ソードアート・オンライン 瑠璃色を持つ者たち
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第二十三話 アドバイザー
前書き
お久しぶりです、はらずしです。
申し訳ありません。
前回もう少し早く更新すると言っておきながら
また投稿に半年空いてしまいました……
半年に一回の更新にするつもりはないんですけどね…
それでは若干分量が物足りないと思いますが、
どうぞ!
朝の訪れを知らせる赤々しい太陽は、すっかり白く暖かな光を放ち始めている。
昨日とは比べものにならないが、風の気持ち良い比較的良い日だろう。若干の湿気を感じるので、午後近くから雨模様かもしれない。
しかし、問題は天気模様などという些細なことではない。
「…………………」
「………」
「………………………」
「………あの…」
「ハァァァァ………」
アスナの深い、深いため息にキリトはビクッ、と肩を揺らす。
時刻は午前10時。集合時間からすでに一時間が過ぎようとしていた。
しかし、なにも転移門前で長時間突っ立っていたわけではない。
ーー時間は少し遡る。
なんとか起きれたキリトと、五分前行動の五分前行動を遂行していたしっかり者のアスナの二人は約束の時間には集合場所に来ていた。
そこから転移門にて転移した先が第十五層主街区《パクス》だった。
この層は、言ってみれば江戸時代中期をモチーフとされている。時代劇などで馴染み深い風景だ。NPCたちの服装もファンタジーとは思えない和服姿だが、さして違和感を感じないあたり日本人の血が流れている証拠か、はたまたデザイナーの腕か。
久しぶりに来る下層域に懐かしさを抱きながらキョロキョロと周りを見渡していると、アスナがこちらを見ていた。
コホン、とキリトは咳払いを一つ。
訝しげなアスナに「ついてきて」と言われて後ろをひっついて行く。
なぜか無言のアスナにびくびくしていたが、どんどん圏内中央部から離れていく道を進む彼女にさすがに不安を煽られた。
「な、なあ……これ、どこまで行くんだ?」
「…………」
「お、おい……?」
「黙ってついてきて」
「イエス・マム」
即答での敬礼だった。それは鮮やかに、滑らかに。もはや敏捷の無駄遣いといえる早業であった。
臨戦態勢時でも見たことのない別種の気迫。決死に匹敵する覚悟を擁するそれに、これ以上口を開けば命はない、とキリトは確実に悟った。
進む道のりはやがて圏内中央部の光景から別のものへと変化していた。
連なる民家は消え去り木立へと。石畳みで舗装された路は無造作に撒かれた砂利道へと姿を変えた。
一度拠点にしていた層ではあるが、キリトにはこのような光景に見覚えはなかった。記憶がおぼろげになっている、というわけではない。訪れたことがない場所なのだ。
“あの”キリトが、である。
だがそれも当然だろう。
アスナに案内された経路はおよそ通ろうとして通るような道ではなかった。
くねくねと曲がり角を曲がり、民家と民家の隙間を縫うように歩く。
まるで迷路だ。こんな道を覚えているのは情報屋、もしくは使い慣れた人間くらいだろう。
しかしそんな不思議な通路を、なんの苦もなくアスナはスタスタと進んでいく。
彼女は情報屋ではない。それはキリトが一番よく知っている。後者の可能性もなくはないが、彼女の性格と立場や仕事量の一端を垣間見たことのある人からの話を考えれば、彼女にここへ足繁く通うヒマなど皆無に等しい。
ならばなぜ、と会話ゼロのヒマを持て余した、割とどうでもいい自問自答を思考化していると周りの景色が開けてきた。
林に埋もれた場所にポツンと開いた空白地帯。そこには一軒の茶屋が営まれていた。
和の風情を感じさせる茅葺屋根の木造家屋だ。
皆がイメージする茶屋と同様、縁台に緋毛氈がかけられており、その脇には朱色の野点傘が開いて置かれている。
ここに元々あったのか、それとも建てられたのかは不明だがこの層のテーマにとてもよく似合っている建造物だ。
