魔術師ルー&ヴィー
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第一章
XⅥ
レヅィーヒの街とは、かの妖魔が産み出された街である。そして妖魔を造り出す媒体とされた少女の父が統轄していた街でもあった。
先の戦の終末、ミストデモンの力がシェオールと呼ばれる妖魔を引き寄せたとされる。シェオールはその強力な邪気で生ける者を歩く死人に変えるため、この街は瞬く間に地獄と化した。
シェオールの出現は直ぐに王都に知らされ、王都の魔術師らは速やかにレヅィーヒへと赴いたものの、もはや彼らに出来ることなど無かった。住人は全て生ける屍と成り果てて魔術師らを襲い、魔術師らはそれに対抗しつつ街ごと封印する他手立ては無かったと伝えられる。
魔術師らは先ず、シェオール自身を封印するためにシェオールの精神と肉体を分離させた。その折に聖ステファノのルビーが使用され、その力は一時ではあったが街の邪気を一掃したのであった。故にシェオールを封ずることが出来たのである。
だが、シェオールは肉体だけになっても邪気を放出し続け、結局は三重の封印をせねばならなかった。街全体の封印を合わせれば四重の封がされたことになる。記録では、住人は一人も助からなかったと記され、住人ごと封印されたことを物語る。
「さすがに…ここまで来れば感じるな…。」
そうウイツが呟くように言った。
ここはグリュネより七日程の場所で、レヅィーヒの街まではもうさしてかからない。
三人は途中ツィンクの村で食料などを調達し、馬車は宿屋の主に頼んでそこに置いてきていた。
この村より先は封鎖状態であり、暫く行けば邪気が漂い始めるのだ。故に、馬はとても耐えられず、三人は馬車を置いてきたのであった。尤も、誰も通らぬ道故に、そこには雑草が生えていた…と言うよりは、その枯れたものが道に覆い被さっていたために馬車など通れようもないのだが。
「師匠…草木もこんなで動物の姿もないですね…。」
ヴィルベルトは辺りを見渡し、どことなく不安気に師へと言うと、ルーファスは少しばかり弟子へと振り返って言った。
「ま、そうだろうな。シェオールを封じた土地の周囲は、どこもこんな感じで生気がなくて当たり前だかんな。」
「なぜですか?ミストデモンの封では、こんなじゃなかったと思うんですけど…。」
「ヴィー。“シェオール"ってのはな、古語で“墓"を示す言葉だ。あの妖魔はな、その強力な邪気で瞬く間に人を殺し、そして屍を自らの手駒として使役出来る。その元となってんのは奴の邪気そのものだかんな。封じたとこで邪気が漏れ出れば、当然こうなるって訳だ。」
ルーファスがそこまで言うと、今度はそれを先頭を歩いていたウイツが引き継いだ。
「そのシェオールが五つの妖魔の最上位になっているのは、それがシェオール自身の意思に関係なく邪気を放出しているからなんだよ。」
それを聞き、ヴィルベルトは思わず立ち止まってしまった。それに気付いた二人も直ぐに止まり、ヴィルベルトへと振り返ったのであった。
「ヴィー。何だ、お前怖いのか?」
「べ、別にそう言う訳じゃ…」
ルーファスが嫌な笑みを見せてそうヴィルベルトに言ったため、ヴィルベルトは焦ってそれを誤魔化そうとしたが、そこへウイツが笑いながら言った。
「ヴィルベルト君。邪気は魔術師や神聖術者には効かないよ。無自覚に力を相殺してるからね。まぁ、生ける屍には気を付けないといけないけど。あれは直接攻撃してくるから。」
そう言われたヴィルベルトは、安心して良いのか悪いのか判断しかねるといった風に苦笑いしたのであった。
