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SNOW ROSE

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乙女の章
  Ⅹ.Chorale(Ich freue mich in dir)


「シュカ、良いな?」
「はい、ヴェルナー神父。」
 ここは聖グロリア教会礼拝堂。神の聖別されし緑深きトレーネの森の中へ建つその場所は、この日、大司教を始めとする司教達と国王ハンス、その側近であるスティーヴンスに元老院と貴族院からも数名の者が訪れていた。
 シュカと三人の神父、それにシスター達の奏でる神へ捧げし音楽を聴くためである。
 その日シュカはオルガンを奏し、神父達は弦楽を、シスター達は管楽を、もう一人の乙女であるドリスはクラヴィコードを担当していた。
 本来はチェンバロを使用するが、それはシュカのものだと言い張ってドリスがクラヴィコードに変更させたのである。
 この捧げ物は特別な演出が用意されており、曲目の大半をラノン、シュカ、ドリスの書いた新しい作品で埋めていた。
 このことを事前に聞いていた大司教は大いに驚き、それと共にその楽の音を心待ちにしていたのでもあった。
「では、始めにオルガンによる讃美歌とその変奏曲を…。」
 シュカがそう告げてオルガンの鍵盤へと指を滑らすと、まるで虚無の中へ光が差し込むような感覚に聴くものは囚われた。
 一曲一曲はさして長くはないが、そのどれもが明るく晴れやかな色彩を放ち、その響きの美しさは他に類を見ない程であったと伝えられている。
 その演奏が終わると、次に合奏のみで“グロリア・ソナタ”が数曲奏され、今までの解釈とは違った演奏に皆は驚嘆させられたのであった。
 しかし、驚きはこれだけでは済まなかった。
 続けて演奏された合奏、オルガン、ソプラノ・ソロによるカンタータと神聖歌曲集はその大半をラノンが、その一部をドリスが、そして歌詞は総てシュカが書いた真に新しき歌なのであった。
 ソプラノはドリスが歌ったが、彼女の美声に皆が酔しれたという。
 目を見張るばかりの音楽で、大司教始め司教達さえも感嘆の息を洩らし、一音も聞き漏らすまいと息を凝らしていたのであった。
「大聖堂ですら、ここまで優れた楽士はいない…。」
 演奏が一旦休止したとき、大司教は思わず呟いた。周囲に座っていた司教達さえ、口々に演奏を讃える言葉を紡いでいた。
 しかし、その中で一人だけ演奏を貶す者がいた。
「中々ではあるが、所詮は素人の集まりではないか。我が楽士達程ではないな。」
 腕を組んでそう言ったのは、あのヴィンマルク卿である。
 その呟きは、近くにいた国王ハンスの耳へと届いた。ハンスはヴィンマルク卿へと視線を移して彼に言った。
「ほう…この者らよりも優れておると?ぜひ拝聴したいものだな。」
 国王ハンスに言われて、ヴィンマルク卿は悪びれもぜず、あのいやらしい笑みを溢して若き王に言った。
「王よ、それは光栄に存じますな。」
 だが、ハンスは立て続けにこう言葉を付け足したのだった。
「だがヴィンマルク卿よ、その楽士達がこの者らより劣る場合、汝は我を偽った罪で流刑にする。その覚悟があればいつなりと来るがよい。」
 ハンスはそう言うや直ぐに外方を向いてしまい、流石のヴィンマルク卿もこれには慌てふためいた。
 いかに教会で地位があろうとも、大司教以外では国王に逆らえるほどの権限なぞない。ここでハンスを敵に回すと、下手をすれば破門されかねないのである。
 それをスティーヴンスが横目で見て笑いを堪えていたが、そうしている間に最後の演奏が始まった。
 これはシュカが三年を費やして仕上げたもので、作品はカンタータであった。
 内容は、合唱-レシタティーヴ-アリア-レシタティーヴ-合唱-レシタティーヴ-アリア-レシタティーヴ-合唱の九曲から成り、当時としては珍しく自由詩を使ったアリアは、国王ハンスですらも驚かせた。
 この形は、現在では一般的であるが、当時としてはかなり奇抜なものであった。それゆえ、この形式のものを劇風カンタータと呼ぶことさえあったのである。
 このシュカのカンタータは、後世に活躍したレヴィン親子に影響を与えたことでも知られている。
 このカンタータを聴いた大司教は感激のあまり、シュカにこのカンタータの楽譜を譲り受けたい旨を伝えたと言われ、現在はコロニアス大聖堂(旧セレガ大聖堂)にこの楽譜が残ってはいるものの、紙質悪く、その上風化が激しくて大半が読み取れない状態であり、実質復元は不可能である。後世の筆写譜はあるものの、これらは間違いが多く参考にはならない代物であるため、その曲を耳にすることは出来ない。
 さて、演奏が終わった後、大司教と国王ハンスは星昇の儀式を見届ける者を選出した。
 大司教は五人の司教を選び出し、その中にはあのヴィンマルク卿も入っていた。国王ハンスはスティーヴンスに元老院最長老のルカ、そして貴族院からはその長であるマーティアスを選んだのであった。

