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SNOW ROSE

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乙女の章
  Ⅴ.Sonatina


 シュカがこの教会へと連れてこれらる少し前の話しである。
 外の世界では雪降り頻る中、この森は変わることなく春の日和を感じさせていた。
「リーゼ、何故に悲しむのか…。」
 椅子に座る乙女に対し、そう言いったのはヴェルナー神父であった。
 リーゼと呼ばれた乙女は、前に座るヴェルナー神父を見ることもなく、囁くような細い声で答えた。
「分かっている筈です…。私たち乙女は、ここで死ぬために生きている…」
「違う!」
 リーゼの言葉に、ヴェルナー神父は声を荒げた。
「汝らは人々が神に執り成し頂くため、神聖なる者として神の御前に進み行くのだ。それは人としての死ではない。それは、神の御前に新しく生まれるということなのだ。」
 しかし、ヴェルナー神父の熱弁も空しく、それは虚空に消え去る音でしかなかった。
 相変わらずリーゼは俯いたままであったが、一言だけこう言った。
「詭弁だわ…。」
 そう言うや、リーゼは急に椅子から立ち上がり、戸惑うヴェルナー神父を無視してその場を駆け出したのであった。
 この教会に連れてこられる真の理由は、次の乙女が教会来る一月前に語られることになっている。
 語られる時は、もう住み慣れた教会ではなく、泉の対岸に建てられている小さな聖所へと移されているのである。
 これは他の乙女に真実を隠すという意味もあるが、嫌な物言いではあるのだが、逃げられぬ様監視しやすくするという意味もあった。
 だが、監視の目をすり抜け、日に何度も森の中へと行っていた。
 今まで、表面だけだとしても教義を否定する乙女などいなかったため、このような事態にはどう対処するかの規定は存在しなかった。それゆえ、監視も緩やかだったと言えようが、しかし、大問題であることには疑問の余地はない。
 こうやって抜け出してしまうのは、教義を信じられないと言うことでもあるのだから…。
 それをヴェルナー神父と、当時リーゼの教育係だったシスター・ハンナが連れ戻していたのは、もはや日課となっていた。
 そしてこの様な行為を戒めるべく、この日はリーゼを聖所へと連れ戻し、ヴェルナー神父が聖壇の前でリーゼに問っていたのであった。
「何ということか…。あってはならぬことだ…!」
 聖壇の前に残されていたヴェルナー神父は、一人悩んでいた。
 もし仮に、もう一人の乙女であるラノンに告げられでもしたら…。これは教会始まって以来の、最も最悪な結末を迎えるかも知れぬと、ヴェルナー神父は感じていた。
 長年続いた神への儀式を、ここで途絶えさせることになりかねないのである。
「ゲオルク神父に相談する他あるまい…。」
 苦悶の表情を浮かべ一人呟くと、ヴェルナー神父は直ちに教会へいるゲオルク神父の下へと急いだのであった。
 時同じくして聖所から飛び出したリーゼは、シスター・ハンナが止めるのを力ずくで撥ね除け、もう一人の乙女ラノンの所へと来ていた。
「リーゼ、何故ここへ…!?」
 ラノンには、もうリーゼに会うことは出来ないと告げられいた。遠い国へ行くのだと…。
 そのためラノンは大いに驚き、そして、リーゼに再び会えたことを喜んだ。
「ラノン。今だけ…今だけだから…。」
 リーゼはそう言うと、瞳に涙を溢れさせてラノンに抱きついた。
 そしてリーゼは…言ってはならぬことを口にしてしまったのである。
「私は…私は死んでしまうのよ。あの泉に…沈まなくてはならないの…!」
 このリーゼの言葉に、ラノンの心は凍りついた。
「…え…?」
 教会へと連れてこられてから七年。どうして自分が連れてこられたのかも知らぬままに日々を受領していたラノンにとって、それは正しく雷の言葉となって心に突き刺さった。
「なぜ…?なぜリーゼが死ななくては…?」
「私だけじゃないの…。あなたも…そして次の女の子も…。皆、あの泉へと沈むために…」
「嫌…!」
 ラノンはリーゼを強く抱き返していた。
 リーゼの言葉を聞いたラノンは、心の中で恐怖を覚えたのである。
 姉のようなリーゼが消え去る恐怖。そして、自らも同じ運命を定められている恐怖…。
 だが、その恐怖心とは逆に、神への愛も湧き出していた。だからラノンは、自分がいかにすれば良いのか分からず、ただただ…その場で泣き崩れる他なかった。
 そこへヴェルナー神父を筆頭に、ゲオルク神父、マッテゾン神父、そして二人のシスターが駆け付けて来た。
「何と言うことじゃ…!」