キリトはノスタルジックな雰囲気に浸っていたのだが、ふとアスナに視線を向ければ、
「…………なに」
「いえ、なんでもございません」
即刻彼女から視線を外しあさっての方向を見る。
さっきからずっと仏頂面だったのが、鬼すらおののくであろう恐ろしい表情へと変わっていた。
のどから出かかった悲鳴をのみこんだキリトは褒められてもいいレベルだ。
美少女は怒っても美しいというが、「時と場合による」という文言を付け加えるべきじゃないのかとキリトは恐怖混じりに思った。
この店を知っている事情うんぬんはアスナのプライバシーに関わるゆえ詮索するつもりはないが、彼女がここまで気を張る理由は知っておきたい。
その理由如何によっては、キリトの身が危うい可能性があるからだ。
気づけば、キリトは己の拳を硬く握っていた。出るはずのない手汗が滲んでいるように感じる。
店の入り口で立ち止まる二人。
互いの視線が交差する。
「………いくわよ」
「………おう」
異様な緊張感が二人を襲う。ゴクリとからつばを飲み込む。
ワンテンポ置き、アスナが口を開いて、
「ごめんくださーー」
「アぁぁぁぁスナちゃぁぁぁぁぁぁぁあああん!!!!!」
「ひゃあぁぁぁぁぁぁぁっっ!?!?」
「もう大きくなって〜!よ〜しよしよし。相変わらずお肌すべすべきめ細やか!あ、ちゃんとお肉食べてる?お野菜は?ご飯は?抜いてない?活力の源だからね!しっかり食べなきゃダメよ〜?でないとこの美しいお胸もしぼんじゃうぞーー」
「い、い……いぃぃぃぃぃやぁぁぁぁぁっっ!?!?」
「……もう、ダメ……」
時は戻り、目の前でアスナが机につっぷしていた。
急に抱きつかれたアスナはそのあとされるがまま、頭を撫でられ体をまさぐられ。
下手人の手が胸を揉みはじめたところで正気を取り戻しなんとか脱出。力尽きたというわけである。
その彼女の目には生気というものを感じられない。まるで死んだ魚の目のようだ。
そんな彼女を前に、キリトはどうすればいいかわからずオロオロしていた。
あの《攻略の鬼》が、《閃光》と呼ばれた《血盟騎士団》の副団長ともあろうお方がここまで憔悴するところなど、想像すらできなかったのだ。
そしてアスナが消沈する原因となった人といえば、
「ごめんなさいね。久しぶりに会うってなったら抑えが効かなくなってしまって……」
てへっ、と本人の雰囲気に似合わないお茶目な仕草をしながらお盆にのせたお茶とお茶請けをキリトとアスナの前にさしだしていた。
「ありがとうございます、ええと……、」
「あっ、自己紹介がまだでしたね。私はルリ。
アスナのお姉さんです」
「へっ!?」
「違いますからっ!わたしに姉はいません!」
突然のカミングアウトに、キリトがすっとんきょうな声を上げるのとアスナが思い切り立ち上がって声を荒げたのはほぼ同時だった。
「え〜?ダメ?」
「上目遣いしてもダメです!」
一名を置き去りに、二人して(なお片方のみ)ギャーギャーと騒いでいる。
ぽか〜んと口を開けて呆然となっていたキリトだが、それも仕方のないことだった。
リアルのことを詮索しないのがネトゲのマナーというもの。だというのに、いきなりの肉親宣言だ。頭が驚愕に染められるのもムリはない。
ーーまあ、二人の話を聞く限り、ルリの一方的な姉妹宣言のようだが。
四、五分してーーその間キリトは出された茶をすすっていた。懐かしい上に思いの外美味しかったーー話がまとまったのかルリがキリトに向き直った。
「改めまして、私はルリ。この《瑠璃茶屋》の経営者兼料理人です。
よろしくね、《黒の剣士》さん」
再度自己紹介を受けたが、ルリは少し不服そうだ。キリトに自己紹介することではなく、アスナの姉と名乗れないことがだ。
先の様子を見る限り、アスナの方が姉に近いと言わざるをえないが。
彼女は桃色を基調とした着物に水色の前掛けをした、和風な女性だった。
