[Ⅰ]
地下牢を出たアヴェルは、そのまま自分の部屋へと向かった。
程なくして、部屋の前へとやって来たアヴェルは、扉の取っ手に手をかける。
と、そこで、アヴェルを呼ぶ声が聞こえてきたのである。
「アヴェルお兄様、お待ちください」
意気消沈した表情で、フィオナは物陰から姿を現した。
現れたのはフィオナだけであった。
「フィオナか……なんだ一体?」
「……先程は、申し訳ありませんでした」
「それはもういい」
「あの、お兄様……今、お時間よろしいでしょうか……」
アヴェルは暫し思案した後、自室の扉を指さした。
「……少しならな。とりあえず、中に入れ。どうせ、あまり人前ではできぬ話だろう?」
「は、はい」
そして、2人は部屋の中へと入って行った。
扉を閉めたところで、アヴェルは話を切り出した。
「お前がコータローさんと知り合いだったとはな……。で、一体、どういう知り合いなんだ?」
「コータロー様とは、ピュレナでお会いしました」
「ピュレナで、か……。まぁ確かに、あそこは巡礼地だから、色んな旅の者がいる。だが……旅の者と、我々王族が知り合うなんて事はまずない。……あそこで、何かあったのか?」
フィオナは頷くと、静かに話し始めた。
「実はこの間……私はピュレナへ神託を受けに行ってきたのですが、その時、沐浴の泉で魔物に襲われたのです」
「なんだと……あの神聖な泉でか!?」
「はい……それは恐ろしい姿をした魔物でした。私も魔法を使って応戦しましたが、まるで効果がありませんでした。後で知ったのですが、護衛についていたルッシラ達も、その魔物が持つ奇妙な武具で眠らされ、成す術がなかったそうです。……あの時ばかりは私も死を覚悟しました。ですがその時……コータロー様が現れ、あの魔物を退治してくださったのです」
「そういう事があったのか……。で、コータローさんはその後、どうしたんだ?」
「コータロー様は1つだけ私に忠告して、そのまま去って行きました」
「忠告?」
「あの時、コータロー様は、誰が敵かわからないから、神殿内にいる者に気を許すなと言っていました。そして、私はその言葉を肝に銘じて、ピュレナから王都へと帰ってきたのです」
アヴェルは顎に手をやり、暫し思案した。
(……神殿内にいる者に気を許すな、か)
「で、その後は何もなかったのか?」
「はい。ですが、次の日の朝、妙な出来事があったのです……」
「妙な出来事?」
「実は、ピュレナを管理するグスコー神殿管理官が、昨夜、突然いなくなったそうなんです。どこかに外出する予定などはなかったそうで、神殿の者達も首を傾げておりました」
そこでアヴェルは、ヴィゴールと戦った時の事を思い出した。
アヴェルはボソッと呟く。
「もしかすると……いなくなったのではなく、グスコー神殿管理官が魔物だったりしてな……」
それを聞き、フィオナは少し頬を膨らませた。
「お兄様! 私は真面目な話をしているのですッ。こんな時に冗談を言わないでください」
アヴェルは真剣な眼差しをフィオナに向けた。
「俺は真面目に言っている……。まぁいい。それより、お前に訊きたい事がある……なぜあんな馬鹿な真似をしたんだ?」
「そ、それは……ヴァロム様もコータロー様も、私の命の恩人だからです。あの2人には死んでほしくなかったからです……」
フィオナの頬に一筋の涙が落ちる。
「それはわかった。だが、あれは、お前1人で考えたわけではないだろう。地下牢へと降りてゆく入口には、常に魔導騎士とイシュラナの神官がいる筈なのに、あの時は、なぜか誰もいなかったからな。あまりに不自然だ。フィオナ……そこへ手引きしたのは、一体誰だ?」
「あ、あの計画を考えたのは……レヴァンです」
「レヴァンだと……シャール殿に匹敵する天才魔導師と言われる、あのレヴァンか!?」
フィオナは無言で頷く。
「なんでレヴァンがそんな事を……」
