大淀パソコンスクール
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ムカつくけど、安心する
夜~明け方
トントンというリズミカルな包丁の音が聞こえてきた。
「……ん」
普段はこの部屋にまったく鳴らないはずの音だ。うっすらと瞼が開く。台所の方が明るい。川内がいつの間にか帰ってきたらしい。川内の後ろ姿が見えた。いっちょ前に赤いバンダナを頭に巻いて黄色いエプロンつけて……鼻歌交じりに何かを作っているようだ。
「う……」
「♪〜♪〜……」
コトコトという、鍋を火にかけている音も聞こえた。ダシのいい香りが台所から漂っているのを感じる。今までこの部屋では、漂ったことのないタイプの香りだ。
包丁の音もコトコトという音も、今の俺の耳にはけっこう大きい音に聞こえた。にもかかわらず、そのどれもが、聞いていて、とても心地いい音だった。そして。
「♪〜♪〜……」
あのアホのものとは思えない、とても静かで、でも楽しい、心地いい鼻歌も。
「……」
心地いい音と、新鮮な香りに包まれて、俺の身体は、瞼を再び閉じていった。
………………
…………
……
「♪〜♪〜……」
……
…………
………………
寝ている俺の脇の下に妙な感覚が走った。何か冷たいものを挟まれたような……。
「ん……」
脇の下とパジャマの中の違和感に気付いて目が覚めた。相変わらず重い瞼をなんとか開く。
「あ……起こしちゃった?」
川内が、俺のパジャマの中に手を突っ込んでいた。このアホ……何やってるんだ……理由を推理したいが、頭にモヤがかかったようにハッキリしない。考えがまとまらない。
「なに……やってんだよ……」
「体温計」
「パジャマの中に手をつっこむんじゃないっ……」
「こんな時に何いってんの……」
色々と不味い……でも、俺の必死の口頭注意をまったく気にすることなく、川内は俺のパジャマの中に右手を突っ込んで、冷たい体温計を脇に挟んでいる。
数分の挌闘の後、俺の脇に体温計をはさみ終わった川内は、俺のパジャマから右手を出し、そのまま俺の頭を撫でた。
「はーい。じゃあそのままちょっと待っててねー」
「アホ……」
それにしてもうち、体温計なんてあったっけ……? それに、さっきまであんなに寒かったのに、今はそうでもないような……?
「この体温計……どうした?」
「ここ来る時に、パソコンと一緒にうちから持ってきた。なかったらマズいと思って」
その言葉通り、ベッドの隣りに置いてある折りたたみテーブルの上には、見慣れないノートパソコンが置いてあった。俺のものでもないし学習用ノートパソコンとも違うから、きっと川内が家から持ってきたものなんだろう。天板に大きく『夜戦主義』と書かれたステッカーが貼ってある辺り、こいつらしいパソコンだ。さっきは全く気が付かなかった……。
「パソコンの勉強しながらせんせーのこと看てるから。せんせーは気にせず休んでて」
本当は『帰れ』って言わなきゃいけないんだろうけど……どうしてもその一言が出なかった。
「……わかった」
「素直でよろしい」
「わかんないとこあったら……いいから……聞け」
「うん。そうする」
そうして、ちょっと変則的な、二人だけの授業が始まった。
授業といっても静かなものだ。部屋の中で聞こえるのは、時計の音と、川内が叩くキーボードの静かなパチパチという音。そして。
「んー……」
「……」
「……あ、そっか。こうすれば……」
いつもに比べて控えめで静かな……そして、聞いてるだけで耳に心地いい、川内の独り言だけだ。
……ピッピッという電子音が、俺のパジャマの中から聞こえた。体温計が、俺の体温を測り終えたらしい。
「……あ、体温計鳴ったね」
そして川内は、こんな風に時々、俺の様子を見てくれる。
「ちょっとごめんねー……」
「やめいっ……自分で取るわっ」
「こういう時は素直に甘えるもんだよ」
俺も精一杯抵抗するんだが……このアホは気にせず俺のパジャマの中に手を突っ込んできやがる……マズいんだって色々と……。
「う……」
言われるままにパジャマの中を弄られる俺。時折、川内がぺたぺたと俺の肌を触るのが、非常によろしくない……。そんな俺の葛藤を素知らぬ顔で受け流し、脇から体温計を抜き去った川内は、それを眺めて難しい顔を浮かべていた。
