テキはトモダチ
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ケッコン協奏曲 ~赤城~
4.提督の苦悩。そして災難
提督の外出の件を皆に伝えてから十分後、私達は執務室の前に到着した。そういえばこのドア、まだ天龍さんが入れたヒビが入ってるんだなぁ……一体いつになったら修理するんだろう……
「とんとん。提督。まだいらっしゃいますか?」
「いるよー」
「提督外出の件、みんなへの告知が終わりましたよ」
「了解〜。いいから入っちゃって」
「承知しました」
別に入る用事があるわけでは無いが……入れと言われたのなら、入るしかなかろう。ドアノブを握り、ひねる。
――なぁ……お前、今日は……何時に帰ってくる……?
なんだか天龍さん(既婚)からは一生聞くことが出来ないであろう発言が聞こえてきた気がした。これは私というよりも……
「キャァァァ……」
今、私の肩の上で真っ赤な顔をして照れてもじもじしている天龍二世さん(既婚)に対して言っているのだろう。しかし驚きだ。私はてっきり天龍さんの方が夫だと思っていたから……まぁ天龍さんは荒々しい外見に反して、意外と女性らしい、柔らかい部分もあるしね。
ドアを開き、執務室に入る。
「あ、赤城さん」
「ぉお、アカギ……」
……う。電さんと集積地さんだ。がっちり手を繋いで、二人で並んで提督の机の前に立っている。
「あ、ああ、電さんと集積地さんも……いらっしゃったんですね」
「ああ。ちょっと提督に報告すべきことが出来てな」
「司令官さんが外出する前に報告しようと思って、急いで来たのです!」
さっきの光景が私の頭をかすめる……まさかこの二人……
「提督」
私は提督と目を合わせたが、提督の眼差しは、いつもの死んだ魚の眼差しだった。でも、彼の思考がほんの少し、漏れ出ていた。
――俺に質問するな
提督の眼差しは、小さな声で私にそっと、そう語りかけていた。……仕方ない。意を決し、私は本人たちに問いただしてみることにする。
「へ、へぇ……で、その、報告したいこととは……」
「「結婚したんだ!!」のです!!」
ああ……やはり……聞き間違い……ではないですよね……?
「え、えと……すみません……念のため……どなたと、どなたがですか?」
「私たちがだ!」「電たちがなのです!」
「……」
……集積地さん……あなたは……あなただけは常識人だと思ってましたが……
「提督、よろしいんですか?」
「何が?」
「この鎮守府の貴重な戦力が……」
「まぁ……仲悪いよりは、いいんじゃない?」
うわー……こらまた投げやりな返答……なんか額の右側あたりが斜線で暗くなってるから、もう対処方法がまったく思い浮かばなくて、とりあえず実害がなければ認めていくスタイルに切り替えたようだ。私は少しだけ、提督に対し同情の気持ちを抱いた。
……電さんと集積地さんの、顔を見る。
「ん? どうしたんだ?」「どうしたのです?」(キラキラ……)
うーん……眩しく輝く二人の笑顔……これはもう、諌めることは出来ない……
……あ、そういえば。
「提督」
「んー?」
「青葉さんに提督の外出の件を報告したときに思ったのですが」
「うん」
「外出の件で、何か隠してませんか?」
「……」
青葉さんに報告した時に感じた違和感。これが先程から頭の片隅にこびりついて気持ちが悪い。これが別に大したことでなければ提督もしれっと何かを白状するだろうし、何か重大な隠し事があるのなら、しれっと『特にないよ?』というだろう。事実がどうなのかは置いておいて、提督に確認をとってしまえば、私自身はとてもスッキリする。
私の問いを受けた提督は、少しだけうつむき、帽子を深くかぶり直した。そして、ふうっとため息を付いた後、私や電さん(既婚)、集積地さん(既婚)や天龍二世さん(既婚)を、様子を伺うように上目遣いで見つめてくる。なんだこの『突っ込んで下さい』と言わんばかりの反応は……
「えーと……提督」
「……」
「どうかしたんですか?」
提督の眼差しが妙に鋭くなった。その目は私たちではなく、周囲の様子を伺うようにキョロキョロと部屋の中を探ったあと……
