| 携帯サイト  | 感想  | レビュー  | 縦書きで読む [PDF/明朝]版 / [PDF/ゴシック]版 | 全話表示 | 挿絵表示しない | 誤字脱字報告する | 誤字脱字報告一覧 | 

俺の涼風 ぼくと涼風

作者:おかぴ1129
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。 ページ下へ移動
 

19. 絶対に負けない

「涼風から離れろぉぉオオッ!!!」

 私達の船から10メートルほど離れたところで、摩耶姉ちゃんと二人で水面に立つゆきおが、その手に持った白露型の高角砲をこちらに向け、大きな声を張り上げていた。ここから見る限り、ゆきおの足には、私の主機が装着されている。そしてきっと背中には、私の魚雷発射管を背負っているはずだ。

「ゆきお……ゆきお……」

 フと気が緩んだ。さっきまで恐怖と嫌悪感と恥辱で濁りっていた私の目に、安堵と喜びの涙があふれた。口が微笑み、自然とゆきおの名を口ずさんだ。

「涼風!! ……ゲフッゲフッ……涼風ぇええええ!!!」

 ゆきおが、咳き込みながら私の名を叫び、その声が、私の耳に心地よく、心にトーンと響いた。なんて綺麗な声なんだろう。なんて心地よくて、優しくて、そして美しい声なんだろう。私の心が忘れていた喜びが胸にあふれた。ゆきおが助けに来てくれた。ゆきおが、私の艤装を身につけ、艦娘として、私を助けに来てくれた……

「ゆきお……ゆきお……ゆきおぉおおおお!!!」
「涼風!! 大丈夫!? ゲフンっ……」
「うん……うん……!!」

 雪緒の問いに、私は何度も頷いた。ゆきおの名を呼ぶだけで、こんなにも気持ちが安心する。ゆきおを呼べば、ゆきおが返事をしてくれる……それが、こんなにも胸に温かい。

 咳き込むゆきおの隣では、摩耶姉ちゃんが巨大な艤装を身につけて、探照灯で私たちを照らしながら、腕組みをして立っている。艤装がいつも身に着けているものよりも、一回りも二回りも大きい気がした。……主砲の模様に見覚えがある。あの白黒の縞模様はダズル迷彩……あれは、榛名姉ちゃんの艤装だ。

「涼風! 無事か!?」

 摩耶姉ちゃんに呼ばれ、私は上体を起こして自分の姿を見せた。セーラー服が破かれ下着が顕になった私の姿を見た途端、摩耶姉ちゃんの髪が逆立ち、組んでいた腕を解いて、全身をプルプルと震わせ始めた。バリバリという、歯を食いしばる音が聞こえてくるようだ。

「……おいノムラぁ……テメー……」

 摩耶姉ちゃんが拳をギュッと握りしめる。手袋が絞まるギュギュッという音が私の耳にも届きそうなほど、拳に力が入っていた。

「あたしと榛名の妹分を……雪緒の相方を、好き放題やりやがってよォ……まさか、タダで済むとは思ってねぇよなァ……!!」
「……」
「覚悟しろよ……テメーにゃ涼風以外にも、熨斗をつけて返さなきゃいけない借りが、山ほどあんだからな……ノムラぁあ!!!」

 摩耶姉ちゃんが、本気で怒っているのが見て取れた。私とゆきおが勝手に海に出た時のような、相手を気遣っているが故の怒りではない。ノムラに対する、本当に純粋な怒気だ。

 摩耶姉ちゃんのギリギリという歯ぎしりがここまで聞こえた。不釣り合いに大きい摩耶姉ちゃんのダズル迷彩砲が、稼動音を鳴らして砲塔を動かす。微調整を繰り返した後、砲塔がピタリと止まった。その狙う先……それは私達が乗るボートだ。こちらからでも分かる。

「ボートをぶち抜く。雪緒、耳塞いでろ」
「はいッ」

 摩耶姉ちゃんとゆきおの会話が聞こえ、ゆきおが高角砲を構えるのをやめて耳をふさいだ。摩耶姉ちゃんの迷彩砲がギラリと輝き、ガシャリと砲弾が装填される音が響いた。

「素直に涼風を返せノムラぁ!!!」
「涼風も砲撃に巻き込むだろうが!!! 俺の涼風を危険にさらすなッ!!!」
「テメーが言うなクソッタレが!!!」

 突如、『パン』という音と共に、探照灯の光が無くなって、私たちを暗闇が包み込んだ。

「え!?」

 周囲が見えない。摩耶姉ちゃんとゆきおの姿が暗闇に紛れて見えない。ノムラの右手を見る。どこに隠し持っていたのか、その手に拳銃が握られていた。銃口から煙が一筋立っている。これで摩耶姉ちゃんの探照灯を撃ちぬいたのか。