「んー……高いねー……」
「マジか……」
「汗もまだかいてないし、まだ上がるのかなー……あ、ところでせんせー」
「……ん?」
「喉は乾いてない? ポカリあるよ?」
「今は大丈夫だ」
「おなかはすいてない? 朝から全然食べてないでしょ?」
「……少し、すいたかもしれん」
夢うつつでぼんやり中、こいつが台所で包丁を握っていたことを思い出した。なんだか楽しそうにまな板をトントンと鳴らしていたような……。
「鍋焼きうどん準備しといたよ。食欲あるなら食べる?」
「おう……」
「んじゃちょっと待ってて。準備してくるから」
体温計をふりふりした川内は、そう言って台所へと消えていった。ガスレンジに火を入れる音が鳴り、つづいて室内に、だしのいい香りが漂ってくる。
上体を起こし、川内が鍋焼きうどんを持ってくるのを待つ。さっきから寒くないと思ったら……足元の布団の上に、俺の藍色の半纏がかぶせてあった。半纏を布団にかぶせるだけで、こんなに違うのか……半纏を取って羽織る。やっぱり半纏をとってしまうと、足元が少し冷たいような気がした。
「はーいおまたせー」
ほどなくして川内が、お盆の上に小ぶりの土鍋を乗せて戻ってきた。この土鍋は、俺がここに引っ越してきた時に『冬場に鍋したい時用に欲しい』と思って買っておいた、一人用の土鍋だ。仕事がアホみたいに忙しくて、ずっと使ってなかったやつだったが、今日やっと日の目を見たようだ。よかったな、土鍋。
川内にお盆ごと渡された土鍋。きちんと蓋がされている。布巾が乗せられた蓋を開けてみると、だしのいい香りがもわっと広がった。
「んー……いい香り」
「へへ」
土鍋の湯気をかきわけかきわけ、中を見た。美味しそうな黄金色の出汁の中に漂ううどんと具材たち。具はかまぼことほうれん草とネギと油揚げ。そして半熟卵。鶏肉と海老天は乗ってない。
「……海老天は?」
「せんせー熱出てるからさ。海老天と鶏肉はやめといた。食べたかった?」
「うんにゃ。多分乗ってても食べられなかった。助かった」
「そっか。よかった」
「ありがと川内」
「いいえー」
うん。もし乗っかってたら、全部食べられないという失礼極まりない事態になっていたかもしれないからな。そこまで食欲が回復しているわけでもないから、正直これは助かった。
お盆に乗ってるれんげで出汁をすくい、一口すすってみた。
「あぢっ!?」
「熱いから気をつけて……って、遅かったか……」
「俺、猫舌なんだよー。もっと早く言えよー」
「熱いからフーフーしてほしいの?」
「アホ」
クッソ……なんでこいつは今日、こんなに活き活きしてるんだ。元気いっぱいなのはいもと変わらないが、今日は輪をかけて目がランランと輝いてる気がする。
舌をやけどしないよう、丹念にふーふーして、もう一度出汁を味わった。カツオと昆布の熱々のおいしさが、俺の胸から腹にかけて、じんわりと広がっていった。
「……おいしい」
「そ? 市販の出汁使ったんだけどね。美味しいならよかったよ」
「おう」
れんげの上にうどんを乗せ、同じくやけどしないよう、気をつけてすすった。うどんは冷凍の讃岐うどんをを使っているようで、コシが強い。ほうれん草はシャキシャキしてて美味しいし、玉子の加減も半熟でちょうどいい。
「お前、料理うまいな」
「そかな? いうほど大したことしてないよ?」
「料理上手なヤツって、大体そういうことを言うよな」
「そお?」
「うん」
油揚げも、最初はちょっと『え?』と思ったが、実際に食べてみると結構うまい。うどんの出汁をめいっぱい吸って、噛むと口の中でジュワっと出汁が出てくる。出汁と変わらない味のはずなのに、油揚げから出てくる出汁は妙にコクがあるというか何というか……とにかく美味かった。
ペースこそ決して早くはないが、俺は川内作の絶品鍋焼きうどんを夢中で食べた。『腹がへった』と言ったものの、食べてる途中に食欲が失せたらどうしようと少し心配だったのだが……それは、俺の大いなる取り越し苦労だったようだ。こいつの鍋焼きうどんは、体調を崩してるはずの俺を夢中にさせるほど、美味かった。
