銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)
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第二百四十一話 一波纔に動いて
帝国暦 489年 2月 20日 オーディン ミュッケンベルガー邸 エーリッヒ・ヴァレンシュタイン
枕元のTV電話が受信音を鳴らしている。スクリーンの一角には番号が表示され点滅している。リヒテンラーデ侯の番号だ、起きねばなるまい。保留ボタンを押しそっとベッドから抜け出した。ユスティーナを起こしたくは無い。
冷えるな、ガウンを羽織り部屋を出ようとした時だった。
「貴方……」
起こしてしまったか……。ユスティーナが半身を起して俺を見ている。不安そうな表情だ。無理もない、夜中に夫を呼び出されれば誰だって不安になるだろう。そうでなければこっちが不安になる。
「緊急の連絡が入ったようだ。長くなるとは思わない、気にせずに休みなさい」
「はい……」
敢えて大したことではないように言った。もっともユスティーナにとっては気休めにもならないだろうという事は分かっている。
寝室を出て通信室に向かう。二メートル四方の小さな部屋だ。防音完備、TV電話、FAX等の通信装置だけが有る。ミュッケンベルガーは軍の重鎮だった。当然機密に接する事は多かった。家族を信頼しないわけではなかっただろうが周囲に余計な気を使わせたくなかったのだろう。屋敷にかかってくる連絡は此処で受けていたようだ。今は俺が使っている。TV電話の受信ボタンを押した、老人、俺を待っているだろう。
「申し訳ありません、お待たせしました」
『いや、こちらこそ夜遅く済まぬの、休んでおったか』
スクリーンには済まなさそうにしているリヒテンラーデ侯の顔が有った。時刻は二時を過ぎている。オーディンの冬は寒い、夜遅くて辛いのは俺よりもリヒテンラーデ侯の方だろう。それに以前は俺が夜中に侯を叩き起こした、文句は言えん。詰まらない事で起こす様な御仁ではない事も分かっている。
「お気になさいますな、何か起きましたか」
俺の問いかけにリヒテンラーデ侯が頷いた。爺さん、大丈夫か、寒そうだぞ。
『フェザーンで妙な事が起きた』
「妙な事と言いますと」
スクリーンに映るリヒテンラーデ侯は困惑したような表情をしている。珍しい事だ、フェザーンか、だとすると地球教か、いや、妙な事と言っていたな。
『レムシャイド伯から連絡が有ったのだが、反乱軍のオリベイラ弁務官が拘束されたそうだ』
「……」
『それだけではない、駐留している艦隊の司令官を始め主だったものも拘束されているらしい』
「……誰にです?」
『それが、レムシャイド伯の話ではペイワードだというのじゃ』
「……」
なるほど、確かに妙だ、寒さもぶっ飛ぶしリヒテンラーデ侯が困惑するのも分かる。傀儡であるペイワードが操り人であるオリベイラを拘束するなど本来有り得ない。同盟から独立でもするつもりか。帝国に鞍替えした、有り得ない話じゃない、国力はこちらの方が上だ。
「ペイワードからは事前にレムシャイド伯に連絡が有ったのでしょうか」
『いや、何もなかったそうだ。妙であろう』
「確かに」
リヒテンラーデ侯も同じ事を考えたか……。
事前にレムシャイド伯に対して根回しが無かった、これをどう考えるかだな。突発的に起こしたか、或いはそこまで頭が回らない愚か者か……。いやその前に確認する事が有ったな。
「自由惑星同盟はレムシャイド伯に何か言ってきましたか」
『それよ、レムシャイド伯はそのような事を一言も言ってはおらなんだ。ますます妙であろう』
同盟政府は何も言っていない……。リヒテンラーデ侯もそこに気付いたか……。
「知らないと思いますか?」
リヒテンラーデ侯が首を横に振った。
『それはなかろう』
同感だ、先ずそんなことは無い。となるとハイネセンの了解のもと動いているという事になる……。
『独立ではないかもしれんの』
「操り人が代わりましたか……。新しい操り人はハイネセンですね」
『そうじゃろうの』
オリベイラはクビか。問題は何が理由でクビになったかだ。
「ハイネセンで何が起きたと思います?」
『さて……、オリベイラだけではない、艦隊司令官まで拘束されたとなると……』
リヒテンラーデ侯が俺を見た。その先は俺が言えという事か。