「ゆきお!! 摩耶姉ちゃん!!!」

 たまらず二人の名前を呼ぶ。ゆきおの咳混じりの『大丈夫!!』の声が聞こえ、ホッと胸をなでおろしたのもつかの間。周囲に、チャポン、チャポンという音が聞こえ、一つ、またひとつと、生き物の気配が感じられるようになった。この気配は……

「おい摩耶ぁ……聞こえるか」
「あン!?」
「俺が涼風の回収ポイントとして、なぜここを選んだのか、分からんのか?」
「いちいちそんなこと考えてられっかバーカ!!」
「残念だなぁ……涼風と違って、昔から残念だなぁ……お前は!!!」

 ノムラが、左手をズボンのポケットに突っ込んだ。ポケットの中に入っていたのは照明弾。ノムラが照明弾を上空に向け、トリガーを引いた。バシュッという音と共に一筋の煙が空に立ち上がり、やがて夏場の太陽よりも眩しい輝きが、私とノムラの乗る船を中心に、周囲を照らしだす。

「!?」
「んだとッ!?」

 眩しい光を自分の腕で遮っていたゆきおと摩耶姉ちゃん、そして私は、周囲を見て愕然とした。駆逐ハ級や雷巡チ級……たくさんの深海棲艦たちが、姿を見せていた。

「元々この海域は深海棲艦が多いんだよなぁ……」
「……チッ……やっぱこうなるのかよ……ッ!!」

 周囲のあちこちから、キリキリという嫌な音が鳴り始めた。駆逐ハ級が魚雷の装填をはじめ、雷巡チ級が砲塔をゆきおたちに向け始めたようだ。

「無防備な俺達とフル装備のお前たち……深海棲艦にとって、どっちが脅威だろうなぁ? どっちが、先に殲滅すべき存在だろうなぁ?」
「……クソが」
「ほーら……狙い始めたぞ?」

 ノムラがニチャリとあざ笑い、首を左に傾けた。その瞬間、摩耶姉ちゃんの艤装から、ガキンという音が聞こえ、摩耶姉ちゃんがぐらりと姿勢を崩す。駆逐ハ級に砲撃されたようだ。

 それを合図に、摩耶姉ちゃんが周囲の深海棲艦から一斉に砲撃された。バキンバキンと音が聞こえ、摩耶姉ちゃんの周囲に煙が立ち込め火花が飛び散り、ゆきおと摩耶姉ちゃんがその煙に撒かれ、再び姿が見えなくなった。

「ゆきお! 摩耶姉ちゃん!!」
「バカなやつらだよぉお!! 周囲の深海棲艦に気が付かないんだからなぁ!!! 散々言ったろ!? 索敵は厳にってなぁあ!! 気持ちがいいなぁ涼風!! 俺とお前を邪魔しに来た奴らはいなくなるぞ!!」

 煙が立ち込める、二人の居場所をジッと見つめる。砲撃が鳴り止まず、煙が収まる気配がない。雷巡チ級を筆頭に、全員が魚雷を発射した。魚雷はゆきおと摩耶姉ちゃんの元に、まっすぐに伸びていく。摩耶姉ちゃんは大丈夫だろうけど、ゆきおが心配だ。艤装を装備しているとはいえ……将来艦娘になる男だとはいえ、ゆきおがこの砲雷撃の雨あられをその身に受けたら……

『全速ぜんしーん……』
『行け……相棒……ッ』

 ノムラが高笑いをし、魚雷が進行していくこの状況で、私の耳に、かすかに届く声があることに気付いた。この声はゆきおの声で、そのセリフは、どこかで聞いた覚えがあるものだ。私は注意深く耳をそばだて、ゆきおが何をやろうとしているのかを推理した。

 ……分かった。私はゆきおが何をするつもりなのか、理解が出来た。

――涼風! スピード!! スピード落として!!!