「それは恐らく、私が悩んでいたからだと思います」
「しかしだな、お前とレヴァンはそんなに親しくはないだろ?」
「それが、実は……ピュレナから帰ってきた後、お父様の指示により、レヴァンが私の側近に加わったのです」
「なんだって、父が……」
今の話を聞き、アヴェルの中で、得も言われぬ不安が渦巻き始めた。
「お兄様……ヴァロム様とコータロー様を救うのは、もう無理なのでしょうか……」
「普通に考えれば無理だろう……。だが、俺の知っているコータローさんは、そんな簡単に生きる事を諦める人ではないよ」
フィオナは驚きの表情を浮かべた。
「あの、お兄様……コータロー様とお知り合いなのですか?」
アヴェルはフィオナに近寄り、耳打ちをした。
「あまり大きな声では言えないが……知り合いだ。といっても、ここ最近知り合ったばかりだがな。それはともかく、ココだけの話だが……コータローさんは俺が今まで出会った中で、一番諦めの悪い人だ。俺達が無理だと諦めるような圧倒的不利な状況でも、冷静に物事を見定め、必ず何らかの道を見つけ出す……そういう人だよ、コータローさんは。だから……明日は恐らく……何かが起きるかもしれない……」
「お、お兄様、それはどういう?」
「……」
声を上げるなと言わんばかりに、アヴェルは口元に人差し指を立てた。
それを見たフィオナは、慌てて口元を手で覆った。
アヴェルは続ける。
「今、聞いた話は、誰にも話すんじゃないぞ」
フィオナは無言で頷く。
そして、アヴェルはフィオナに微笑んだのである。
(コータローさんはさっき、テンメイを待つと言っていた。あれは確か、ヴィゴールとの戦闘前に、コータローさんが言っていた言葉の一部だ。テンメイがあの事を言っているのならば……それが意味するところは、恐らく……)
漠然とだが、この時、アヴェルは予感していた。
明日はイシュマリア建国以来最大の出来事が起きるかもしれない、と……。
―― 一方その頃 ――
とある薄暗い部屋の中で、密会する2つの人影があった。
1人は窓辺に立って外の景色を眺め、もう1人は、その者に跪いている。つまり、2人は主従の関係であった。
また、2人は共に、黒いローブを深く被る姿をしており、その表情は窺い知れない。不気味な雰囲気が漂う者達であった。
まず跪いている者が先に、言葉を発した。
「申しわけありません……アシュレイア様。アヴェル王子の乱入により、王女があの男達を連れ出す事に失敗したようです。……拷問して鏡の
在処を吐かすのは難しいかもしれませぬ。いかがなさいましょう?」
窓辺に立つ人影は、少し間を空け、言葉を発した。
「……投獄の際、あの者達が所持しているモノは、すべて取り上げたのであったな?」
「ハッ、全て取り上げてあります」
「という事は……ラーの鏡は恐らく、他の者が持っているのだろう。当日は、審判の間に入る者達の所持品を厳重に確認しろ。怪しい荷物や装飾品があったら、全て取り上げるのだ」
「王族や太守もですか?」
「ああ、全てだ。それから明日は、異端者達の身体も、もう一度確認をするのだ。何者かがあ奴等に、鏡を手渡しているとも限らんからな」
跪く者は頭を垂れる。
「畏まりました。アシュレイア様の仰せのままに……」
「それと、もう1つ、そなたにお願いしたい事がある」
「ハッ、なんなりと」
窓辺に立つ人影は、跪いてる者に近寄り、一枚の紙を手渡した。
「これは?」
「そこに書かれている者達を今日中に見つけ、拘束するのだ」
「畏まりました」
「では行くがよい」
「ハッ」
跪いていた人影は立ち上がり、この部屋を後にした。
そして、窓辺に佇む人影は、静かにほくそ笑むのであった。
「フフフッ……悪い芽は早めに摘まねばな。明日は絶望してから死ぬがいい、愚か者どもよ」――
[Ⅱ]
シャリン、シャリンという鈴の音が聞こえてきた。
その音で俺は目を覚ます。それが食事の合図でもあり、起床の合図でもあるからだ。