「ま、こんなとこで突っ立ってても仕方ねぇし、さっさと行こうぜ。」
ルーファスにそう促され、ウイツとヴィルベルトはルーファスと共に再び歩き始めたのであった。
数時歩くと、彼らはレヅィーヒの街の門へと辿り着いた。その朽ちかけた門は、在りし日を偲ぶ石碑の様にさえ見え、三人は暫し感慨に耽った。
昔は人々が行き交う主要な街の一つであり、この街を通って二つの隣国へと続く主要街道まであったのだ。それが邪気の漂う死者の街と成り果て、そこへ四重の封印を施されているのだ。それはまるで…巨大な柩の様だと三人は思った。
ウイツは在りし日の思いに浸ることをやめ、隣にいたルーファスへと問い掛けた。
「ルー。確かこの街の教会に、移転魔術の陣が描かれていた筈だ。直ぐにでも行けるかい?」
「そりゃ行けっけどよ…教会そのもんに結界張ってあんのか?」
「問題ない。ここは数年に一回は、定期的に王都の魔術師達が調査に入ってるからな。その時に、一緒に結界も補修されていると聞いている。街そのものの結界も同じくだがな。封を強化するために封を更新し続けなくてはならないとは…なんとも困った妖魔だよ。」
「全くだ。おい、ヴィー。お前は俺の手を握っとけ。」
ウイツとの会話からいきなり自分へと切り替わったため、ヴィルベルトは多少びっくりしつつ師へと問った。
「師匠、何するんですか?」
ヴィルベルトの反応に、ルーファスは何かを思い出したかのように言った。
「そっか…ヴィーは移転魔術体験したことなかったな…。ま、これもいい経験だな。」
「師匠…そんな簡単に言わないで下さいよ…。」
ヴィルベルトはジトッとルーファスを見ながら言った。そんな弟子を見て、ルーファスはニッと笑みを溢して返した。
「まぁまぁ。少しばかり馬車酔いした程度だっての。」
「はいぃ?」
ヴィルベルトの顔は引き攣っていたが、ルーファスはそれを無視して魔術を行使したのであった。
「彼の場所へ我を繋げ!」
すると、二人の足下に光輝く魔法陣が浮き上がり、彼らは光に埋もれるようにその姿を消した。それを確認したのち、ウイツも後に続けて魔術を行使して二人を追ったのであった。
さして時も経ぬうちに、三人はとある教会の一室へとその姿を現した。
「うっ…!し…師匠…。」
「な、平気だろ?」
「うっ…!な…なんて酷い魔術…う…うぇ…!」
ヴィルベルトの顔は蒼白となり、込み上げる吐き気を何とか堪えている風であった。
「ヴィルベルト君この魔術は、些か相性が悪いようだね…。」
ウイツは苦笑混じりにそう言ったが、今のヴィルベルトにとってそれはどうでもよく、ただ「うっ…!」と呻きながらひたすら吐き気と格闘していた。
暫くして、ヴィルベルトを見かねたルーファスは、弟子の肩に手を置いて呪文を唱えた。
「苦しめる気よ霧散せよ。」
すると、ヴィルベルトの体から吐き気やだるさが一気に消え去った。
「有り難う御座います、師匠!ですが…」
「回復魔術は禁止されてるってんだろ?こん位どうってこたぁねぇよ。第一、お前がんな状態で移動出来っかよ。」
「それは…そうですけど…。」
ヴィルベルトは不服そうではあったが、師に言い返すことはなかった。ここが敵地の真っ只中と言うことは、ヴィルベルトも重々承知しているからである。
だが、ウイツはそんな二人を見て…と言うより、ルーファスを見て何かあるのではと考えていた。
元来、回復魔術は外傷を治す魔術である。"回復"とは言うものの、病や疲れを取り除くことは出来ない。それが出来るのは神聖術だけなのである。尤も、回復魔術は修復魔術の応用から生まれたものであり、純粋に回復魔術とは呼べないのであるが。
