魔術師ルー&ヴィー
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第一章
XV
その後、力を失ったファルケルの周囲に賛同者が従うことはなかった。ファルケルの力が消えたと知るや、蜘蛛の子を散らす様に散り散りに逃げて行き、残った者は一人としてなかった。
要は、ファルケルの神聖術の力を信じていただけであり、ファルケル自身を信じてついてきた訳ではなかったのである。その為、その場にあった金銀や宝石などは全て持って行かれ、ファルケルには何も残されなかったのであった。
「何故…我がこの様な仕打ちを受けねばならぬのだ…。」
「馬鹿垂れが!お前がやっとったんは、千人を殺すことじゃ!」
ファルケルの言葉に、母がそう怒鳴り返した。だがそれに、ファルケルは顔を上げて言った。
「そうではない!我は貴族の横暴を正そうと…」
「出来っこ無ぇっつうの。」
ファルケルの言い訳を最後まで言わせることなく、ルーファスがそう口を挟んだ。
ファルケル親子は驚いた風にルーファスを見たが、どうやら近くまで来ていたことに気付かなかったようである。
そんな二人に溜め息を吐き、ルーファスは続けざまにファルケルへと言った。
「あのなぁ、ファルケル。貴族ってぇのは、単に偉ぶってるだけじゃ務まんねぇ。任された領地と民を守り抜くことこそが貴族の最大の仕事だっつぅの。その貴族を片っ端から倒したとなりゃ内乱が起こって、どっかん国の貴族どもに簡単に土地を奪われちまう。お前、その土地を奪ったどっかん国の貴族も倒すことが出来んのか?」
そうルーファスに問われたファルケルは、何か言おうとしたが、結局は何も言えずに項垂れたのであった。
そんなファルケルを横で見ていた母は、ファルケルの肩にそっと手を乗せて「帰るぞ。」と言ったのであった。
その時、離れた場所に停めてあった馬車がこちらへと緩やかに向かってきたのであった。ファルケル親子を乗せようと向かって来てるのだろうが、近くまで来た時、その馭者台にいた人物にルーファスらはギョッとしたのであった。馬車を操っていたのは…ファルの街であった魔術師ダヴィッドだったのである。
「済まんかったのぅ。まさか…こんなことになってるとは知らんで連れて来てもらって…。」
馬車がルーファスらの前に停まった時、ファルケルの母がそうダヴィッドへと言った。
「いや、良いんですよ。マルティナも心配だったようだし、息子さんに会えて本当に良かったですね。」
話の内容から察するに、ダヴィッドはルーファスらがファルケルの母と話しているのを聞いていた様であった。恐らくはマルティナも聞いていただろうと思われ、ダヴィッドがファルケルの母を連れてきたのはマルティナに頼まれてのことだろうとは窺える。
「ダヴィッド…お前、一体どこ居たんだ?」
ルーファスは半眼でダヴィッドへと問った。すると彼は苦笑混じりに「馬車の中に…。」と返してきたため、ルーファスだけでなく、ウイツやヴィルベルト、はては女公爵でさえ顔を引き攣らせた。
ダヴィッドは一応魔術師の端くれであり、この様な時こそ力を発揮してもらいたいものである。
「ダヴィッドさん…マルティナさんに言っちゃいますよ?」
「それだけはは勘弁して下さいよ!」
ヴィルベルトの言葉に、ダヴィッドが素っ頓狂な声で返したため、その情けない声に皆は思わず吹き出してしまったのであった。それはルーファスやヴィルベルト、ウイツに女公爵だけでなく、ギルベルト兄弟やファルケル親子までもが思わず笑ってしまう程であった。
つい先程まで敵として相対していたにも関わらず、何故か笑い合っているこの状況を自然だと感じたルーファスは、ふとファルケルへと視線を変えて言った。
「なぁ、ファルケル。お前はさ、ただ寂しかっただけだと俺は思う。だが、罪は償わねぇとなんねぇかんな。そいつばかりは俺にゃどうにもなんねぇからよ…。」
「解っている。死罪も覚悟している。」
ファルケルがそう返した時、彼の母は女公爵の元へ歩み出て平伏して嘆願の声を上げた。
「公爵様、息子をこの老いぼれから奪わんで下され!生きてさえいれば罪を償い続けられましょうが、死してはそれすらも叶いませぬ!亡くなってしもうた者達にはとても顔向けなど出来ませぬが、どうか生かして償わせてやって下され!死罪にせねばならぬなら、この婆の命を差し出しますで、どうか寛大な裁きを!」
必死に嘆願する母を見、ファルケルの顔は悲痛に歪んだ。そうして彼も女公爵の元へ歩み出で、地へ額をつける母の肩を静かに抱いて女公爵へと言った。