 ゆきおが考えていること……それはきっと、二人で海に出た時に私が見せた、渾身のロケットスタート。

 次のゆきおの叫びが、私の理解を確信へと変えた。

「よぉぉおおおそろぉぉぉおおおお!!!」

 ゆきおの身体が、『ドカン』という音とともに、すさまじい加速を伴って煙の中から飛び出てきた。そしてそのまま猛スピードで深海棲艦の間を駆け抜け、私たちの乗るボートまでたやすく到達し……

「なんだとッ!?」
「てぇぇぇええやんでぇぇええええ!!!」

 そのままの勢いで、その小さな身体で、ボートにガツンと体当たりをした。ゆきおの身体は小さいが、今のロケットスタートのスピードと勢いは絶大だ。そんなゆきおの体当たりは、ボートを転覆しそうなほどに大きく揺らした。

 ノムラはずっと立っていた。だからゆきおがボートを揺らすことで、バランスを大きく崩し、その場に盛大に倒れてしまう。私は腰を下ろしていたから、大きく揺らされるだけで済んだ。

 ボートに体当たりという無謀なことをしたゆきおは、そのままボートのへりに捕まり、なんとかボートに乗り込もうとしていた。ゆきおの両手はプルプルと震え、へりに捕まり続けるのも大変なようだ。

「ゆきお!!」

 グラグラと揺れ続ける船上で私はなんとか身体を起こし、立ち上がってゆきおの元へ駆ける。なんとかゆきおをボートに上げたくて……ゆきおの手に触れたくて、私はゆきおに背を向け、拘束された手をゆきおに向けて、その手を広げた。

「ゆきお! 手!!」
「ありがと……ゲフッゲフッ……」

 ゆきおが私の手を掴んだのを確認し、私は渾身の力でゆきおの身体を引っ張り上げる。だが、後ろ手で掴んだゆきおの手を引っ張り上げるのは容易ではなく、中々うまくゆきおをボートの上に引っ張り上げることが出来ない。

「ちきしょっ……待ってろゆきお……ッ!!」
「ごめ……ゲフッ……すずか……ゲフッ……」

 ゆきおの咳込みがひどい。どこか悪いのかも知れない。さっきの砲撃の煙を吸ったのかも知れない。何が理由かはわからないけど、早くボートに上げて休ませなきゃ……。

「ゲフッ……涼風ッ!!」
「!?」

 ゆきおに呼ばれ、自分のすぐそばにノムラが立っていることに気付いた。さっき転倒したときに切ったのか、眉間から血が出ている。

「ハァ……ハァ……」

 両目をピクピクと痙攣させ、肩で激しく息をするノムラは、一度私をちらっと見た後、今必死にボートに乗り込もうとしているゆきおをぎょろりと睨み、そして私とゆきおの手を掴んで、ゆきおの手を引き剥がし始めた。

「やめろ!! ノムラやめろぉお!!!」
「こいつか……こいつが、俺から涼風を奪った男か……!」
「ゲフッ……ゲフッ……涼風から離れろ……ッ!」
「離せ!! あたいたちから手を離せ!!!」

 ノムラの力が予想以上に強い上、私は親指を拘束されている。だからゆきおの手をしっかりと掴むことが出来てない。そのためゆきおの手が少しずつ剥がされているのが分かる。ノムラは、ゆきおの指を、一本ずつ一本ずつ、私の手から引き剥がしている。