そのような魔術をルーファスはあっさり行使しして見せたのだから、ウイツが疑問に思うのも無理な話ではない。
しかし、ここはそんなことを考えている場合ではないと思い、ウイツは考えたことを胸にしまい込んで二人へと言った。
「ほら、じゃれあってないで先に進むよ。」
「じゃれあってねぇっつぅの。」
「そうですよ!師匠が一方的に僕を揶揄ってるだけなんです。」
「ほぅ…俺が一方的、ねぇ?」
「…いえ、すみません。僕が悪いんです…。」
そう言ってじゃれている二人に苦笑しつつ、「ほら、行くぞ。」と言って先を促したのであった。
三人は注意しつつ教会から外へ出ると、その周囲は想像以上に凄惨なものであった。先の戦を生々しく残すかのように、破壊された街並みからは炎が見えるようで、そこかしこには白骨化した人骨が大量に転がっていたのである。
「中は何てこたぁなかったってのに…。こいつら、教会に逃げ込もうとした奴らか?」
ルーファスは眉間に皺を寄せ、周囲を見つつそう言った。ウイツもヴィルベルトもあまりの惨状に言葉を失っていたが、ルーファスが教会前の広場へと向かったため、二人も黙ってそれに続いた。
三人は人骨を注意深く避けながら進んだが、それは広場も同じであった。見れば、それは皆一様に教会へと頭を向けており、三人は不可思議にそれを見ていた。
話に聞いた限り、この街には“生きた屍"が徘徊している筈であったが、ルーファスらの足下には“骨"が転がっているのだ。
「ウイツ。こいつらもしかして…操られてた奴らなんじゃねぇのか?よく見りゃ、こいつら倒れたってより置かれたって感じだしよ。」
「そう…だな…。ほぼ全てが仰向けらしいし、意図的に遺体を置いたと考えれば辻褄は合う。しかし…なぜ?」
ウイツはしゃがみこんで骨を見た。一見、無造作に置かれているように見えるが、それらは一体として重なることはなく、全てが教会へ頭を向けて置かれている。それは悪意より、むしろ深い信仰心の成せる業であった。
「だが、もしそうだとして誰がここへ?魔術師がやったと言う記録はないし、こうなっているといった記録もない。それに、いかな魔術師や神聖術者でも、この邪気の中でこの作業を完成させるには無理がある。操っているシェオールを無視して出来ようもないはずたが…。」
ウイツは骨を詳しく調べながら一人自問自答をしていたが、近くにいたヴィルベルトがその自問自答に答えたのであった。
「もしかしたら…あのシェオールって妖魔がやったんじゃないでしょうか?」
ウイツは目を丸くしてヴィルベルトを見ると、彼は大真面目でウイツを見ていた。それに対し、ウイツが返す前にルーファスが口を開いた。
「ヴィー、そいつは行き過ぎた推測じゃねぇか?人間を生きた屍に変えて操る妖魔が、一体何だってこんな手間掛かることすんだ?」
そのルーファスの言葉にウイツが繋げた。
「そうだね。妖魔に信仰心でもあれば別として、そんな人間らしい心…」
ウイツはそこまで言うと、ハッとしてルーファスに向き直って言った。
「ルー…まさか…」
「ああ、そうかもな…。」
二人はそう言ったかと思うと、二人共顎に手をつけて考え込んでしまった。そのため、ヴィルベルトは「どうされたんですか?」とどちらともなく問うと、暫くしてルーファスがそれに答えた。
「シェオールも…単体の人間が媒体になってるんじゃねぇのかってな。あのミストデモン同様にな。」
その答えに、ヴィルベルトは困惑した。
先に述べられている通り、妖魔シェオールは自ら放出される邪気によって人を生きた屍へと変貌させ、そしてそれらを使役する。もし仮に、シェオールに人の心が残っていれば、生きた屍を無造作に使役するなど出来るであろうか?