「母には何一つ罪は有りませぬ。我は御身の命を狙い、罪無き人々の命を奪い取った身。罰を受けるは我であって、他の者には何一つ罪は無いのです。バーネヴィッツ公、我は貴女の言葉に従います。」
ファルケルはそう言うや、母の隣で地へと額をつけたのであった。
そこで平伏しているファルケルは、先程まで言い訳を並べ立てていた男とは違っていた。
命を差し出そうとしている母に、ファルケルはその愛の深さを目の当たりにしたのだ。母の慈愛が彼の頑なな魂を溶かし、目を覚まさせたのである。
だが、そんな二人を前に女公爵は難しい顔をした。
先ず、ファルケルは村一つ焼き払い、多くの村人を殺した。女公爵も従者の一人を殺されてもいるのである。たとえ妖魔が単独で行ったとはいえ、指示を出したのはファルケルで間違いはない。
その上、兵を集めて国に弓を引いたのだから、妖魔の甘言に唆された…などとは言い訳にすらならないのである。その様な人物故、貴族院で裁判にかければ死罪は免れない。
しかし、死罪にしたところで罪は贖い切ることなど出来ぬことも事実であり、かといってここで独断で決めては後々貴族院との間に禍根を残すことになりかねない。
女公爵は暫く考えた末、一つの解決法を導き出した。
「アーネスト!」
女公爵は少し離れた所へウイツといたアーネストを呼んだ。呼ばれたアーネストは心配そうな弟と共に女公爵の元へ歩み行くと、そこで片膝をついて言った。
「バーネヴィッツ公様、我が身の処罰は如何様にも。覚悟は出来ています故に。」
それを聞いた後、女公爵は隣のサリエスを見た。彼は蒼冷めながら、女公爵へと懇願の目を向けている。
女公爵はそんな兄弟に言った。
「アーネスト・フォン・ギルベルト。汝の下でこいつを執事として働かせろ。」
その言葉に、皆は一瞬何を言っているのか理解に苦しんだ。貴族を討とうとしていた罪人に、貴族の館…それも執事という役職まで与えて働かせろと言ったのである。理解に苦しむもなにも、これは前代未聞であり、処罰に該当するとは到底考えられないのである。
その女公爵の言葉に、恐々とヴィルベルトが口を開いた。
「公爵様…その様に罪人を裁いては、公爵様が貴族院に…」
「分かっておるわ。だが、アーネスト自身にも少なからず罪があるからな。それを帳消しにし、尚且つファルケルに生かしたまま罪を贖わせるには、こうするしかあるまい?そうしなければギルベルト家は破綻し、ファルケルは確実に死罪となるからな。貴族院は私が言いくるめておく故、こちらを案ずる必要はない。」
女公爵はそう言って不敵な笑みを見せた。そうして今度はルーファスらへと言った。
「お前達はミストデモンを追え。私はこれ以上執務を滞らせる訳には行かんからな。そこに居るはダヴィッドと言ったか?」
ルーファスらの後に視線をやり、不意に女公爵はダヴィッドへと声を掛けた。そのため、ダヴィッドは慌てて礼を取って言った。
「はい、公爵様。」
「済まぬが、ギルベルトの兄弟も一緒に乗せてやってくれ。そのままギルベルト家まで送ってくれると助かるのだが。」
「御安いご用と言うものです。お任せ下さい。」
ダヴィッドはそう返すや立ち上がって礼を取り、ファルケル母子とギルベルト兄弟を馬車へと連れて行った。そこにウイツも赴いたが、どうやらアーネストの容体が気になるようで馬車に軽減の魔術を施したのであった。
皆は馬車の前で女公爵へと深々と頭を下げ、そして馬車へと乗り込んだのであった。
ダヴィッドらが発ったのを見届けると、女公爵が腕組みをして考え込んだ。何やら引っ掛かることがあるらしく、暫く唸っていた。
「叔母上…?」
ルーファスは心配そうに女公爵へとそう言った時、彼女はポンと手を打って言った。
「あのダヴィッドという青年、ヴァートコルン家の長男ではないか!どうりで見たことがある顔だと思ったのだ。」
それを聞き、ルーファスとヴィルベルトは目を丸くして女公爵を見た。
「ヴァートコルン家って…東南の一角を統轄している侯爵家ですよね?」
ヴィルベルトは師にこっそりと問った。すると、ルーファスは直ぐにそれに答えた。
「そうだ。だが、うちとあの侯爵家とは関係が無ぇから、俺は長男の顔を見たこと無ぇかんなぁ。」
ルーファスがそうヴィルベルトに答えている時、女公爵は思い出す様に誰にともなしに言った。
「長男は長らく病で臥せっておると言っておったが…ロベルトの奴め、長男が家出しておることを隠しておったな…。」
そう言って再び腕を組み直し、深い溜め息を洩らしたのであった。
