国木田花丸と幼馴染
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修学旅行
修学旅行。俺達中学生にとっては、同級生達と初めての旅行となる学校行事だ。遠足などの学校行事で同級生達とどこかに行くことはあれど、泊まりがけで遠出することは修学旅行が初めてとなる。
先日行われた班分けで、俺はマルや黒澤と同じ班になった。それからあっという間に時は流れ、今日は修学旅行当日。俺達は大型バスに乗って今回の修学旅行の行き先へとやって来た。その場所というのは――。
「未来ずらー!」
幼馴染が言う。そう、俺達は修学旅行で未来にやって来ていた。
いや違う違う、未来じゃない。これは修学旅行であってタイムトラベルではない。トラベルという英語は旅行という意味だけれど、修学旅行で時間旅行をする筈がない。ちなみにトラベルが旅行という意味なのは、この前の英語の授業で覚えたばかりだ。
閑話休題。改めて目に映る景色を眺めると、高くそびえ立つビルが所狭しと軒を連ねている。内浦ではまず見ることがない光景に思わず息を呑んでしまいそうになる。マルが未来と驚く気持ちも理解できなくはない。
「東京って、すげぇよな。こんなにビルがたくさんあって」
「マル、東京初めてずらー」
「る、ルビィも初めて!」
俺達の修学旅行の行き先は東京。初めて訪れる東京の地。視界いっぱいに広がるビル群の壮大な光景は、俺達の心を躍らせた。
「楽しい修学旅行にしような」
「ずら!」
東京での自由行動の時間は、事前に決められた班で行動する決まりとなっている。この事前に決めた俺達の班というのが、俺とマル、黒澤、タナケン、メガ島、委員長の計六人のことである。
しかし今、俺は幼馴染であるマルと、その友達の黒澤の三人とだけで自由行動をしていた。タナケン達とはぐれてしまったのなら大問題であるが、そういう訳ではない。なぜならこの状況は、彼らの気遣いによって生まれたものだからだ。
自由行動が始まって最初のうちは班の六人で行動を共にしていた。だが十分ほど歩いた頃だった、一番後ろを歩いていた委員長が俺のところまでやって来ると、耳元で小さくこう言ったのだ。
『私とタナケン達がいると国木田さんと黒澤さんに気を遣わせてしまうから、ここは別々に行動しましょう。自由行動なんだから自由にしないとね。タナケンとメガ島もそれでいい?』
普段は真面目で通っている委員長らしからぬ不真面目な発言に、俺は思わず面喰った。同意を求められたタナケンとメガ島のブンブンと何度も首を縦に振るその勢いに、俺も釣られて首肯してしまう。
こうして俺達の班は別々に行動することとなり、俺とマルと黒澤の三人は今こうして東京の街をぶらぶらと歩いている。
前を歩くマルと黒澤を見る。二人は初めて見る東京の景色をまじまじと見ては、楽しそうに会話を繰り広げて歩みを進めている。そこに俺の入る余地はなく、俺は少し後ろを歩きながら彼女達を見守っている。
「ねえねえハルくん!」
俺のもとにマルがやって来て声をかけてきた。その後ろには黒澤がピタリとくっついている。未だに俺は黒澤と仲良くなることができず、極度の人見知りという彼女に今もこうして距離を取られている。
「どうした? 何かあったのか?」
「ううん。ハルくんはどこか行きたい場所ないのかなぁって」
「行きたい場所かぁ……」
自由行動の段取りを全く決めていなかった俺達は、このように行き当たりばったりな行動になっている。東京なら歩いていて目に付いた場所を訪ねればいいだろうという考えが浅はかだった。
「秋葉原、なんてどうだ?」
「アキバ!?」
俺の提案に食いついてきたのは、マルではなくて意外にも黒澤だった。マルの後ろに隠れていた顔はマルの肩越しに姿を見せて、目はキラキラと輝いている。
「ルビィ、アキバ行きたい!」
「それなら、アキバに行くか」
「うん!」
「ずらー!」
俺達は秋葉原へと向かって歩き出す。相変わらず俺の前をマルと黒澤が歩いていき、俺はその後ろを見守るようにして歩みを進めていた。
正直、秋葉原に黒澤が食いつくとは思わなかった。前を行く黒澤の足取りは、さっきまでと比べて心なしか弾んでいるに見える。よっぽど秋葉原に行きたかったのだろうか。なら行きたいと言えばいいとつい思ってしまうが、極度の人見知りだからそれも仕方のないことだった。
秋葉原にたどり着き、俺達は人混みの中をせっせと歩いていた。さすがはオタク街というだけあって人通りが多い。これだけ人が多くなるとマル達とはぐれてしまう可能性があるので、俺はさっきまでよりマル達に近づいて歩いていた。
先程と比べてマルと黒澤の口数が少なくなっている。顔色を伺うと少し疲れが見て取れる。どこか建物の中に入れないかと俺は周囲を見渡した。
「あっ、あそこに雑貨店があるぞ。人も少なそうだから一旦中に入って休憩しよう」
「ずら〜」
俺が先頭に立って進んでいき歩けるスペースをつくる。その後ろからマルと黒澤が歩いてきて、俺達はその店の中に入った。
「ふぅ、疲れたな」
「うん。疲れたずら……」