「青葉は……いないな」
天井を見上げ、青葉さんがいないことを確認していた。
「お前ら……」
「はい?」
「どうした提督?」
「司令官さん?」
「誰にもいうなよ? 特に青葉」
「は、はい……」
「了解なのです……ゴクリ」
神妙な面持ちをした提督が、机の引き出しを開く。引き出しの中から取り出したのは……
「……ケッコン指輪なのです」
そう。見覚えのある、小さなワイン色の小箱。中を開けようとして、ロドニーさんに叱責された、提督が大淀さんの左手につけてあげるべき、永遠の愛を誓う、契の証だ。
「外出はする。でも、それは仕事だからじゃないのよ」
「……まさか……提督」
「ひょっとして……」
「……」
「司令官さん……!」
提督は、いつになく真剣な面持ちで、指輪の小箱を手に取った。隙間から青薄い光がこぼれるそのケースを、提督は静かに、ゆっくりと開く。小箱の中から出てきた指輪は、提督の手の中で、美しいプラチナ色の輝きを放ちはじめた。
「こ、これが……」
「け、ケッコン指輪……なのです……?」
その輝きは、優しく、そして温度を感じるほどに温かい。その輝きは、提督の机の上で静かに沈黙していた砲台子鬼さんすら、スッと姿勢を正し、そして砲台の角度を下げるほどに美しく、そして眩しい。
「……ロドニーと戦艦棲姫は、今日は随伴しない」
「……じゃあ提督、その二人には伝えてあると言ったのは……」
「……ウソ。大淀に余計な心配かけたくなかったから」
「あれ……私、鳳翔さんに皆さんの晩ごはんはいらないって言っちゃいましたよ」
「そっか……んじゃそれはあとで俺が謝っとく」
「では、今晩は……?」
提督は今日、一世一代の勝負に打って出るつもりであることを、私は悟った。
……でも。
「なぁ……赤城? 電? 集積地?」
「どうした?」
「はい?」
「なのです?」
指輪をじっと眺める提督は、同じく提督の手の中の指輪に釘付けの私たちに問いかけた。その声は、今まで聞いたこと無いほど弱々しく、そして自信の感じられない、か細い声だった。
「俺は……おっさんだ」
「ですね」
「そして目が死んでる」
「その通りなのです」
「おまけに覇気がない」
「よく分かってるじゃないか提督」
「こんな俺が……指輪を渡して、大淀は喜んでくれるのかなぁ……?」
あなた、自分が大淀さんに慕われてることに気付いてないんですか!? という叫びが喉まででかかったが、それはなんとかこらえた。一航戦として。
「っく……んーッ……っく!!」
「?」
「赤城さん? どうしたのです?」
「ツァッ……ハァッ……あ、危うく余計なことを口走ってしまいそうに……」
「?」
私が喉から飛び出そうな言葉を我慢する様を、不思議そうに眺める提督。彼は自分が指輪を渡すことに、及び腰になっているようだ。
私達は、大淀さんの気持ちを知っている。だから、提督が指輪を渡せば、大淀さんがきっと喜ぶことを、私たちは知っている。だから、早く彼女に渡して、安心させてあげてくれと思う。
でも提督は、大淀さんの気持ちを知らない。それに彼の悩みは、私達が想っている以上に、深刻なようだった。
「俺さ……今まで、さんっざん人のことを蹴落としてきたのよ」
「……」
「自分が出世するためにさ。出来ることは何でもやったよ。おえらいさんの悪事の隠蔽や、ライバルのスキャンダルの捏造……社内政治に勝つためなら何でもやったのよ」
「……」
「今もさ。お前らを守るためなら、どんなことでもやるつもりだよ? クソ中将だって追い詰めて黙らせるし……上層部がお前らの邪魔をするなら、捏造してでも弱みを握って黙らせる。それが俺の戦いだと思ってるし、事実、ずっとそうやってきた」
「……提督……」
「言ってみれば、俺は下らない政治屋なんですよ。今でこそ深海棲艦たちとの交渉のパイプ役なんて大役を仰せつかってるけど……本質は、大勢の人間を泣かせ苦しめてきた、小悪党のゆすり屋なんですよ」
「そんなことは……」
「こんな俺が指輪を渡して……大淀は喜んでくれるのかな……?」
「……」