 ゆきおも必死に抵抗しているのが伝わるが、ゆきおは非力だ。ノムラにされるがままになっているのが分かる。

「クッ……ゲフッ……!」

 それでもゆきおも負けてない。左手が剥がされれば右手で、右手を掴まれれば左手で私の手を再度掴み、ノムラに必死に抵抗していた。

「ちきしょっ!! 離せノムラッ……離せよッ!!! ゆきおを離せッ!!!」
「離せクソガキ!! 俺の涼風に触れるな! 涼風に触れていいのは俺だけだ……ッ!!!」

 私もノムラの足を蹴って必死に抵抗するが、距離が近いこともあって、ノムラはまったく意に介さない。

「クソがっ……涼風を離せ……クソがッ!!」

 私の背後の様子が変わった。ガツッガツッという音が聞こえ始めた。そしてその音が鳴る度、ゆきおの悲鳴が、咳の音に混じって聞こえてくる。

「離せッ!! 死ねッ!!!」
「ゲフッ……んギッ……ゲフゲフっ……!!!」

 私の手にピチャピチャと飛沫が飛んでいる。まさかノムラは、拳銃の柄でゆきおを殴ってるのか。

「なにやってんだ!!! ノムラやめろ!!! ゆきおを離せやめろノムラッ!!!」

 何も出来ない……摩耶姉ちゃんならなんとかしてくれるかもしれない……一縷の望みを託して、私は摩耶姉ちゃんの方を見た。

「摩耶姉ちゃん!! ゆきおが……!!!」

 だが、摩耶姉ちゃんは私たちを助けることが出来ないということを即座に理解した。摩耶姉ちゃんは今、たくさんの深海棲艦たちに囲まれ、自身も体中を駆逐ハ級に齧られ、雷巡チ級に押さえつけられ、主砲で狙い撃つことも出来ず、水面に倒れこんでいた。

「クソッ……涼風……雪緒……ッ!!」
「摩耶姉ちゃんッ!!?」

 摩耶姉ちゃんが私達に向かって精一杯、左腕を伸ばしていた。でもその左腕は、複数の駆逐ハ級に齧られ、やがてたくさんの深海棲艦にもみくちゃにされていた。

「ゲフッ……ゲフッ……ッく!!」
「お前……それは……!!」

 私の背後で、チャキッという音が聞こえた。ゆきおとノムラの動きが止まる。私の背後で何が起きているのか分からない。振り向けない。

「涼風ッ!!」
「!?」
「頭下げて!!!」

 突如叫んだゆきおの剣幕に、私は疑問も感じる隙もなく頭を下げた。

「くらえッ!」
「んあッ!?」

 バスンという、聞き慣れた高角砲の音が、二人の声と共に私の背後で鳴り響いた。ノムラがのけぞり、バランスを崩す。そして……

「あぁぁああぁぁあぁあああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ッ!?」

 周囲に響いたのは、のけぞったノムラの声ではなく、ゆきおの痛々しい叫び声だった。

「ゆきお!? 何があったんだよ!? ゆきお!!?」
「ふぐぅ……ゲフッ……ゲフッ……ぅぅぅ……!!」
「返事しろよ!! ゆきお!! ゆきお!!!」
「ゲフッ……ゲフッ……ゴフッ!?」

 ゆきおの手をつかむ私の手に、一際大きな飛沫がかかった。バシャッという音と共に、私の手がべっとりと濡れたことが伝わった。やけにぬるぬるするその液体は、私とゆきおの手を滑らせ、ゆきおの手をしっかりと掴むことが出来なくなってきた。

「お前……ッ!!」

 バランスを崩していたノムラが体勢を整えた。顔をしかめ、眉間に皺を寄せ、フーッフーッと呼吸を乱し、私の背後にいる、ゆきおをギンと睨んでいるのが見て取れた。

 一方のゆきおは、私の背後で、私の呼びかけに返事をせず、ただただ咳き込んでいる。私の手を掴むゆきおの手に力が感じられない。私は必死に、滑るゆきおの手を掴んでいるけれど……

「その艤装は……その高角砲はぁああ……ッ!!!」

 『ぉぉおおおおあああああ!!!』と禍々しい叫び声を上げ、ノムラ再び私達の間に割って入る。ザバッという音ともに、ゆきおの身体が持ち上げられたことが分かった。そのままノムラはゆきおの身体を振り回し、ボートの前方にゆきおを投げすてた。ゆきおの背中には、思った通り、私の魚雷発射管が背負われ、そして左手は血に塗れ、右手には私の高角砲が握られていた。

「ゲフッ……ゴフッ……ゲフンッ……」
「よくも!! よくもお前ごときが……」
「ゴフッゴフッ……ゴボッ……」
「俺の涼風の艤装をぉおオッ!!!」

 ゆきおは今、私の方に頭を向け、うつぶせでぐったりと倒れこんでいる。顔中が傷だらけで、左目が腫れ上がっている。見ているだけで痛々しい。

 ……ゆきおの口から、血が垂れていることに気付いた。

「ゴボッ……ゲフッ……ゴブッ……」

 咳き込む度、真っ赤な血を吐いていた。ゆきおの様子がおかしい。顔色も酷く悪い。照明弾に照らされているのを差し引いても、青白くて血の気が感じられない。高角砲を持つ手も何かおかしい。右肘の曲がり方が不自然だ。本当なら曲がらない方向に……関節とは逆の方向に、肘が曲がってる。