「単なる罷免では有りませんね、クーデターか、或いはそれに類するものか。オリベイラと艦隊司令官の拘束はそれに関係していると思います」
『そんなところかの』
クーデター、おそらくは主戦派によるものだろう。リヒテンラーデ侯が顎を撫でている。顎が細いんだからあんまり似合わないって。
可能性は二つだな、ハイネセンでクーデター計画が発覚した。オリベイラと艦隊司令官はそれに関与していた、よって拘束された……。もう一つはハイネセンでクーデターが起きた。クーデター勢力はフェザーンを直接コントロールしようとしてオリベイラと艦隊司令官を拘束した。そんなところだろう。
クーデターか、どうも腑に落ちないな。フェザーンに駐留しているのは第九艦隊、アル・サレム中将だが政治的な動きをする男なのか? ルグランジュならわかるがアル・サレム……。今一つピンと来ない。となるとフェザーンはクーデターには無関係、ハイネセンでクーデターを起こした連中がフェザーンを直接コントロールしようとした……。
「問題はハイネセンでしょう。今ハイネセンを支配しているのが誰なのか」
リヒテンラーデ侯が“ウム”と言って頷いた。
『……場合によっては内乱になるかの』
「可能性は有りますね」
可能性はある、原作でも内乱が起きたんだ。この世界で起きても不思議じゃない。誰が起こした? グリーンヒルか? だが政府と軍の関係は悪くないように見える。どうも分からん、判断材料が少なすぎる……。
「情報が欲しいですね、判断材料が少なすぎます」
『同感じゃの、レムシャイド伯からの続報を待つしかあるまい。明日、いや今日じゃな、朝八時に新無憂宮に来てくれ』
八時か、年寄りは朝が早いな、もう三時だぞ。
「エーレンベルク、シュタインホフ元帥は如何します」
『私の方から連絡を入れておく』
「承知しました」
通信が切れた後、部屋を見渡した。絵画一つない殺風景な部屋だ、冬のオーディンにはお似合いの部屋だろう。どうする、もう三時だ、寝ているかもしれん……、連絡を入れるか……。連絡を入れると直ぐに相手が出た。
『エーリッヒか』
「良かった、起きていたのか、ギュンター」
『卿に連絡を入れるかどうするかで迷っていた』
キスリングが苦笑していた。
「遠慮しなくていい、用が有るときは連絡をくれ」
『ああ、そうするよ』
「フェザーンの件だな」
俺の問いかけにキスリングは頷いた。
『知っているのか』
「オリベイラと第九艦隊司令部がペイワードに拘束された事はリヒテンラーデ侯から聞いた。元はレムシャイド伯だ」
俺はリヒテンラーデ侯との会話の内容をキスリングに伝えた。キスリングは所々で頷いている。
『俺の所にはラートブルフ男爵、シェッツラー子爵、ノルデン少将から連絡が有った』
「役に立っているようだね」
『とてもね。反乱軍や地球教からの接触は無いがフェザーンの状況は分かる。役に立っている、そう思っていたんだがな』
妙な言い方をするな、それにキスリングの口調には自嘲が有る。
「何か有るのかい」
『ラートブルフ男爵が妙な事を言ってきた』
「……」
『オリベイラが拘束された直後、ランズベルク伯と連絡を取ったらしい。その時、伯はこう言ったそうだ。“これでまた帝国への帰還が遅くなる”』
自分の表情が厳しくなるのが分かった。なるほど、そういう事か。
「伯はオリベイラ達と通じていたという事か、男爵はそれを知らなかった……」
『そういう事だな。……ラートブルフ男爵は謝っていたよ、ランズベルク伯を甘く見たと。自分達に相談する事無くそんな事が出来る男だとは思わなかったと』
キスリングが苦い表情をしている。ラートブルフ男爵以上にキスリングの方がショックを受けているようだ。
「成長したのかな?」
キスリングが笑い出した、俺も笑う。
『馬鹿、冗談言っている場合か』
「冗談じゃないさ、成長したのでなければ知恵を付けた人間が居る。捕虜になった連中には気を許すなとね。問題はそいつが誰かだな、オリベイラ達なら良い、そうじゃないなら問題だ」
『ルビンスキーか、地球教か』
「……さて、何者かな。まあ碌でもない奴である事は確かだろうね」
またキスリングが笑った。
『向こうもこっちの事をそう言っているさ』
違いない、他人を操って自分の思い通りにする人間など碌な奴じゃない。
「しかしこれで分かった。ハイネセンでは主戦派がクーデターを起こそうとしたが失敗したという事だろう。オリベイラ達は主戦派に与していた、或いはその疑いが有ったため拘束された」