長い髪は後ろでまとめられている。お辞儀をした際に垂れてきた前髪を耳にかける仕草は優美な大人の女性といった印象を強く受けた。
全体的におしとやかという言葉が似合う格好なのだが、あの暴挙を見た後では姿そのままのイメージを素直に受け入れることはできなかった。
「っ……おれのこと知ってたんですか」
ただでさえ年上を意識してしまう見た目と破天荒すぎる行動をするルリ。それにたいする動揺に加えて、こっぱずかしい二つなで呼ばれたキリトは珍しく敬語になっていた。
「何度か見たことがあるの。それにあなた、有名人でしょう?色々な意味で」
ね?と問いかけてくる目線から、キリトは苦笑しつつほんの少し顔を逸らした。
悪名はやはり消えることなく悪名のままで。
《ビーター》の名は未だプレイヤーたちに染み渡っている。
たとえ小さなシミであろうと、気にくわないものであれば叩くのが人間の悪性だ。
ただの嫉妬だけならまだしも、正当な理由を得た彼らがその手を止めるわけもなく。
わかりやすいはけ口となった《ビーター》は悪評を買いやすい名となってしまった。
それらをしっかりと理解しているキリトは居心地の悪いことになったな、と思ったのだが……
「アスナちゃんと仲がいいことはよく聞くわ〜。この前なんて、一緒にお昼寝してたんですって?」
「ちょっと待ってそれどこ情報ですか!?」
「ファンクラブーーコホン、ちょっとした風のうわさで聞いたのよ」
「ほんとに風のうわさなんですよねそうですよね!?」
「うふふ。さあ、どうでしょう?」
口元を手で隠しながら愉快そうに声を揺らす。
はぐらかしたルリの不穏な言葉に己の危機を感じつつも、キリトは心のかたすみで少しホッとした感情を浮かべていた。
慣れたつもりでいても、見知らぬ他人から罵詈雑言を浴びせられるのはなかなか精神的にくるものがある。
大人びて見えても、未だ思春期を過ごす子どもなのだ。
「ところで、今日はここへなにをしに来たの?」
話が切り替わったことと、ようやく本題へ移れるということに若干の安堵を得たキリトだったが、
「ええっと、事件のことについてルリさんの意見を聞きにきたんですけど…」
「事件?何かあったの?」
ちょこん、と首をかしげるルリ。
同じくキリトの頭上にもはてなマークが浮かんでいた。
話が噛み合わないことに不可解な顔を交しあう。しかし互いの顔を見合っていても答えが出るわけもなく、自然ともう一人の方へと視線が流れた。
キリトのどういうことだ? という視線にアスナが申し訳なさそうに目を逸らしつつ答えた。
「……ルリさんにアポ取ろうと思ったら、二つ返事で了承されて……詳しい事情を説明できなかったのよ」
「だって、アスナから『会いに来たい』ってメッセージが送られてくるなんて思いもしなくて……」
照れ笑い、というのか。はにかんだ笑顔を見せるルリ。
それだけ見ていればなんとも初々しい反応だが、反対側で呆れたようにため息をついているアスナを見ると、同情を禁じ得ない。
彼女らの関係性がどういうものか、深くはわからないが、アスナが歯切れの悪い態度を取っていた理由はなんとなく理解した。
(苦手なんだな…)
キリトはそう思いながら、ハハ、と乾いた笑い声をもらした。
「う〜ん、なるほど。そういうことが起きていたのね」
自らも腰を下ろし、飲みほした湯呑みを手で弄びながらルリはあらましを聞いていた。
説明を終えたアスナも茶を一口含みのどを潤した。
「それで、私に聞きたいことっていうのは、犯行手口に使われた剣についてでいいのね?」
「っ……その通りです。さすがですね」
アスナの賞賛にルリはにこりと笑みを返す。キリトもまた、彼女の察しの良さに舌を巻いた。
状況把握と自分の役割をしっかりと認識しているからこそ成り立つ判断だ。
しかし未だに腑に落ちないこともある。
なぜこの話に彼女の助言が役立つのか。
彼女の素性をまるで知らないキリトは内心で首を傾げていた。
「ルリさんは毒や麻痺。部位欠損なども全部含めた《状態異常》のエキスパートなのよ。