「こんなおっさんの小悪党に……大淀に指輪を渡す資格が……あるのかな……?」
……私は今、このサクラバイツキという男の、本質を見た気がした。
提督は、以前民間で働いていた時、社内政治の強さのみで、出世街道をひた走っていたと聞いた。私たちにはよくわからない世界だが、言ってみればそれは、妬み嫉みが渦巻く権謀術数の世界。提督は社内政治に強かったと聞くから、彼のために煮え湯を飲まされた人は、決して少なくないだろう。言ってみれば提督は、過去、たくさんの人たちを苦しめ、泣かせたことになる。
ある日提督は、そんな毎日が嫌になって会社を辞め、自暴自棄になっていた時期があると聞く。その時の経験は、今も提督に暗い影を落としているようだ。
私は、彼に対しては感謝こそすれ、小悪党やゆすり屋だなんて思ったことは一度もない。民間時代の社内政治の話を聞いた時も、『通りで……』と、提督が時々見せる底知れない恐ろしさの正体が分かって納得はしたが、それに対して、決してネガティブな感情を持ったことはない。
でも提督は、そんな自分の過去を、ずっと引きずってきたようだ。そして、自分に人を愛する資格があるのか……自分が大淀さんに指輪を渡していいのか、自信を持てないでいる。
ここで、私が大淀さんの気持ちを代弁することは可能だし、至極簡単だ。一言『彼女は、あなたを待っています』といえば済むからだ。……でも、問題はそこではない。それで、提督の心に自信が芽生えるわけではない。
かと言って、ありきたりな『そんなことないですよ』という声をかけるのも違う気がする。きっと提督は、私の声に説得力を感じることはないだろう。私自身、彼に掛ける言葉に説得力を持たせることが出来るか不安だ。
私は今、指輪の輝きを前にして小さくなっている、このサクラバイツキ提督にかける言葉を失ってしまった。私の言葉では、彼の心にこびりついた黒い汚れを落とすことは出来ない。
「司令官さん」
「ん?」
「電の前に来て欲しいのです」
どうすればよいのか私が思案していたら、電さんが提督を呼んだ。提督は頭にはてなマークを浮かべ全力で首を横にひねりながら、電さんの前に立つ。その手には、指輪が握られている。
「来たよ? どうしたの?」
「しゃがんでほしいのです」
「ほいほい?」
電さんが何をするつもりなのか分からず……だが自分の可愛い初期艦の指示なんだから素直に従うか……という心づもりなのかどうかは分からないが、疑問を隠し切れない顔色を浮かべ、提督は電さんに素直に従い、彼女の前で片膝をついてしゃがんだ。
「司令官さん。ちょっといいのです?」
「ん?」
「失礼するのです」
電さんは次の瞬間、しゃがむ提督の首に両手を回し、自分の身体を精一杯伸ばして、提督の、彼女に比べて大きなその身体を、ギュッと抱きしめていた。
「電?」
「……司令官さんは、電のヒーローなのです」
「……どうして?」
「いっつも死んだ魚の目をしてて、『知らんけど』って無責任なこと言って電たちのことを煙に巻いてるのですけど、本当は、電たちのことを大切に思ってくれて、いつも見守ってくれてるのです」
電さんは、提督の耳元で優しく静かに、でも力強く、ゆっくりとそう話していた。私は最初、電さんのこの言葉は、提督を奮い立たせるためのものだと思っていた。
でも、それは誤解だった。電さんは提督のことを、本当にヒーローだと思っているようだった。彼女の次の言葉が、それを物語っていた。
「……ありがと。でも、俺は提督だよ? それが仕事だよ?」
「それだけじゃないのです。司令官さんは、自分が嫌いになりそうだった電のことを、助けてくれたのです」
「俺、そんなことしたっけ?」
「……集積地さんとの戦いのあと、電は、ロドニーさんや中将さんの“艦娘失格”の言葉が、耳にこびりついて取れなかったのです。だからあの時、電は、自分のことが嫌いになりかけてたのです」
「……」
「でも、司令官さんは言ってくれたのです。電は、自分のヒーローだって言ってくれたのです。今のままでいて欲しいって……俺の心を奪ってくれてありがとうって、言ってくれたのです」