そして、俺のそんな様子を、川内はキーボードを叩きながら眺めていた。
最後のうどんをすすり終わり、寂しい思いをしたまま、残り少ない出汁をれんげですくう。二回ほどすすったところで、俺の腹のキャパシティも限界を迎えたようだ。
「ふぃ〜……ごちそうさまでした〜……」
「はい。お粗末さまでした。美味しかった?」
癪だが……こいつにこんなことを言うのは悔しいが……。
「……うまかった」
その言葉しか出なかった。そうとしか言えなかった。それだけ、こいつの鍋焼きうどんは絶品だった。
「よかった。んじゃ片付けるね。せんせーは身体が温まってる内に布団に入るんだよ?」
「ん……」
俺の賛辞を受け取った川内は、以外にもニコッと笑っただけで、思ったより素っ気ない返事だなぁと違和感を覚えたが……
「♪〜♪〜……」
川内が台所に鍋を持って行って洗い物をしている時、台所から鼻歌が聞こえてきた。耳に心地よくて、聞いてるこっちの心が、ポカポカとあたたまるような、そんな楽しげな鼻歌。それが、料理や後片付けをしている時の川内の癖なのか、それとも鼻歌が出てくるほど上機嫌なのかどうかは、俺からは分からなかった。
だが、少なくともごきげんななめというわけではないようだ。チラッとだけ見えた横顔は、時々、不意打ちで俺の胸をざわつかせてくるときの、自然な笑顔だった。
川内に釘を刺された通り、俺は身体がぽかぽかしているうちに布団に入った。先ほどと比べると、布団の中がかなり暖かいことに気付く。熱が下がり始めているのかもしれん。
「はーい。ただいま」
さっきの鼻歌を口ずさみながら、柔らかい笑顔で川内が戻ってきた。ベッドのそばまで来て俺を見下ろし、頭を優しくなでてくれる。
「寂しかった?」
「なんでじゃ」
「つれないなぁせんせー」
俺の頭を撫でていた川内の右手が、そのまま慣れた感じで俺の首筋をぺたりと触る。
「ふぁ……」
不意打ちで変な声が出た。まさかわざとじゃないだろうなこいつ……?
「んー……まだ上がるかな」
「分からん……でも、少しあったかくなってきた」
「なら良かったじゃん。もうしばらくしたら下がり始めるかもね」
「……」
俺の首筋から、川内の手が離れた。くそう……もうちょっと触ってて欲しかったなんて思ってないからな。
「ん? もうちょっと触ってて欲しかった?」
「そんな恥ずかしいこと、思ってないっ」
「えー……お昼すぎは『触ってー』て言ってたのに?」
……なんだその話……初耳なんだが。
「なんだそれ? 俺は知らんぞ?」
「えとね。私がおでこ触った時に、カシワギせんせー『きもちい……』て言って」
「全然記憶にないんだけど……」
「んで私が、せんせーのほっぺたをこう……フォッ! って挟んで」
そう言って川内は、何食わぬ顔で、両手で俺のほっぺたを挟む。こいつ……俺が病人だからって、好き放題やりやがって……つーかその話、ホントに覚えてない。ウソじゃないの? 俺を辱めようという、川内の狡いデマなんじゃないの?
「んで、『しばらくこうしてようかー?』て私が聞いたら、せんせー、うれしそうに『うん』って」
「そんな子供みたいなこと、俺が言うわけないだ……」
完全否定しようとして、フと思い出したことがある。そういえば、意識がぼんやりしてたときに、誰かにほっぺたを挟まれて、すごく安心する夢を見たような……?
「あ、あれ……夢じゃなかったのか……ッ!?」
「ほら! せんせーも覚えてた!!」
おいおい……あんな三歳児みたいなこと、夢じゃなくて現実だったんかい……しかも、川内だったんかい……恥ずかしい……とたんに顔に血が集まってくる……
「まぁそんなわけでいまさらなの! いまさら!」
俺のほっぺたから手を離し、腰に手をやって『ハッハッハーッ』と高笑いしながら俺を見下ろす川内に、俺は純粋な殺意を覚えた。
残り少ない体力と気力を振り絞り、自身の黒い波動を抑えこむことに成功した俺。次に俺の胸に去来したのは、羞恥心。
「恥ずかしい……死にたい……くすん」
「んじゃ私はパソコンで勉強してるから。何かあったら呼んでね」
「もう……嫁に行けない……」
「そんときゃ私と夜戦してね!」
こんな時まで夜戦かよっ……ちくしょっ……!!