 さぁ、この章も終りが近付いてきたようだ。
 演奏の翌日、シュカは聖所から泉へと歩み始めた。
 聖所からは二人のシスターが、香炉に乳香を焚きながらシュカの後ろに付き従っている。
 泉には既に選出された者達が静かに待っており、その中には無論、書簡を交わした国王ハンスもいた。
 しかし、シュカは何故か不思議と安らいだ気持ちであった。

- これが、神の御業というものかしら…。 -

 シュカは心の中で呟いた。
 空はどこまでも透る青空で、太陽の陽射しは全てを祝福するかのように大地へと降り注いでいる。鳥は自由に歌い、風は木々の間をすり抜けてどこまでも遠くへと遊んでいた。
 シュカはその中を歩み、泉のほとりへと辿り着いた。すると、シュカはそこで跪き、神への祈りを捧げ始めた。
 シュカの背後には二人のシスターが立ち、香炉を足元に置いて讃美歌を歌っていた。香炉から立ち込める乳香の煙は、まるで逝く者を憐れむかのように緩やかに拡散し、その場にいた三人を包み込んでいた。
 そこから少し離れた場所から見ていた大司教、国王ハンス他神父を除く全ての者達は皆、初めて見る儀式の凛とした空気に圧倒され、そして心が浄化されゆくような感じがしたという。
 暫く後シュカの祈りが終わり、いよいよ入水の時がきた。
「シュカ、語りたいことはありますか?」
 徐にシスター・ミュライが言った。
「いいえ…。」
 シスターにシュカは短くそう告げると、直ぐに泉にへと振り返った。
 シュカはそれ以上なにも口にすることなく、泉の中へと入っていったのであった。
 この泉は途中からいきなり深くなり、そのまま一気に沈むようになっている。シュカも多くの乙女達同様、数十歩歩んだ後にその美しき姿を泉の中へと永久に消し去ったのであった。
「シュカ…。」
 シュカの最期を見届けるや、ハンスはその場に崩れ落ちた。いかな王とて人である。愛しき者が目の前で逝かねばならぬのを、直視するだけでも大いなる苦痛であり、いかばかりの哀しみに囚われたであろうか…。
「我は…何のための王であるか…。」
 自責の念がハンスを取り込み、王は自らの不甲斐なさを後悔した。
 正直に語れば、ここでシュカを力ずくで助けても良かったのであろうが、そうなれば宗教と政治の間に不和が生じ、民はその争いに巻き込まれる恐れがあった。
 ハンスは国を守る者として、どうしてもそれが出来なかったのであった。
「王よ、どうかお立ち下され。乙女は神の御前に出られたのですから…。」
 哀しみに暮れるハンスにそう言ったのは、司祭の一人であるフォルテであった。
 だがその横で、そんな王を見下していたのがヴィンマルク卿である。
「このような精神の脆弱な者が国の王とは…。全く嘆かわしい限りですな。」
 ヴィンマルク卿はここぞとばかりに未だ若きハンスを責め立て、その地位に相応しいかを周囲に問った。
「神を信奉する者は嘆くことはないはず。ハンス王の国王としての資質も疑わねばなりますまい。」