以前……私たちが集積地さん撃破のために出撃したあの日、電さんは、提督と二人で演習場で話をしたと聞いた。その日の夜に電さんに会ったのだが、電さんは、目は泣きはらした後のように真っ赤に腫れていたが、その表情はとても晴れやかだった。何かうれしいことでもあったのかと問いただしても、『電はとてもうれしいのです』と涙目だけど上機嫌な顔で答えるだけだった。
きっと電さんは、その時のことを言っているんだ。提督が電さんに、何か特別な思い入れがあることは知っている。だからあの日、提督は電さんに何かを話し、そして電さんは、それで救われたに違いない。
「……」
「電はあの日、司令官さんのおかげで、自分のことを嫌いにならずに済んだのです。だから司令官さんは……あの日から、電のヒーローなのです」
「……そっか」
「司令官さん。子供の時、電を好きになってくれてありがとうなのです。司令官さんが電を選んでくれたから、電は今、赤城さんやロドニーさん、この鎮守府のみんなと出会えたのです」
「うん」
「何より、集積地さんや戦艦棲姫さんとも、上官が司令官さんじゃなかったら、仲良く出来なかったのです。集積地さんたちと停戦だなんて、出来なかったのです」
私には、二人の会話の詳細は分からない。でも、提督に向ける電さんの愛情は、本物だと言うことは分かる。電さんが提督にかける言葉の一つ一つが、提督にとってこの上なく優しく、彼の心に暖かく染み渡っているのが、私から見てもよく分かる。
集積地さんを見た。彼女もまた、電さんの優しさに救われた一人。その彼女にも、きっと伝わっているはずだ。電さんと提督の、互いを認め合う関係が。上官と部下の関係ではなく、親子とも友人とも恋人とも家族とも違う、でも互いを認め助け合う、優しく暖かな、二人の特別な関係が。
電さんが、提督の首にまわしていた腕を解いた。どちらからともなく離れた二人の顔は、いつものように晴れやかで、提督の目はいつものように死んでいた。
「そっか……ありがとう電。やっぱ電は、俺のヒーローだな」
「そんな司令官さんも、電のヒーローなのです」
でも、いつもよりもほんの少しハイライトが入ったその眼差しは、ほんの少しだけ、力強くなっていた。
「提督」
「お?」
「私がこの鎮守府を去るときに言った一言、覚えてるか?」
集積地さんが、以前に提督に問いただした質問を、もう一度ここで改めて問いただした。でも、あの時のようなニヤニヤ顔と共にではない。電さんの前でよく見せる、優しくて、相手のことを精一杯気遣う、とても柔らかい眼差しだ。集積地さんも、提督には何か思うところがあったようだ。
「……『お前もそろそろ真面目に身の振りを考えた方がいいんじゃないか?』って言ってたよね」
「そうだ」
以前はしらばっくれていたが、提督はちゃんと覚えてたらしい。
「……それが答えだ。お前が今まで、どれだけあくどい事をやってきたのかは知らん」
「……」
「でもな。そんなお前を、オオヨドは待っている。イナズマと一緒に、誰よりもお前のそばで、誰よりも長くお前を見ていたオオヨドの答えだ。自信を持って、渡してもいいはずだ」
「……」
「……ま、知らんけどな」
優しい微笑みで提督を元気付けたあとは、ニヤニヤといやらしい笑みで、無責任発言を付け加えるのを忘れない。いかにもこの鎮守府のメンバーらしい、激励の仕方だ。
電さんと集積地さん……この二人は、本当にこの鎮守府になくてはならない存在なんだなぁと改めて実感した。
二人の激励を受けた提督は、フッと微笑んだ後、いつもの死んだ魚の目に戻って自分の席に戻った。そして、その手に握りしめていた指輪を机の上に置き、まじまじと見つめながら口を開く。さっきまでの重く弱々しい言葉ではなく、いつもの、飄々として、何を考えているのかわからない、いつもの無責任な提督の声だった。
「……そうだな。それに、赤城やロドニーにプロポーズするわけじゃない。痛い思いをするわけじゃないんだし、肩の力を抜いて行ってみようか」
うん。その意気です。でもなぜ私やロドニーさん相手のプロポーズは痛い思いがセットなんですか?
