| 携帯サイト  | 感想  | レビュー  | 縦書きで読む [PDF/明朝]版 / [PDF/ゴシック]版 | 全話表示 | 挿絵表示しない | 誤字脱字報告する | 誤字脱字報告一覧 | 

いろいろ短編集

作者:ゆいろう
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。 ページ下へ移動
次ページ > 目次
 

アナタと寄り添うミライ

 
前書き
原作:ラブライブ!サンシャイン!!
百合、ダイまるです。 

 


 桜が咲き誇る、まるで私の門出を祝うかのように。
 だけど一方で、ひらひらと舞い落ちる花びらが、必然と別れを連想させる。
 彼女とも、今日を境に会えなくなってしまうのだろうか。
 可愛くて、真面目で、誰よりも他人を思いやる貴女。
 そんな貴女に私が抱いた感情を、結局私は知らないまま今日を迎えた。
 これで良かったのかも知れない。
 会えなくなって、それで終わり。
 春は別れの季節だと言う。私たちが離れるのは、必然だったのかもしれない。
 だけどそう考えれば考えるほど、胸がキュッと締め付けられる。
 どうしてだろう。自分でもわからない感情。もうわけがわからない。

「続きまして、卒業生答辞。黒澤ダイヤさん」

 よくわからない感情に振り回されわけがわからなく夏わていたら、名前を呼ばれて私は少しだけ落ち着いた。
 だけど結局私はその感情を理解できないまま、卒業生代表として壇上に立つ。
 講堂に集まった数多くの生徒や保護者。皆私たちの卒業式のため、わざわざ足を運んでくれたに違いない。
 だけど私の目が真っ先に捉えたのは、妹でも両親でもなく、彼女だった。
 栗色の長い髪。色は違うけど私と同じその髪型が、なぜか自分のことのように誇らしかった。
 淡いたまご色のカーディガン。彼女は夏以外はずっとそれを身に着けていた。寒がりなのだろうか。
 用意していた答辞を読み進めながら、私はひたすら彼女に視線を向けていた。彼女のほうは私の視線に気づいているのだろうか。気づいていたとしたら、恥ずかしいけど嬉しいかもしれない。

 今日でお別れなのだから、その姿を目に焼き付けておかなくては。
 そんな思いで私は彼女を見つめていたのだと思う。
 答辞を読みながら思い出すのは、彼女と過ごした日々。
 その数々の思い出は、鮮明に脳裏に焼き付いている。
 出会ったのはいつだったか。確か妹が家に遊びに連れて来たのだったか。
 最初は、ただ妹の友達というだけの認識だった。
 それがいつしか変わって、意識するようになった。
 ハッキリと彼女のことを意識するようになった日のことは、今でも鮮明に覚えている。

 そう――あれは蝉時雨が降り注ぐ、暑い夏の日。
 いつも私ひとりの生徒会室に、彼女が初めてひとり訪れたのだった。


***


 なんの前触れもなく、彼女は私のもとを訪れた。
 夏休みが終わり、溜まっていた生徒会の仕事を私はひとり冷房の効いた生徒会室で行なっていた。
 窓から高く昇った日差しと蝉時雨が入りこんで、冷房をつけている生徒会室は想像以上に暑い。
 額ににじむ汗を拭いながら、私はただ黙々と溜まった雑務をこなしていた。

 そんなときだった。ふいに生徒会室のドアを開けられ、彼女がやって来たのは。
 Aqoursで取り決めた生徒会を手伝うという取り決めがあったにしても、練習に忙しくてそんな余裕がなかったものだから、彼女が来たのは意外だった。
 私はきっと目を丸くして、生徒会室の扉を開けて立つ彼女を見つめていたことだろう。

