下には無数の死体が埋まっていて、草花の養分になっているようだった。
「……肥料は人の死体か。まるで魔夜峰央の『怪奇生花店』や『茸ホテル』だな」
「わっ!」
「おどかすな」
「全然おどろいてないじゃないか」
「そうでもない。怪奇映画みたいな展開に心臓ばくばくだ」
言うまでもなく声をかけてきたのはセリカだ。
「この地面の下に死体が埋まっているぞ」
「マジか!?」
すぐにセリカもおなじ呪文を唱えて確認する。
「……たしかに、牛や馬なんかじゃなくて、これは人の反応だな」
「ゴシックホラーが一転して猟奇殺人ものに変わってしまったな。ヨーグ辺境伯の正体はジル・ド・レやエリザベート・バートリーのような殺人鬼か……」
「いやいや、まだそう決めつけるのは早いぞ。この辺りの風習で花壇の下に人を埋める花葬とかだったり」
「そんな風習聞いたことないわ」
「どうする、このことを直接ヨーグやフーラに問いただしてみるか?」
「それよりも今すぐにこの城を出たいところだな」
だが雷をともなう激しい風雨はいまだに止む気配がない。
「まるで、私たちをこの城から出さないようにしているみたいじゃないか。読みかけの本を途中で投げ出す真似はしたくないね、それにもしこれがヨーグの仕業だったらますます放ってはおけないだろ。この死体たちが城の使用人か旅人だったかは知らないが、こんなふうにするやつを野放しにできるのか?」
「たまにはまともなことを言う。だが……」
「なんだ」
「さっきのあんたの言葉じゃないが、まだ殺害されたと決まったわけではないんだよなぁ」
この時代、貴族の領内は一種の治外法権だ。
他国の旅人はともかく自分の領土内の人たちに対してなにをしても咎めがない。とまではいかないが、よほどのことでもない限り帝国の法がおよぶことはない。
「故意に殺されたならまだしも、『死骸を肥料にするから持ってこい』て、感じで領内から墓場行きの死体を徴収したのなら倫理的には問題でも法律的にはセーフだよな」
「では死体をあらためて見るか。故意に殺害されたかどうか、検分してみよう」
「ほう、アルフォネア教授には検死の心得もおありで?」
「そんなものは、ない」
「そうか、ならやめよう」
「ふん、意気地なしめ。死体が怖いのか」
「なんだと! そこまで言うなら――」
秋芳の口から禍々しい呪文が唱えられた。
【クリエイト・アンデッド】。
人や動物の死体をアンデッド化して支配する魔術。死体の状態によりスケルトンかゾンビとなる。
邪悪な死霊魔術師が好んで使うことが多いが、戦場で死んだ兵士を故郷や家族の元へ届けるなどの目的にも使用もされる。
無数の死骸が土を割って這い出てきた。
生気のない土気色の肌、眼球を失った虚ろな眼窩、そして、鼻をつく屍臭。
その数、一〇体。
むせ返るような草花の芳香に屍臭が混じり、形容しがたい悪臭が鼻をさいなむ。
「ああ~、ゾンビなんか出してゴシック・ホラーの雰囲気が台無しだぁ。それにこの臭いときたら……、鼻の下に○ィックス○ェポラップ やメ○ソレー○ムを塗りたいところだな」
「軟弱な男だな、この程度の臭い、まだましなほうだろうに。魔導大戦の時はもっと凄惨で酸鼻を極める行為が繰り広げられていたんだぞ。それよりもよくごらん。こいつら、妙に干からびてないか?」
「……たしかに、ドラウグルみたいにカサカサだな」
人の身体とは水分が多いものだ。およそ六割が水分――おもに血液でできている。
だがこの死体からは完全に血が抜かれているとセリカは見た。
血液は腐敗を促進し、その結果強烈な屍臭を発する。
この血抜きについて犯人の狙いはなにか?