その後は自己申告通り、川内は折りたたみテーブルでパチパチとパソコンの自習をしつづけていた。俺は俺で再びベッドの上で布団にこもり、自分の熱が下がるのを待つ。
「……ねぇ、せんせー?」
「んー?」
「星の図形の中に文字を入れたいんだけど」
「図形を選択したまま……文字、打ってみろ」
「はーい……ぉお、できた」
図形のことはまだ教えてないのだが……こいつはこいつで、自分で色々とWordを触っているようだ。質問内容に、授業では触れてない細かい部分が増えてきた。
「……あれ? カシワギせんせ?」
「……んー?」
「行と行の間に点線を引きたいんだけど……」
「図形の中に……直線があるから、Shift押し……ながら、引いてみ」
「はーい……ぉお、線が引けた」
「線が引けたら……あとは『書式』タブの……『図形の枠線』てとこから、点線に変え……て、色を黒色にしろ……」
「はーい」
しかし……さっきの鍋焼きうどんが尾を引いているのか……ぽかぽかと心地いい熱さを感じている俺は、次第に瞼が重くなってきた。川内の質問にはできるだけ答えてやりたいのだが、意識が少しずつ限界を迎え始めたようだ。
「カシワギせんせー? よみがなを振りたいんだけど……」
「……『ホーム』……フォントグルー……プ……」
「せんせ?」
「ルビ……」
「眠い?」
川内が俺のそばまで来て、睡魔に囚われた俺の顔を覗き込む。俺の瞼は閉店寸前で、視界ももやがかかりはじめて、ほとんど何も見えない。
「ふぁ……」
ふと。頭を撫でられる感触がした。
「……せんせ。おやすみ」
うるせ……好き勝手に俺の頭をなでてから、背中向けてそっち行くな……。あ……ダメ……おち……
………………
…………
……
……
…………
………………
熱い……まるで、人喰い部族に捕まって、焚き火の上で炙り焼きにされているのではないかと思うほどに、ひたすら熱い。暑いじゃなくて熱い。あまりの熱さに目が覚める。でも、あまりの熱さに意識がハッキリしない。
「ん……う……」
冷たい手がパジャマの中に無造作に入ってきやがった。また川内がパジャマの中に手を突っ込んできやがったのか……人が動けないことをいいことに、人の体を好き勝手いじくりやがってこんちくしょう……俺の脇から何かを取った川内は、それをジッと見た後、俺の顔を覗き込んできやがったようだ。
「汗かいてる……やっと下がりだしたかな……」
とても静かで落ち着いた、川内の心地いい声が耳に届く。立ち上がった川内は一度台所のほうに向かったみたいだ。視界にもやがかかっていてよく見えないからか、川内の足音や声が、妙に胸に響いてくる。それが胸にとても心地いい。トントンという優しい足音が、俺の胸に心地いい刺激を与えてくれる。
冷蔵庫を閉じるバタンという音の後、川内が何かゴソゴソやっている。戻ってきた川内が手に持っているものは……タオルにくるまれた、氷枕のようだった。
「よっ……」
川内が俺の頭を静かに抱え、頭の下に氷枕を置いてくれる。
「……んう」
やっと視界がクリアになってきた。もやが消え、周囲の景色がハッキリと……見えなかった。
「あ……起こしちゃった?」
俺の視界一杯に、川内の綺麗な顔が写っていた。俺の頭の下に氷枕を置くため、川内は前かがみで俺の頭を抱え上げているのだが……おかげで、俺の顔と川内の顔が、酷く近い。
「……いや」
「ごめんね」
それこそ、お互いの息が顔にかかるほどに。
だが、不思議となんとも思わない。むしろ、妙な安心感がある。なんというか、『見守られてる』という感じがする。
氷枕を置いたらしい川内は、静かに俺の頭を下ろしていく。川内の顔が、ゆっくりと遠のいていく。
「ひやってするよー……」
「う……」
川内の言葉通り、俺の首筋に冷たい感触が合った。氷枕の冷たさが心地いい。なんせさっきまで、釜揚げうどんにされてるんじゃないかと思えるほど、身体が熱かったから。
