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明日へ吹く風に寄せて

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Ⅲ.千年桜の亡霊


 そこはまるで別世界だった…。周囲は何もない草原であり、少し歩けば林や蓬莱寺跡はあるものの、町の中心からはかなり離れている。
 そのため人影は全くなかったが、まぁ…あの噂のせいもあるのだろうがな。
 だが、そのことを指して“別世界"と思ったわけではない。僕達の目の前に立つ千年桜が、まるで「今が春の盛り」と言わんばかりに、その枝いっぱいに花を狂い咲かせていたのだ。
「こりゃ…想像以上に…。」
 颯太が呟く。それはそうだろう。思った以上に「美しく」、かつ「厄介」なのだから。
「どうする?」
「試しに“風"を舞ってみよう。」
「分かった。」
 そう言うと僕達は、千年桜の近くまで歩み寄った。そして僕は腕に鈴を付け、颯太は鼓を抱えて地面へと座ったのだった。
 僕の言った“風"とは、櫪家に伝わる解呪舞の一つだ。他に“火"“水"“土"の合わせて四つの舞が伝えられている。
 しかし、これは解呪の術の一つに過ぎず、舞以外にもその方法は多岐に渡っている。僕自身、得意としているのが舞というだけだ。

-天つ風 落つる命も 愛しける 潤いし月 乱すことなし-

 鼓と共に颯太が唄う。それに合わせて僕が舞うのだ。
 唄は七五調を基準に書かれ、主に短歌で書かれていることが多い。
 この“風"にはそれが七連あり、四つの舞の中でも一番小規模であるものの、舞の型は一番難しいとされている。

-暗き夜の 見えぬ風は 戸を叩く 黒き月影 誘う声か-

 四つめの唄に入った時だった。急に風が吹き荒れ始めた、千年桜の花弁を舞い散らした。

-何奴じゃ!私の邪魔をするのは、一体何奴じゃ!-

 吹き荒む風の中、はっきりと女性の声が響いた。それはまるで大地が響くような、または天から落ちる雷のような…。

-もう止めぬか!私から離れおれ!-

 そう聞こえたかと思った刹那…目の前に、般若のような怒りを露にした女性が姿を現した。
 哀しみ、苦しみ、憎しみ、淋しさ…。それらの感情が全て入り混じった表情は、正しく般若そのものだと言えた。
「何故に人を襲うのだ!貴女を土に還した者は、もはやこの世には亡いというのに!」

