ソードアート・オンライン 少年と贖罪の剣
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幕間の物語:スリーピング・ナイツ
第十九話:目覚め
前書き
お久しぶりです。最早忘れ去られてる気がしますが、細々とやっていきたいと思います。
深い微睡の中で、とても尊い夢を見た。
夢の中の私は幸せそうに笑っていて、その隣にはお父さんもお母さんもいて、そして、こちらへ微笑みながら手を差し伸べる愛しい彼の姿が。
絶対にあり得ないはずの、泡沫の夢。
暗闇に怯える私はそこには居らず、死の恐怖にただ涙を流すだけだった私はどこにも居らず。ただただ幸せな、こうであったらいいなと想い続けたイフの世界。
――――だからこそ、これは偽物だと気づいた
私の世界にもうお母さんはいない。
私の世界にもうお父さんはいない。
彼は、そんな風に笑わない。
「消えて」
暖かい願いなど、そんなものは逃げ道だ。薄霧に包まれた、不確かで、あやふやで、そして何れは消え去ってしまう先のない道だ。
そんな道は歩かないと彼に教えてもらった。
彼は。
「レンは、そんな風に笑わない」
差し伸べられた手に、罅が入る。
その罅は次々に私の世界に広がっていき、やがて破砕音を撒き散らして砕け散った。
さあ、目覚めよう。愛おしい微睡はもうおしまいだ。
私は、例えどんな暗闇の中でも足をしっかりと足を踏みしめて歩いていく。
† †
バカな、と男は悲鳴のような声を上げた。
酷く現実味のない話だ。まるでSFのような話だ。有り得ない、有り得ない。
ディープ・スリープ状態の思考体が自ら目覚めただけでなく、電脳体を自己構築するなど誰が信じられる。
それは少女だった。長く黒い髪を二つに束ねた少女だ。
有り得ない。
その手に握られたものは何だ。彼女の身長よりも長い一本の槍。そんな武器、この世界には存在しない。現時点で存在していいステータスではない。
有り得ない。
――――まさか。まさかまさかまさかまさかまさか
「その、槍は――――!」
その続きを語る資格は、なかった。
醜き異形の姿を取っていたこの者は、少女にとってはただの敵でしかない。
伸ばした触手は斬り捨てられた。吐き出した粘液は空を切った。槍の穂先が、体を貫いていた。
「それはッ、アイン、クラッ――――」
砕け散る体。体の感覚が全て消え失せ、次いで視界から色彩がなくなる。
この世界で死んだら、一分間はリメインライトという所謂、蘇生待機状態に入る。その間は意識は鮮明に保たれ続けるが、この存在の意識は混濁していた。システム的な問題ではない。自分の中で最も嫌悪する記憶、忌まわしくも決して忘却することはできない記憶を刺激されたからだった。黒色の炎と化したその存在は、意識が漂白されるまで食い入るように少女の槍を凝視していた。
「……なんだったの?」
一方ユメは目覚めて早々に生理的に受け付け難い存在からの奇襲を受けて若干機嫌が悪かった。幸いそこまで強いモンスターではなかったらしく難なく倒すことができたが、新たな疑問が思い浮かぶ。
「それにしても、ここは?」
ユメがいるのは途方もなく広い空間の中だった。遠近感を失ってしまいそうな程白く、広大な空間を振り返ると、そこには短い柱のようなものが規則正しく建てられていた。それはユメの真後ろにも存在しており、詳しく覗いてみるがそ柱の内部にはなにもなく、ただ『Error』という文字が発光しているだけだった。首を傾げて、すぐ隣の柱に目を移した。
「――ひっ」
危うく漏れかけた悲鳴を寸でのところで押しとどめる。信じられない光景に、ユメの瞳に涙が滲んだ。
その柱に存在していたのは――人間の脳髄だった。
それらが、ユメが今見ている柱の他にも夥しい量存在している。だとするのならば、この自分の目の前に存在しているこの柱には、つい数瞬前までユメ自身がこのような状態だったということだ。駆け抜ける怖気に震える体を必死に押さえつけて、唇を噛む。
その時、右端に捉えていた柱に変化が起こった。まるで脳髄を象った宝石のようなそれに幾つもの光が瞬き、その横を様々な数列やら文字やらが流れていったのだ。ユメがなんとか読み取れたのは、『Pain』『Terror』などといった単語だった。
「痛み…それに、恐怖……?」
そんな、と首を振る。だってそれは、単なるSFの世界の話だ。こんな悍ましい事、人間がやっていいことではない。
人間の脳を使った実験など、物語の枠から出てきてはダメだ。
「……許せない」
槍を握る手に力が籠る。
もう彼女の中に恐怖心はなかった。そんなものは、怒りに取って代わった。