「だってダイヤさん、生徒会大変そうだから。マルにもなにか手伝わせてほしいずら」

 笑顔を見せる花丸さん。
 そこには邪な考えなどなく、ただ単純に私を手伝ってくれる思いが伝わってきた。

「いいのですか? 生徒会の手伝いをするより、なにか他のことをしていた方が有意義だと思いますわよ?」
「ううん。マルはダイヤさんのお手伝いがしたいずら」

 最初は遠慮したが、そう言われると私はもう何も言い返せなった。
 ひとりで抱えていた雑務をいくつか、私は花丸さんに割り振った。正直猫の手も借りたい仕事量だったので、花丸さんが手伝うと言ってくれたのはありがたかった。今は花丸さんに存分に甘えるとしよう。

 それから私と花丸さんは、会話もそこそこに雑務をこなしていった。あった会話といっても、花丸さんからの仕事に関する質問がほとんどだから、私たちの間に会話は無かったに等しいだろう。
 互いにただ黙々と雑務をこなしていくだけ。それだけで時間はあっという間に過ぎ去っていく。
 気がつけば高かった太陽はすっかり傾いていて、淡いオレンジ色が窓から差し込んでいた。
 そのことに先に気がついたのは私だった。花丸さんはまだ黙々と懸命に雑務をこなしている。
 彼女をこんな時間まで手伝わせたことに若干申し訳なさを感じる。私はたった今時間に気がついたフリをした。

「あら、もうこんな時間ですわ。今日はもう終わりにしましょうか」
「あ、本当ずら。でもまだ仕事が……」
「それはまた明日、私がやりますわ」

 私ひとりでやると、そう言ったつもりだった。
 だけど花丸さんはそうは捉えなかったらしい。花丸さんはにっこりと天使のように微笑んで、

「わかりました。また明日も手伝うずら」

 ごく当たり前のことのように、ケロッとそう言ってのけた。
 このときの私は、きっと目を丸くしていただろう。まさか花丸さんが明日も手伝ってくれるとは、思ってもみなかった。

「いや、花丸さん? なにも明日も手伝えと言ってるわけではありませんのよ? 花丸さんにもなにか予定があるでしょうし……」
「予定ならあるずら」

 あるのに手伝うと言っているのか。思わず呆れかえってしまう。
 だけど次の瞬間、花丸さんは平然とそう言ってのけるのだ。

「ダイヤさんのお手伝い。それがマルの予定ずら」

 満面の笑顔。邪心などを一切捨てた屈託のない笑み。
 花丸さんは本気で私のことを手伝うと言っているのだろう。

「いえ、それは悪いですわ。今日手伝ってくれただけでも十分助かりましたわ。明日からは私ひとりで」
「ダイヤさん。まだお仕事たくさん残ってますよね?」
「いえ、そんなことはありませんわ」

 嘘、本当は花丸さんの言う通りまだ多くの雑務が残っている。

「ダイヤさん、マルの目をよく見てほしいずら」

 言われた通りに花丸さんの瞳をよく見る。
 くっきりと丸くて少し垂れた、はちみつ色の大きな瞳。
 私はツリ目だからその瞳を少しだけ羨ましいと思いながら、花丸さんの瞳をジッと見つめる。

「ダイヤさん、本当にお仕事残ってないずら?」
「の、残ってないですわ」
「本当に、本当の本当にずら」
「ほ、本当の本当ですわ」

 ジッと見つめあう私たち。
 それがだんだん気恥ずかしくなってきて、私は花丸さんから視線を逸らした。

「あ、目を逸らしたずら。ダイヤさん、嘘ついてる。本当はお仕事たくさん残ってるずらね?」
「どうしてそうなるのですか!?」

 ただ目を逸らしただけで、花丸さんにそう断言されてしまった。どうやら彼女のなかでは、目を逸らすと嘘をついていることになるみたいだ。
 本当は見つめ合うのが恥ずかしくなって目を逸らしたのだけれど、それを弁明として口に出すのはもっと恥ずかしい気がする。
 これは私の根負けだろうか。
 ふぅっとため息をひとつ吐いて、花丸さんに向き直る。