「腐敗の程度をやわらげたり、遅らせるため。じゃなさそうだ。見てみろ、こいつらの首筋を」
骨と皮だけになった死体の首筋にふたつ。小さな穴が開いている。
「まるで吸血鬼にでも噛まれたかのような痕だが、まさか……」
「そのまさか、じゃないか? ヨーグの書斎にはたくさんの死霊術関係の本があったが、その中には【ビカム・アンデッド】についてのものもあった」
【ビカム・アンデッド】。
高位の魔術師や僧侶など、魔導を極めた者が自らに不死の魔術をかけて不死者と化す、死霊術の奥義。
「【ビカム・アンデッド】でなれる高位の不死者は吸血鬼とリッチの二種類だ」
「ええ~と、この世界の吸血鬼ってのはどういう存在なんだ?」
「知らないのなら教えてやろう、セリカ=アルフォネアの講義を心して聴くがいい」
吸血鬼、それは暗黒の貴公子、アンデッドの頂点、不死者の王。
かりそめの生を過ごし、黄昏に目覚め、夜明けに恐怖し、憧れる者。
その起源は聖エリサレス教の神話にまでさかのぼる。
人類最初の殺人を犯したある人間が神によって不死の呪いを受けた。彼、あるいは彼女はみずからの呪いに苦しみ、生と死について徹底的に調べたが、それを解く方法は見つからなかった。だが他人におなじ呪いをかける方法は見つかった。それが、吸血鬼のはじまりだ。そしてそれには知恵ある者の生き血を求めてしまうという新たな呪いまでくわわってしまった。
吸血鬼の能力はひとりひとりがまったく異なっている。
太陽の光に極端に弱く、陽の光に焼かれる者もいれば、そうでない者もいる。
流れ水を渡ることができない、足を踏み入れれば麻痺する者もいれば、そうでない者もいる。
聖エリサレス教の聖印に弱い者もいれば、そうでない者もいる。
昼間は眠っていなければならない者もいれば、そうでない者もいる。
知的生物の血を吸わなければ死んでしまう者もいれば、飢えや渇きにさいなまれることはあっても死なない者もいる。
「やつらは個体差が大きいんだ。他に特徴といえば――」
赤く光る眼には恐怖と魅了の魔力があり、狼や蝙蝠や鼠、霧に姿を変えることができる。
人並み外れた怪力と敏捷力、極めて高い魔力と治癒力。
心臓に杭を打ち込まれない限り、一度死亡しても復活し続ける。その再生能力は凄まじく、燃やし尽くして灰にしても、したたり落ちた一滴の血からよみがえることもある。
「――といった特殊能力を持つ。また吸血鬼は血を吸いつくした獲物を、おのれの一族にくわえることがあり――」
相手の血を吸い尽くしてから自分の血を与える儀式を行う。
この際に一度で血を吸い尽くせばスレイブ・ヴァンパイアと呼ばれる干からびた怪物になる。スレイブは下僕としてしかあつかわれず、意識をなくし知力が極端に低下する代わりに体力と生命力が高まり、並のゾンビやスケルトンよりは手ごわいアンデッド・モンスターだ。
二度ならば姿はそのままで記憶をなくしたレッサー・ヴァンパイアとなる。意識を持ち知力はそのままだが、血をすすった主人の奴隷となる。レッサーは魅了や変身などの特殊能力は持たないが、怪力や再生能力は吸血鬼と変わりはない。
三度なら姿にくわえても記憶も知力もそのままに、性格だけが邪悪となった吸血鬼となる。この場合、血を分け与えた吸血鬼から対等のパートナーとしてあつかわれる。
「なるほどな~。で、リッチのほうは?」
「禁断の魔術の果てに死にぞこない(アンデッド)と化した出来損ないの不老不死。生者から精気を吸わないと自分の身体を維持することもできない、醜く生き汚い無様な化け物。以上」
「なんか、吸血鬼の説明とくらべてぞんざいじゃね?」
「これがやつらのすべてだ」
「…………」
どうもセリカはリッチという存在が嫌いらしい。先入観ありきの説明を聞くのもなんなので、秋芳はリッチに関してはセリカからそれ以上のことを聞かないことにした。
必要なことは他者の言葉ではなく、自分自身の目と耳で調べるのが一番だ。
「まぁ、リッチについてはもういい。リッチと吸血鬼の差異はなんだ?」
「リッチが純粋な魔術によって不死性を得たのに対し、吸血鬼は魔術的な措置の他に悪魔や邪神の加護を得て不死と化すんだ」
