銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)
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第二百四十話 謀反に非ず その生き様を見よ
宇宙暦 798年 2月 19日 ハイネセン 最高評議会ビル ジョアン・レベロ
最高評議会ビルの議長室に四人の男が集まった。この部屋の主である最高評議会議長ヨブ・トリューニヒト、ボロディン統合作戦本部長、ホアン・ルイ人的資源委員長、そして私、財政委員長ジョアン・レベロ。
皆一様に表情は硬い。特にトリューニヒトの表情が険しい。この男がこれ程までに険しい表情をするのは珍しいことだ。国防委員長、ネグロポンティがクーデターに加わっている事がショックなのだろう。
「それで手筈は大丈夫なのかね?」
「問題は有りません。既に憲兵隊は手配を整えています。後はフェザーンとネグロポンティ国防委員長だけです」
私の言葉にボロディン本部長が答えた。その答えに皆がトリューニヒトに視線を向けた。
クーデターが起きる可能性が有ると分かってから四日が経った。この四日間、トリューニヒトは極秘でペイワードを相手にフェザーンにおけるクーデター勢力の鎮圧方法について調整していた。ようやくまとまったから集まってくれと言われたのが昨日だ。
「フェザーンは問題ない。ペイワードは協力を約束してくれた。彼にとってフェザーンの独立を維持するためにはクーデターなど許せるものではないからな、大丈夫だ」
自らに言い聞かせるような口調だった。
「彼に地球教の事を話したのか?」
「いや、そこまでは話していない。いずれ話すことになるとは思うけどね。ただ、身辺に注意するようにとは忠告しておいた」
ホアンとトリューニヒトが話している。
「彼はレムシャイド伯爵への連絡も自分がしても良いと言ってくれたが、それは断った。そこまでペイワードに頼んでは帝国にこちらの足元を見られるだろうからな」
トリューニヒトの言葉に皆が頷いた。
「そうなると残りはネグロポンティ国防委員長ですが……」
「彼はもうすぐここに来る」
「……」
「大丈夫だよ、ボロディン君。彼と話をするだけだ、その後は彼の身柄は君に預けることになる。他の連中の逮捕もすぐに行ってくれ」
ボロディン本部長が無言で頷いた。
ネグロポンティ国防委員長が議長室に来たのは三十分程経ってからだった。その三十分の長さは何とも言えない。一分一秒がその十倍の長さを持つかのように思えたし時間が経つにつれて議長室の空気は重くなる一方だった。彼が来たときには思わず安堵の溜息が出たほどだ。問題はこれからだというのに……。
「議長、お呼びと聞きましたが?」
「ああ、君に話しが有ってね」
ネグロポンティは何ら屈託の無い表情をしている。そして我々が部屋にいることに訝しげな表情をした。しかしそこには不安そうな様子は無い。一瞬だが本当にこの男がクーデターに関与しているのかと思った。
「君は私に不満が有るのかな、クーデターに関与しているそうだが?」
トリューニヒトの言葉に議長室の空気が重くなった。ボロディン本部長が静かに右手をブラスターにかけるのが見えた。恐らくは認めないだろう、あるいは抵抗するかもしれない。
「ようやく気付かれましたか……。心配していました、このまま気付かなければどうしようかと」
ネグロポンティは抵抗するでもなく否定するでもなくただ苦笑していた。
どういうことだ、ネグロポンティはクーデターに関与していることを肯定している。しかしそこには微塵も後ろめたさはない。それに心配していました? 思わずホアン、ボロディンを見た。彼らも困惑した表情をしている。
「どういうことだね、ネグロポンティ君。君は本当はクーデターには関与などしていないのではないかね。本当のことを話してくれ、君と私の仲じゃないか」
何処か縋る様なトリューニヒトの口調だった。しかしネグロポンティが首を横に振った。