 周囲の大司教を始め、皆はヴィンマルク卿の言葉に憤りを覚えた。ヴィンマルク卿の言葉には、明らかに王と大司教とを失脚させようとする意志が見えていたからである。
 そこで彼の態度を問い質そうと、大司教が口を開きかけた時であった。
「そうよのぅ、ネッセルよ。汝のような姑息な者が居るため、世は平安にはゆかぬのだ。」
 透るような美しい声がこだました。皆は慌てて声の主を探したが、それを見るなりあまりのことに腰を抜かす者までいた。
 一人の美しい姿をした女性が、泉の中央に立っていたからである。
「お、お前は…誰だ?。」
 ヴィンマルク卿は目を見開き、泉に立つ女性を指差して言った。
 女性は静かに笑い、蒼く震えているヴィンマルク卿へと自らの名を明かしたのである。
「我が名はグロリア。原初の神に仕えし者、祈りを届けし者、星を測る者にして優しさを与えし者である。」
 女性の名を聞くや、その場にいた全ての者達が畏れおののき、皆その女性へとひれ伏した。
「我にひれ伏すなかれ!神を讃えし者等よ、原初の神へひれ伏すが善い!」
 その女性は紛れもなく、聖グロリアその方であった。白き衣を纏い、頭には十二の宝石をあしらったティアラを戴き、手には白き薔薇を持っていたのである。
「聖グロリアよ。何故、我等が前に姿をお見せ下さいましたか。」
 大司教が恐る恐る問うと、聖グロリアはいとも優しく微笑んでその問いに答えた。
「神を信ずる者よ、聞くが善い。最早この泉へと乙女を贄として捧げてはならん。神はそれを退けられたのである。これは乙女ラノンとの盟約により、神が決められし事柄なれ。」
 聖グロリアはそう言うや、手にしていた白き薔薇を泉へと落とすと大いなる奇跡を齎した。
 それを見たヴィンマルク卿ですら驚きのあまり、最早立っていることも儘ならない程であった。
 聖グロリアが泉へと落とした白き薔薇が浮かび上がってきたと思った時、それと共に無数の白薔薇が泉の底から浮かび上がってきたのである。
 それは見る間に泉を埋め尽くし、まるで花畑のように美しく幻想的な風景を創り上げたのであった。
 白薔薇の犇めくその中に、眠るように一人の女性が横たわっているのが解った。
「シュカッ!」
 皆はそれが誰か気付かなかったが、ただ一人、ハンスだけがそれをシュカだと解ったのであった。
 そのハンスの声に、聖グロリアは柔らかな笑みを湛えて言った。
「国を統べる者、神に選ばれし王よ。汝はこの者を愛しているか?」
「はい!」
 ハンスは即答した。
 考えることなどない。ハンスは国王としてでなく、聖グロリアに真実の心を素直に告げたのである。
 聖グロリアはハンスのこの返答を由とし、彼に向かって言った。
「汝をこの者の伴侶として是認しようぞ。この娘、泉の底にあってさえ、汝の幸福を神に願っておったのだ。」
 ハンスは聖グロリアの言葉に目を見開いた。
 聖グロリアはそのまま言葉を紡ぎ、付け足して言った。
「汝の幸福は乙女の内にあり。神とて、汝の幸福をこの娘なしには成し得ぬ。神は汝等を祝福するであろう。」
 そう言い終えた聖グロリアは、周囲の者等に顔を上げて預言を告げ始めた。