わたしもよくお世話になったわ」
そんなキリトの心情を理解して、アスナは今回彼女を頼った理由を“ようやく”教えてくれた。
皮肉を言ってもよかったが、完全にやぶ蛇になる未来しか見えないのでやめた。
「エキスパートは言い過ぎよ。人より少し物知りなだけ」
「そんなことないですよ。わたしも何回助けられたことか…………それに、今でもわたしたちはーー」
「……その話は、また今度にしましょう?今は目の前の事をどうにかしないといけないから。ね?」
ルリの優しい面持ちが変わることはなかったが、その言葉には並々ならぬ感情が込められていたように感じる。
これは先送りというより、遠回しの否定だった。
身を乗り出しかねないアスナの発言をさえぎり、ルリはキリトへと話を振った。
「さてキリトくん。犯行に使われた剣はどんな感じのものだった?」
うつむいたアスナの隠れた表情を気にしながら、キリトは手元にないあの禍々しい剣の形状を説明した。
「そう。なら……こんな感じのものかしら?」
ストレージからルリが取り出したものは、犯行に使われた剣同様、反り返しのついた、《貫通継続ダメージ》が付与されている剣。
現物より少し短く、深い青の色彩を放つその剣は《ギルティソーン》のような禍々しさは感じられない。
しかし、なぜだか凍てつくような空恐ろしさを感じた。色合いによるイメージなのだろうか。深海のような暗く冷たい印象を受ける。
「そうですね。元のものはもう少し長いですけど」
「へえ、これで圏内で人を、か……」
しばらくルリは自分の剣を持ち上げてジロジロと見ていた。
キリトたちはすでに必要な情報は伝えた。あとは彼女の見解を待つだけなのだが、
「うん、まず不可能でしょうね」
剣を眺めていたルリは唐突に結論を口にした。
キリトとアスナが口を開く前に、ルリは話を続けた。
「あなたたちの言いたいことはわかるわ。実際にその目で見たみたいだし。
でもね、原理的に不可能なのよ」
「《貫通継続ダメージ》だけでは、ですか?」
「アスナ、あなたが一番聞きたかったのは《毒》が用いられた可能性。そうよね?」
「はい、その通りです。我々の知らない毒が使われた可能性、またはその他の新たな《状態異常》にかかった可能性を聞きたかったんです」
気持ちを切り替えて復活したらしいアスナが、間髪入れずに質問を投げかけた。
アスナの考えていた仮説に、キリトは確かに盲点だったと納得した。
自分たちがあまり目にしない《貫通継続ダメージ》ばかりを特別視しすぎていて、アスナが先に述べた他の可能性を見落としていた。
そして彼女ならば、トップギルドの副長も認める《状態異常》の使い手ならば、アスナの考える可能性全てに否か応かの判断ができるはずだ。
けれど、キリトたちの望んだ答えは返ってこたかった。
「《圏内》では確実に《状態異常》は消えるわ。これはたとえ、どのようなものであっても、どのような状況下であってもよ。
上空に浮いていようが、地下にいようが、そこが《圏内》と指定されている空間では、それは絶対不変の法則なのよ」
彼女の知識と経験から導きだすこの世界のルール。最前線で戦い続け、常に未知が存在する場所を切り拓いてきたキリトたちであっても、専門家たる彼女の意見に否を返すことはできない。
「《状態異常》を使ったどの方法でも、《圏内》で人は殺せない」
そして、これがトドメの一言だった。
ふたりとも落胆の色を隠すことはできなかった。事件解決の道のりはまた振り出しに戻ったのだ。
けれど進展は少なからずあった。
「どのような《状態異常》も圏内殺人には使えない」
これがわかっただけでも収穫だ。
消極的な希望で元気を取り戻しーー言っても空元気だがーー今度はキリトが質問を投げかけた。
「じゃあルリさんは今回の事件をどう考えますか?」
「そうね……、《圏内》で人が死んだ。殺した手口も犯人の動機も不明。手がかりは武器作成者のグリムロックさんと被害者の友人のヨルコさん。
というのが今の状況でしょう?