(朝か……。投獄されて8日経過した。……今日は刑が執行される日だ。とうとうこの日が来たって感じだな……)
俺は欠伸をしながら上半身を起こし、背伸びをする。
そこでヴァロムさんに目を向けた。
すると、相も変わらず、座禅を組んで瞑想を続けているところであった。
(一晩中、よくあの態勢を続けられるな……すごいわ……)
そんな事を考えながら背伸びしていると、こちらへと向かう複数の足音が聞こえてきた。
程なくして足音は俺達の牢の前で止まる。
多分、兵士達が配給の食事を持ってきたのだろうと思い、俺は鉄格子へと視線を向けた。が、しかし……そこにはなんと、意外な人物の姿があったのである。
ヴァリアス将軍と魔導騎士、それからイシュラナの高位神官が立っていたのだ。
俺は思わず、将軍の名を口にした。
「貴方は……ヴァリアス将軍」
「さて、朝だが、気分は如何だろうか?」
瞑想中のヴァロムさんが、ここで口を開いた。
「……こんな薄暗い牢の中で、気分が良いわけなかろう……ヴァリアス将軍よ」
「これは失敬……ヴァロム様。しかし、今日でそれも終わりでございます。心のご準備はよろしいだろうか?」
「ふん、さぁの」
面白くなさそうにヴァロムさんは返事をした。
俺は今日の予定について訊いてみた。
「ヴァリアス将軍……俺達はいつ頃、大神殿に移送されるのですか?」
「これより、貴殿らは我々の監視下の元、大神殿へと参る予定だ」
「そうですか。という事は、今日は食事はないのですね」
ここで神官が話に入ってきた。
「そなた達は今より、イシュラナに懺悔せねばならぬ身だ。不純物を体内に入れての祈りは、女神様への侮辱に他ならない。祈りは清らかな身で行われるべきもの。理解されたかな……異端者よ」
「ええ。理解しましたよ」
どうやら、飯抜きのようだ。少し残念である。
「さて、では双方とも、そろそろ参ろうか」――
その後、俺とヴァロムさんは、雲一つ無い晴れ空の元、鉄製のコンテナみたいな馬車に乗せられ、イシュラナ大神殿へと移送されたのである。
[Ⅲ]
俺とヴァロムさんは大神殿へと移送された後、窓が1つもない6畳程度の小部屋に幽閉された。
この部屋は石の壁のみ。出入りする為の鉄の扉が1つあるだけで、他に目に付くモノは何もない。
俺達はその部屋の中で、身体検査をされた後、神官達の手によって、純白の衣を羽織らされた。それは神官服を簡素化したものであった。
神官曰く、清めの衣というモノだそうだ。異端者用の衣だとも言っていた。つまり、死刑囚用の囚人服みたいなモノなのだろう。
そして、それを着せられた後、俺達は暫く間、ここで待機となるのである。
ヴァリアス将軍の話だと、審判の間の準備が整うまでだそうだ。
(……準備ねぇ……恐らく今、審判の間とかいう場所に、高位神官や権力者達の入場が行われているのだろうな。入場する際は、厳重なセキュリティーチェックなんかも行われているに違いない。アーシャ様はアレを持って、無事に入場できただろうか……)
俺はそこで、ヴァロムさんに目を向けた。
ヴァロムさんはここでも大人しく瞑想している。
今、何を考えているのだろうか。
何れにせよ、もうここまで来たら、後はもう天命を待つだけだ。
それから30分程度経過したところで、鉄の扉が開いた。
扉の向こうから、ヴァリアス将軍と魔導騎士、そして数名の神官達が現れ、部屋の中へと入ってきた。
ヴァリアス将軍はそこで、俺達に告げた。
「向こうは準備ができたようだ。ここからは我々が案内しよう」
どうやら、ヴァリアス将軍がエスコートしてくれるみたいである。
やはり、著名な有力貴族という事もあり、その辺は気を使っているのだろう。
座禅を組んで瞑想をしていたヴァロムさんは、そこでゆっくりと立ち上がった。
「では運命の地へと参ろうか……ヴァリアス将軍よ」
「参りましょう、ヴァロム様」