「……だってお前さんたち、この前ハデな告白合戦してたじゃないの」
「……あれは単なる稽古です」
「見届け人を努めてくれた戦艦棲姫が『あいつら頭おかしい』って言ってたぞ?」
「あの人には言われたくないですよ……」
うん。いつもの調子が戻ってきた。こうやって軽口を叩けるまでになったのなら、もう心配することはないだろう。私の胸にホッと安心が訪れる。
――そしてやりましたねぇぇえ両思いですよ大淀さぁぁぁあああん!!!
同時に心の奥底から湧き上がるこの雄叫びを、私は精一杯我慢した。
「んっく……クッ……ツォッ……」
「さっきから何をやっとるの?」
「いえ……自分の忍耐力テストを……クオッ……」
「赤城さんがなんだかおかしいのです……」
何とでも言ってください……。時計を見る。提督が外出する時間まで、あともう10分もない。そして、それは同時に、我らが大淀さんの人生が決定するまで、あと10分ということである。
「提督。そろそろ……ぁあ、みなさんお揃いだったんですか」
タイミングよくドアが開き、大淀さんが姿を見せた。時間が迫ってきたので、きっと提督を迎えに来たんだろう。提督が、机の上の指輪を慌てて左手の平の中に隠したのが見えた。その手はちょうど、砲台子鬼さんのすぐそばの位置にある……
「大淀さん」
「? はい?」
「これから外出ですね」
「ええ。帰りは夜になる予定です」
「気をつけて行ってきて欲しいのです!」
「ええ」
「がんばれオオヨド!」
「は、はぁ……まぁいつものことですし……?」
「そうですよ! でも今日は、特に頑張ってきてください!!」
『なんせあなたのケッコン記念日ですからねぇぇええええええ!!!』という暴言は口に出せず……
「はぁ。……提督?」
「ほいほい?」
「準備は出来ましたか?」
「うん。ちょっと待ってて」
大淀さんに促された提督は、右手の手の平を開き、机に手をついて立ち上がる。そして左手は……最近の習慣になりつつあったのだろうか。自然と砲台子鬼さんの砲塔へと伸びていた。
「んじゃ砲台子鬼。行ってくるよ」
ここで、私は注意を促すべきだった。
たとえ同じ空間に大淀さんがいたとしても、私が汚れ役を蒙り、提督に進言するべきだった。『あなたが持つ指輪は、大淀さんに渡す大切な指輪なんですよ!!!』そう、叫べばよかった。
最近はいつも、文房具を砲台子鬼さんの砲塔に入れてしまっていた提督。
常に砲台子鬼さんと意思疎通をし、時にはその砲塔を優しくなでて、彼と友情を深めていた提督。
その彼が、指輪を持った手でその砲台に触れた時、どういう結果が待ち受けているか……少し考えれば、わかることだった。
「あ……」
「え……」
「……?」
『……!?』
カランという音と共に、時が止まった。ケッコン指輪は提督の手の中から、いつの間にか、砲台子鬼さんの砲塔へと、居場所を移していた。
「あら……」
「なのですッ!?」
「馬鹿なッ!?」
「ちょ……提督……!?」
「へ……?」
なんということ……最近はずっと砲台子鬼さんに文房具を預けていた提督。そのため、提督は今回もつい、砲台さんの砲塔に、指輪を流し入れようとしてしまったようだ。そしてその結果、指輪はすっぽりと、砲台さんの砲塔に通されてしまった。
「えと……提督?」
「お、おお?」
「何か、あったのでしょうか?」
「えと……えーと……ね……」
この事態の把握がいまだ出来ず、大淀さんが不思議そうなきょとんとした眼差しで、提督に質問する。そしてそれに対し提督は、しどろもどろになって冷や汗をだらだらと流しながら、必死に言葉を選んでいる。
