ソードアート・オンライン‐黒の幻影‐
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第2章 憎愛のオペレッタ 2024/08
エピローグⅠ:戦後密談
ちょうど真昼の時分に差し掛かる。
攻略最前線でのプレイヤーの往来が最も乏しくなる時間を見計らうような招聘には嫌気が差すものの、指示の通り場末の食堂の門をくぐる。いつかどこかで見たような年季の入った木組みの店内を進み、唯一の客が腰掛ける席に寄ると、そこにはホワイトブロンドの髪をまとめた男が、魔術師もかくやと言わんばかりのローブ姿で佇んでいた。
「ご足労をかけて済まない」
「そちらから出向かれても困るからな」
「………まあ、立ち話で済むものでもない。腰を下ろしてくれたまえ」
顔を合わせて早々、およそ飲食の待ち合わせに相応しくない剣呑な空気が立ち込める。
この邂逅は本来浮世染みたお茶会のようなものではない。もっと薄暗い密談に他ならないのだから。
「では、報告を聞こう」
単刀直入に、ローブ姿の男――――アインクラッド最強の剣士たるプレイヤー、《ヒースクリフ》は質問を切り出す。漠然とした内容は、彼我の間に話題となる事象がそれ以外に存在しないことも、その内容もまた明言すべきでないものであることを暗に示している。
しかしながら、俺からできる報告など知れている。
成功か、失敗か。この二択の結果以外は些末な情報として処理されるだろうし、その結果如何では俺の攻略組としての取り計らいも変わってくる。どちらに転んでも悲惨な末路である事に変わりはないだろうが。NPCの店主が無造作に置いたグラスから水を飲み、一息吐いてから言葉を返すことにした。
「結果は失敗。無様に両腕を斬り落とされて、おまけにおめおめと落ち延びて今に至る。これで全部だ」
ただ、据えかねる感情が先行した所為で《お行儀の良いお返事》だけは出来なかった。それでも必要な情報は伝えた。一応は義務を果たしていると見て良いだろう。
それを聞き、ヒースクリフは眉根一つ動かすことさえしない。沈着に発言を聞き取り、言い終えた言葉尻で頷いて返すほどだった。
「………なるほど、交戦はあったのか」
「ああ、どうせなら刺し違えてでも仕留めた方が良かっただろうが、悪いな」
「君の生還は喜ばしい事実だろう。あまり自分を安く見積もるものではないよ」
全く顔色の変わらない能面然とした、それでいて精緻な顔立ちは笑って返す。
どこまでも腹の底を見せない相手だが、この遣り取りに幾重もの意味合いが潜んでいることを察するのは難くない。というより、この依頼においては圧倒的に公平性が欠如していた。どう転んでもヒースクリフの思惑に沿う。どう進んでも俺は攻略組として破滅する。それを承知して請け負った身としては彼を糾弾する資格もないし、その《プレイヤー共通の仇敵を可能な限り安全に排する》という思惑は捨て駒の立場にあった俺でも否定し得ないものだと理解しているつもりだ。
それを踏まえれば、俺はPoHを乱戦地帯に踏み込ませなかったという意味で作戦遂行に翳りを差す危険性を封じていたということになる。それ以上の結果を望まない現状のヒースクリフの態度からして、俺の立場を危ぶませるような真似も、肩入れするような事もしないだろう。しかし、それならばこうして接触を図る理由もただの結果報告だけであるとは思えなくなる。
作戦時、PoHが現れなかったという事実を把握するだけならば他の団員から陳述を取ればいい。死亡を確認するならば生命の碑を目視すればいい。俺を呼び出して接触すること自体が、この秘密裏に為された依頼における情報が流出するリスクを高める要因となることは明らかなものだろうに。
融けて滑ったグラスの氷が涼やかな音を立てる。思い浮かんだ疑念を口に出そうとするより先に、ヒースクリフの視線があって言葉を発するタイミングが遅れる。その間隙を突くように会話を切り出される。
「それにそろそろ気に掛かってきた頃だろう。君が召集された理由について」