「えぇ……花丸さんの言う通り、まだ仕事は残っていますわ」
「やっぱりずら。じゃあ明日も、マル手伝いに来るずら」
「えぇ、よろしくお願いしますわ」

 そう主張を曲げない花丸さんに私が折れた。
 明日もまた、花丸さんが生徒会室にやって来る。



 翌日の放課後になると、花丸さんは生徒会室にやって来た。
 花丸さんは昨日から、私の生徒会の仕事を手伝ってくれている。
 今日もまた、昨日と同じように花丸さんに雑務を任せる。
 私たちの間に会話はほとんどなく、ただ黙々と雑務をしていくだけの時間。
 そんな時間だけど、不思議と居心地がいい。
 花丸さんのもつ柔らかさというのだろうか。
 私の勝手な想像だけれど、花丸さんは全てを許容して包み込むような優しさ、柔らかさをもっていると思う。
 そんな花丸さんと一緒だからか、会話がなくとも落ち着いた時間を過ごせている。
 これで手伝ってくれているのが花丸さん以外のAqoursメンバーだったら、きっと私はうるさく小言を言いながら雑務をしていただろう。
 まだかろうじて落ち着けるのはルビィと梨子さんぐらいだろうか。だけどルビィは仕事が間違っていないか不安で仕方ないし、梨子さんとは付き合いも短いのできっと気まずくなるに違いない。
 そう思うと、手伝ってくれているのが花丸さんで良かったとすら思う。

「ダイヤさん、これは……」
「ああ、それなら右端の棚の三段目にお願いしますわ」
「わかったずら」

 わからないところを花丸さんは積極的に聞いてくる。
 私たちの間に存在する会話はこのぐらいで、あとはほとんど会話をしない。
 その時間が心地良くもあるのだけれど、私はどうにも花丸さんのことが気がかりで仕方がなかった。

「花丸さん」
「はい、なんですか?」

 雑務の手を止めて、花丸さんがこちらを向く。
 こういったところも私の話を聞く姿勢を示していて、しっかりしている子だ。少しはルビィにも見習ってほしいところである。

「貴女、他に用事などございませんの?」
「用事ずら?」
「ええ。例えば……ルビィと遊んだりとか」

 花丸さんと私の妹のルビィは仲が良く、よく一緒に遊んだりしている。
 もしかしたら他の用事を蹴って私の手伝いをしてくれているのだと思うと、それは心苦しい。
 なにより花丸さんの時間を私の手伝いなどに使わせていいのだろうか。

「ダイヤさん。マル昨日も言ったずら」
「昨日?」
「ずら。マルはダイヤさんのお手伝いがしたいから、こうして今日も生徒会室に来たんです。ルビィちゃんや善子ちゃんと遊ぶ約束があったら、マルもさすがにそっちを優先するずら」
「……そうですか。つかぬことをお聞きしました」
「いえ、分かってくれたなら良かったずら」

 どうやら花丸さんに他の予定はなく、花丸さん自らの意思で私の仕事を手伝ってくれているということなのだろう。
 最後にニッコリと花丸さんの笑顔。
 その屈託のない微笑みは、本当に自身の時間を割いてまで、私の手伝いをしたいという思いが現れているような気がした。
 本当に、花丸さんは良い子だ。

 一生懸命に仕事をしている花丸さんの姿は、どこか小動物を起想させる。ぴょこぴょこと子犬みたいで微笑ましい。
 上の棚にファイルを整理したいのか、ぐーっと背伸びをしている。しかしなかなか手が届かない。
 その可愛らしい様子を眺めているのも良かったけれど、花丸さんが苦い表情をして困りだした。
 見かねて私は、花丸さんの隣へと近づく。

「届かないずらぁ……」
「任せてください」
「あっ……」

 花丸さんの手から書類を整理したファイルを取り上げ、上の棚へと仕舞う。
 私の行動が予想外だったのか、花丸さんは驚きのあまり目を丸くさせて私のほうを見つめていた。
 下から見上げられるような花丸さんの視線が、私のそれとぶつかる。そこに私は背徳的な行為を感じてしまい、そっと視線を逸らした。

