俺の四畳半が最近安らげない件
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何処かへ続く扉
俺と柏崎は、固唾を呑んでその扉を見つめていた。
「お前な…なんでこういう大変なものを平気で見逃すの?」
「いやいやいや、棚の裏だぞ!?普通見るか!?」
数日前、俺は地下の一室を賃貸契約した。
一応、部屋の上部に明かり取りの窓があったし、なにより家賃が安い。親や周囲は『地下だぞお前!』だの『武家の座敷牢かよ』などと反対はされていたが…間取りこそ四畳半と狭めだが、築浅・駅近で風呂もトイレもついて、コンロも二つ。これで2万だぞ。それは借りるだろう。
「あの細~い明かり取りの窓が、牢屋感をいや増しているな…」
「牢屋っぽさの話はあとにしろ」
「そうだな、問題は」
入居時、備え付けの棚を動かした時に裏側から現れたこの『扉』だ。
「ここ、地下だよな」
「ああ」
「地下の部屋ってここだけだよな」
「土地の勾配の関係で地下になっただけだからな」
要は、このマンションが建っている場所は少し傾斜があり、無理やり整地して建物を水平に建てた結果、一階の一番端の部屋は完全に地下になってしまった。それがこの『地下部屋』の事情である。だから登記上、ここは『1階』なのだ。
「この部屋の向こうは地下駐車場になっているとか」
「聞いた事ない。ここのマンションに駐車場はない」
「ボイラーが」
「必要な程の大型マンションに見えるか」
「ううむ…」
俺と柏崎は、しばらく黙って扉を見つめた。…一枚板の、何の変哲もない扉に見える。玄関の扉とは少し様子が違うが…。
「………開けないのか」
柏崎が、ざっくり核心に踏み込んできた。
「そりゃ、見つけた時に試したよ」
俺は扉に歩み寄り、そっとノブをひねった。ノブはかちゃかちゃ、と空回るような音をたてるだけで、押しても引いても扉は開かない。
「開かないんだよ、これ」
「あー…じゃ、設計ミスだ。勝手口にするつもりで扉つけたけど、そういやここ地下じゃん!みたいな」
「あははそれな、絶対それ」
「間抜けかよ、はははは」
「施工中に気づけよなぁ」
「それなそれ、ははははは」
かちゃり、とドアノブが回り、扉が開いた。
見たことないようなデザインのカップ麺を持った眼鏡の男が、しばらく俺たちを眺め回したあと、しめやかに扉を閉めた。
「ちょっ…!!!」
柏崎がドアノブに飛びついてガチャガチャやりだした。
「おいちょ、やめろよ」
興奮気味の柏崎に組み付いて扉から引きはがした。
「いやお前なに落ち着いてんだよ、扉開いたんだぞ!?しかも何か居たぞ!?」
「…あっち側にも部屋が…?」
意味が分からん。
「しかも見たことないカップ麺持ってたぞ!あんなの何処に売ってた!?」
「それどうでもよくない!?」
柏崎を落ち着かせたあと、俺も恐る恐るノックしたりドアノブを回してみたりしたが、やはり扉はびくともしない。まるでそう、コンクリの壁に埋め込まれたドアノブをむなしく引っ張るように。
「―――おい、ドリルを貸せ」
汗だくになるまでドアノブを引いた柏崎が、ぼそりと呟いた。
「いや一般家庭にドリルはねぇよ」
「それに準ずるものは!!なんでもいいから!!」
「錐なら…」
一応、錐を渡してみたが、これで何しろってんだ馬鹿野郎と叫ばれて叩き落とされた。…まぁ、錐でどうにかしろと云われてもねぇ…。
「まぁ待て、それは最終手段だ。…それより外に出てみよう。あのドアの向こうあたりの地表はどうなっているのか気にならないか」
「幹線道路だよ!!強いて云えばバス停があるよ!!」
「……だよなぁ……」
「ドリル買ってくる」
「お前なんでそんなムキになるの!?」
俺たちが軽く揉め始めたその時、再びドアノブがガチャガチャと回り始めた。
「柿崎ィ―――!!!」
薄茶色い軍服の男が、ボロボロのゲートルを引きずって怒鳴り込んで来た。軽く立ち上がりかけた態勢のまま固まる俺たちをギラギラした目で睨め回すと、男は小さく舌打ちして勢いよくドアを閉めた。
「………なにあいつ!?」
「軍人来たぞ軍人!!日露戦争真っ最中みたいな奴来たぞ!!」
「柿崎探しに来てたな!!」
「知り合いかよ柿崎誰だよ!!」
ひとしきり騒いだ後、柏崎が再び立ち上がった。
「やっぱドリル買ってくる」