「すまん……ありが……と」
俺の感謝の言葉を無視し、川内は再び俺のおでこに手を置いた。さっきまで氷枕を持っていたせいか、その手がひんやりと気持ちいい。
「んー……下がってきてるから、あとちょっとだね」
「う……」
「せんせー。がんばれー」
「手……」
「んー? 私の手、きもちい?」
「ん……」
「んじゃ、またしばらくこうしてる?」
「……うん」
「はーい」
一回やっちまったんだ……また同じことを頼んじゃってもいい。素直に……。額に触れてくれている川内の手に、この上ない安堵を感じた俺は、この釜揚げうどん地獄の真っ最中にも関わらず、再び瞼を閉じて眠ってしまった。
………………
…………
……
……
…………
………………
……体中がベタベタで気持ち悪い。なんだかネットネトの山芋が身体にまとわりついているような……。
「ん……」
眩しい明かりに瞼越しに目を刺激され、俺は目覚めた。体中がベッタベタで、汗が乾いた後特有の、ベタベタした気持ち悪さが体中を覆っている。
「うー……ベタベタで気持ち悪い……いま、何時だ……?」
カーテンの隙間から、陽の光が差し込んでいるのが見て取れた。あのあと落ちた俺は、そのまま朝まで眠ってしまったようだ。枕元に置いてあったはずのスマホを、手探りで探す。スマホの時計を見ると、朝の7時。なるほど。まさに、紛うことなき清々しい朝だ。これが夏休みなら、『くるっぽーくるっぽー』という鳩共の鳴き声が聞こえてくるほどの、清々しい朝だ。今は冬だから、そんなことはないけれど。
「……くっそ。重い……」
どうも先程から圧迫感がある。布団の上に何か重い物を乗せられているような……なんて疑問を思い、自分がかぶっている布団を見た。
「……」
「……クカー」
妙に布団に圧迫感がある理由が、すぐに理解できた。昨日、あれだけかいがいしく俺の世話をしてくれた川内が、布団の上に突っ伏して、気持ちよさそうに寝息を立てていた。
部屋の中を見回す。川内の『夜戦主義』パソコンの電源が入ったままだ。昨晩は俺の世話をしてる最中に落ちたようだ。ベッドの下に落っこちている川内の右手には、濡れタオルが握られていた。俺の汗を拭おうとしてたのか。
汗臭い布団の中から右手をなんとか出して、自分の顔に触れた。これだけ全身が汗をかいてベッタベタだというのに、顔だけは妙にスッキリしていてベタベタしない。どうやら川内が汗を拭いてくれていたようだ。それだったら全身も拭いてくれよと思ったが、逆に拭かれてたらそれはそれでマズいな。
「お前……よくこの他人の汗くさい布団で寝てられるな」
「スー……スー……」
川内の寝息が聞こえる。思いっきり熟睡しているようだ。
フラフラと右手を川内の頭に持って行き、そのまま頭を撫でた。昨日はさんざん撫でられたんだ。たまにはお前も撫でられろ。この俺の汗臭い左手でな。
「ありがとな。川内」
「スー……スー……」
「勉強、最後まで付き合えなくてゴメンな。次の授業の時は、ちゃんと付き合ってやるから」
「……」
自分の体調の変化に気付く。昨日はあれだけ気持ち悪くて寒くて辛かったのに、今日はそうでもない。頭のグラグラもなくなり、気分も多少上向きになっている。昨日一晩で、なんとか調子が上向きになったようだ。このムカつく夜戦バカの看病と、あの鍋焼きうどんのおかげかもしれん。
俺は再び布団に転がり、汗の気持ち悪い感触を我慢しつつ、目を閉じて眠りについた。このアホが、今はゆっくり眠れるように。
「……あ」
「スー……スー……」
「ハラ減った……まぁいいか」
川内が起きたら、何か食べようか……そう考えただけで、なぜだか少し、心が温まった気がした。
「せん……せ……」
「? ……寝言か」
「夜戦で……はり……倒す……クカー……」
「何いってんだか……」
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