「あっ、ありがとうずら」
「こ、これからは上の棚は私が担当しますわ。花丸さんは下の方をお願いします」
「了解ずら」

 花丸さんは背が低い。
 ルビィよりも小さいのだから、当然上の棚にまで手が届くはずがない。そのことをすっかり失念していた。
 これからの仕事を割り振り直して、私たちは雑務を再開する。
 花丸さんは膝を折って屈み込み、下の方の棚の整理を。
 私はぐっと爪先立ちになって、上の方の棚の整理を。

 しっかりと役割分担をしてからの仕事は、それまで以上に捗った。
 気がつけばすっかり太陽は傾いており、夕日が私たちを染め上げる。オレンジ色を合図に、私は今日も仕事を切り上げることにした。

「花丸さん、今日もありがとうございました」
「いえいえ。また明日も手伝いに来ますね」
「分かりましたわ」

 また明日も来るという花丸さんを、私はなんの躊躇いもなく受け入れた。
 断ってもどうせ来ると言って聞かないのは昨日の時点で分かったし、何より花丸さんの仕事ぶりは大変頼りになる。
 また明日も存分に花丸さんを頼ることにしよう。




「そういえばダイヤさん、もうすぐ生徒会の任期が終わりずらね」

 それから一週間が経ったある日、花丸さんは思い出したようにそう呟いた。

「ええ、そうですわね」

 花丸さんの言う通り、私の生徒会長の任期はあと一週間ほどで終わりを迎える。私から生徒会長という肩書きが外れるのだ。

「なんだか寂しいずら。あと少しでダイヤさんのお手伝いできなくなっちゃうの」

 その言葉を花丸さんはどういった意味で言ったのか、私にはわからないし、聞く勇気すらなかった。
 この一週間、花丸さんはずっと生徒会室にやって来ては、私の仕事を手伝ってくれた。
 花丸さんの仕事ぶりは本当に大したもので、山のように積み上がっていた雑務がこの一週間で半分ほど片付いた。
 この調子で進めれば退任までに全ての仕事を片付けられるだろう。これも全て花丸さんのおかげだ。

「そうですわね。私も少し寂しいですわ」

 きっと花丸さんがいなければ、仕事は今の半分しか片付いていないだろう。
 単純に二倍、一人よりも二人でやった方が捗るのは事実で、最初は手伝わせることに後ろめたさがあったけれど、今は花丸さんがいてくれて助かっている。
 彼女の仕事ぶりは大したもので、効率よくテキパキと雑務をこなしている。
 まるで以前からこうして二人で生徒会の仕事をしていたような感覚が芽生えてくるが、それはここ最近はほとんど花丸さんが手伝ってくれている故の錯覚だろう。

 今思えば、私はこのときには既に花丸さんに好意を抱いていたのだろう。
 ライクではなく、ラブのほう。

「あっ」

 花丸さんが声をあげる。見ると、手に抱えていた書類が床に散らばっていた。どうやら落としてしまったらしい。

「手伝いますわ」

 腰を下ろして書類を拾う花丸さん。そのすぐ前に私も屈んで、一緒に落ちた書類を拾っていく。
 今までほぼ完ぺきに仕事をこなしてきた花丸さんでも、こういったミスをするのだと思うと、なんだかそれが微笑ましい。思わず口元がニヤケてしまう。
 そんな気持ちになるのは不純なことだと思い、私は手元をよく見ずに書類を拾おうとした。
 それがいけなかった。

 ピトッ。
 手に温かいなにかが触れる。視線を向けると、私と花丸さんの手が触れあっていた。

「あっ……ご、ごめんなさいずら」
「花丸さん」

 慌てて引っ込めようとする花丸さんの手を、私はさっきまで触れていた手で思わず掴んでいた。
 自分でもなぜそうしたのかわからない。
 花丸さんの手の温もりを、もっと感じていたかったのかもしれない。

「ダイヤさん……?」

 怪訝そうな目で花丸さんがわたしを見つめる。吸い込まれそうな琥珀色の瞳は、手を掴まれたことによる単純な疑問を映し出していた。
 そんな花丸さんをよそに、私は彼女をジッと観察する。
 艶やかな栗色の髪。
 くりっとした可愛らしい睫毛。
 健康的できめ細やかな白い肌。
 ほんの少し朱に染まった頬。
 ぷりっとして柔らかそうな桜色の唇。