頃合いを見計らったかのように、俺の疑問は言い当てられた。
同時に、一つ判然とした。眼前に佇む合理性の塊のような男が何の意図もなく無用なリスクを負う筈がない。或いは、既に彼の中ではこの依頼は完結した事象なのかも知れない。だからこそ、俺を呼び出す口実としての効力のみを見出して利用したのだろうか。別段、身に危険が迫るようなものではないだろうが。
そんな考察も意に介さず、ヒースクリフはメインメニューを操作する。幾つかのタップを経て俺の前にウインドウが表示され、そこにはギルド加入について問うシステムアナウンスと、可否の意思表示を申告する《YES》と《NO》のボタン。予想だにしないヒースクリフの真意に思わず言葉を飲むと、テーブルの向こう側から再び声が向けられる。
「君の働きへの報酬、というには不躾だったか。だが、偽らざる評価だと認識して貰いたい」
「捨て駒が惜しくなったのか? それに、俺を加入させれば他のギルドは良い顔をしないだろう」
それに、俺をギルドに抱え込むには不都合も多い筈だ。
聖竜連合とは仲も悪いし、攻略組全体からの印章も芳しくない。おまけに俺は隠しコンテンツの情報を探る仕入業者のような立ち位置もあってお情けで攻略組の末席に収まることを許された爪弾き者である。俺自身の印象や情報開示の公平性という観点を指摘されれば、俺を引き入れたギルドに向けられる批難は多大なものになるだろう。
「捨て駒と評した覚えはないよ。だが、優秀な人材を見逃すわけにもいかないというのも本心でね。とはいえ、これは君にもメリットのある提案だと思っている。Mobの行動に確認されるイレギュラー性が増している現状を鑑みれば、ソロプレイや少数人員での戦闘は難易度的に限界が迫ってくる頃合いだ。それに君の、隠しコンテンツに対する情報収集能力は目を見張るものがある。それだけの逸材ならば、多少の周囲との不和は必要経費と割り切れる。これは私からの申し出たものだ。君から望むものがあるならば、私の裁量の許す範囲であれば応じれるように善処しよう。一考の価値はあるのではないか?」
恐らくこれは、願ってもない機会なのだろう。
最強の攻略ギルドに鳴り物入りで加入するなど俺には望むべくもない好待遇だ。
だが、その返答に思考を巡らせる理由もない。
首を横へ振り、《NO》のボタンを押下して意思を示すと、ヒースクリフは驚く素振りも見せず、結果を静かに受け止める。どう答えても、表情は変わらないように思えるが。
「参考までに、拒否の理由を聞かせて貰えるかな」
「俺が今までこうしてソロでいたのはただの意地だ。それ以上でも、それ以下でもない」
「ヒヨリ君を独力で守ろうとするのが君の意地だとしたら、難儀だな。我々を利用することも出来るのではないか?」
「その言葉は、心底嬉しいよ。………だがな、俺はKoBには行かない。いや、聖竜連合にも、軍にも、攻略組全体にさえ、居場所を求めるべきではなかったんだ」
「………スレイド君、君は何を考えているんだ?」
今度は、ヒースクリフから問われる。
得体の知れない者に直面したかのように、まるで全てを慧眼で見抜くかの如き聖騎士様は珍しく僅かに狼狽を覗かせていた。とはいえ、それほど大それた話をするつもりもない。実に単純で呆気ないだけの報告だ。俺がここに足を運んだ理由も、その事をヒースクリフに伝える為という意味合いが大きい。ただ、俺としては然るべきタイミングで言うべきことを言うだけに過ぎない。
「俺は攻略から身を引く。と言っても、最前線での攻略には元から貢献していないようなものだったから然して変わらないだろうけどな」
「これまで君が守り抜いてきた立場を、そう簡単に放棄できるものなのか?」
「しがみついてはいたが、よくよく考えれば執着する理由がもう無い。惰性で続けるには荷が重すぎるし、目の敵にされるのも骨が折れる。………そろそろ潮時だったんだろうな。まあ、聖騎士殿には関係のない話かもしれないが、その席は他の誰かに譲ってやってくれ」
「いや、否定はしないさ。私も元より君自身の意思を尊重するつもりだった」