……言えない。提督の立場としてはもちろん、私達も、大淀さんに対し、状況の説明をすることは不可能だ……これを話してしまえば、大淀さんが不憫過ぎる。つい誤って、大切な結婚指輪を砲台子鬼さんに進呈するという愚行をしでかした、このアホ提督は置いておいて……
「あの……赤城さん」
「は、はい!?」
「何かあったんですか?」
「あ、あのー……えーと……」
「電さん?」
「え、えと……えっと……」
「集積地さん?」
「あ、あばばばばば……」
大淀さんは提督だけでなく、私や電さんにも質問を投げかけるが、私たちが答えられるわけがない。私達は、大淀さんがこの二週間、ケッコンに向けて練度を上げるために、どれだけ努力をしてきたかを間近で見ている。彼女が、どれだけこの日を夢見ていたのかを知っている。
そんな私達が、『あなたの結婚指輪が今、砲台子鬼さんの砲塔に通されました。あのアホのせいで』などと、どうして言えようか……言えるわけがない……
そうして私達が大淀さんの問に対し四苦八苦していると、指輪を通された当の本人の砲台子鬼さんの身体に、異変が起こった。
『……!!!』
「ほ、砲台さん!?」
「砲台さんが……!?」
「ま、眩しいのです!!」
私は、実際にケッコンカッコカリ成立の瞬間を、この目で見たことはない。だが、ケッコンカッコカリ特殊事例の紹介という資料(著者:青葉さん)に目を通したことがある。
特に憶えているのは、異世界からきた少年と、金剛型の比叡さんの事例だ。異世界に渡った比叡さんや、その異世界から来訪した少年……その特異な2人の関係も目を引いた、とても特殊な事例だったのだが……
そのケースでは……戦闘中、大破炎上していた比叡さんに少年が指輪を渡すことで、比叡さんの傷が全快。補給も済ませ全力を出せるようになった比叡さんの活躍によって、艦隊は無事逃げおおせたという話だった。
たしかそのケースに関して、比叡さんの傷が癒えるとき、彼女の身体が眩しくも優しい光に包まれたという報告が上がっていたはずだ。
「ほ、砲台さんが……大丈夫ですか?」
今の砲台さんがそんな感じだ。砲台さんの身体は優しくも眩しい輝きに包まれ、砲台さんの身体が視認できなくなっている。そばにいる提督の、死んだ魚の眼差しだけが、光の中でブラックホールのように光を吸収しているように見えておぞましい。そして、そんな砲台さんにフラフラと歩み寄る大淀さん。
これはまずい。報告通りのこの現象は……ケッコンカッコカリ、成立だ……
まばゆい光の中で、大淀さんは一歩、また一歩と砲台さんに近づいている。光が次第に弱くなってきた。このまま砲台子鬼さんと大淀さんの距離が縮まれば、大淀さんは、確実に指輪の存在に気づく。そうすれば、察しのいい大淀さんが、ケッコンカッコカリに気付かないはずがない。
「……砲台さん」
『……』
「大丈夫ですか?」
『……』
「だいじょ……?」
砲台さんの輝きが収まり、普通に目を開ける程度の明るさになってきた。大淀さんが砲台さんのすぐそばまで迫っている。
「砲台さん」
気付かないで下さい気付かないで下さい大淀さん指輪に気付かないで下さい……。
「それ……」
「……」
「……指輪ですか?」
……ヒェエッ!? いや! まだ消失点ではありません……指輪イコールケッコンカッコカリという事実に気付かなければまだかのうせ
「ひょっとして……」
「……」
「ケッコン……カッコ……カリ……です……か?」
てぇぇえええええとくぅぅううううう!!! あなたこの状況の責任をどう取るつもりなんですかぁああああああ!!? 黙ってないでなんとか言ってくださいよぉぉおおおお!!!
