銀河英雄伝説~美しい夢~
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第六話 ブラウンシュバイク公
■ 帝国暦486年7月12日 オーディン ブラウンシュバイク公爵邸 エリザベート・フォン・ブラウンシュバイク
午後からお客様が来る。母の話ではお客様はエーリッヒ・ヴァレンシュタイン中将だとか。母は乳母に私の服装を整えるようにと言いつけたけど珍しい事だわ、これまでそんな事は無かったのに。
おかしな事は他にも有る。父とヴァレンシュタイン中将は決して仲が良いわけではないはずだけど、どうして招待したのかしら。中将も私達貴族の招待を受ける事は無いって聞いている。フレーゲル男爵の事があるから仲直りでもしたのかしら。
私自身はヴァレンシュタイン中将に会えるのはとても嬉しい。中将は優しくて笑顔の素敵な方だって聞いている。出来ればお話もしたいけど父は許してくれるかしら? ご招待するくらいだし、服装を整えろと言うくらいだから大丈夫だと思うのだけれど。
ヴァレンシュタイン中将がいらっしゃったのは午後二時を過ぎた頃だった。中将は私達に笑みを浮かべながら挨拶をしてきた。
「エーリッヒ・ヴァレンシュタインです。本日はお招きいただき有難うございます」
「おお、ヴァレンシュタイン中将、忙しいところを良く来てくれた。紹介しよう、妻のアマーリエ、娘のエリザベートだ」
「ヴァレンシュタイン中将、今日はゆっくりとなさってくださいね」
「有難うございます、奥様」
父と母が中将と挨拶を交わしている。私も何か話したかったけれど口を開けなかった。そんな時だった、父が私に話しかけてきた。
「エリザベート、お前も中将に挨拶をしなさい」
「エリザベートでございます」
「ヴァレンシュタインです。お目にかかれて光栄です」
私は名前を言うのが精一杯だったけど中将はそんな私を穏やかに見ていた。恥ずかしかったけど、嬉しかった。中将は噂どおり優しい人みたいだ。
挨拶が終わって応接室に移るとソファーに座った。私は中将の横に座るようにと父に言われた。お茶が運ばれてきた。コーヒーが三つ、ココアが一つ。ココアの甘い香りが広がったけど、これは私に用意したの?
「中将はココアが好きだと聞いたのでな、用意させた」
「有難うございます、ブラウンシュバイク公」
中将がココア? ちょっと可笑しかったけど中将は美味しそうに飲んでいる。
「卿が招待を受けてくれた事に感謝している。さぞかし怒っているかと思ったのだ」
父の言葉に中将が苦笑した。父は中将を怒らせたのだろうか。
「お父様、ヴァレンシュタイン中将に失礼な事をなさったの?」
「あ、いや、その」
父がちょっと慌てている。中将がクスクスと笑い声を上げた。
「そんな事は有りませんよ、フロイライン。公が私に対して失礼な事などはしてはいません。多少強引ではありましたが」
「まあ」
父を見ると困ったような笑顔を見せている。父がそんな表情をするなんて珍しいことだ。
「ですが、今日こうして招待していただけた事は感謝しています」
「そう思ってくれるか」
「はい」
父は中将をじっと見ていたが一つ頷いた。中将も父を見ている。そして私を見て柔らかな微笑みを浮かべた。
■帝国暦486年7月12日 オーディン ブラウンシュバイク公爵邸 オットー・フォン・ブラウンシュヴァイク
お茶の時間が終わるとヴァレンシュタインは仕事に戻らなければならないと言って屋敷を辞去しようとした。悪いお茶会ではなかった、和やかで穏やかな時間だった。皆寛いで話をしていたと思う。ヴァレンシュタインが帰ると言った時には名残惜しいと思ったほどだ。
別れの挨拶をした後、ヴァレンシュタインはわしだけに分かるように“二人で話したい”と言ってきた。妻と娘に“少し中将に話がある”と言って場を外してもらった。
「ブラウンシュバイク公、フロイラインは未だ何も知らないのですね?」
「うむ、先入観無しで卿に見てもらいたかったのでな。娘をどう思った?」
「悪い方では無いと思います」
ひとまずほっとした。まあお茶会の雰囲気から悪い印象は持たなかったと思ったが……。
「上手くやっていけるかな?」
「そうしたいと思います」
「うむ、娘を頼む」
ヴァレンシュタインが頷いた。大丈夫だ、信頼して良いだろう。
「これからフロイラインに伝えるのですか?」
「そうだ」
「では大変ですね」
皮肉かと思ったがそうではなかった。ヴァレンシュタインは生真面目な表情でこちらを見ている。
「なに、あれは卿の事が気に入ったようだ。心配はいらん」
わしがそう言うとヴァレンシュタインは僅かに苦笑した。
「これから宜しく御願いします」
「こちらこそよろしく頼む」
「公爵夫人にも宜しくお伝えください」
「分かった」
ヴァレンシュタインが去った。さてこれから娘に話さなければならん。確かに心配はいらんが大変ではあるようだ。やれやれだな、いっそ妻に頼むか? こういうのは父親よりも母親の方が向いているかもしれん。
■ 帝国暦486年7月13日 オーディン 新無憂宮 エーリッヒ・ヴァレンシュタイン
典礼省から俺とブラウンシュバイク公爵家の養子縁組の許可が下りた。その際、俺がリメス男爵家の血を引く男子である事も合わせて典礼省にある家系図に登録された。リメス男爵家は領地も爵位も返上しているから登録されても俺には何も無い。
但しそれを請求すれば別だ。俺は今リメス男爵家の唯一の男子で爵位と領地を請求すれば許されるだろうという事らしい。典礼省の役人が恩着せがましく言いやがった。馬鹿馬鹿しい、そんな物要るか!