「なるほどな~」
「……この城の主は、いやこの城の住人すべて吸血鬼かもしれない」
「う~ん、だが一応みんな『人の気』をしているんだよなぁ」
「気? ああ、そういえばおまえはそういうのがわかるんだったな」
「陰の気、負の生命力は感じられない。ただ、みんな妙に弱々しい気なのが面妖だが」
「かたっぱしから【ピュアリファイ・ライト】でもぶちかましてやるか」
【ピュアリファイ・ライト】。屍鬼や悪霊などへの対抗手段として考案された祓魔の浄化呪文。術者を中心とした光を生み出し、対象を祓い清める。
「優雅でない真似はやめろ。……まてよ、この城にはまだ俺たちの知らない人物が潜んでいるかもしれない」
「そいつが黒幕の吸血鬼だとでも?」
「まだ吸血鬼だと決まったわけではないが」
「おいおい、なにを言ってるんだ。首筋にふたつの穴が開いた血のない死体が出てきたんだぞ。今回のお話は吸血鬼ものに決まっているだろ」
「いや、まあ、たしかにお約束だが……」
雷光がほとばしり、雷鳴が轟く。
小降りになっていた雨がまた強く降り出した。大粒の雨が温室の壁を叩く。
「とりあえず、今夜はもう休もう」
「夜中にフーラの姿をした者が訪ねてきたら気をつけろよ。ドアを開けた瞬間に首筋にガブリ、なんてことになるかもしれないからな」
「吸血鬼は住人に招かれないと家に入れない。だったな。ん? ここは吸血鬼の家だから関係ないか」
秋芳とセリカは自分の部屋に戻り、それぞれの褥についた。
銃砲が大地を穿ち、槍や斧が肉を断ち骨を砕く。
攻性魔術が唱えられるたびに火球が炸裂し、稲妻が走り、冷気が渦を巻き、死と破壊を撒き散らす。
血と硝煙、鉄と火の臭いに満ちていた。
戦いだ。
戦いの中にいる。
聖エリサレス教会の聖印を身につけたレザリア王国の兵士たちが倒しても倒しても、雲霞の如く押し寄せてくる。
これは、夢だ。
夢を観ている。
厭な夢だった。どうも自分はアルザーノ帝国の将軍らしい。
(もっと楽しい夢を観たいな……)
ぼんやりと考える秋芳の思いを無視して、殺戮の夢はしばらく続いた。
場面が変わった。
どこかの山の中腹だろうか、目の前に聖エリサレス教の聖堂があり、そこに押し込められた人々の怨嗟の声が聞こえてくる。
やがて油がまかれ、火がつけられた。
怨嗟の声は悲鳴と怒号に変わり、やがて赤い炎と黒い煙が人々の声を完全に掻き消す。
それを見上げて満足げな表情を浮かべるヨーグの姿があった。
さらに、場面が変わる。
薄暗い部屋で目を閉じたまま寝かされている。
身体は金縛りにあったようにまったく動かない。
目を閉じているにも関わらず、なぜか周りの光景が見てとれた。
エリサレス教会の聖印が見えた。ここは先ほどとは別の聖堂のようだ。
そのうち不気味な人影が近づいてくる。
人影が手にしたナイフを心臓めがけて降り下ろし――血のしたたる心臓がえぐり出され、壇上に置かれた聖杯にその血が注がれた。そしてその血を口にした者がいる。
ヨーグだ。
目が覚めた。
ベッドの横にフーラに面立ちの似た少女が立っている。肖像画に描かれたヘルギにそっくりだ。
「あれは――なんかじゃ――ない、だまされないで――吸血鬼に気をつけて――」
「…………」
ヘルギに似た少女は秋芳を見下ろし、しきりになにかを訴えているが、聞き取れない。
しばらくすると部屋を出て、こちらを振り向く。
ついてきて欲しいようだ。
黙ってその後に続くと、地下室へと降り、ワインセラーにたどり着く。
「――――」
左奥から三番目の樽の前で少女がなにかの言葉を口にすると、床がずれ、さらに地下へと続く路が現れた。
そこで、本当に目が覚めた。
「という夢を観た」
「奇遇だな、私もだ」
「行くか」
「行こう」
なんらかの力が働き、ふたりにおなじ夢を観せたのはあきらかだ。
あのようなあからさまな夢を観せられて無視はできない。
秋芳とセリカは夜が明けてすぐに地下へとむかった。
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