「……そっか……ふふ……砲台さんと提督……そんなに、仲、よかったんですね……」
「……」
「提督……砲台さん……ケッコン、おめでとうございます」
大淀さんの声が執務室に静かに響く。彼女の声が痛い。決して大きくない、いつもの彼女らしい、とても優しく、耳触りのいい、心地よくて優しい声だ。
でも。
「この大淀は……お二人の、邪魔にならないよう、これからは……ひぐっ……」
「……」
「任務娘としてではなく……軽巡洋艦として……ひぐっ……戦闘を……ふぇ……め、メインに……ひぐっ……」
その、精一杯いつもの自分を演じようとしている、大淀さんのいつもの声が、心にとても痛い。私は、こんなに優しくて心地いい、しかし心に痛い声というものを、はじめて聞いた。彼女の失恋の辛さが……愛する人が、自分ではない人を選んだ悲しみ……愛する人のそばを離れなければいけない辛さ……それが、聞いている私や電さんや集積地さんに、嫌というほど伝わってきた。
「大淀さん……」
大淀さんがポロポロと流す大粒の涙は、とても美しいが……こちらの気持ちをえぐる痛みを同時にもたらした。彼女の笑顔はとても朗らかで、彼女らしい優しい笑顔だったが、その朗らかさが、逆に私達の心をえぐった。
「今まで……任務娘として……この大淀を使って……ひぐっ……くれ……て……」
「……」
「あり……あと……ひぐっ……ごじゃ……い……ま……ひ……」
「……」
「今晩の……がい……ひゅつは……おおよ……どは……きゃん……ひぐっ……キャンセル……ひま……ひぐっ……」
「大淀さ……」
「ごめ……ひぐっ……ごめんな……ひゃぃ……ひぐっ……」
ひどい嗚咽とともにそう言った大淀さんは、涙の笑顔で深々と頭を下げた後……
「あ!」
「オオヨド!!」
「待ってほしいのです!!」
そのまま踵を返し、執務室を走り去ってしまった。後に残された私たちを、気まずい静寂が襲う。
提督は、じっと目をそらさず、大淀さんを見ていた。大淀さんが走り去ったあとも、その、見えなくなった大淀さんの後ろ姿を、目で追いかけていた。
「……赤城、電、集積地」
「はい?」
「はいなのです?」
「うん?」
ガラッという音が鳴る。提督が机の引き出しを開いたようだ。そこから何かを取り出した提督は、自身の制服の腰ポケットに、それを突っ込んだ。
「……俺は出る」
「え……オオヨドはほおっておくのか?」
「……」
「どうなんだ?」
私は、提督の顔を見た。同じく、提督も私の顔を見る。彼の目は、いつもの死んだ魚の眼差しではなかった。
「執務室を頼む」
提督はそう言い終わるやいなや立ち上がり、コツコツと革靴の音を響かせ、足早に執務室を出て行った。その腰ポケットは少しだけ膨らんでいる。さっき机の引き出しから取り出した四角いものがポケットに入れられていることが、私の視界からでもよく見えた。
「おい!」
集積地さんが提督に声をかけるが、提督は止まらない。走りこそしてないが、提督は速歩きで執務室から退室し、天龍さんドアがバタンと閉じられ、部屋に静寂が訪れた。
「行ってしまった……」
集積地さんが、ポツリとそうつぶやいた。彼女はまだ、提督の真意に気付いていないようだ。
一方、電さんの方は提督の真意に気付いているようで、優しい微笑みのまま砲台子鬼さんの元にトコトコと歩み寄り、その砲塔を優しく撫でていた。
「砲台子鬼さん、ケッコンおめでとうなのです」
『……』
「でもごめんなさいなのです。提督は、すでに心に決めた人がいるみたいなのです」
『……』
電さんの言葉を受けて、砲台子鬼さんが砲塔の角度を少し下げた。水平よりも若干下に下げている。提督が去ったことは、砲台子鬼さんにとって、少しショックだったらしい。
この時、私は改めて、電さんの優しさに感心した。
私たちはこの時、全員が大淀さんのことばかり考えていて、アクシデントで指輪を渡されてしまった側……砲台子鬼さんの気持ちをまったく考えてなかった。
砲台子鬼さんの性別がどっちかは私は知らないが、先程の様子を見る限り、二人はケッコンカッコカリが成立したと見ていい。……つまり、二人は信頼しあってるということだ。
この二週間の間、二人がどれだけ濃厚な時間を過ごしてきたのか、それはわからない。でも少なくとも二人は、ケッコンカッコカリが成立してしまうほど、この短い時間の間に親交を深め、その結果、互いに信頼できる良きパートナーとなり得たのだろう。それは、提督の事務仕事の呼吸に合わせて、砲台子鬼さんが提督に文房具をぽんぽん撃ち出していたことからもわかる。
言葉を交さず、提督の呼吸に合わせて、文房具を撃ちだす。……それだけ、提督のことをよく見てるということだ。それだけ、提督のことを思っているということだ。
それだけ大切に思っている人から指輪を渡され、しかもそれが事故だったと知ったら……本人はどう思うだろう。砲台子鬼さんは、自分が愛した男性が他の女性を追って、自分に背を向けて離れていく様を、どんな気持ちで見ていたのだろう……?