「いいえ、私は主戦派とともにクーデターを計画しました。その事は事実です」
トリューニヒトの顔が苦痛に歪んだ。
「何故だ? 何故なんだ? ネグロポンティ」
「貴方のためです、トリューニヒト議長」
「私のため? どういうことだね、それは」
「この国にしぶとく蔓延る主戦派を一掃するためです」
「!」
思わずネグロポンティの顔を見た。穏やかな表情だ、何処にも気負いも野心も見えない。その表情のままネグロポンティが言葉を続けた。
「貴方にもそれはお分かりでしょう。それなしではフェザーンの返還、帝国との和平など不可能だという事が」
「……ネグロポンティ」
「以前から考えていました。同盟が帝国との協調路線を歩めるかどうか……。もちろん帝国がそれを受け入れるかどうかという問題が有りますが、それ以前に国内が纏まらなければ帝国に対し提案そのものが出来ません」
「そしてそのために常に障害となるのが主戦派です。その事は貴方が議長になってからの苦労を見ればわかる。常に主戦派に配慮して行動せざるを得なかった。そのために必要以上に国内調整に時間がかかっている」
ホアンが頷くのが見えた。その通りだ、同盟政府は常に主戦派に対して配慮して行動せざるを得ない。その分だけ行動が制約されるし時間がかかるのだ、つまり帝国が自在に手を打ってくるのに対しどうしても後手になりがちだ。その事に誰よりも苛立っているのはトリューニヒトだろう。
「つまり君はクーデター計画を探るために主戦派に近づいたというわけかね?」
トリューニヒトの言葉にネグロポンティは苦笑を漏らした。
「そうでは有りません。クーデターを計画したのは私なのです」
「ネグロポンティ君……」
「そう、私がクーデター計画の主犯です」
そう言うと今度は可笑しそうにネグロポンティが笑った。さっきから笑っているのはこの男だけだ……。
「何故だ? 何故そこまでする? 探るだけで十分だろう……」
問いかけたホアンにネグロポンティが答えた。
「私が主戦派に接触したのは例のフェザーン回廊での同盟軍と帝国軍の遭遇戦の直後です。最初は私もそう思っていました、主戦派を探るだけだと……。しかし、地球教の事を知って考えを変えたのです」
地球教、その言葉に皆が視線を交わした。
「同盟市民として反帝国感情、主戦論が有るのは仕方ない。しかし何らかの目的を持つ勢力に利用されるような存在は許すべきではないと……」
「だからクーデターを計画したというのか」
呻くようなトリューニヒトの口調だった。そしてネグロポンティの声はどこまでも穏やかで冷静だ。
「そうです、議長。不平分子、不満分子では排除はできません。また排除しても彼らに同情が集まるようでは逆効果です。だから彼らを反逆者にする必要が有ったのです。それなら問題なく排除できます」
「……」
「私を反乱の首謀者として逮捕してください。私は愚かにも貴方に不満を持ち自らがこの国の支配者になることを望んだ。しかし貴方にクーデター計画を見破られ、説得され全てを自白した……。それによってクーデターの参加者を逮捕したと」
「そうすることで私の立場を守れと言うのだね」
「そうです。貴方は傷付いてはいけない。最高評議会議長は誰からも尊敬され仰ぎ見られる強い存在でなければいけないのです……」
諭すようなネグロポンティの口調だった。
「何故だ、何故そこまでする。私が君にそんな事をしてくれと何時言った。何故だ?」
苦悩という言葉を人が表すなら今のトリューニヒトがそれだろう。声が表情がその全てが苦しみを表している。
少しの間沈黙が有った。ネグロポンティは苦しんでいるトリューニヒトを見ている。そしてゆっくりとした口調で話し始めた。
「ずっと考えていました。貴方にとって自分は何なのだろうと……」
「……」
「私は盟友ではなかった。貴方にとっての盟友はレベロ委員長でありホアン委員長だった。私は数多くいる取り巻きの一人でしかなかった……」
「ネグロポンティ君……。君は……」