そこへウイツが帰って来て女公爵へと言った。
「無事出発致しました。一応馬車に軽減の魔術を施し、ダヴィッドには旅費と薬代とを渡しましたので問題は無いかと。」
そう報告しているウイツを女公爵だけでなく、ルーファスとヴィルベルトの二人もまじまじと見ている。それに気付き、ウイツは少しばかり顔を引き攣らせながら女公爵へと問い掛けた。
「…どうかされたんでしょうか…?」
その問いに、ルーファスが横から答えた。
「いや、ダヴィッドなんだがな…実は、ヴァートコルン侯爵家の長男だったってぇ話をしてたんだ。」
それを聞き、ウイツは暫く固まっていた。そうして後、「はっ!?」と間の抜けた返事をしたのであった。
「ルー…ヴァートコルン家って、あの上級貴族だろ?まぁ、お前のとこは別格だが、それにしたって…そんな家の長男がこんなとこへ居るなんて有り得ない筈だ…。」
ウイツがそう言うも、皆は一様に苦笑いする他なかった。ここで「何故?」と問われても、それに答えられる者は一人もいないのだから。
「ま、なんだ…。あいつが何で家を出たかは知らねぇが、今はマルティナんとこに居てぇから居るんだろ?別に良いじゃねぇか。」
ルーファスはそう言ったが、それに対して女公爵は難しい顔をして返した。
「家を出ても長男ということは変わらん。どのみち、このままという訳には行かんのだが…。」
「分かってるよ、叔母上。爵位後継を弟にするには、正式に王の許可が必要ってことはな。この件が片付いたら、俺もダヴィッドんとこに行くからよ。」
「師匠、面白がってないですか…?」
ルーファスをヴィルベルトが不信の目で見ている。こういうことに面白がって首を突っ込む師の性格を、ヴィルベルトは嫌と言うほど思い知らされているからである。それは女公爵やウイツも同様であり、二人共やれやれと言った風な表情を見せていた。
そんな三人に、ルーファスはニッと笑みを溢して言ったのだった。
「大丈夫だって。」
何の根拠があっての返事なのか問いたいヴィルベルトであったが、こうなった師を止められはしないと諦め、彼は話題を変えて言った。
「それより師匠、あの妖魔はどうするんですか?どこに行ったかなんて分からないじゃないですか。」
「いや、ルーだったから追える。な?」
ヴィルベルトの問いにウイツがそう言ってルーファスに繋ぐと、ルーファスは先程とは打って変わって真面目な表情で答えた。
「ああ。だが、探査魔術を行使しなくても行き先に心当たりがある。」
「どこだ?」
ルーファスの言葉に、女公爵は眉を潜めて問った。すると、ルーファスは直ぐに答えを返した。
「レヅィーヒの街だ。」
その答えに、女公爵は驚愕の表情を見せて声を荒げた。
「ならん!あの街は先の戦の折りに廃墟となり果て、未だ妖魔の邪気に汚染されている。お前たちだけで行くと言うなら、私は止めねばならん!」
「叔母上。悪いんだが、その聖ニコラスのサファイアを貸してほしい。」
女公爵の言葉に返すことなく、ルーファスは彼女にそう言った。それは止めても無駄だという意思表示であり、ここで議論する気は無いということである。
しかし、女公爵が所持している聖ニコラスのサファイアとルーファスが父の侯爵より借り受けたラファエルの涙があれば、街一つの邪気などどうとでもなる筈であった。故に、女公爵は説得を諦め、着けていた腕輪を外してルーファスへと手渡したのである。
「良いか?くれぐれも無理はするな。お前に万が一のことがあれば、私はフェリックスになにをされるか分からんからな。」
「分かってる。必ず戻ってくるから、父にはその様に伝えてほしい。」
「分かった。しかし、お前もフェリックス同様、頑固だな。」
女公爵が諦めた様に溜め息混じりにそう言うと、ルーファスは苦笑しつつそれに返した。
「誉め言葉として受け取っとく。」
そうしてルーファスは受け取った腕輪を身に付け、後ろで待機しているヴィルベルトとウイツに「さ、行くぞ。」と言った。
「はい、師匠。」
「さっさと片付けて戻らんとな。」
ヴィルベルトとウイツはそう言うや、女公爵へと礼を取ってルーファスの後に続いたのであった。
日は傾き、直ぐそこに夜の闇が迫っていた。女公爵は三人の後ろ姿を見ながら「必ず戻るのだぞ。」と、一人呟いた。それは願いであり、また祈りのようであり、誰にも届かぬその言葉は、夕の朱にそよぐ風に霧散した。
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