膝に手をつきながらマルは言う。額が少し汗ばんでいて、本当に疲れたみたいだ。
「あれ? 黒澤は?」
「ルビィちゃん? ほんとだ、いないずら」
近くに黒澤の姿がなかった。慌てて周囲を見渡すも見当たらない。途端に背中が寒くなってきた。
「あ、ルビィちゃんいたずら!」
マルが店内の一角を指差す。視線を向けるとそこには、商品を手にとって食い入るように見つめている黒澤の姿があった。
「よかった……」
店に入る際にはぐれてしまったと思ったので、俺は心底安心した。ホッと安堵の息をひとつついて、マルと共に黒澤のもとへと向かい声をかける。
「黒澤、頼むから勝手にどこかにいかないでくれ。はぐれたと思うだろ」
「ご、ごめんなさい……」
注意をすると、黒澤はシュンと表情を暗くして肩を落としてしまった。少しキツい物言いになってしまったかもと反省するが、はぐれたら困るのは事実。初めて訪れる東京で迷子になられると、見つけるのは困難だから。
「ルビィちゃん、その手に持ってるのって……」
黒澤が持っているものが気になったのか、マルが尋ねる。すると黒澤の暗い顔はどこへやら、パッと明るい表情で持っているそれを俺とマルに見せてきた。
一枚のCDケース。そこには複数の少女が写っていた。そして俺は、その少女達を知っている。
「花丸ちゃん、これμ’sだよ!」
「ホントだ! μ’sのCDじゃんそれ!」
黒澤が見つけたμ’sのCDに思わず興奮してしまい、声が大きくなってしまった。黒澤がビクッと怯えた表情を見せ、俺はすぐに落ち着きを取り戻そうとする。
μ’s――数年前、ラブライブという大会で優勝した伝説のスクールアイドル。今はもう解散しているのだが、未だにファンが多いと聞く。かくいう俺もその一人だ。
ぐるりと店内を見渡すと、μ’sだけでなく沢山のアイドルの商品が所狭しと陳列されていた。どうやらこの店はアイドルショップみたいだ。
「ミューズ……石鹸ずら?」
「花丸ちゃん?」
「ち、違うの? ごめんずら……」
μ’sを某薬用石鹸のことだとマルは勘違いしていた。それを聞いた黒澤が鋭い目つきでマルを睨んだ。初めて見る黒澤の表情にマルのみならず俺までと少したじろいでしまう。
「違うぞマル。この人達は、μ’sっていう名前のスクールアイドルなんだ」
「スクール、アイドル?」
「高校生が部活でするアイドルのことだ」
「へぇー、そんな人達がいるんだ……」
マルに簡潔な説明をすると少し興味が沸いたようで、黒澤の持っているCDをまじまじと見つめ始めた。
「あ、あのっ! 榎本くん!」
「ん?」
少し震えた声で俺の苗字を呼んだのは、黒澤だった。実はこれが、黒澤に初めて名前を呼んでもらえた出来事だったりする。
「榎本くん、μ’s……好きなの?」
そんな普通の質問。これが俺と黒澤が交わす、初めての会話らしい会話だった。
「ああ、大好きだぜ!」
「本当! じゃあ、μ’sのなかで誰が一番好き!?」
再び質問が飛んでくる。俺は迷うことなくそれに答えた。
「みんな好きだけど、一番はかよちんだな!」
「花陽ちゃん!? ルビィもね、花陽ちゃんが一番好き!」
「マジか! 一緒だな!」
「うん!」
うんと大きく黒澤は頷く。その瞳は今まで見たなかで一番キラキラとしていて、表情は今まで見たなかで一番嬉しそうだった。
極度の人見知りな黒澤。その笑っているところは今まであまり見たことがなかったが、今の黒澤の笑顔はとびきり輝いていて、素敵だと思った。
なんだか今のやり取りだけで、黒澤との距離がグッと縮まったような気がする。たまたま入った店がアイドルショップで、そこにμ’sのグッズが置かれていてよかった。
「ねぇねぇ、ハルくんルビィちゃん。花陽ちゃんってどの人ずら?」
クイクイと服の袖を引っ張ってきたマルに尋ねられる。どうやら俺と黒澤が好きだという花陽ちゃんが気になっている様子だ。マルの疑問には黒澤がいち早く答えた。
「この茶色いショートカットの人が花陽ちゃんだよ! 小泉花陽ちゃん!」
「ありがとうルビィちゃん。この人が、花陽ちゃん……」
CDジャケットに写る花陽ちゃんをまじまぎと見つめる我が幼馴染。そんなマルに黒澤が更にひとつ、付け加えるようにして言った。
「それでね! 花陽ちゃんの隣にいるオレンジ色のショートカットの人が、星空凛ちゃんって言うの! 凛ちゃんと花陽ちゃんは幼馴染なんだって!」
「幼馴染、星空凛ちゃん……」
「うん! それでね、その隣にいるのが――――」
それからしばらくマルに対して、黒澤によるμ’sの説明が行われるのであった。黒澤の話にマルはずっと耳を傾けて熱心に聞き入ったので、次第に黒澤の話にも熱が入ってしまったのだ。
黒澤によるμ’s講座は、なんと自由行動が終わるまで続いた。黒澤に話を中断させるのも一苦労であったが、俺達は何とか集合場所に時間通り戻ることができた。
しかし、黒澤はそれまでの話で満足できなかったようだった。それからの修学旅行の間、俺とマルは黒澤にμ’sの話を延々と聞かされるのであった。
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