『ペイワードはハイネセンの指示で動いた、そういう事だな』
「そういう事だろうね」
主戦派が潰されたか……、出来れば内戦で国力を消耗してくれれば有難かったんだが上手く切り抜けたようだ。手強いな、トリューニヒトは思ったよりも手強い。油断は出来ない。
主戦派の後ろには地球教が居るかもしれない。おそらく向こうも分かっているだろうがハイネセンには調査を依頼すべきだな。アンスバッハとフェルナーにも伝えておく必要があるだろう。
「ギュンター、ラートブルフ男爵に伝えてくれないか。私が感謝していると」
『分かった』
「それと無理はするなと伝えて貰いたい。もしかすると疑われている可能性が有る。無理は禁物だ」
キスリングが俺をじっと見ている。もしかすると、いや多分確実にランズベルク伯に知恵を付けた奴を探らせるべきだと思っているのだろう。そのためには多少の無理も止むを得ないと……。
「頼むよ、ギュンター」
釘をさしておこう、ラートブルフ男爵はこちらに協力的なようだ。使い捨てにすることは無い。
『分かった、伝えておこう』
キスリングが苦笑している。多分、俺の事を甘いと思っているんだろう。だがラートブルフ男爵がこちらの協力者だとばれればシェッツラー子爵、ノルデン少将の身も危うくなる。無理をする必要は無い……。
その後アンスバッハ、フェルナーへの連絡をキスリングが行う事を確認して通信を切った。いかんな、もう四時近い。それでもあと二時間程は眠れるか……。いや、考える事が有る、多分眠れないだろう。ユスティーナ、心配しているかもしれん。俺が通信音で起きた時、彼女も眼を覚ましていた。眠っていてくれれば良いんだが……。
帝国暦 489年 2月 20日 オーディン ミュッケンベルガー邸 ユスティーナ・ヴァレンシュタイン
夫が戻ってこない。夜中に通信が入って部屋を出て行ったきり戻ってこない。十分、三十分、一時間、そして二時間が過ぎようとしている。何か厄介な問題でも起きたのだろうか……。いや、夜中に夫を呼び出すのだ、重大な問題が起きたのは間違いない。
夫はガウンを着て行ったようだけど寒く無いのだろうか、何か着る物を持って夫のところに行こうかと思ったけど、大事な話の邪魔はしたくない。その程度の気遣いも出来ない女だとも思われたくない……、なんてもどかしいのだろう。
気にせずに休めと言われたけど、到底休むことなど出来そうにない。夫が国家の重臣で有る以上、こういう事が起きるのは仕方ないと理解はしている。でも、他の人達はどうなのだろう。私と同じように夫を待って眠れない夜を過ごしているのだろうか。
ドアが静かに開いた、夫が足音を殺して部屋に入ってくる。多分私を起こさないように気遣っているのだろう。眼を閉じて寝たふりをする、夫に無用な心配をさせたくない……。
衣擦れの音がする、ガウンを脱ぎ終わった夫がベッドにそっと入ってきた。眠らなくてはいけない、そう思った時だった、夫が小さく溜息を吐くのが聞こえた。眠れなくなった、夫が苦しんでいると思うと身体が不自然に強張る様な気がするし、呼吸も苦しい。
そのまま時間が過ぎた、五分? 十分? 突然夫がクスクスと笑うのが聞こえた。
「寝たふりは下手だね、ユスティーナ」
「……気が付いていらっしゃったの」
どっと身体から力が抜ける感じがした。
夫に視線を向けると夫は身体を私の方に向けていた。顔には穏やかな笑みが有る。私の好きな穏やかな、優しい笑み。私も夫の方に身体を向ける。
「心配しなくて良い。厄介な事ではあるが今すぐどうこうというわけではないから」
「でもさっき溜息を吐いて……」
「ああ、思うようには行かないと思ってね。なかなか手強い」
夫がまた溜息を吐いた。
「貴方でも思うようには行きませんの?」
「?」
「皆、貴方には出来ないことは無いと言っていますけど」
私の言葉に夫は笑い出した。
「思うようにいかない事ばかりだ。私の周りには喰えない人間ばかりいる」
「まあ、そんな人が居ますの」
夫が私を面白そうに見ている。
「ああ、寝たふりをして私を騙そうとする君とかね」
「まあ」
「こっちにおいで」
夫が笑いながら私を抱き寄せた。狡いと思う。本当に喰えないのはこの人、いつもこうやって私を思い通りに操るのだから……。
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