「ゆきお!! 身体がおかしいのか!? ゆきお!! ゆきお!!!」
「ゲフッ……がフッ……ゴホッ……」
「腕どうしたんだよゆきお!!! 返事しろ!! ゆきお!! ゆきお!!!」

 ゆきおの身体に少しだけ力が戻ったみたいだ。震えながらも少しずつ身体を起こし始めたゆきおは、私の顔を見て、ニッコリと笑ってくれる。だけど口から出ている血が痛々しい。右腕も動かせないみたいだ。肘から下に、ぷらぷらと力が入ってないのがわかる。

「すずか……ゲフッ……」
「ゆきお!」
「だいじょ……ぶ……すぐ、助け……ゲフッ……ゴボッ!?」

 血が止まらない。ゆきおの綺麗な顔のいたるところに傷ができている。痛々しい。ゆきおは口では大丈夫というが、本当に辛そうだ。咳き込む度に血が止まらない。

 ノムラがスタスタとゆきおの元に移動し、身をかがめ、ゆきおが背負った魚雷発射管を引っ張って、ゆきおの背中から引き剥がしにかかる。ゆきおの背中を踏み付け、無理矢理に魚雷発射管のベルトを引きちぎり、ノムラは満足げな表情を浮かべた。

「どぅーだ……クソガキの分際で、涼風の艤装なんぞつけやがって……」
「ゲフッ……」
「艦娘でもないただの小僧だろう……だから肘が外れるんだよぉ」

 へ……? 肘が外れた? 高角砲で? 艦娘なのに?

「高角砲にしちゃ音が軽い。大方演習用の模擬弾か何かを装填してたんだろうが……」
「ハァ……ハァ……ゲフッ……ゲフゲフッ……」
「それでも高角砲だぁ……艦娘の真似なんかするから……そうなるんだよお!!!」

 ノムラが醜く顔を歪ませ、ゆきおの右肘を蹴り上げた。途端にゆきおはさっき以上の痛々しい叫び声を上げ、そしてその声を聞いたノムラは、ニチャリと禍々しい微笑みを浮かべる。得意げに私の方を向き、鼻をフンと鳴らすノムラ。ゆきおが握っていた私の高角砲は、ノムラがゆきおの右肘を蹴り上げた反動で、海の中に飛び、ボチャンと沈んでいった。

「なぁ、涼風? お前のマネなんかして、狡いガキだなぁこいつは」

 手に持った魚雷発射管をゆきおの頭の上にわざと落とし、そんなゆきおをあざ笑うノムラ。ガツンという音と共に、ゆきおの顔から飛んだゆきおの血の飛沫が、私の顔に付着した。

「マネなんかじゃない……ぼくは、艦娘……だ……ゲフッ」

 渾身の力で自分の頭に落とされた魚雷発射管をどかしつつ、ゆきおは再び身体を起こす。腕がプルプルと震え、もはや力が入らない状態なのが、私からも見て取れる。

「はあ?」

 腰を落としてしゃがみ、ノムラが左手でゆきおの髪を掴んだ。綺麗なおかっぱの茶髪だったゆきおの髪は今、ゆきお自身の血にまみれ、ぐちゃぐちゃになってしまっている。

「なら言ってみろ。お前の艦種は? 何型だ?」
「……改……白露、ゲフッ……型ッ……!!」
「改白露型かぁ……フヒッ……んじゃお前、何番艦だ?」
「……」
「言えるわけないよなぁ!!! 改どころか白露型は、もう全員が艦娘になってる!! 新しい改白露型の駆逐艦なんて、出来るはずないもんなぁ!!!」
「……4番……艦ッ」
「……なんだと?」

 ノムラの顔つきが変わり、ゆきおをギンに睨みつけていた。ゆきおの髪をつかむ左手に力がこもり、プルプルと怒りを押し殺すように震えていた。

 ゆきおが咳き込み、口から血を吐いた。でも、自分の髪を掴んで、自分を蔑むノムラをギッと睨み、目をそらさず、雄々しい声で、咳き込みながら、ハッキリと答えた。

「ぼくは……白露型、10番艦……で」
「ふざけるなッ!!! それは……」

―― 僕と涼風は、ケフッ……二人で一人だから

「改白露型、ゲホッ……4番艦ッ……涼風だ……ッ」
「何が涼風だぁあああああッ!!?」

 発狂したような叫び声を上げ、ノムラがゆきおの顔をデッキに思い切りたたきつけた。いつの間にかできていた血だまりの中に、ゆきおは顔を突っ込まれ、ガツンという音とともにゆきおの血が私の顔に再びかかった。