とりあえず、事情聴取で情報を集めるしかないわね。情報が少なすぎるもの」
「ですよね……」
キリトも全く同意見だ。当然アスナもそのようだ。道のりはまだまだだが、一歩ずつ地道に進んで行くしかない。
「でもそうね、ひとつ言えることがあるわ」
改めて決意を固めた二人に、ルリは今思い出したというふうに最後の助言をくれた。
「あなたたちは《研究者》じゃない。今は《探偵》なのよ。そこを忘れないようにね?」
砂利道を踏みしめる音が響く。
ヨルコとの約束とルリが店支度をするという理由でキリトとアスナは《琉璃茶屋》をあとにしていた。
帰り道はアスナが先頭というわけではなく、二人並んで歩いている。二人とも(どちらも別の理由で)緊張していたがそれも解け、気軽さが戻ってきていた。
「ルリさんが最後に言っていたこと、アスナはどう思う?」
「…………」
「アスナ?」
「……あっ、ゴメンなさい。少しぼうっとしてた。なんて言ったの?」
「いや、ルリさんが言ってたことをどう思うかって聞いたんだけど……、大丈夫か?」
「え、ええ……気にしなくて結構よ」
言いつつ、精神的な疲れがにじみ出ているのをキリトが気づかないはずがなかった。
アスナが疲れるのも当然。最後のお別れの時に、「もう少しいてもいいのよ?」という無言のアピールーー主に熱い視線ーーがアスナに降りかかっていた。
終いには直接的な行動に出てーー子どものようにダダをこねたーーアスナが「またお邪魔する」という約束を取りつけ、ようやく解放されたのだ。
ーー「店支度がある」と言い出したのはルリ本人だということを気にしてはいけない。
「あの人、確実に俺たちより年上だよな……?」
「推測だけど大学生くらいの年齢な気がするわ……」
「だよな……ほんと、ムリしなくていいからな?休むか?ああそうだ。ほら、水もやるよ」
「……ありがとう。お言葉に甘えて、約束の時間まで別の場所で休憩させてもらうわ」
珍しく弱気なアスナに、キリトもからかうよりも心配する方が先にきた。
というか、さすがにこの状態でからかうことはキリトには不可能だった。
あまりにも哀れというか。こうなることを予測していてもルリという人物にコンタクトを取ってくれたのだ。からかえる立場ではない、というのがキリトの考えだ。
(あいつなら、容赦なくやってのけそうだけど……)
思い浮かんだ槍使いの青年が「てへっ☆」と言う想像まで出来上がったところでその思考を頭の外へと投げ捨てた。
「捨てないでぇぇぇ……」という残響をかき消していると、アスナが話題を戻して話しだした。
「さっきの質問だけど、わたしにもよくわからないわ。ただ……」
「ただ?」
「わたしたちが解決しなきゃいけないのは、《手口》についてじゃなくて《事件》ってことなんじゃないか、とは思うわね」
「……まあ、やることは変わらないってわけか」
「そういうことね」
彼女にどんな意図があったのかは不明だが、結論として最初に決めた為すべきことはなにも変わらない。
「けど、あの人いったい何者なんだ?」
「ルリさんのこと?なんで?」
「………気づかなかったのか?」
キリトの質問に、アスナは「なにが?」という風な表情を浮かべていた。
おそらくなにも知らないのだろう。知られても困る話であるかもしれないが。
実は先ほど、ルリがダダをこねてアスナに泣きつきはじめた時のこと。
アスナだけでなく、キリトもまた呆れた面持ちで彼女が収まるのを待っていたのだが、
「ーーーーッッ!」
考えれば、アスナがちょうど目を伏せた瞬間だと思われる。
その刹那のタイミングで、キリトの顔面スレスレを刃物が横切っていったのだ。