ヴァリアス将軍は頷くと、待機している魔導騎士と神官に目配せをした。
数人の魔導騎士と神官達が、俺とヴァロムさんの周りを取り囲む。
そして、俺とヴァロムさんはこの者達と共に、部屋を後にしたのである。
部屋を出た俺とヴァロムさんは、先頭を進むヴァリアス将軍に案内され、幅2mほどの狭い石壁の通路を進んでゆく。
その通路は直線であった。十字路やカーブは全くない。
また、通路の先は、イシュラナの紋章が描かれた銀の扉となっていた。
つまり、そこが俺達の行き先である。
程なくして、俺達はその扉の前へとやって来た。
そこで、ヴァリアス将軍が俺達に振り向る。
「……この先が審判の間になります。ヴァロム様にコータロー殿、覚悟はできましたかな? もう後戻りはできませぬ故……」
俺達は頷いた。
「覚悟はとうに出来ておる」
「私もです。参りましょう」
「……では、ご武運を」
ヴァリアス将軍は扉をゆっくりと開いた。
そして、俺とヴァロムさんは審判の間へと足を踏み入れたのである。
[Ⅳ]
審判の間は、広々とした四角いホールのような空間であった。天上も高く、10mくらいはありそうだ。
そこには宝石を葡萄の房のように散りばめた、美しいシャンデリアが吊り下げられており、煌びやかに辺りを照らしていた。
壁や天井には美しい女神の絵が、色彩鮮やかに描かれている。それはまるで、ヨーロッパの寺院に描かれているようなフレスコ画のようであった。
床は磨き抜かれた大理石のようなモノで出来ており、部屋の真ん中辺りには、大きなイシュラナの紋章が描かれていた。また、その奥は祭壇となっている。
ホール内の2階部分にあたる場所は、左右ともに観覧席になっており、そこには沢山の貴族や神官がいた。クラウス閣下やヴォルケン法院長の姿もある。その隣には、俺を拘束した魔導騎士ラサムの姿もあった。
また、俺達から見て、2階部分の正面はバルコニーのような出っ張った観覧席になっており、そこにはアズライル教皇や高位神官、それから王族や太守がいるのである。
そこには勿論、アヴェル王子やフィオナ王女の姿もあった。そして、ソレス殿下やアーシャさんの姿も。それからよく見ると、不安げにこちらを見ているサナちゃんの姿もあった。ちなみにだが、その隣には美しいラミリアンの女性もいる。多分、この方がラミナス公使であるフェルミーア様なのかもしれない。
まぁそれはさておき、観覧席にいる者達は皆、悲しそうな目で、こちらをジッと見つめているところであった。
(注目の的ってやつだな……でもここからは、ちょっと気を引き締めないとな……)
俺達が中に入ったところで、扉は閉められる。
するとその直後、美しい調べがどこからともなく聞こえてきたのである。
それはオルガンのような優しい音であったが、どこかで聞いたことがあるような旋律であった。
(……悲しさと優しさと美しさがある旋律だな……そういや、日本にいた頃、両親の事で精神的に参っていた時、よく聞いていた癒しのクラシック音楽集に、これと似た音楽があったな。確か……バッハのカンタータ第106番・ソナティーナだったか……あれに似た旋律だ。この場面で弾かれるという事は、もしかすると、この国で使われる葬送曲みたいなモノなのかもしれない……)
音楽が流れ始めたところで、ヴァリアス将軍は俺達に目配せをし、前へと進んでゆく。
俺達はヴァリアス将軍の後に続いて、美しい調べの中を静かに歩き始めた。
俺は歩きながら周囲をチラッと見回した。
観覧席にいる者達は皆、悲しみと憐れみの入り混じったような複雑な表情で、俺達を見ていた。
また、俺達がいるフロアの壁際には、魔導騎士と宮廷魔導師、それから神官が沢山待機しており、こちらに向かい、警戒の眼差しを向けているところであった。
(……上にいる者達とは対照的な目だな……俺達の挙動を監視しているのだから当然か……ン?)
