ワルツは一人じゃない
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第六章
「だから同じだから」
「気にすることはないのね」
「そう。じゃあね」
グンドゥラも由実のその手を握り返した。そのうえで。
二人で音楽がはじまるとワルツを踊りだした。そのワルツを見てだ。生徒達は口々に言うのだった。
「あれっ、あのアジア系の娘結構よくないか?」
「美人だよな。結構」
「すらっとした感じでスタイルもいいな」
「ドレスも似合ってるよ」
ワルツの中でひらひらと舞う、その青いドレスもいいというのだ。
「あの娘結構よくない?」
「ワルツもね。まだまだなところがあるけれど」
「それでも筋もいいし」
「いいんじゃないかしら」
男の子達も女の子達もその由実を見て言う。そうして。
ワルツが終わりグンドゥラと離れようとした由実の前に何人かの男女が来てこう尋ねてきたのだった。
「ええと。確か留学生の娘だったよね」
「日本から来たんだよね」
「それでよかったら名前教えてくれる?」
「話しない?」
「ええと。私は」
「いいのよ」
急に声をかけられて戸惑う由実にだ。後ろからグンドゥラが言ってきた。
「皆がいいって言ってるから」
「お話をしても」
「そう。お話するといいわ」
こう言って後ろからそっと背中を押してきたのだ。それを受けて。
由実はまだまだたどたどしいドイツ語で彼等に応えた。そのうえで話をするのだった。
この日から彼女はクラスや学校の皆と少しずつだがそれでも話をする様になった。そして友達もできてきた。その中にはグンドゥラもいた。
それで家でだ。こう母に話すようにもなった。
「何か。本当に少しずつだけれど」
「それでもっていうの?」
「ええ。それでもね」
リビングでコーヒーとチョコレートに砂糖をたっぷりと使ったクレープを食べながらだ。由実は母に言うのだった。
「お友達もできて」
「あれっ、一人じゃなくなったの」
「お話もする様になったわ」
「そうなったのね」
「ええ。それで明日だけれど」
「何かあるの?明日に」
「あのお城に行くことになったの、皆と」
ホーエンザルツブルグ城、そこにだというのだ。
「皆が案内してくれるっていうの」
「へえ、あんたこの街の何処にも行くつもりなかったのに」
「それが変わったの」
少しだけ微笑んでクレープをフォークとナイフで食べながらの言葉だった。
「それでなの」
「随分変わったわね」
「随分かしら」
「そうよ。殆ど引き篭もりだったのにそれがね」
家と学校を行き来するだけだったがだ。それが大きく変わったというのだ。
「物凄く変わったじゃない」
「そんなに変わったのね」
「だからかなりね。けれどいいことよ」
「明るくなってお友達もできたことが」
「悪い筈ないから。じゃあ学校もこの街も。お友達も楽しみなさい」
あらゆることをだというのだ。ザルツブルグにあるあらゆるものを。
「いいわね。そうしなさいね」
「そうね。塞ぎ込んで一人になってても全然楽しくないからね」
「そういうことよ。じゃあね」
「ええ、あのお城に皆と一緒に行って来るわ」
由実はこう応えてそのうえでだ。母が煎れてくれたコーヒーを飲んだ。
そして飲んでからだ。こう言ったのだった。
「何かこのコーヒーも」
「美味しい?」
「こんな美味しいコーヒーあったのね」
「オーストリアのコーヒーって美味しいのよ」
「そうだったのね」
「暗いと。それに一人だと何も見えないしね」
何もわからない、そうだというのだ。
「けれど明るくなって周りに人がいればわかるでしょ」
「確かに。そうね」
「じゃあお代わりするわね。オーストリアのコーヒー」
「ええ、クレープもね」
それもだというのだった。
「頂戴。それで今からこれ飲んで」
「何処か行くの?」
「グンドゥラのお家。友達のお家にね」
にこりと笑ってだ。母にこう言った。
「行って来るわ。お呼ばれしてるの」
「そう。それじゃあ楽しんできてね」
母も娘と同じ笑顔になって返す。由実はもう学校でも一人ではなかった。ワルツを踊れる様になったのである。そのワルツの中での笑顔だった。
ワルツは一人じゃない 完
2012・5・24
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