より正確に言えば、飛んできた刃物をキリトがギリギリで避けたというところが正しい。
しかも、キリトは全力で避けたのだ。
ーーここが《圏内》だということも忘れて。
そして眼にしたのは、飛んできたであろうーーいや、“飛ばしたであろう”本人からの静かなる微笑みだった。
一瞬何かの見間違いかと思ったが、それを確かめる前に彼女はアスナに泣きつく表情に戻っていた。
キリトが自分の目を疑ったのもムリはない。
刃物が飛んでくる前に肌で感じ取ったのだ。
ーー『オマエヲ、コロス』
第六感ともいうべき殺気を感じ取る能力。
現実世界どころか、デジタルのみで形取られた仮想世界では存在することはないはずのシロモノ。
それでも幾たびの死線をかいくぐってきた《攻略組》だからこそ理解し、把握できる確かな危機感。
あんなに明確な殺気を放ったにも関わらず、目の前にいるーーましてや密着さえしているアスナにさえ気どられることを許さなかった。
あれは本当に、“キリトだけ”に送った視線だったのだ。
こんな芸当ができる人物が、こんな下層にいるはずがない。むしろいていいはずがないのだ。
あれは確実に、《上》にいたプレイヤーだ。
「あなた、本当に気づいてないの?」
そんな思考を遮り、アスナは意趣返しのように呆れた声で問うた。
「えっ?」
当然、キリトはなんのことだかわかっていない。その反応が来ることがわかっていたアスナは、ためらいながら秘密を口にした。
「………あまり言わない方がいい話だから、オフレコで頼みたいんだけど……」
「OK。それで?」
「……ルリさん、元はウチの人なのよ」
「………ウチ?………えっ、てことは、まさか!」
「そう、《血盟騎士団》の元団員。それも幹部役員で、実力で言えば団長と私の次、No.3に数えられてた人よ」
衝撃の事実だった。
確かにあの実力で《攻略組》にいないのはおかしいと思うレベルだったのだ。
なぜなら、彼女は《攻略組》でもトップレベルのアスナをして、彼女から離れる際に「なんとかしなければならない」ほどの力を込めなければ振りほどけなかった相手なのだから。
コレならあの曲芸じみた技にもうなずける。
「呆れた、ほんとに気づいてなかったみたいね。ルリさんだって見たことあるって言ってたじゃない。顔合わせだってしたことあったのに」
「えっ、ほんとか!?」
「ホントよ。……あ、でもその時、きみ上の空みたいだったし、ムリもないかのかも」
キリトは自分が上の空だった理由に察しがついた。彼女と顔合わせした時期はおそらく自暴自棄になっていたあの時期なのだろう。
自分でも記憶が希薄な時期なのだ。覚えていないハズだ。
「というか、そんな大事なことをなんで隠してたんだよ」
「……ルリさんにはちょっと事情があってね。さっきも言ったでしょ。“元”団員だって。
詳しいことはわたしにも分からない。ルリさんもあまりこの話をしたがらないから…」
「それで、アスナがルリさんから距離を置いていた理由は気まずいからってわけか」
「えっ?ああ、うん……まあそういうとこよ……」
(あっ、それじゃないな)
苦い表情を浮かべて顔を背けたアスナに、なんとなく察しがついた。
おそらく、客観的に見て気まづい状況を口実に、ワザと距離を取っていたのだろう。
どんだけ苦手なんだコイツ、と思ってしまうが、まあ仕方ないだろう。
「け、けど、実力は本物よ。なにせあの人団長に勝ったーーあっ」
苦手なことを悟られまいと慌てて取り繕った結果、口を滑らせた。そんな感じだった。
口元を両手で覆い「やってしまった」という風な表情だ。
「はあ!?団長って……ヒースクリフにかっ?
あの《聖騎士》だぞ?」
「う、ウワサよウワサ!