と、その時、見た事ある顔が、俺の視界に入ってきたのである。
なんと、ウォーレンさんとミロン君がそこにいたのだ。
ウォーレンさんとミロン君は悲しい目で俺達を見ていた。
俺はそんな2人に向かい、軽く会釈をした。
向こうも会釈を返してくる。
(ウォーレンさんにはお世話になりっぱなしなのに、騙すような事をしてしまった……生き延びれたら謝んなきゃな……)
その後、程なくして俺達は、目的の祭壇へと辿り着いた。
祭壇の前に着いたところで、俺達の背後にヴァリアス将軍と魔導騎士が回った。多分、逃走防止の措置だろう。
それと同じくして、バッハのような曲も止まった。
重苦しい静寂が辺りに漂い始める。
そこで、アズライル教皇の隣に佇む、赤い神官服を着た高位神官が、声高に告げたのである。
【光の女神イシュラナの慈愛の元に生まれし、この国を代表する敬虔なる信徒諸君! 本日はお忙しいところ、この儀に御参加いただき、誠にありがたく思っております。皆様の御参加に、アズライル猊下も大変喜んでおられます。さて……それでは、時間になりましたので、これより、この罪深き者達の異端証明の儀を執り行いたいと存じます! 儀の進行はイシュラナ大神殿・神殿管理官である私、ザムドが担います。では、主任異端審問官・マスケラン殿、罪状の報告を!】
このフロアの壁際に佇む、紺色の衣を着た神官の1人が、巻物みたいなモノを手に持ち、祭壇へとやってきた。
俺達と祭壇の間に割って入る形で、その神官は立ち止まる。
そして巻物を広げ、正面の観覧席に向かい、声高に読み上げたのである。
【では主任異端審問官である私、マスケランが、罪状の報告さていただきます。まず、異端者ヴァロム・サリュナード・オルドランの罪状について……光の女神イシュラナと光の御子イシュマリアへの度重なる暴言による冒涜行為であります。ヴァロム殿の行動は、多数の目撃者のいる中で行われており、言い逃れできる余地のないモノでございます。そしてこれは、光の聖典に記されている女神の意思全てを否定する、重大な異端行為にあたります。よって、我等、異端審問官とイシュマリア司法院との審議の結果、この者を異端階級で最も重い『破戒の徒』と認定する事と相成りましたので、ここに報告させて頂きます。また、もう1人の異端者コータローは、ヴァロム殿の異端である策謀に加担し、組み従う者である為、これも共謀の破戒の徒として認定した次第であります。私からは以上でございます】
異端審問官は読み終えると、元の位置に下がった。
そこで、最初の神殿管理官が口を開いた。
【マスケラン殿、ご苦労であった。さて、諸君! 罪状は以上である。異論のある方は、挙手を持って示していただきたい】
手を上げる者は皆無であった。
明日は我が身と考えているのが殆どだろう。
異端審問官とイシュマリア司法院の名の元に下された判決である為、これに逆らうのは、この国のすべてを否定するに等しい行為なのかもしれない。
事実、彼らの表情は沈痛な面持ちではあるが、神官達に目をつけられないよう、下を俯く者ばかりであったからだ。
誰も手を上げないのを確認したところで、神殿管理官は声高に告げた。
【では異論もないようなので、皆様の信任を得たという事で進めさせて頂きます。さて、では次に、この罪深い異端者にふさわしい贖罪の方法ですが、これはアズライル猊下を始め、八名の大神官や各神殿の神官長等とで検討を重ねた結果、次のようになりましたので、私から皆様にお伝えをしたいと思います】
神殿管理官はそこで周囲の者達の表情を見回すと、簡潔に告げた。
【……異端者ヴァロム・サリュナード・オルドランと、その弟子、異端者コータロー。両名共に、贖罪の丘にて火炙りの刑とする……。以上でございます】
この言葉を聞いた直後、周囲がざわつき始めた。