ヴィルベルトがそのように考えていると、ルーファスはそれを見透かして言った。
「シェオールは自らの邪気を止められねぇんだろ?感情が残ってたら、相当な痛みだったんじゃねぇか?」
「それは…自分の意思でやってたんじゃないってことですか?」
ヴィルベルトが再びそう問い掛けると、それにウイツが言った。
「一説によれば、シェオールが誕生した際に何人もの魔術師が犠牲になったそうだ。何を媒体にしたかは伝えられてないがね。」
「それじゃ、何人もの人が一つになったってことですか?」
「伝えられている資料からそう考えられてはいるけど…実際のところ、真実は闇の中ってことだね。」
ウイツは一旦言葉を切り、そして立ち上がって後を続けた。
「ミルダーンの南、丁度ツィヴリング山脈の麓で実験が行われたと言う記録も残ってはいるんだ。だとしたら、シェオールはあの険しいツィヴリング山脈を越えてまでリュヴェシュタンに入ったことになる。山脈を回避して街道沿いを来れば、より多くの使役出来る屍を得られるのにね…謎だよ。尤も、この亡骸も謎だけどね。」
ウイツはそこまで言い切るや、大きな溜め息を吐いて周囲を見回した。すると、先程まで近くにいたルーファスが、少し離れた公園の中央にある噴水を調べているのが見えた。
ウイツがそれとなく見ていると、ルーファスは何か気になるものがあったらしく、乾上がったその中へと足を踏入れ、噴水中央に鎮座していた天使像に手を掛けた。
ヴィルベルトもウイツと共にそれを見ていたが、師が天使像を前に倒した瞬間、そこから二十歩ほど離れた場所で地面が沈下したのであった。最初から分かっていたかのように、その一角だけは亡骸は置かれていなかった。
三人は沈下して空いた穴へと来てみると、そこには地下へと続く階段が備えられていたのであった。
「師匠、これは…。」
ヴィルベルトは地下へ続く闇を覗き込み、不安げに師へと言った。だが、ルーファスはそれに答えることなく魔術で光源を作り出し、闇を裂いて地下へと足を踏入れた。
ヴィルベルトはそんな師の後ろに付いて階段を下り始めると、それに続いてウイツも光を作り出してその後に続いたのであった。
さして下らぬうち、ウイツが何かを思い出したかのように二人へと言った。
「この街、以前は要塞都市だったと聞いたことがある。恐らくだが、これは当時の非難場所の一つだったんだろう。今は無いが、昔は街の周囲に防壁があり、かなり強固な作りだったという。万が一その防壁が破られた際、隠れる場所としてこれを作ったんじゃないかな。」
その話を聞き、先頭を歩いていたルーファスが返した。
「だが、ウイツ。なぜそこまでする必要があったんだ?昔あった城は城塞で、そこで立て籠ったとしても充分だった筈だぞ?」
「いや、城は貴族しか入れなかった。これは多分、教会が作ったんだと思う。だからこんな場所にあるんじゃないかな。」
そこまで言うと、二人は一旦会話を切った。
正直に言えば、二人共これの答えを出すだけの情報を持ち合わせていないのである。故に、二人はこの謎について思考を巡らせてみたが、結局結論は出せなかったのであった。
そんな二人を見て、ヴィルベルトは躊躇いがちに言った。
「考えていても仕方ありませんし、とにかく下りきったら何か分かるかも知れないじゃないですか。」
すると、ルーファスは歩きつつヴィルベルトへと返した。
「ま、そうだな。三百年も前のことを考えても仕方ねぇしな。」
「え?これ、三百年も前のもの何ですか?」
「恐らくは…だがな。城はもう無ぇが、街並みは大して変わってねぇはずだ。以前、三百年近く前に作られたこの街の地図と五十年前の地図を見比べる機会があってな。教会の場所は変わっちゃいねぇから、多分こいつがあるから動かせなかったんじゃねぇのか?そう考えれば三百年前、少なくとも二百五十年程前の戦乱期には作られたと考えられっからな。」
ルーファスがそう話終えた時、三人は階段を下り終えて大きな空間へと出たのであった。
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