- 聞け、人よ。この者達の子の一人、その者の家より選ばれたる娘、神の祝福を受けん。娘は神の御手により高くされ、娘の愛した者と共にその名を聖別されるであろう。その証とし、神は白き薔薇を聖なる象徴として与えられん。
 時違え、この者達の子の一人、その者の家より出でし兄弟、神の名を忘れし時に光を射さん。祈りと音を彼らに遣わし、廃れし人の心癒す者とならん。
 聞け、人よ。古の王家に連なりし異国の者、兄弟争いし時遠き海より来たれり。そは神のご意志により、新しき盟約を齎らすものなれ。
 時違え、聖別されし者滅びた街に現れん。そは乙女の血統に連なりし者なれ。かの者、旅人に神の新しき言葉を伝え、廃れし国を統べる者を呼び覚まさん。その者の言葉、原初の神の新しき契りなり!決して軽んずることなかれ! -

 そう告げる終えると、聖グロリアは眠るシュカの頬へと手をやり、「目覚めよ!汝が愛しき者のために!」と言ったのであった。
 すると、シュカのその瞳は少しずつ開いてゆき、シュカはその場に起き上がったのであった。
「私は…。」
「何も考えず何も申すな。さぁ、愛すべき者の元へ行くがよい。」
 聖グロリアはシュカに優しく手を差し伸べ立たせると、ハンスの元へと行くようそっと背中を押したのであった。
しかし、そのような中で一人だけ、この場から抜け出ようとする者を聖グロリアは見逃しはしなかった。
「そこの男、何故我に背を向けるや?」
 その問い掛けに驚いて跳び上がったのは、他でもないヴィンマルク卿である。だが、その言葉に返答することなく、彼はトレーネの森へと走り去ってしまったのである。
「愚かな男よ。汝はこの森より抜け出ること儘ならじ。死するまで森の中を彷徨うがよい。」
 これは、言わば呪いである。心より改心するならば解放されるが、そうでなくば永久に彷徨わなくてはならなくなる。
 これは聖グロリアに与えられし力であり、逆に言うなれば、この聖グロリアに許されたのなら解放されるのである。
 しかしその後、逃げ出したヴィンマルク卿の姿を見た者は、誰一人としていなかったのであった。
「人よ、聞け。これより先、決して原初の神へと生け贄を捧ぐべからず。神はそれを善きものとされず、これを拒むであろう。人よ、原初の神へ真実なる心を捧げよ。その証とし、祈り、音楽、他の者への奉仕、そして愛を忘れてはならぬ。さぁ、去り行くがよい!」
 そう言い終えるや凄まじい突風が巻き起こった。
「あ…!」
 しかしその中で、シュカは見た。聖グロリアと共にあるラノンの姿を…。
 風吹き荒れる中、神に命を捧げた多くの乙女達が白き衣を纏いて集っているのを、シュカははっきりと見たのであった。
 その中には一人、シスターがいた。しかし、そのシスターが何故にその場にいたのか、シュカには理解することは終ぞなかったのであった。
 風が止むと、全ての者は驚きのあまり言葉を無くしてしまっていた。
 そこにはもう聖グロリアどころか、白き薔薇も、泉さへも全て消え失せていたからである。
「なんと…この目で奇跡を見ようとは…。」
 最初に口を開いたのは大司教であった。
「シュカ、大丈夫だったか?」
 ハンスは胸に抱いていたシュカに、そっと声を掛けた。
「はい…。」
 シュカはそれ以上言葉を紡がなかった。
 ただ、愛しき者の胸へと顔を埋め、過ぎ去りし時と来るべき時とを思うだけであった。
 その後、大司教はこの奇跡を伝え、古より伝わる三つの儀式の放棄を宣言し、大々的に教義の見直しに入った。またそれに伴い、七人の預言者は解散させられ、トレーネの森にあった聖グロリア教会もその役目を終えたのであった。
 乙女のシュカであるが、その後に国王ハンスの妃となり、その婚姻の儀は盛大に執り行われた。
 この婚姻の儀には町楽士だけでなく、大聖堂の楽士達、それに聖グロリア教会の神父とシスターも加わり、街全体がまるで祭りの様な騒ぎであったと記録されている。

 さて、国王ハンスとシュカとの間には五人の子が出来た。二人は王子であり、残る三人は王女であった。
 第一王子のアルバートは、後にこの国の王となり、第二王子ニコラウスは恋愛の末、伯爵家の令嬢と結婚した。
 残る三人の王女は、周囲の三つの国々の王家へと輿入れしたが、神に祝福されているためか、末長く幸せに暮らしたと伝えられている。
 このお陰もあり、各国はとても友好的な政治をし、後に“黄金期”と呼ばれる時代に入るが、この者達が没してから程なく、ラッカと言う国がこの平安を打ち破ったことはよく知られた歴史であろう。
 それにも意味はあったのであるが、それはいつか語ることもあろう。

 最後に。
 シュカは王妃として民達に大変愛され、王ハンスと共によく民の前へと姿を見せた。
 その時、決まって何かしらの楽器を持参し、それを奏でては働く者達の心をを和ませていたと言う。
 王ハンスもあまり上手いとは言い難かったと言われるが、シュカの奏でる楽器に合わせ歌を歌い、その仲睦まじい姿は民の憧れとなっていたと言われている。
 晩年のシュカの手記にこう記されている。

- 人の死は定めとは言え、いとも寂しく哀しい心を運んでくるもの。しかし、それは人の心で計ったものであり、神の愛を感じれば、必ず再会することが出来るのだと確信出来る。だから、私は原初の神を愛し、王であり夫であるハンスを愛し続けられる。
 なんという喜び、なんという嬉しさ、なんという至福であることでしょう!
 私は神に感謝を捧げるのです。そう、愛を与えて下さった神に、こんなにも愛して止まないハンスに! -

 時はうつろい、この平安な国は伝説上にしか存在しなくなってしまった。
 だが言おう。この国は愛で溢れていたと、私は断言出来る。
 何故ならば、この話が堅く守り続けられているからである。
 この話は、今の世に何を問い掛けているのであろうか?私は解るような気がするのである。
 世俗や宗教を飛び越え、人の愛とはいかに貴く、いかに美しく清きものか!
 それらを馬鹿にする者達も居ようが、私はその者達ですら神に愛されているのだと感ずるのだ。
 それは、シュカがそれを教えているからに他ならないのである。


   「乙女の章」 完



 
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