SAOは確かに、あの英雄たちによってクリアされた。だが自分は今まだ電子の世界にいて、恐らくはここに存在する柱の数だけ、彼女と同じく現実世界に帰還できていない人がいる。それは許してはならない。
ユメは柱の前にしゃがみ、その表面に手を触れた。
「待ってて。私が、解放してあげるから」
決意を新たにして立ち上がる。
―――その直後、甲高いサイレンと共に、部屋中が真っ赤に染まった。
† †
「さぁーってぇ!」
「いっちょ!」
「やっちゃおう!」
スリーピング・ナイツが誇る元気っ子三人の威勢のいい掛け声に、周りにいたプレイヤーが何事だと目線を向けた。
「なんだなんだぁ?」
「まさか、あいつら世界樹攻略に挑むつもりか?」
ざわつく周囲を無視して、スリーピング・ナイツの面々は世界樹までの歩みを進めていく。レンは勿論、彼らは注目されることに慣れていたし、奇異の視線を向けられることを気にする人間はいなかった。タルケンは、恥ずかしそうにしていたが。
「これが、世界樹。ここに、アスナが……」
一行は最終ミーティングを終えてすぐに世界樹の麓まで向かったのだった。
見上げても天辺の見えない巨木に、レンは感嘆の声を漏らした。そして同時に、薄い怒りを募らせて頭上を仰ぐ。
数時間前、総務省の菊岡から聞かされた話はレンの中で燻り続けていた。菊岡の協力依頼には返答まで少し時間をもらったが、レンは今回の世界樹攻略の際に同時に未帰還者の調査も行おうと目論んでいた。
「兄ちゃん?」
そんな兄の異変を感じたのか、意気揚々と前を歩いていたユウキが彼の方へ振り返る。不安そうな顔をする妹に、レンはなんでもないと薄く笑みを返すのだった。
「それで、入口はどこなんだ?」
現在彼らの頭上には世界樹が天高く聳え立っているが、目の前はうんざりするほど長い石畳の階段だ。トレーニングに使うなら最適だが、目的地に向かうためにこれを登らなくてはならないのは少々面倒そうだ。
買い出しの時に下見をしてきたらしい後ろを歩くランに問いかける。
しかし彼女から返事はなかった。
「ラン?」
不思議に思ったレンが振り返ると、ランは顔を俯け自分の掌を眺めていた。
「どうかしたのか?」
「あ、いえ。なんでもありません」
心配そうな表情を浮かべる兄に対し、ランは微笑んでその不安を打ち消そうとした。
「……辛くなったら言うんだぞ」
しかしレンは微笑む彼女の右手が薄く透けているのを見逃さなかった。
レン自身に経験があるように、あれは脳とアミュスフィアの接続が不安定になっている証拠だ。SAO時代、レンもナーヴギアとの接続がうまくいかず、他のプレイヤーに施されていたペインアブゾーバが機能していなかった。
本当なら、今すぐにでもランを休ませてやりたかった。だが、今回の世界樹攻略を誰よりも望んでいるのは彼女で、そして彼女のもしかしたら最後の願いになってしまうかもしれないこの探索を、中止する気にはとてもではないがなれなかった。
「はい。世界樹の入口は、この階段を登り切った先にあります。急ぎましょう」
「ああ」
ランの右手は、今ははっきりとしていた。しかしあれが一時的な接触不良だ、なんて楽観的な勘違いはできそうにもなかった。
「……ままならないものだな」
元気よく、少なくともそう見える足取りで階段を駆け上がっていく義妹の後ろ姿を目で追いながら、レンは吐き出すようにそう言った。
† †
「壮観だな」
階段を登り切ると、そこは央都アルンの最上部であった。巨大な根が寄り集まってできたような世界樹の幹を見上げる。青空はそこにはなく、視界の全てが世界樹の葉に覆われている。視線を下に戻すと、湾曲した壁のようにしか見えない幹の一部に、華美な装飾が施された扉が見て取れた。その扉を挟むようにして、巨大な騎士の彫像が屹立する。
「おーーい! 兄ちゃん!」
「ああ、すぐ行く」
スリーピング・ナイツのメンバーは既にその扉の前で集まっていた。元気な三人組は早く挑みたいのかソワソワし始めている。その様を見守る比較的大人しい四人だが、こちらもこちらで興奮は隠しきれていない様子だ。誰も、この後のことなど考えてはいないようだった。こういう様子を見ていると、オレと彼らの価値観の違いを嫌でも突きつけられる。過去の事を悔やんでばかりのオレとは違って、彼らは常に、今を見ている。
「レンさん?」
「ん?なんだ、シウネー」
声をかけてきたシウネーはどこか困ったような顔をしていた。背丈ほどもある杖を握りしめ、こちらの顔を覗き込んでくる。
「いえ、顔色が優れていらっしゃらなかったので……どこか具合でも悪いのかと」
「ああ、なんだそんな事か。少し考え事をしていただけだから問題はないぞ」