「ゆきおを離せぇええ!!!」

 私もなんとか立ち上がり、ノムラに体当たりをするけれど、安定しない船の上では踏ん張りがきかない。私の体当たりは勢いがなく、逆にノムラに払われてしまう。

「あうッ!?」

 弾き飛ばされた私は元いた場所まで転げてしまい、ゆきおを助ける事が出来なかった。その間にもゆきおは、血だまりの中にグリグリと顔を押し付けられ、全身で苦しそうにもがいていた。咳き込みが激しく、その度に周囲に血が飛び散っていた。

「おいガキぃ……」

 ノムラがニチャリと顔を歪ませ、再びゆきおの髪を持ち上げた。ゆきおは痛そうに顔をしかめ苦しそうに咳き込むが、それでもノムラを睨むことを止めはしない。

「最後のチャンスだぁ……自分が涼風だと言ったことを謝れぇ……俺の涼風を汚したことを、謝るンだ……」
「ゲフッ……ゲフッ……ぐふっ……ゲフッ……」
「ほれぇ……」
「……悔しいんでしょ……」
「……ッ」
「大好きな涼風に……拒絶されて……力づくでも自分のものにできなくて……ゲフッ……弱々しいぼくを、力で……ゲフッ……言うこと、聞かせられなくて……!」
「……ッ!!」
「大好きな涼風をぼくに取られて……自分は他のものを全部捨てて涼風を大切にしたのに……涼風に愛されなくて……ゲフッ……ゲフッ……しかも、涼風はぼくと二人で一人で……!! だからぼくに八つ当たりして……ッ!!」
「お前……ッ!」
「ゲフッ……ぼくが大好きな涼風は、そんな奴には、絶対に負けない……だから……!! 同じ涼風のぼくも、お前みたいな情けないヤツに負けないんだッ!!!」

 声を発する度、口から血の飛沫を飛ばしながら、それでもゆきおは、ギッとノムラをにらみ、ノムラへの屈服を拒否した。それを受けて、ノムラの顔がどんどん歪んでいく。冷や汗をかきはじめ、見るからに狼狽え始めた。

「取り消せ!! お前は涼風なんかじゃないッ!!! 謝るんだよほらぁあッ!!!」
「謝らないッ!! ゲフッ……お前なんかに、絶対……ゴフッ……負けないッ!!!」
「クソガキがぁあ!!!」

 ノムラが、ゆきおの頭を再びデッキに叩きつける。『ん゛っ』と小さなうなり声を上げてデッキにたたきつけられたゆきおは、全身がぐったりしているが、それでも、血を吐きながら私の顔を見た。

 私は、ゆきおの顔を真っ直ぐに見た。細っこいゆきお。小さくて非力なゆきお。とても優しくて、女の子みたいに綺麗な顔をして華奢なゆきおが、私の為に必死に戦ってくれている。私の名を冠して、私と同じ気持ちで、私と同じように戦ってくれている。私は、ボロボロになりながら、それでもノムラに負けじと立ち向かうゆきおの姿に、涙が止まらなくなっていた。

 ノムラが再び私の元に来た。私の後ろに立ち、私の胸に後ろから左手を回して私を抱き寄せ、それをゆきおに見せつけるように立った。ニチャリとあざ笑い、拳銃をゆきおに向け、引き金に指をかけた。

「何する気だよノムラ!! やめろ!!! ゆきおを撃つなやめろ!!!」
「黙っててくれな涼風……ハァーハァー……すぐ終わるからなぁ……」

 私の抗議にも、ノムラは耳を貸さない。その顔には、私と同じくゆきおの血しぶきがところどころついていた。

「やめろ……ゴフッ……涼風……を……はな……ゲフッゲフッ……」

 ゆきおが動かない身体に鞭打って、少しずつ、這いつくばって私の方に近づいてきた。デッキの上で自分の顔を引きずりながら、それでも少しずつ前に進むゆきおには、もう立ち上がる力もないようだ。それでもなお、ゆきおは前に進む。