-黙りおれ!彼の者は子孫を繋いでおるというに、何故に私は一人冷たき土に埋もれねばならなんだ!-

 これは…ただの風ではない…。彼女の怨念が気となって舞っているのだ…。どうしたらこれ程の憎悪が生まれるのか?
「貴女は何故にここまで世を怨むのだ!」

-まだ言うか!小賢しいこわっぱめ!-

 そう聞いたかと思った刹那、僕の意識はプツリと途切れてしまったのだった。

「お気付きになられましたか。旦那様はいつも御無理をされて…。この彌生、十年は寿命が短こうなった気が致します。」
 いやいや…それでは今すぐにでも逝ってしまいそうじゃないか。僕は苦笑しながら彌生に聞いた。
「どれ程眠っていた?」
「十八時間程に御座います。主治医の香坂先生に来て頂いて、一応点滴をと。」
 それでか…。あの点滴は眠らせるためのものかは知らないが、そのうち永眠させられそうだ…。そんな他愛もないことを考えていると、襖を開けて颯太が入ってきた。
「大丈夫か?」
「大事ない。あれ位で気を失うとは、僕も修行が足りないようだ。」
 僕がそう言うと、颯太はホッとした顔を見せて言った。
「ま、躰に異常がなけりゃいいんだけどよ。」
「ちっとも宜しくなど御座いません!行方様、貴方も貴方です。櫪家の現当主たる夏輝様のお側に付きながら、主の身の安全さえ護れぬとは何事ですか!」
 颯太の言葉が癇に障ったらしく、彌生は語気を強めて颯太へと詰め寄った。颯太はその彌生さんの勢いに圧され、反論しようにも言葉に詰まる有り様だった。
「彌生さん。そう颯太ばかりを責めんでやってくれ。」
「ですが旦那様…。」
「良いのだ。あの時は僕も不注意だったのだ。略式でも結界すら張らなかったのは、それは僕が相手を見縊っていたからだ。責められるべきは僕ではないか?」
「旦那様がそこまで仰られるのでしたら、私はもう何も申しません。しかしながら、旦那様にもしものことがありますれば、御分家の方々もただでは済まぬことを御承知下さい。」
「分かっているよ、彌生さん。済まないが喉が渇いた。飲み物を用意してくれるかい?」
「畏まりました。」
 彌生さんはそのまま部屋を出て行った。残された颯太は、らしくないほど済まなさそうな顔をしたままだった。
「俺にもう少し力があれば…。そうすれば夏輝だって、こんな風に倒れることはなかったんだ。これは俺の力不足だ。」
「何言ってるんだ。お前は櫪家の人間じゃないし、そんなに強くなられたら反って困る。最初から結界を張っておけば良かっただけの話だ。それは僕自身の落ち度だが、それより君に怪我は無かったのか?」
「俺は平気だ。夏輝が跳ばされた後直ぐに、本間さんが略式結界を張ってくれたんだ。」
「そうか…。」
 運転手をしている本間は、五代前の当主の次男の末裔だ。要は、この次男が婿入りした家の子孫というわけだ。霊力はかなり高く、訳あって櫪家の運転手を勤めている。一方では株なんかをやっているらしく、それなりに儲かっているらしい…。
「あとな、六宝装のうち三つは借りられたぜ?」
「そうか。あと二つは何だ?」
「白法院の白虎の帯と、常善寺の玄武の鈴だ。」
 やはり両方南にあるものか…。櫪家はかなり名の知れた家柄だが、南にはそれが通じない。それは、この町の歴史に由来しているのだ。
 その昔、この土地一体は柳澤という貴族が支配していた。その柳澤家が分裂し、現在の櫪家が誕生したのだ。
 初期は柳澤家が南を統治し櫪家が北を統治したのだが、暫くして土地が戦に巻き込まれ、それに乗じて櫪家は、本家たる柳澤家を滅ぼしてしまったのだ。下剋上の時代の話だが、現在までもその影を引きずっているのが実情だ。
 しかし、櫪の分家に一つだけ、北に顔がきく家がある。その分家が常善寺と白法院を作ったのだ。
「分かった。それでは、花岡家に助力を願うとしよう。」
「はぁ?夏輝、あそこの当主苦手じゃなかったか?確か従姉妹だって聞いた気も…。」
「そうだ。向こうが歳上だがな…。何にせよ、あちらはどうとも思ってないようだし、連絡を入れても文句は言われまいよ。」
「って…大丈夫なのかよ。本家が分家に頼み事なんて…。」
「問題無い。分家からの助力要請が山程あるんだ。たまにはこちらに力を貸しといた方が、向こうにとっても都合がいいだろう?」
 そうは言ったものの、分家に弱みを握られるのはあまり良いとは言えない。それも花岡の現当主には、絶対に知られたくはない。まぁ、僕より彌生さんが嫌がるのが目に浮かぶが…。
「さて…君が借りてきた三つは?」
「それならそこにある。」
 見ると、そこには布に包まれた箱らしいものが置いてあった。六宝装は皆、同じ桐箱に納められているため、開けて見なくては分からない。そのため、僕は起き上がって中を確認することにした。
「これは…天照寺の“朱雀の扇"か。」
 朱に染められた艶やかな扇は、金粉と銀粉、他には宝石を磨り潰した粉などで装飾が施されたものだ。
「こちらは…和名津神社の“貘の勾玉"だな…。僕も初めて目にする…。」
 大きな翡翠で作られた勾玉だが、本体に細やかな装飾が彫り込まれ、掛紐にも小さな勾玉が左右三つ付けられていた。皆、翡翠で作られているようで、それらにも装飾が彫り込まれていた。
「残るは天満大社の“青龍の衣"か…。六年前に着たことがあるが、実に良い衣だ。」
「夏輝、これ何で着たんだ?」
「ああ、奉納舞を頼まれてな。まさか、全て集めて身に付けようとは考えもしなかったが…。」
「当たり前だっつぅの!」
 それもそうか。歴史的な価値も含め、全て揃えれば数億円はすると言われている“六宝装"だ。実際は後三つあったとも言われていて、それらが見つかれば金額をつけることなど出来ないと言われてもいる。
「いやぁ…保険かけておいて良かったよ。」
「そういう問題じゃないよ…夏輝さん…。」
 青龍の衣を無造作に触っている僕を見て、横で颯太が蒼くなっているのが何だか面白かった。ま、これくらいでどうにかなってしまう代物ではないのだがな。
「さて、花岡の当主殿に連絡を入れますかな。」
 青龍の衣をしまって颯太を安心させて後、僕がそう言って立ち上がろうした時だった。廊下の先から彌生さんの声と、もう一人、聞き覚えのある女性の声が響いてきたのだった。
「夏輝…あの声って…。」
「連絡する手間が省けたじゃないか。」
 花岡家現当主のお出ましだ。



 
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