 窓から差し込む夕日が私たちを影にして、彼女の輪郭を曖昧にする。
 そんな中その存在を強く主張する柔らかそうな唇に、私は吸い込まれそうになって。
 顔を近づけていくと、その唇がだんだん大きくなっていく。
 気がつけば私は花丸さんの唇を、私のそれで塞いでいた。

 数秒、ほんの数秒間触れあった唇。
 それを離した瞬間、花丸さんの顔が目に飛び込んできた。
 驚いた表情、朱に染まった頬、潤んだ瞳。
 そんな花丸さんの顔を見て、私は自分がなにをしでかしたのか、ようやく気づいた。

「その……ごめんなさい」

 ポツリと私の口をついて出た言葉は、謝罪だった。
 無意識とはいえ、花丸さんの唇を奪ってしまった罪悪感。それから逃れるように、私は謝罪の言葉を口にした。

「……っ!!」
「花丸さんっ!!」

 花丸さんは立ち上がり、踵を返して生徒会室から走って出ていく。
 その背中に声をかけたが、花丸さんは振りかえることなく私の前から姿を消した。

 それ以来、花丸さんが生徒会室を訪れる日はやって来なかった。
 それは私が生徒会長の任期を終えるまで、ずっとだった。



 花丸さんとキスをして、彼女が逃げるように去って行ったあの日から一週間が経った。
 結局あの出来事があって以来、花丸さんは生徒会室にやって来ず、私は任期が終わるまでひとりで雑務をすることになった。
 花丸さんがいなくなったことで作業効率は極端に落ち込んだ。ひとりで雑務をしていると、花丸さんの存在がどれだけ有り難かったかよくわかる。
 私は彼女になんてことをしてしまったのだろう。

 生徒会長と肩書がなくなった私は、ひとり昼休みの廊下を歩いていた。
 職員室で先生と少し話をして、教室に戻っている途中だった。
 歩きながら考えるのは、花丸さんのこと。
 今なにをしているのだろう。私のことをどう思っているのだろう。
 あんなことをしたのだ、きっと嫌われているに違いない。

 そんなマイナス思考に陥っていても、思い出すのはあの時の感触。
 私はそっと手を唇にやった。
 柔らかいその感触を思い出して、罪悪感が降って湧いてくる。
 あの日の自分を殴ってやりたい気分だ。

 そんなことを思いながら廊下を歩いていると、前から二人組の生徒が歩いてくるのが見えた。そのどちらも私の知ってる人。
 その中には、花丸さんの存在もある。

「あ、お姉ちゃん!」

 私に気づいた妹のルビィが、嬉しそうにこちらにやって来る。
 花丸さんはというと、ルビィの後ろに控えめに立っていた。

「あらルビィ、花丸さんも。ごきげんよう」
「こんにちはずら」

 一応、挨拶は交わしてくれるみたいだ。
 だけど花丸さんは依然とルビィの後ろにいて、表情は少しばかり陰っている。

「あのねお姉ちゃん聞いて! 今日の英語の授業でね――」

 ルビィが楽しげに今日あった出来事を話している。
 そんな妹の話は、あまり耳に入ってこなかった。
 そうしても、ルビィの後ろにいる花丸さんの存在が気になってしょうがないのだ。
 あの時のことをもう一度謝りたい。そして、できるならもう一度同じ時間を過ごしたい。
 だけどルビィの前でそのことを切り出すのは、私にとってとても勇気のいることだった。

「ねえお姉ちゃん、ちゃんと聞いてる!?」
「安心なさい、聞いてますわよ」
「よかった……それでね! そのあと――」

 ルビィには申し訳ないが、私は二つ返事で嘘をついた。
 視線はどうしても、花丸さんに向いてしまう。
 すると、花丸さんとバッチリ目が合ってしまった。
 驚いたように目を大きくする花丸さん。そして、次の瞬間には気まずそうに目を逸らされた。
 ああ……やっぱり、私のことが嫌いになってしまったのか。
 あれだけのことをしたのだ、嫌われて当然だ。