始めからあまり期待していなかったのか、それとも他のギルドに加入する可能性が無くなったと察したからか、ヒースクリフは俺を勧誘する意思を霧散させる。
「それとこれは個人的な興味なのだが、攻略の前線から身を引いて君はこれから何を為すのかね?」
「何を為す、か」
思考を巡らせる。他のプレイヤーが攻略に邁進し、その遠く離れたところで俺はどう行動するのか。
これまでは少しでも早く攻略が進捗するように、その一助になればと未開のダンジョンや未知のクエストを探索した。しかし、今の俺はその初心から大きく在り方を変えてしまっている。自分でも抱えきれないロジックエラーを溜め込んで、こうして行っている何気ない思考でさえ正しいものなのかも分からない。被害者面をするようだが、俺はそれほど壊れてしまっている。そんな俺に出来ること、為すことなどは言うに及ばずといったところか。
「ただの自主的な謹慎だ」
「………そうか」
言葉少なく、ヒースクリフは頷いて返す。俺は未だ、自分の罪を受け入れることが出来ていない。内面に巣食うモノから目を背けて今まで通りの日々を続ければ、そう遠くないうちに破綻するのは目に見えている。ヒースクリフも深い事情までは追及しないらしい。その対応がありがたい限りだ。
数瞬遅れて視界の端に点滅するメール受信アイコンが表示され、メインメニューを操作して文面を確認する。どうやら退散する頃合いが訪れたらしい。
「呼び出しだ。失礼する」
「ほう、緊急の用件か」
席を立ち、出入口へ向かう最中、背中から声が聞こえた。
本来の俺ならば独り言として聞かなかったふりをするところだろうが、どういうわけか口が軽くなっていたらしい。
「いや、今日の昼はカレーだそうだ」
攻略組として最後の会話は、ひどく間の抜けた帰結を迎えたのだった。
後書き
2部2章エピローグ、燐ちゃん視点回。
時間軸としては、ラフコフ討伐戦から数時間後の昼。
この時点で燐ちゃんは帰宅していません。どこか人目につかない路地裏で死んだ魚のような目で徘徊していたとかではなく、戦乙女の面々の安否を確認しに彼女達のギルドホームに向かっただけなので大丈夫です。
ピニオラさんを助けた後にギルドホームに直行しているから作戦に参加したメンバーはまだ帰還していないし、精神的に疲れていた燐ちゃんはホーム周辺をウロウロしながら気まずい時間を過ごすし、割といろいろあってからのヒースクリフ会談でした。戦乙女メンバーからしたら図らずも作戦に参加していないというアリバイ工作が成立するから偶然ってすごい。
そして、燐ちゃんをKoBに勧誘するヒースクリフ団長の大胆さは実はかなりすごいものだったりします。理由は燐ちゃんの攻略組内部での立ち位置に尽きるのですが、そもそも燐ちゃんの立場の劣悪さは未だ《軍》の前身だったギルドが攻略組に健在だった頃、そこのリーダーをしていた某プレイヤーが後ろ盾になってベータテスターへの強い風当たりから守っていたことに起因します。
詳細はいろいろ込み合っていそうで薄っぺらいのですが、ここで話すと文字数制限に引っかかるので割愛。
ともあれ、隠しコンテンツを探し出す情報屋でありながら周囲から目の敵にされるという稀有な立ち位置に収まった燐ちゃんをギルドに加入させるというのはかなりリスキーな決断と言えるでしょう。「隠しダンジョンや隠しクエストの情報を独占しようとしている!」って余所のギルドから叩かれるわ、「あんなロクに攻略に参加しないでのうのうとしてたヤツがウチの制服着てるなんておかしい!」って内部の不満が噴出するわ、こんな大変なキャラを「優秀だから大丈夫。それに引き抜かなかったおまいらが悪い」とばかりに手を出すヒースクリフさんマジ悪食。こんなトンデモ地雷が主人公なんですよ?
次回、この章のもう一人の主人公のエピローグ回(気分でもうちょい増える)を挟んで新章です。
ではまたノシ
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