「いやいやいや、ドリルに至るまでにまだ出来ることあるよね!?」
「ドリルは無駄だ」
再び扉が開け放たれた。思わず身構えるが…あ、こっちは普通に開くほうの扉だわ。と座り直す。濃い紫のローブを羽織った、50代と思しき蓬髪の男が入ってきた。
「……誰?」
「大家さんだ」
「濃いな…色々と」
「下手に土地持ってて社会に出ずに本ばかり読んでるとな…色々な…」
ローブの大家は、下駄を脱いで揃えると、ローブの裾を払い振り返った。
「勝手に失礼する。…そっちの人、ドリルなら私が持っている」
よく分からないので様子を見ていると、大家さんは徐に奥の扉に近付き、その表面を撫でた。
「これをこじ開ける為に、買った」
「それなら!!」
興奮冷めやらぬ柏崎を制し、大家さんは続けた。
「――ここが出来た日にやったさ」
「………向こうには何が」
「何も。扉は溶け込むようにコンクリートと一体化していた」
「……で、この意味不明の扉を元通りに直したのか?」
訳が分からん。だったらもう全部外せよ。
「私が直したのではない…」
どうでもいいけど大家、しゃべり方がいちいち厳かなのは何のつもりだ。
「扉を破壊し、壁を直した次の日にここに来てみたら…あったのだ」
新しい、扉がな…と呟いて大家は瞑目した。
「あとは繰り返しだ。扉を壊しては、再生される。壊した後、泊まり込んで見張ったこともあった。だが少し目を離した隙に再生される。壁を丸ごとくり抜いても、壁ごと再生された。コンクリで埋めても駄目だ。コンクリの上に扉が浮き上がる」
―――なにそれ怖い。
「そ、そんな超常現象を店子に告知なしとか…」
「広告に書いたわ。ばっちりしっかり」
柏崎のツッコミを予知していたかのように、大家は店子募集広告を広げて見せた。
「部屋の奥に扉…あります」
勝ち誇ったように、厳かに呟く。…なんか腹立つなこいつ。
「こ、こんな表示、普通スルーするだろう!?あ、扉ねハイハイくらいにしか思わねぇよ!!」
「こちらとしても悩みに悩んだのだ。この不可解な瑕疵をどうすれば正確に伝えられるかと」
瑕疵っつったか今。
「……百歩譲って変な扉のことはいい」
「えっ、いいのかこれ!?」
いや、本音を云えばよくはねぇが。
「あの、偶に扉から覗いてすぐ居なくなる、あいつらは一体何なんだ」
ローブの大家は突如瞑目し始め…俺たちがイライラし始めたあたりで徐に目を開いた。
「これはあくまで、推測なのだが」
居住まいを正し、大家は語り始めた。
「君らも例えば、2徹とかしてものすごい疲れている時にその辺の扉を開けると、ありえない物が見えることはないか」
「……ありえない物」
「妙にでかいカマドウマとか、宇宙船のコックピットとか、南の島のビーチとか」
―――見知らぬ二人組の男、とか。
「彼らにとって、扉の向こうのこの世界は『ものすごい疲れている時の幻』なのではないか。だから一旦、扉を閉じる。そして恐らく彼らは扉をもう一度開ける。その時には元通りの『扉の向こう』に戻っている」
「……えぇ……」
そんなポジション聞いたことないんだが。なんだ幻覚ポジションて。
「つまりここに住まう限り、疲労のピークに達している連中に虚ろな目を向けられ続けるのか」
「棚で塞いでおけば問題ない。どうやらあの扉は外開きだし、基本的にノックはされないから、たまに棚の裏からドアが開く音が聞こえるくらいだ」
「そんな簡単に云うけどな!」
「安かろう?」
「ぐっ…」
「築浅、駅近、風呂トイレ完備。地下ということを差っ引いても安かろう。強いていえばドアが開く音くらいだが、世の中には線路沿いに建つアパートもある。そんな騒音に比べたら」
「いやいやいや定期的に不審者が覗くんだぞ」
「新品家具、据え置き。更新料、通常の半額」
「ぐぐ…」
―――大家の繰り出す好条件ラッシュに畳みかけられ、俺は結局ここに住むことになった。
棚で塞いだ扉が開く頻度は、大体15回くらい。慣れたらさほど気にならなくなった。凄い暇な日などは、棚をどかして来訪者を待つこともある。
ただ…いつだったか
職場の繁忙期、フラフラの躰を引きずって職場のトイレの個室を開けると俺の部屋の風景が広がっていた時は、妙に納得しながら扉を閉じた。
後書き
次回更新予定は、来週です。
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