 始めに言葉を発したのは、ゲオルク神父であった。
 乙女達が涙を流しながら抱きあっているのを見て、ラノンが自らの行く末を知ったのだと解ったからだ。
 ゲオルク神父は直ちに二人の乙女へと歩み寄ったが、それを見たリーゼは顔を上げて言った。
「来ないで!」
 短い一言であったが、それはまるで研ぎ澄まされた刄のように、神父やシスター達の胸に深く突き刺さった。
 しかしその中でも、一番心を痛めていたのはシスター・ハンナである。
 彼女はずっと乙女リーゼの傍らで、彼女の成長を見続けてきた。教義とは言え、そんな彼女を泉の中へと一人で赴かせねばならないのを、いつも哀しく感じていたのである。
 原初の神を信奉してはいるものの、やはり人としての感情が先に立ってしまい、それがリーゼにも伝わっていたのかも知れないと思ったのであった。
 そしてシスター・ハンナは、誰もが予期せぬ行動に出たのである。
「私のせいです…。私が世俗的な思いを捨てきれないばかりに、リーゼはこの様な…。」
 確かにそれもあるであろうが、それらは神の決め事と言うもの。それはゲオルク神父もよく理解していた。
「シスター・ハンナ、何もあなただけのせいではない。わしらも…」
「いいえ、これは私の責任ですわ。」
 そう強く言い放つと、シスター・ハンナはスッと立ち上がり、抱き合う二人の乙女達へと歩み寄った。
 そしてこの乙女達を包み込む様に抱くと、シスター・ハンナは二人の耳元で囁いた。
「私が先に行って待っています。そうすれば、貴女方は怖くも淋しくもありますまい…。神の御慈悲を…!」
 シスター・ハンナはそう言うや急に立ち上がり、泉のある方へと駆け出したのであった。
 リーゼは真っ青になり「誰か止めて!」と立ち上がって叫んだ。
 何事が起きたのかと呆然としていた神父達は、リーゼの叫びで我に返り、直ぐ様シスター・ハンナの後を追い掛けた。
 しかし、元来運動の得意な彼女に追い付ける者など、誰一人としていなかったのであった。
 三人の神父とシスター・アルテが息を切らせながら泉へと辿り着いた時、そこには水面に波紋が幾重にも広がっているだけで、シスター・ハンナの姿は最早どこにも見つけることは出来なかったという。
 暫くの後、リーゼとラノンが泉の畔で悲しみに暮れる四人の前へと姿を現した。
「私が…こんな我儘をしたばかりに…。どう償えばよいのでしょう…。」
 リーゼは泣き腫らした目をしてゲオルク神父に問い掛けた。
 だがこの問い掛けは、いかなる者にも答えの出せるものではないと感じたゲオルク神父は、座り込んだリーゼの前へ歩み寄って言った。
「神に聞かねばなるまい…。」
 ゲオルク神父の言葉にリーゼは再び涙を流し、その傍らではラノンも共に涙を流していたのであった。
 この後、リーゼはラノンに会うことは一度もなく、ずっと一人で聖所に籠り、先に行ったシスター・ハンナのために祈っていたと伝えられている。
 それから後に、新しき乙女がこの教会へと連れられて来る朝、リーゼは三人の神父と一人のシスターとに見送られる様に、その身を泉へと散らせたのであった。
 その時、リーゼはこのように言ったと伝えられている。
「私はシスター・ハンナと共に、必ず神の御前に立ちましょう。そして、この様な悲しいことが無くなるよう願い出ます…。」
 そう言って、夏の陽射しのごとくに微笑んだと言うのである。
 この話はゲオルク神父の日記に記されていたと伝えられるが、その日記は三国大戦時に消失し、今なお見つかってはいない。
 本来、この教会の規定には、乙女が泉への入水を拒否した際、又はもう一人の乙女に時せずして知られた際の明確な指示がある。
 その内容は、二人とも処分せよというものであった。そして、この森の最奥にある沼へと沈めるようにとも…。
 理由は“神聖さ失いし者、これ神の泉に近付くことなし”という簡単な文章で書かれていた。
 しかし、ゲオルク神父はこの規定を破ったのである。
 それこそ真っ向から否定し、他の者にもこの話しをすることを禁じ、一切を本教会には報告せずに封印したのであった。
 その思いがどこから来たのかは知られてはないが、皆が一様に黙していたのは、少なからず罪悪感があったのではないかとも言われている。
 だがこの時を境に、この教会は変化してゆくことになるのである。
 教義も大切ではあるが、人の心はそれ以上に大切にせねばならないと…。
 それは神からの啓示だったのか、それとも悪魔の悪戯だったのか…?

 その答えは、もう少し先の話しである。




 
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