【静粛にッ! 皆様、静粛にッ! まだ儀は終わっておりませぬぞッ!】
神殿管理官の言葉を聞き、また先程の雰囲気へと戻っていった。
静かになったところで、神殿管理官は続ける。
【オホン! では最後に、アズライル猊下より、お言葉がございますので、皆様、静粛にお聞き頂けますよう、よろしくお願いいたします】
神殿管理官と入れ替わり、アズライル教皇が俺達の正面にやってきた。
アズライル教皇は俺達を見た後、天井に描かれた女神の絵に向かって両手を大きく広げ、厳かに言葉を紡いだ。
【……遥かなる天上より、慈愛の光にて世を包み、我等を見守りし女神イシュラナよ……今ここに、貴方様の意思を踏みにじる者が現れました。しかし、ご安心ください。この者達は必ずや悔い改め、貴方の忠実な子となり、貴方様の元へと戻る事でしょう。願わくば……この者達に貴方様の加護と祝福の光があらんことを……】
教皇はそこで両手を下げ、俺達に向き直った。
そして、人の良い笑顔を浮かべ、俺達に告げたのである。
【さて、異端者ヴァロム・サリュナード・オルドラン、そしてコータローよ。そなた達は、異端階級で最も忌むべき破戒の徒という認定を受けたわけであるが、恐れる必要はありません。そなた達はこれより、女神イシュラナがいる天上界へと旅立つのですから。心より贖罪し、過ちを悔い改めなさい。さすれば、女神は必ずや、貴方達を受け入れてくれる事でしょう。ですがその前に……】
するとアズライル教皇は、ニヤッと嫌らしい笑みを浮かべたのである。
【貴方がたの口から、ここで懺悔の言葉が出てくるのであれば、私の権限を持って、贖罪方法を軽くすることを検討しても良いと思っております。どうしますか?】
ヴァロムさんは即答した。
「懺悔なんぞ、するつもりないわい」
【そうですか……それは残念です、ヴァロム殿。では、そちらのアマツの民の方はどうですか?】
「そうですねぇ、俺も……」
と、言いかけた時であった。
遠くから、イシュラナの鐘の鳴る音が聞こえてきたのである。
俺は思わず、その方向へと視線を向けた。
教皇の声が聞こえてくる。
【どうしました? 鐘の音がどうかしたのですかね?】
この鐘の音を聞いて、思い出した言葉があった。
それは小学校の頃に暗記した言葉であった。
今の心境にピッタシだったので、俺はそれを少しアレンジして、教皇に告げたのである。
「……イシュラナ大神殿の鐘の声、諸行無常の響きあり……沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす……おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし……たけき者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ……」
アズライル教皇はキツネにつままれたような表情をしていた。
それはここにいる者達全員がそうであった。
まぁこの反応は当然だ。平家物語の冒頭部分なんぞ知る由もないだろう。
教皇が怪訝な表情で訊いてくる。
【……何ですか、今のは?】
「俺が住んでいた所に伝わる、古い格言みたいなもんですよ」
【ほう……それはそれは……で、どのような意味の格言なのですか?】
「言葉は長いですが、簡単な意味ですよ。……どんなに力を持った者でも、いつかは衰えて塵のように消えゆくという、昔の人が残したありがたいお言葉です」
それを聞き、アズライル教皇は真顔になった。
言わんとする意味が分かったのだろう。
俺は続けた。
「あ、そうそう、懺悔の言葉でしたね。……ねぇよ、んなもん。以上」
辺りにシンとした静寂が漂う。
【フッ……フハハハハ……どうやら、この異端者達には、贖罪の炎以外、救う手段は無いようですね。では、これまでにしましょうかッ!】