 バンという拳銃の発砲音が鳴り、私の鼻に火薬の匂いが届いた。再びノムラの拳銃から煙が上がってる。

「ゆきお!!」
「……ッ」

 弾丸はゆきおの鼻のすぐそばを通り、デッキに穴を開けたようだ。そこから浸水がはじまり、ゆきおの顔が次第に水の中に沈み始めた。

 私はゆきおの元に駆け寄ろうとしたが、ノムラに身体を拘束されている。必死にノムラの腕を振り払おうとするけれど、ノムラの力が強くてそれが出来ない。結束バンドの食い込みが痛くて、動くことが出来ない。動こうとすると、ノムラが容赦なく結束バンドを引っ張ってくる。

「フッ……フッ……」
「俺から涼風を奪おうとした罰だぁ……俺の涼風の名前を語ったおしおきだぁ……!」
「フッ……ゴフッ……フッ……」
「ごめんなさいと言え。……俺の涼風の名前を語ってごめんなさいと言えぇえ!!!」

 私の耳元で、ノムラが下衆な微笑みを浮かべてる。ゲヘゲヘと笑いながら、ゆきおを見下してる。浸水は進み、ゆきおの顔の半分ほどが水に浸かっていた。苦しそうに、時折咳き込みながら呼吸するのが精一杯だ。

 ……だけど。私とゆきおは負けない。改白露型4番艦の私たちは、こんな奴に、絶対に負けない。

「……ゲフッ……涼風は、お前のものじゃないッ。お前なんかに……絶対に渡さないッ!」
「!?」

 私を拘束するノムラの腕に、力が篭ったのが分かった。私の動きを制止するためじゃない。ゆきおによって湧き上がる、自分の怒りを押し殺すためだ。ワナワナと全身を震わせるノムラの顔が、再び醜く歪む。

「涼風は……ぼくと、二人で……ゲフッ!! ひと……りだッ……!!」
「まだ言うのかぁああアアア!!?」

 ノムラが逆上し、空を見上げて大きな声を張り上げた。イライラが最高潮に達したらしく、拳銃を持つ右手で頭をバリバリとかきむしり、そして醜く歪んだ顔で私を見た。

「ハァ……ハァ……涼風」
「……」
「お前は……俺の、ものだよなぁ……」

 絶対に違う。私は、何度でも何度でも、何度でもお前を拒絶する。お前なんか大嫌いだと言ってやる。私はゆきおのものだと、ゆきおと私は二人で一人だと、何度でも言ってやる。

「あたいは、ゆきおのものだッ」
「ヒッ……!!?」
「みんなを殺したお前なんか……あたいのゆきおをこんなにいたぶったお前なんか、大嫌いだ」

 ノムラの腕が、震えながら私を放した。私はノムラの腕を振り切り、すぐにゆきおのもとに駆けつける。

「ゆきお!!!」
「う、嘘だ……嘘だよぉ……あんなに、大切に……したのに……こんなに、愛して……」

 私は急いでゆきおのもとに駆け寄り、後ろ手に拘束された両手でゆきおをつかむべく、ゆきおに背を向ける。

「ゆきお! しっかりしろ!! ゆきお!!!」
「うん……あり……ゴフォッ!?」

 私の手にしがみつき、なんとか身体を起こしたゆきおは、ぐったりと私の身体にもたれかかってきた。血と海水の匂いに混じって、ゆきおの消毒薬の香りが、フッと私の鼻に漂う。ゆきおは咳き込む度に、海水や血を吐き飛ばし、傷だらけの顔も青白い。

「ウソだ……嘘だ……涼風は、俺の……俺だけの……!!」

 一方のノムラは、うわ言のように『俺の涼風』と言いながら、フラフラと力なく後ずさっていった。やがてボートの後部にノムラが差し掛かった時。

「おい」

 バキッという音が聞こえ、ノムラが力なく盛大に吹き飛んだのが見えた。倒れたノムラの、向こう側から見えた姿は、服がボロボロになって、体中齧られた痕と血だらけになっている摩耶姉ちゃんだった。榛名姉ちゃんの艤装が、巨大な手の形に展開してる。私は初めて見たけれど、そういえば、榛名姉ちゃんの艤装は、大きな手の形に変形できるんだった。

「摩耶姉ちゃん……」
「摩耶……さん……ゲフッ……」

 摩耶姉ちゃんがノムラを睨みつつ、私の方に何かを投げた。すでにかなりの深さまで浸水している私の足元に落ちたのは、小さなニッパーだ。

「雪緒、手は大丈夫か?」
「左手……なら……ゲフッ……ゲフッ……」
「なら充分だな。そいつで涼風の拘束を解いてやれ。出来るか」
「うん……でき……ゴフッ……」
「上等だ相棒。あたしの妹分を助けてくれて、サンキューな。さて……」