 キュッと、胸が締めつけられる。
 どうしてだろう、気持ちがモヤモヤする。
 花丸さんを見ているとドキドキする。こんな感情、生まれて初めてだ。
 初めてだから、私はこの感情の正体を掴めなかった。
 キラキラして、ドキドキする。
 私にわかるのはたったそれだけ。
 名前の知らない感情は、少しずつ膨らんで大きくなっていく。
 やがて胸いっぱいに満たされると、得体の知れない感情ではち切れそうになる。

「あ、もうすぐ昼休み終わっちゃう! お姉ちゃんまたね!」
「ええ、また」

 ルビィと花丸さんが私を横切って去っていく。
 私は振りかえって、小さくなっていく花丸さんの背中を視線で追った。

「花丸さん……」

 誰にも聞こえないほどの小さな声で、私はポツリと呟いた。
 彼女の名を口にすると、胸がキュッと締めつけられる。
 締めつけられた胸は、苦しく、そして痛い。
 だけど不思議と、幸福感が混じっているのだった。




 それから時間が過ぎゆくのは早かった。
 紅葉が色づき、そして枯れ落ち、肌寒い季節がやって来た。
 身を震わす寒さのなか、花丸さんのことを考えると心がポカポカ温かくなる。
 痛くて苦しい。だけど温かい幸福感がある。
 そんな矛盾を孕んだ感情を、私は未だに抱え続けていた。

「はぁ……」

 机に頬杖をついて、窓の外を見ながらため息をつく。
 以前廊下で花丸さんと出会って以来、彼女の姿を見ていない。
 それだけ……たったそれだけで、私の心には大きな穴が空いたような気分だ。
 あれから何ヶ月と経っているのに、花丸さんと合えないことが私を悩ませていた。
 花丸さんに会いたい、会ってもう一度話をしたい。そう思うのは欲張りだろうか。
 ならいっそのこと話はできなくてもいい。ただ同じ空間で、同じ時間を花丸さん過ごしたい。

「はぁ……」

 また無意識にため息が出る。
 教室の中だというのに、吐く息が少し白くなったような気がした。
 花丸さんも今ごろ、教室で寒さに身を震わせているのだろうか。
 ……だめだ。なにをしても花丸さんのことを考えてしまう。
 私はいったいどうなってしまったのだろう。

「はぁ……」

 また自然とため息が出る。
 ため息をした数だけ幸せが逃げるとはよく言うけれど、本当なのだろうか。
 花丸さんのことを考えると幸せで満たされる。だけどその幸せも、ため息の数だけ逃げていってしまうのだろうか。
 花丸さんと会えなくて、私はため息の数が増えた。
 この胸にある小さな幸せも、ため息をするたびに少しずつ消えて、やがては無くなってしまうのかもしれない。
 そう考えると途端に寒気が押し寄せてきて、ぶるっと身を震えた。
 ほんの少しの幸せが逃げないように、私は震えた身体を自らの手で抱きしめた。

 そうやって悪寒に身を震わせていると、そんな私のもとに近づいてくる人たちがいた。
 同じクラスの鞠莉さんと果南さんだ。

「どうしたのダイヤ? 元気ないわね?」

 鞠莉さんにそう問われるほど、傍から見た私は元気がないのだろう。
 実際のところ自分でも、元気がないのは分かっている。

「何か悩みごと? 相談乗るよ?」

 果南さんが相談に乗ると言ってくれたけど、花丸さんとあったことを二人に直接的に話すのは避けたいところだ。
 私が恥ずかしいというのもあるが、なにより花丸さんが誰かに言いふらされるのは嫌がるだろう。
 だけど花丸さんとのことを、どうすればいいのか私にはわからない。正直誰かに相談したい気分だった。

「今から話すのは、私の友人のことですわ。それでも聞いてくださいます?」

 そう問うと、二人は黙って頷いてくれた。
 ありきたりな文言にも何も追及してこない二人に感謝しつつ、私は花丸さんの名前を伏せて、彼女とあった出来事を、そして今の私の気持ちを二人に話した。