努めてなんでもないように振舞って見せる。こういう本心を隠すのは、二年間で巧くなった自信がある。そのことを喜んでいいのかは分からないが、少なくとも今回は役に立ったのだろう。少しの間疑わし気にしていたシウネーだが、表情を変えないオレに根負けしたようだった。
「さて」
剣を扉の前で交差させる彫像の前に立つ。すると、右側の彫像が動き出した。青白い光が兜の隙間から除く双眸から迸り、こちらを見下ろしてくる。
『未だ天の高みを知らぬ者よ、王の城へ至らんと欲するか』
その声が届いたと同時に、ランの前に最終クエストの参加の意思を問うボタンが表示された。ランはオレ達の顔を順番に見て、笑みを浮かべた。ランの指が、迷うことなくイエスのボタンに触れる。
『さればそなたらが背の双翼の、天翔に足ることを示すがよい』
地響きのような音を立てて、中央の扉が開かれる。その轟音が、どうしようもなくオレにアインクラッドのボス攻略戦を思い出させた。首を振って湧き上がる悪寒を飲み下す。もうここはあの鉄城ではないのだから。
「さあ、行きましょう」
ランの言葉に全員が頷きを返す。
最後の戦い、なんて誰も言わない。ただ目の前にある冒険を目いっぱい楽しむ。今この瞬間ばかりは、オレも彼らに倣うことにしよう。
大切な「今」を、蔑ろにしたくはないから。
† †
鳴り響くアラート、真っ赤に染まった空間。尋常ではない事態に、その原因は自分であることを自覚しているユメは、注意深く槍の柄を握りしめた。
「一体、なんの騒ぎだぁ?」
程なくしてその声の主は現れた。
今は赤く染まっている真っ白な壁を背に、その男は怪訝な顔をして立っていた。男の容貌は、控えめに見ても美しかった。まるで人形のような顔だち、スラッとした体躯、恐らくはブロンドであろう長髪を支える冠。姿だけ見れば、NPCと間違えていたかもしれない。だがその声音には抑えきれぬ苛立ちが滲んでいて、思わず委縮してしまうほどリアリティが溢れていた。
「貴方は誰?」
そうユメが問いかけると、その男はあからさまに表情を歪めた。声音に宿っていた苛立ちが全身に流れ込んでいく様を、ユメは見た。
「実験体風情が、口の利き方がなってないなぁ」
『実験体』という言葉にユメは槍の柄を握る手に力を込めた。
間違いなく、この男はこの悍ましい実験に関与している。この実験が何らかのプロジェクトなのだとして、この男がどの程度の立場にいるのかは分からないが、情報を聞き出すことはできるだろう。
「そう、答えるつもりはないってこと。なら、ふんじばってでも聞き出すことにする」
きっとレンならそうしただろう。敵を倒して、この事件の真相に辿り着いて、皆を開放するだろう。自分に、そこまでできるとは思わない。けれど、何もせずに諦めてなんていられない。
「あまり調子に乗るなよ、凡人。神たる僕に向かって大きな口を叩いたこと、後悔させてやる」
油断はしない。なにせこの男はすべてが未知数。先程倒したナメクジなど比較にならないだろう。
息を思い切り吸い、後ろ足に力を込めて、地面を蹴る。
「一撃で決める!」
今のところあの男の両手に得物はない。勝機があるのならこの一瞬、武器を取り出す前に仕留める。これまで幾つもの修羅場を潜り抜けてきた愛槍はこの手にある。感覚を研ぎ澄ませ、必殺の一刺を心臓へ――――
「うざったいな」
ドプン、と。まるで水中へ落ちたかのように体が重くなる。それでもなんとか槍を突き立てようと腕を伸ばした刹那、とてつもない重力に思わず膝を折ってしまった。
「うっ…!」
「ありゃりゃ、次のアップデートで導入される予定の魔法だったけど、効果が強すぎたかねぇ?」
『魔法』が存在することを、ユメはこの瞬間知った。得物など、なくても問題はなかったのだ。
そうだ、ここはSAOではない別の世界だ。剣の腕で決まっていたあの世界とは違う。その認識の違いを、ユメは今更ながらに痛感した。
「さて、檻から抜け出す悪いネズミには、しっかりとお仕置きをしなくちゃねぇ」
先ほどまでの苛立ちを孕んだ声とは違う、粘着質な声にユメは身を固くする。なんとか槍を再び握るが、立ち上がることはできない。
「システムコマンド! オブジェクトID≪エクスキャリバー≫をジェネレート!」
魔法で薄暗くなった部屋が、まばゆい光に切り裂かれる。
自らを神と名乗った男の手に握られたのは、黄金の剣だった。絶対的な存在感を湛えるその聖剣の放つ光に、ユメは見覚えがあった。
そう、それはあの世界でレンが放った極光と似ていた。
あれには、勝てない。あの極光を前に、抗うだけ無駄だ。
「まあ、少しの間だけ眠ってなよ」
その言葉を最後に、極光が振り下ろされた。
To be continued
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