アズライル教皇はそう告げるや否や、光の王笏を真上に掲げた。
するとその直後、杖の先端にある水晶球から、眩い光が放たれたのである。
【女神イシュラナの代弁者たる教皇アズライルの名によって命ずる! これより、この異端者達を火炙りの刑とする! 続いて、この異端者達の協力者をここに連れて参れ!】
教皇がそう告げた後、俺達がやってきた後ろの扉が開く。
そして、扉の向こうから、俺のよく知る人々が現れたのである。
「クソッ、離しやがれ!」
「なんで俺達がこんなところに連行されるんだ」
「ちょっと、どこよ、ここ!」
「なんで俺達がこんな目に!」
「儂のような年寄りに、一体何をするつもりじゃ!」
「おばあちゃん、怖いよう……」
それは、俺が一度は関わった人達であった。
ラッセルさん達やバルジさん達、そしてボルズにグランマージの店主と孫娘。それらの人々が手錠に繋がれ、神官や魔導騎士達によって、連れて来られたのである。
(まさか、こんな手を使ってくるとは……)
全員が俺の顔を見て、驚きの表情を浮かべた。
「あ、貴方はコータローさん。なんで貴方がここに!」
「コータローさんも捕まったの!?」
「ちょ、ちょっと……ヴァロム様までいるわよ!」
「ここはまさか……」
神殿管理官の大きな声が響き渡る。
【静粛に! 異端者達よ、口を噤むのだ!】
ピタッと静かになる。
と、ここで、ボルズが声を荒げた。
「どういうことだよ、一体! なんで俺達がこんな目に遭わなきゃいけないんだよ!」
【そなた達は、この異端者と行動を共にしていた。よって、そなた達も異端者と認定することにした。つまり、同罪ということだ!】
ラッセルさん達は非難の声を上げる。
「なんで俺達まで!」
「そうだよ、ふざけんなよ!」
「こんなの横暴よ!」
周囲がざわつく中、俺はヴォルケン法院長の隣にいる髭面の魔導騎士ラサムへと視線を向けた。
ラサムはゆっくりと頷く。
そんな中、ラッセルさんとボルズが、俺に詰め寄ってきた。
「ちょっとコータローさん! これは一体どういうことなのですか!?」
「そうだよッ、コータローさんッ! どういうことだよッ」
(もう、ここでやるしかない……)
俺は2人に言った。
「こうなった以上、仕方ありません……皆、俺に命を預けてください」
「え!?」
「コータローさん、それはどういう……」
俺はそこで、大きく息を吸って、大声を張り上げた。
【アズライル教皇ォォ! 最後に、少しだけ言わせてほしい事があるッ!】
その直後、ざわつく声が静まった。
この場にいる全員が俺に注目する。
教皇は俺に向かい微笑んだ。
【フッ……言っておきたい事? なんですかそれは……この期に及んで、懺悔でもする気になったのですか?】
俺はゆっくりと周囲を見回した後、ここで戦いの火蓋を切る事にした。
【今日はここにいる皆様に、見ていただきたいモノがあるのです】
【見ていただきたいモノ? なんですかそれは?】
【では、今からそれをお見せします】
俺は隣にいるヴァロムさんに目を向けた。
ヴァロムさんは、ゆっくりと首を縦に振る。
そして俺達は、役目を果たす事にしたのである。
これで俺の大役は終わりだ。
俺の役目……それは勿論、あるモノをここまで運んでくることであった。
だが事はそう簡単にはいかない。厳重な警戒態勢の中を運ばなければならないからだ。
その上、ヴァロムさん自身、このオヴェリウスで、まだまだやらなければならない事もあった。
恐らく、今回のこの計画……ヴァロムさんは相当悩んだに違いない。それをどのタイミングで使うかという事と、その為に起きるであろう問題に、どうやって対処するのかという事を……。
そして、それを解消する方法が見つかった。
それは……ラーのオッサンの持つ能力であった。
そう……これはラーのオッサンの持つ能力によって、初めて可能になる計画なのである。