団を抜ける際の条件が《団長に勝つこと》だったって話があって………実際、ルリさんは団を抜けたわけだから」
うっかりしゃべってしまったものは仕方ないと割り切ったのかーーそれでも念押ししながらーー団内の実情を話してくれた。
「その条件が本当なら、あの最強の騎士を降したってわけか……」
「……そのウワサを抜きにしても、相当強いわよ。わたし手合わせを何度かしてもらったことあるけれど、勝ち越したことなんて一度もないもの」
「ってことは、それじゃあ……」
「ええ、実質2番手だったのは彼女よ。少なくともわたしはそう思ってる」
アスナほどの実力者がここまで認めるルリというプレイヤー。
彼女の謙虚さを抜きに考えても、ルリの強さは《攻略組》に劣らない。最前線から退いたとはいえ、その実力が衰えていないことをキリトはこの身で体験している。
ーーだからこそ。
「一度、戦ってみたいな……」
体験しているからこそ、彼女の本気がどのようなものなのか興味がある。
キリトの口角は無自覚のうちにつり上がっていた。
「やめときなさい。キミでも勝てるかどうか……」
「そんなのやってみなきゃわかんないだろ?それに、わからないからおもしろいんじゃないか」
「戦闘狂………」
「えっ?なんて?」
「変わらないわね、って言ったのよ」
「………ほっとけ」
アスナは呆れたように、しかし可笑しそうにクスクスと笑っていた。
褒められているわけではないことを理解したキリトは拗ねたようにソッポを向いた。
その理由は、すねているというものではなく、笑みをこぼす彼女の表情に見惚れそうになったから、ということを悟られないためだったりする。
再び、思考が回転を始める。
ルリが相当の実力を持っていることはわかった。《聖騎士》を相手に勝利を収めたというウワサを“信じている人”がいるという事実だけでも彼女の強さがうかがえる。
それだけの大物が、あの殺気。
正確に言えば、殺気としか言いようのないプレッシャー、視線を送ることができたのか。
射すくめられるほどのものはそこらのオレンジや、レッドにすら出せない。
それこそ“そちら側”の大物でもない限りーー
(……まさか、そんなわけがない)
脳裏に霞む《ヤツ》の姿を振り払う。
思い出したくもないし、安易に結びつけていいはずもない。
暗い思考を切り捨てて、見やるは隣にいるアスナ。ツボに入ったのか、未だ笑いが治っていない。
さすがに何か言い返したくなってくるくらいに。
しかし、何と言ってやろうか。キリトは考えながら、笑うアスナと転移門へと向かった。
過ぎ去る男女の背中を遠目に、彼女は独りごちる。
「さすが、二つ名で呼ばれるだけの実力者ね。あんなに簡単に見切られるなんて」
くるくると手で回して弄んでいるのは彼女の得物である短刀。
一見余裕そうな風貌だが、彼女の内心は穏やかではなかった。
彼女が得物を投擲した時、彼は彼女の視線に反応して避けたのだ。
それだけではない。
回避した直後、彼女はーー斬られることを覚悟した。
ーー否、正確に言おう。
『斬られた』と錯覚した。
彼女の視線をはね返す剣気。
実際、彼の手は背中の剣の柄を握らんばかりに宙を浮いていた。
「あの子が《勇者》ーー納得のいく話ね」
キリトの反応速度と気迫。この二つを間近で見たからこそ分かる。
おとぎ話にしか思えなかった“あの話”に信ぴょう性があることを。
「ということは、アスナが《お姫様》といったところかしら」
さしずめ、《黒の勇者》と《白の剣姫》
「ふふっ、かわいい子たちだこと」
内心の冷や汗はどこへやら。
ルリの表情が艶美な微笑みに染まる。
ふんふん♪と鼻歌混じりに彼らが視界から消えまで、じっと眺めていた。
後書き
はい、第二十三話いかがでしたでしょうか。
今回、やっと、ようやく、万を持して!
オリジナル新キャラ投入です!
いや〜長かった……
主人公以外のオリキャラ出すのに2年かかるって
どんだけ遅筆なのか
とかは言わないでおこう、うん
ここでちょっと解説というか解釈というか
ルリは基本おしとやかなイメージで行きたいんですよね
和服淑女的な。
でもはっちゃけると少女らしいというか、
年相応の姿を見せるみたいな感じなんですよね。
彼女の実力、事情は後々本編で
あとそろそろ圏内事件終わりにさせたいな〜
とか思ってます。
早く次書きたいですし…
それではまたお会いしましょう
See you!
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