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SNOW ROSE

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終章
  灯火の消ゆる前に


 その御方は床に伏していた。
 僕はその御方と数年前に出会い、僕はその御方の紡がれる物語を少しずつ書き記してきた。
 その物語は、時に聖文書大典に描かれていない細部まで悉に語り、その物語の真の意味を僕に教えてくれた。
「先生。この物語には、何と題を付せば宜しいでしょうか?」
 僕は浄書の際にいかにすべきか、どう題を付けるべきかをその御方に尋ねていた。
「そうじゃのぅ…。“スノー・ローズ"…それが良かろう。まぁ…これもまた教会は外典として排除しようとするじゃろうがのぅ…。」
 その御方はそう言って、今日幾度目かの溜め息を洩らした。
「ですが先生。聖エフィーリアの物語は語られましたが、聖リグレットの物語は何故語られなかったのですか?」
 僕がそう尋ねると、その御方は僕に少しばかり寂しげな笑みを見せてこう言った。
「ミルゲ君。聖人それぞれにそれぞれの逸話が遺され、その数は膨大なのだよ。わしは全て語る者ではない。故に、各々が各々の聖人の物語を語るのじゃよ。聖グロリア然り…聖マグダレネ然り…。わしは聖エフィーリア様の物語を語る者であった…ただそれだけの話しじゃ。」
 その御方のはそう僕に返すと、開いたら窓から青空を眺めた。
「しかし先生。先生の語ったこの物語は、僕が今まで読んだどの外典にも記されてないものが多いのですが…。先生は如何にしてこれを知り得たのですか?」
「やれやれ…質問の多い生徒じゃのぅ。」
 その御方はそう言って笑い、僕の頭をまるで孫にするよに撫でた。
 そして暫く眼を閉じ、何かを思い出そうとするかのように瞑想されると、その御方は静かに口を開いたのだった。
「わしは…会ったんじゃよ。もう随分と古い話になるがのぅ…。」
「一体どなたに出会われたのですか?」
「聖エフィーリア様じゃよ。」
 僕は余りにも有り得ない話しに呆気にとられ、暫くは言葉が出なかった。
 正直に言えば…その御方の言っていることが些か理解出来なかったのだ。
 その御方が語ったこの物語は、新しいものでも今から数百年も前の話であるのだから…。
「先生、聖エフィーリアは…」
「そうだ。かの聖人は、三国大戦前に神の下へと還られたのじゃ。」
「ですが、そうなると…」
「ミルゲ君。わしは君に伝えていないことがある。わしの真の名じゃ。」
「…?」
 その御方はそう言うと再び沈黙に身を委ね、暫くの後にこう僕に告げられた。
「わしの真の名は、ヴィーデウス。ヴィーデウス・アラウ・フォン=プレトリウスじゃ。」
 僕は両目を見開いてその御方を見た。
 その名はミヒャエルⅠ世の一番上の兄の名であり、次兄ヘルベルトに殺された第一王子の名だったからだ。
「ミルゲ君、わしはの…一度死んでおるのじゃ。しかし、聖エフィーリア様の御力により、わしは再びこの世へと戻された。それは真実を語る者としての役割を与えられたためじゃ。わしはのぅ、ミルゲ君。書き記す者を見付けぬ限り、死ぬことを許されなんだ。わしの罪故にな…。」
「先生の…罪…?」
 僕は囁くようにそう問うと、その御方は僕を見据えて言った。
「当時のわしはな、民など愛しておらなんだ。民が飢えようが病で苦しもうが、全くの無関心であったのじゃ。わしはただ表面だけを磨き、内側を磨くことを怠っておったのじゃよ。ヘルベルトはのぅ、その様なわしを知っとったんじゃ。故に、わしを神殿の階段より突き落として…殺したんじゃよ…。その時、わしはこともあろうに神を呪った。そうしてその罪故に、死して安らぐことさえ許されなくなってしもうたんじゃ…。」
 その御方はそう言って、深い溜め息を洩らしたのだった。
 僕は何と答えて良いか分からず、ただただ黙しているしか出来なかった。僕の様な些末な者に、答えられよう筈もなかったのだ。
 しかし、その御方は暫くすると、再び僕へと言葉を紡ぎ始めた。
「ミルゲ君…。信ずる信ぜぬは、君自身が決めれば良い。だがのぅ、これだけは言える。わしはやっと、この長きに渡る苦痛より解放されるのじゃ。それは君のお陰じゃよ…。」
「先生…?」
 僕は何かを聞き漏らしているような気がした。
 この御方は…先程何と言っていた?これでは、まるで…死に逝く者の告解ではないか…。
 何故に…今、僕の様な者に言うのだろうか?
「先生、僕はまだ聞かなくてはならないことが沢山あるのです。この書物には、まだ訳註が付されてないのですから。」
 僕がそう慌てて言うと、その御方は弱々しい笑みを溢して言った。
「君の問いは、既に君の内に答えがある…。わしの灯火は、もう少しで尽きてしまうでな…。だが…これで良かったんじゃ…。」
「先生!僕はまだまだ先生の物語を聞きたいのです!」
 僕はこの御方の細く皺だらけの手を強く握った。そうしなくては、天がその御方を召してしまう気がしたからだ…。
 だが…。
「済まんのぅ…。」
 その御方は僕の手を弱々しく握り返し、もう届くか届かぬか分からぬほど小さく囁くような声で言った。
「忘るるなかれ…神は汝と…共にある…。あぁ…君に出会えたことを…神に感謝する…。ミルゲ君…君に…幸福が…あるように…。愛する者が…共に…ある…ように…。」
「先生…?先生!?」
 その御方は、静かに目を瞑り…それからもう目を開くことはなかった。
 その顔は喜びで満たされ、自分でもどうしてそう思ったかは分からないが、その御方は「神の花園」へ逝ったのだと…そう感じた。

 この巻末を僕一人で書くには、まだ修行が足りないことは重々承知していた。しかし、書いておかなくてはならないと考え、余白にこれを記することにした。
 僕は、あの御方のことを告げねばならないと感じた。これが真実なのかは、正直僕には分からない。
 それこそ神にしか知り得ないことであり、僕は僕の成すべきことを成すだけなのだ。
 あの御方の旅路は、恐らくは相当お辛いものであったに違いない。僕になど考えも及ばぬ長き年月を、たったお一人で一つ…また一つと物語りを語ることで神へと祈りを捧げて来たのだろう。
 故に、僕も自らの使命として綴って行かねばならない。今は花も咲かぬ若木であろうと、耐え忍んで歩めば、いずれ美しい花をつけられよう。
 僕のこれから先の人生、どうなるかなど分からないが、この物語のような奇跡を見ることはないだろう。
 しかし、僕は受け継いだのだ。あの御方の意思を…。

 故に…行こう。
 僕は書き記す者。ただ、それだけなのだから。



         完


 
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