 一緒にいると落ち着くこと。
 話していると楽しいこと。
 今は会えなくてモヤモヤすること。
 その人に会いたいということ。

 私はほとんどの出来事を鞠莉さんと果南さんに話した。
 キスのことは私が恥ずかしいのと花丸さんの名誉のため、言わずにいたけれど。
 私のその話を聞いた二人は、揃ってこう言ってのけた。

「それは、恋だね」
「恋……ですか?」
「イエス! 恋よ、ダイヤ!」
「わ、私の友人の話ですわ!」

 鞠莉さんにからかわれるが、今の話は私の友人のことという体裁を貫き通す。

 恋……か。
 鞠莉さんと果南さんは口を揃えてそう言ったけど、それは違うだろう。
 花丸さんは、ルビィの友達だ。
 妹の友達に私が恋をするなんてこと、あるはずがない。

 だから、この感情は恋じゃない。
 相談に乗ってくれた二人には感謝しつつ、このときの私はそう結論づけた。
 だけど彼女の名前を口にすると、心が温もりで包まれるのは事実。
 私は心の二人には聞かれないよう、心の中で彼女の名をポツリと呟いた――。


***


「――花丸さん……」

 スピーカーからその声が反響してきて、しまったと思ったが遅かった。
 卒業式で答辞を読みながら、花丸さんとの思い出を振り返っていたら、ポツリと呟いたものがマイクに拾われてしまった。
 私の答辞が終わり、拍手が鳴り響いていた講堂がシンと静まり返る。
 まずい……やってしまった……。
 慌てて頭が真っ白になった私は、考えるよりも先に口が動いていた。

「は、花丸さん! あとで生徒会室に来るように!」

 そう言って、壇上から降りる。
 講堂にはパチパチと疎らな拍手が鳴り、異様な雰囲気が漂っている。
 恥ずかしさで顔を真っ赤にした私は、急ぎ足で自分の椅子へと戻っていく。

 私が着席してからの卒業式は滞りなく進んだ。
 私の失言があって無事とは言えないけれど、私たちの卒業式は終わりを迎えた。



 卒業式が終わって、私は生徒会室を訪れた。
 生徒会室は現生徒会長も不在で、正真正銘私ひとりだけだった。
 およそ半年ぶりに訪れたけど、あの時から何も変わっていない。
 花丸さんと一緒に整理した書類もそのままの位置にあって、なんだか懐かしく感じる。
 長年使っていた机を撫でる。
 たくさんの思い出が詰まった生徒会室、そして浦の星女学院。
 ここにいられるのも今日で最後。
 花丸さんと一緒にいられるのも、今日で最後なのだ。

 ガラガラと、扉が開く音がする。
 視線を向けるとそこには、花丸さんが気まずそうな表情で立っていた。

「花丸さん……」

 久しぶりに見る彼女の姿。なぜだか分からないけど涙が出そうになり、私はそれを必死で堪える。

「ダイヤさん、どうして急にマルを……?」

 少し遠慮しながらも、花丸さんは生徒会室に入り私のもとへと向かってくる。
 彼女の声も、その口癖も、耳にするのは随分と久しぶりだった。

「その、花丸さんに謝りたくて……」
「謝る? ダイヤさんがマルに?」
「ええ、そうですわ」

 本当は呼び出したことに理由などなかった。
 ただ無意識に出た花丸さんの名前で止まった卒業式を、どうにかしようと気がつけば花丸さんに来るよう言ってしまったのだ。
 だけど、実際にこうして花丸さんが来てくれた。
 それなら前から謝りたいと思っていたことを、ここで言うことにしよう。
 花丸さんとこうして学校で会えるのも、今日で最後なのだから。

「その……あの時のことはごめんなさい」
「あの時……?」
「えっと、その……半年前、私がここで花丸さんに、その……き、キスをしたことですわ」
「あっ……」

 私の言わんとしていることを理解した様子の花丸さんが、途端に顔を赤くする。
 いきなり私にキスをされて、花丸さんも嫌な気持ちになったのだろう。
 あの時、花丸さんは私にキスをされて、その直後に逃げるように去って行った。
 その時のことを、半年も経ってしまったけど今からきちんと謝ろう。