それにしても年寄りどもは仕事が速い。老い先短いから急ぐんだろう。俺を一日でも早くブラウンシュバイク公爵家に縛り付けたいらしい。この分で行くとエリザベートとの結婚も早まりそうだ。言っておくが俺はロリコンじゃない、胸を張って言うがどちらかと言えばマザコンだ。エリザベートに悪い印象は持たなかったが、結婚は大人になってからだ。
これから義父、ブラウンシュバイク公と供にフリードリヒ四世に拝謁する。なんだかな、どうしてこうなったんだか。俺にはいまだに良くわからない。フェルナーに、いやこの帝国の権力者どもに上手く操られているとしか思えない。
唯一の救いはラインハルトがこちらに敵対的ではないことだ。皇帝フリードリヒ四世に会ってどうやら多少は変わったらしい。少し考える時間が欲しいと言ってきた。悪い徴候じゃない。
拝謁するために廊下を歩いていると遠巻きに多くの貴族達が俺を見ているのが分かった。そしてヒソヒソと何か話している。見世物じゃない! 全く不愉快な連中だ。これからずっとこんな日々が続くのかと思うとうんざりする。
この場で逃げ出したらどうなるんだろう。いや、皇帝の前で養子は嫌ですと言ったら。……許されるわけ無いよな、それこそ同盟に亡命だよ。公爵位と皇族との結婚を嫌って亡命か……。
凄いな、今年の宇宙十大ニュースのトップは間違いない。おそらくフェザーンじゃ俺をモデルにした映画が作成されるだろう。おそらく公爵令嬢を振った俺の秘密の恋人は亡命者のヴァレリーになるに違いない。大ヒット間違い無しだ。
そんな事を考えていると向こう側からリッテンハイム侯がやってきた。
「ブラウンシュバイク公、これから陛下の下へ行かれるのかな?」
「うむ、養子を迎えたのでな、陛下に御報告をしに行くところだ」
頼む猿芝居は止めてくれ。
「ふむ、ヴァレンシュタイン中将、いやブラウンシュバイク中将か。良い跡取りが出来て羨ましい事だ」
「エリザベートも喜んでいる。サビーネが悔しがってはいないかな?」
「あれは未だ子供だ、それはない」
そう言うとリッテンハイム侯が大きな声で笑った。ブラウンシュバイク公もそれに合わせる。俺だけが沈黙している。
「中将」
「はっ」
「ブラウンシュバイク公爵家とリッテンハイム侯爵家は共に帝室の藩屏として帝国を支えてきた。これからは中将、卿にも帝室の藩屏たることを期待してよいかな」
この陰険親父、碌でもないことを言いやがる。あの時、銃ぶっ放して脅した事を根に持ってるに違いない。
「はっ、期待に背かぬよう務めます」
「うむ、頼むぞ」
ブラウンシュバイク公とリッテンハイム侯が顔を見合わせて頷いた。こいつら最初から示し合わせていたな。根性悪どもが!
リッテンハイム侯と別れて先に進むとようやく謁見室に着いた。謁見室にはフリードリヒ四世のほかにリヒテンラーデ侯が居る。二人とも可笑しそうな表情をしている。ブラウンシュバイク公もだ。俺だけが楽しくない。
「ブラウンシュバイク公か……。今日は何の用かな」
「はっ、此度陛下のお許しを得て養子を迎えましたので御挨拶にと」
「おお、そうか」
ここでも猿芝居か。しかし俺もそれに付き合わねばならん。
「エーリッヒ・フォン・ブラウンシュバイクでございます」
「うむ、良い若者じゃな、ブラウンシュバイク公」
「はっ」
皇帝はブラウンシュバイク公に声をかけた後、今度は俺に視線を向けた
「エリザベートを頼むぞ、あれは予の孫だからの」
「はっ」
これで俺はブラウンシュバイク公爵家の婿養子が決定だ。
「陛下、臣はこれを機に家督をエーリッヒに譲りたいと考えています」
「ふむ、隠居するか」
「はっ、お許しを頂けましょうか」
ブラウンシュバイク公の言葉に皇帝は少し考え込んだ。はてね、義父の隠居は確定事項のはずだが……。
「家督を譲るのは構わぬが、隠居は許さぬ」
何だ、それ……。ブラウンシュバイク公も妙な顔をしている。芝居じゃないな。
「と言いますと」
「これからも宮中には出仕せよ。……そうじゃな、出仕しても爵位が無くては何と呼べば良いか困るの……。そちには大公の称号を与えよう。ブラウンシュバイク大公を名乗る事を許すぞ、もっとも大公領というのは無いから称号だけじゃの」
そう言うとフリードリヒ四世は可笑しそうに笑った。リヒテンラーデ侯も笑っている。まあ悪い話じゃない。屋敷で暇を持て余すよりはましだろう。リヒテンラーデ侯の考えかな、俺と公の関係を気遣ったか……。
「……恐れいりまする。これからも息子共々、相勤めまする」
ブラウンシュバイク公は感激した面持ちで礼を言うと頭を下げた。俺も頭を下げる。顔を上げると皇帝とリヒテンラーデ侯が満足そうな表情をしている。上手い手だよな。大公の称号だけでブラウンシュバイク公の心を取った。
謁見を終えると俺は義父と分かれた。紫水晶の間に行くとヴァレリーと護衛が待っていた。合流して軍務省に向かう。護衛はどいつも大男だ、見下ろされるのは良い気分じゃない、今日は不愉快なことばかりだ。
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