「無責任な司令官さんに代わって、電が謝るのです。ごめんなさいなのです」
『……』
電さんは優しくて柔らかな表情を浮かべてそう言いながら、砲台子鬼さんの砲塔を優しく丁寧に撫でていた。そして次第にその手は砲台子鬼さんの頭へと移動し、ついに両手で砲台子鬼さんの頭を優しく抱きしめていた。
「でも、司令官さんは、砲台子鬼さんのことも大好きなのです」
『……』
「見てればわかるのです。砲台さんを見る司令官さんの目は……死んでるのですけど、とっても優しいのです」
『……』
「ただ……司令官さんは、大淀さんも大切だっただけなのです」
『……』
その様子を見ながら……私は、大淀さんばかりに気が行ってしまい、もう一人の、提督を愛する人物への配慮が足りなかったことを、少し恥ずかしく感じた。
その後、泣きながら出て行った大淀さんと提督がどこに行ったのかは、私たちは知らない。ただ、二人はその夜、ついに私達が寝静まるまで、帰ってくることはなかった。
……ぁあそうそう、晩御飯の時に……
「はぁ……おなかすいたなぁ……」
「うう……どうして私達の分のご飯が……なかったんだろう……」
『いつもの外出に見せかけて、大淀さんを安心させるため』の提督の嘘の犠牲者といえる、戦艦棲姫さんとロドニーさんは、自分たちの晩御飯が準備されてなかったため、とてもひもじい思いをしたようだ。
「お二人共」
「うう……ぁあ、アカギ、どうした?」
「ああ……背中とおなかがくっつきそうだ……」
「えーと……鳳翔さんにお二人のご飯はいらないとお伝えしたのは私です」
「聞いている」
「いくら提督の指示とはいえ、すみませんでした」
発端は提督の嘘なのだが……鳳翔さんにその旨を伝えたのは私だ。責任はないのかもしれないが、やはり二人には謝っておかないと気分が悪い。私は机の上で青白い顔でげっそりとやせ細り、まるでエジプトのクフ王のミイラのようになっているお二人に、事の次第を説明して頭を下げた。
しかし、そう二人はすでに事情を知っていたらしく、戦艦棲姫さん似のミイラが私にニッと笑顔を見せ、こう元気づけてくれた。
「いいさ。確かにひもじい思いをしているのは事実だが……お前に責任はない」
「ですが……」
「それ以上無駄に謝るのなら、明日に私とロドニーの二人がかりでの稽古に付き合ってもらうぞ」
……それはちょっと楽しみだが……二人の顔を見ると、ミイラの状態でありながら、実に清々しい笑顔で私を見つめてくれている。二人共、気持ちのいい性格でよかった。
「……分かりました。タイマン勝負でしたら、お受けします」
「それは本気にするな。ロドニーはどうあれ、私はあんな稽古はやりたくないっ」
「そうですか? でもあの時の横槍のお返しもしたいですし……」
「それは返礼じゃなく意趣返しだろう……」
戦艦棲姫さんによく似たミイラはそう答え、再びテーブルに突っ伏していた。一方のロドニーさんによく似たミイラの方も、すでにへろへろしおしおになっている身体で机に突っ伏して、へぇへぇと力のない浅い呼吸を繰り返している。よほどお腹が空いているようだ。
「戦艦棲姫さん! ロドニーさん!! もうちょっとでできますから!!」
「うう……早く頼むホウショウ……」
「おなかすいたー……このままではランスはおろか剣ももてーん……」
「私も砲撃ができーん……このままでは身体が駆逐イ級になっちゃうー……」
「あなたたち……それでも、泣く子も黙るビッグセブンと姫クラスですか……」
提督の嘘へのお詫びを兼ねて……ということで、鳳翔さんが大急ぎで何か特別料理を作ってくれているそうだ。私もあとでつまみ食いをさせてもらおうか。
こうして、ケッコン指輪をめぐる騒動は、一応の沈静化を見た。あとは、提督と大淀さんがどうなったのか……うまく行ってるといいな……あの二人……。
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