「勘違いしないでください、議長。私はその事を残念には思いましたが不満に思ったわけではないんです。私の器量は貴方の盟友になるには何かが足りなかったのでしょう」
「……」
「だから私に何が出来るかを考えました。数多くいる取り巻きの一人だから、取り換えのきく存在だから、何が出来るかを考えました。そしてクーデターを考えたんです。私にできる、いえ私だからできるクーデターを」
「ネグロポンティ君……」
何かを堪えるようにトリューニヒトが呟いた。そんなトリューニヒトをネグロポンティは辛そうに見ていたが笑顔を浮かべると場違いなほどに明るい声で話し始めた。
「楽しかったですよ、議長。ほんの少し貴方の悪口を言い、ほんの少し主戦論を言うだけで良かった。それだけで主戦派は私を仲間だと思い近づいてきたんです。もう少しで本当にクーデターを起こしてしまうところでしたよ」
おどけたようにネグロポンティが話す。彼のトリューニヒトを思う気持ちが伝わってきた。遣る瀬無い思いに囚われているとトリューニヒトが呻くような口調で答えた。
「起こせば良かったんだ、そうすれば君を憎み蔑むことが出来た。起こせば良かったんだ……」
「議長……」
トリューニヒトは俯きネグロポンティも俯いている。
「私の後任はアイランズをお願いします」
「アイランズ……。彼は知っているのか?」
二人とも小さな声だった。俯きながら小さな声で話している。相手の顔を見ることを、大きな声で話すことを恐れているかのようだ。
「全て知っています。彼はこの計画に反対でした。ですが最後は理解してくれました。彼ならこのクーデター計画で得た成果を十分に利用してくれると思います」
「分かった、そうしよう」
ネグロポンティが私とホアンを見た。
「議長の事を宜しくお願いします」
何も言えずただ頷いた。ホアンも一緒だ。
「ボロディン本部長、これまで色々と迷惑をかけた。アイランズと上手くやってくれ、議長を頼む。議長には君達の協力が必要だ」
「承知しました」
「それと憲兵隊を呼んでくれ、私の逮捕だ」
「既に手配は済んでいます」
ボロディン本部長の言葉に嘘はなかった。三分と待たずに憲兵隊が議長室にやってきた。ボロディン本部長と憲兵隊がネグロポンティの身柄を拘束し連れ去ろうとする。その後ろ姿にトリューニヒトが声をかけた。
「ネグロポンティ君、忘れないで欲しいことが有る」
「……」
「私が居たから君が居たんじゃない、君が居たから私が居たんだ。君は私が誰よりも信頼する友人だった。忘れないでくれよ、その事を」
ネグロポンティは何も言わなかった。だが小刻みにその肩が揺れているのが見えた。そして議長室を出て行った。
「レベロ、私は何をやっているのかな」
「……」
「主戦論を煽った、そしてそれに振り回されている。その挙句にネグロポンティに後始末をさせた。しかも彼を犠牲にしてだ……」
泣いているのか、トリューニヒト……。シャンタウ星域で一千万人死んでもお前は動揺を見せなかった。それなのに今のお前はネグロポンティを失う事にこんなにも動揺している。
「しっかりしろ、トリューニヒト。そんなことでネグロポンティが喜ぶと思っているのか? お前は最高評議会議長なんだ、その事を忘れるな」
「私は友人のために泣くことも許されないのか」
泣き笑いの声だった。いつも陽気で冷酷で楽観的なこの男がこんなにも自虐的な笑みを浮かべている。ネグロポンティの馬鹿野郎、お前は正しいのかもしれない。だがどうしようもない馬鹿野郎だ。
「今日だけは許してやる。だが明日は許さん、分かったな」
「今日だけは許してやるか……。君は優しいな、レベロ」
「やかましい! さっさと涙を拭け、お前の涙など見たくもない、今日は厄日だ!」
トリューニヒトの笑い声が聞こえた。泣きながら笑っている。全くどうしようもない奴だ、こっちまで涙が出てきた。ホアンも鼻をすすっている。ネグロポンティの馬鹿野郎、お前の所為だ、今日は最悪の一日だ。
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