 ゆきおが震える左手でニッパーを拾い上げた。力が入っているかどうかも疑わしい左手で、震えながらニッパーを持ち、右手はダランと下げたまま、ゆきおは私の背後にまわる。

「涼風……ゲフッ……遅くなって……ごめ……ゴフッ……」

 私は無言で、力いっぱい首を横に何度も振った。今、私の拘束をといているゆきおが、それに気付いているのかは分からない。だけど私は、首を力いっぱい、横に振った。胸がいっぱいで声が出せなくて、『そんなことない』『謝らなくていい』って言えないから、代わりに私は、首を横に何度も振った。

 パチンという音が聞こえ、私を拘束していた結束バンドが取れた。ドボンという重い音が聞こえたから、普通の結束バンドとは全然違うものだったみたいだ。だけどそんなことはどうでもいい。

 私は、無言で振り返った。そこには、体中ボロボロで、顔も傷だらけで髪は血塗れ……身体は華奢で細っこく、みかけはとても頼りない、改白露型駆逐艦の4番艦がいた。

「涼風……ゲフッ……」
「ゆき……」
「……ただいま。東京から……ゴフッ……帰って、来たよ」
「あの……」
「待っててね……今、ゴフッ……カーディガンの前、閉じるからね」

 ゆきおが、力なく微笑んだ。肩で息をして、口から血を垂らすゆきおは、震える左手だけで、私が着ているカーディガンのボタンを、上から、一つ、また一つと、手間取りながら留めていく。

「……あれ……ゲフッ……」
「……」
「ハハ……ゲフッ……ごめんね……ヘタで……」

 もう手に力が入らないのだろうか。ゆきおは最後のボタンを留めようとし、血まみれの手を滑らせて、何度も何度も失敗していた。

「ごめんね……ゲフッ……」
「……んーん」

 私のカーディガンの最後のボタンに苦戦して苦笑いを浮かべるゆきおの首に、私は、ゆっくりと自分の手を回した。

「あれ……ゲフッゲフッ……留められない……ゲフッ……」
「いいよ。もう……いいよ、ゆきお」
「ダメだよ……ゲフッ……寒いでしょ……風邪引いちゃうよ……ゲフッ……ゲフッ……」
「いいって……」
「ヤだ……涼風のキレイなお腹……ゲフッ……誰にも……ゲフッゲフッ……見られ、たくない……」
「ゆきおで隠すよ」

 ……もういい。もう十分だよゆきお。もうカーディガンは充分閉じてる。私は、カーディガンのボタンに苦戦するゆきおを抱き寄せ、ゆっくりと優しく、だけど強く強く、感触を確かめるように、しっかりと抱きしめた。

「すず……」
「ゆきお……ッ」

 ゆきおの左手が、カーディガンからポトリと落ちた。私はゆきおのほっぺたに自分のほっぺたを重ね、ゆきおの身体と自分の身体をぴったりと重ねた。私の胸に、ゆきおの胸の音が届いているのを感じる。トクントクンと優しく響くゆきおの音は、私の胸に、安堵と喜びをもたらしてくれた。

「ゆきお……ありがと……ありがとッ……!!」
「んーん……だってぼくらは……二人で、一人じゃないか……」
「うん……ッ」
「僕らは、一緒にいなきゃ……ダメだから……」
「うん……ッ!」

 ゆきおの左手が力なく持ち上がり、私の腰に静かに添えられた。もう力が入らないらしく、私を抱き寄せる力も、私を抱きしめる気力も、何もかもが尽きたようだ。それでもゆきおは、私の腰に手を添えてくれた。私が抱き寄せるゆきおの全身も、力が入ってないようにぐったりとし、そしてとても冷たい。だけどゆきおは、私の腰に手を添えてくれた。

「……涼風、あったかい」
「ゆきおは……ひぐっ……つめたい」
「涼風……」
「ん?」
「よかった……無事で、よかった……」
「ゆきおのおかげだ……ありがと……助けてくれて……ホントに、ありがと……!!」
「うん……」
「ホントに……ありがと……ゆきお……!!」
「……」

 ゆきおの意識が、途絶えた。 


 
ページ上へ戻る
ツイートする
 

全て感想を見る:感想一覧