「あの時は、いきなりキスをしてしまい申し訳ございません。花丸さんも嫌だったでしょう? だから……ごめんなさい」

 半年ぶりの謝罪。
 とてもじゃないけど花丸さんの顔を直視できなくて、私はずっと頭を下げ続けた。
 花丸さんはきっと憤っているだろう。今になって謝られたのだから。
 しかし次の瞬間、花丸さんから投げかけられた言葉は意外なものだった。

「嫌じゃ、なかったずら……」
「えっ」

 思わず顔を上げる。
 花丸さんは顔を真っ赤に染め、恥ずかしげに視線を床に落としていた。

「嫌じゃなかったずら、ダイヤさんとのキス……」

 聞き間違いじゃなかったその言葉。
 嫌じゃなかった……? 私とのキスが……?

「で、ではなぜあの時、すぐに逃げ出したのですか?」

 思わずそう問いかける。
 嫌じゃなかったなら、逃げ出した理由がよく分からなかった。
 それに対して花丸さんは、

「それは……その、恥ずかしくて……」

 なんだ……恥ずかしかっただけなのか。
 そうだと知っていたなら、今日まであれほど悩まなくて済んだのに。
 じゃあ廊下で会ったあの時も、顔を合わせてくれなかったのは、ただ単に恥ずかしかっただけなのだろうか。
 そう思った途端、目の前の花丸さんが愛おしくて仕方がなかった。

「あの……ダイヤさん」
「は、はい」
「もう一回、してもらえますか? ……キス」
「はい?」

 耳を疑う。
 花丸さんを見ると、今まで以上に顔が赤くなっていた。

「あ、今のやっぱり無かっ――――んっ……」

 花丸さんが何か言いかけたが、私はその言葉を待たずに彼女の唇を塞いだ。
 キスしてほしいと言われて、私にももう一度キスしたいという気持ちが強く湧きあがった。
 だから考えるよりも先に、行動に移してしまった。

「んっ……ふぅっ……んんっ……」

 長いキス。
 半年前の触れるだけのキスとは違って、たっぷりと花丸さんを味わう。
 疎遠になっていた時間を取り戻すかのように、私たちは長い時間をかけてキスをする。

「……んっ……ぷはぁっ、はぁ……ダイヤさん……」
「花丸さん……」

 花丸さんと見つめ合う。
 すると自然と、その言葉が口から出てきた。

「好きです」

 その言葉は自分でも驚くほど、ストンと胸の中に落ちてきた。
 私はずっと、花丸さんが好きだったんだ。
 以前、鞠莉さんと果南さんに言われたときは否定した。
 だけど私はあのときにはもう、花丸さんに恋をしていたのだ。
 ただ自覚がなかっただけ。その感情を知らなかっただけ。

「私も……ダイヤさんが好きです」

 花丸さんからの言葉。
 それだけで、涙が溢れ出そうになる。
 今まで胸の中にあった痛みや苦しみが消え去って、喜びと幸せで満たされている。
 花丸さんのことを考えて胸がキュッと締めつけられたとき、あのとき存在していた僅かな幸福感の正体は、恋だったのだ。

 恋が実って、幸せで満たされる。
 この瞬間、私は世界で一番の幸せ者だろう。
 いや違う。
 花丸さんも私と同じだけ、幸せを感じているに違いない。

「花丸さん」
「ダイヤさん」

 目と目が合う。
 顔が近づいていく。
 これから私は、幸せになるのだろう。
 その隣には、花丸さんがいる。
 互いの幸せを分かち合い、ともに幸せになっていく。
 そんな誓いの意味を込めて、私たちはキスをした。

 これからも、彼女と一緒に歩んでゆく。
 私たちに待っている未来を、いつまでも、永遠に。 
次ページ > 目次
ページ上へ戻る
ツイートする
 

感想を書く

この話の感想を書きましょう!




 
 
全て感想を見る:感想一覧