アリシュナで交わしたラーのオッサンとの会話が思い起こされる。
―― 我が出来る事は決まっておろう。1つは真実を晒す事、それからもう1つは……偽りを見せる事だ ――
俺はあの時、2つの能力を聞いて、ヴァロムさんの計画に気づかされたのだ。
皆がこちらに注目する中、俺はオッサンに合図を送った。
「どうやら外の準備は整ったようだ。行くぞ……ヴァロムのオッサン!」
その直後、ヴァロムさんは光に包まれる。
それと共に、ヴァロムさんから【オッサンて言うなァァァァ!】という、断末魔のような声が聞こえてきた。
まぁそれは放っておくとして、オッサンはそこで鏡へと変化してゆく。
そして……金色に縁取られた丸く美しい鏡が、この場に姿を現したのであった。
教皇や神官は、鏡を見るなり、大きく目を見開いた。
【これは鏡……まさか、その鏡は!?】
俺はそこで、送り主に向かい、配達完了の報告をした。
【ご注文の品、確かに届けましたよ、ヴァロムさん!】
次の瞬間、ラーの鏡は周囲に眩い光を放つ。
「なんだこの強烈な光は!」
「これは一体……」
光は暫くすると消えてゆく。
そして……真実の姿が、この場に露になったのである。
【魔物がなぜここに!?】
【イ、イシュラナの神官達が魔物に変わったぞ! どういうことだ!?】
【神官達が魔物に!?】
【キャァァ、ま、魔物がなぜここに!?】
至る所から悲鳴にも似た絶叫が響き渡る。
この場は阿鼻叫喚の様相と化していた。
銀色の体毛を纏う猿のような魔物……シルバーデビル、緑色の小さな悪魔……ミニデーモン、3つ目の鳥人モンスター……サイレス、一つ目のお面をかぶった魔法使い……地獄の使い……そんな魔物達の姿が確認できる。
高位神官に化けているだけあって、それなりに知性のありそうな魔物が多いようだ。とはいえ、貴族の中にも魔物がいるようだが……。ちなみに、王家の者は全員人間であった。
俺はそこで、教皇へと視線を向けた。
(な!? アイツは!?)
すると、なんと驚くべきことに、アズライル教皇の正体は、以前見たレヴァンとかいう宮廷魔導師だったのである。
と、ここで、大きな声が響き渡った。
【皆の者! よく見るがよい! これが長年、我らのすぐそばで起きていた真実じゃ! ここにいるイシュラナの神官達は魔物だ! 今こそ武器を手に取り戦う時じゃぞ、皆の者!】
声を発したのはラサム……いや、ヴァロムさんであった。
続いて、ヴァリアス将軍が大きな声で指示をした。
【魔導騎士並びに宮廷魔導師は総員、直ちに戦闘態勢に入るのだ! 雷光騎士は王家や来賓の方々の護衛態勢を整えよ!】
【ハッ!】
それを聞き、魔導騎士達は武器を手に取り、戦闘態勢に入る。
審判の間は一気に戦場へと傾いていった。
と、そこで、ヴァリアス将軍は俺の手錠や足枷を外してくれたのである。
「大役、ご苦労であった。これよりは貴殿も戦いに加わってもらうぞ。ヴァロム様からも、そう指示されておるのでな」
「まぁなんとなく、そんな気はしてましたよ」
「コレを渡しておこう」
ヴァリアス将軍は俺に魔導の手を返してくれた。
「ありがとうございます。って、あれ……魔光の剣は?」
「それが、誰かが持ち出したのか、見当たらなくてね……すまない」
どうやら、魔光の剣は無くなってしまったようだ。
(多分、誰かが意図的に持ち出したのかもな……。まぁいい、すでに別の手を打ってある)
と、ここで、ヴァロムさんの声が聞こえてきた。
【コータロー! アレを一発かましてやれ! 今こそ使う時じゃぞ!】
【了解!】
俺は左手を真上に掲げた。
そして、あの定番である雷撃呪文を俺は唱えたのである。
―― 【ライデイン!】 ――
その刹那!
俺の頭上に光が迸る雷球が発生し、邪悪なる者達へと目掛け、聖なる雷の矢が一斉に放たれたのであった。