銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)
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第二百二十九話 末裔
帝国暦 488年 10月 31日 オーディン ゼーアドラー(海鷲) ウルリッヒ・ケスラー
「いよいよ明日か、メックリンガー提督」
「うむ、待ち遠しいことだ」
私の言葉にメックリンガーは笑みを浮かべながら答えた。上機嫌だ、グラスを口に運んで一口飲む。笑みが消える事は無い。
「羨ましい事だ、俺も行きたかったのだがな」
「戦争では無いのだぞ、交渉の取りまとめもする事になるがそれでも卿は行きたいかな?」
「いや、それはちょっと」
ビッテンフェルトとメックリンガーの会話に皆が笑い声を上げた。ビッテンフェルトの隣に座っていたアイゼナッハがビッテンフェルトの肩を叩いた。その姿にまた笑い声が上がる。
捕虜交換の調印式は当初年明け早々の予定だったが、同盟からの依頼で年内に行われる事になった。今年最後の政府からのプレゼントにしたいらしい。まあそれは帝国も同じだ。両国の思惑が一致した事で調印式が年内に繰り上がった。
司令長官は十一月の中旬にはオーディンを発つ。メックリンガーは司令長官がイゼルローン要塞に着くまでの二週間程度の間に同盟と捕虜交換について調整しなければならない。責任は重大だが、本人はあまり気にしてはいない。司令長官からは捕虜交換を優先させる事、帝国の面子は二の次にするようにと言われたそうだ。
今夜はメックリンガーの出発を前に私、メックリンガー、クレメンツ、アイゼナッハ、ルッツ、ファーレンハイト、ワーレン、ビッテンフェルト、ミュラーの面子で飲んでいる。司令長官も後から来る。司令長官がゼーアドラー(海鷲)に来るのは久しぶりだ。新婚生活の様子も聞かなくてはなるまい、楽しくなりそうだ。
こうして大勢で飲むのも久しぶりだ。内乱から国内警備と作戦が続いて飲む暇が無かった。それでも内乱のときは緊張して不満は無かった。だが国内警備は退屈だった。海賊や貴族連合の残党を討伐したが、正規艦隊にとっては小競り合いにもならない。気を引き締め、任務に集中するのはなかなか至難の事だった。
警備任務で緊張したのはビッテンフェルトだけだろう。フェザーンでの紛争を聞いたときには驚いたが、司令長官が戦闘を許可した事にも驚いた。ビッテンフェルトはあの時ばかりは戦闘が怖かったと言っているがその気持は分かる。
ハルバーシュタットは戦闘の許可がでたときには聞き間違ったのだと思いオペレータに問い返したそうだ。自分が聞き間違っていないと分かっても信じられずもう一度ビッテンフェルトに“本当に戦って良いのですか、冗談ではないのですね”と問い返したと聞いている。
「ヤン・ウェンリーとはどういう人物かな? 写真を見る限りではとても軍人には見えんが」
「見かけで判断しないほうがいいぞ、ファーレンハイト。我等が元帥閣下も軍人には見えん」
ルッツの言葉にファーレンハイトは苦笑して頭を掻き皆は笑い声を上げた。
皆がヤン・ウェンリーと会いたがっている。第三次ティアマト会戦、第七次イゼルローン要塞攻防戦、シャンタウ星域の会戦、そのいずれの戦いでも抜群の働きを見せた。特に第三次ティアマト会戦、第七次イゼルローン要塞攻防戦では英雄と呼ばれている。
第七次イゼルローン要塞攻防戦後にヴァレンシュタイン司令長官は決して五分の兵力では戦うな、最低でも三倍の兵力はいる、と我々に注意した。司令長官が其処まで危険視するヤン・ウェンリーとはどのような人物か、皆興味津々なのだ。
「暇なときにシミュレーションを申し込んではどうだ? メックリンガー」
「まあ受けてはくれんだろう」
けしかけるようなクレメンツにメックリンガーが冷静に答えた。二人の会話に皆が頷いている。メックリンガーの言うとおり、難しいだろう。どちらが勝っても変なしこりが残りそうだ。本人達ではなく周囲が騒ぐだろう。
「まあ、シミュレーションは止めておくのだな。今回は捕虜交換に集中したほうが良い」
「ケスラー提督の言うとおりです。司令長官はシミュレーションが嫌いですからね。イゼルローンでヤン提督とシミュレーションをしていたなどと聞いたら気を悪くしますよ」
ミュラーの言葉に何人かが肩を竦めた。司令長官のシミュレーション嫌いは皆が知っている。“戦争の基本は戦略と補給”、それが司令長官の口癖だ。実際その通りなのだが司令長官くらい徹底している軍人はいない。だからこそ司令長官が務まるのだろう……。
「今度オーディンに戻ってくるのは三ヵ月後か……。帝国はまた変わっているだろうな、楽しみだ」
「卿、それが楽しみでイゼルローンに行くのではないだろうな?」
クレメンツの言葉に皆が笑い声を上げた。メックリンガーも笑っている。国内警備の任を終えオーディンに戻って一番最初に思った事がそれだ。帝国は変わった。これからも変わる、良い方向にだ。
誰よりも一般兵士達がそれを理解している。そしてそのために自分達は戦っているのだという気概を持っている。今回司令長官は自分たちが警護に就く事に当初良い顔をしなかった。兵士達を休ませてやりたいと思ったのだろう。だが警護に就きたがったのは兵士達の方なのだ。捕虜交換に役に立ちたい、司令長官と共に帝国を良い方向に変えたい、そう思っている。
そんな兵士達や我々にとってキュンメル男爵邸で起きた事件は恐怖以外の何物でもなかった。いくら婚約者を人質に取られたからといって、助かる成算が有ったからと言ってゼッフル粒子の充満した屋敷に出向くなど司令長官は一体何を考えているのか! おまけに自分が死んでも帝国には何の変化も無いなど、余りにも無自覚すぎる。
内乱の時もそうだった。自らを囮にする作戦を実行するなど無茶が多すぎる。反対したが他に手が無いと押し切られた。一体なんであんなに無自覚なのか、上に立つものとして無責任に過ぎよう。皆がその事では憤慨している。
リヒテンラーデ侯達も頭に来たのだろう、司令長官をフロイライン・ミュッケンベルガーと即結婚させた。これで少しは司令長官も自重と言う言葉を覚えるだろう。出来れば早く子供も生まれて欲しいものだ。人の親になれば少しは自分の命について責任を持ってくれるに違いない。
ゼーアドラー(海鷲)の入り口のほうでざわめきが起きた。どうやら司令長官が来たらしい。視線を向けると司令長官とリューネブルク大将の姿が見えた。司令長官がこちらを見ると笑みを浮かべて軽く右手を上げた。その姿に皆が笑みを浮かべ視線を交わした。今夜は楽しくなりそうだ……。
宇宙暦 797年 11月 6日 ハイネセン 統合作戦本部 ジョアン・レベロ
「それで、軍は何か分かったかね?」
「地球教ですが信徒が憂国騎士団にかなり浸透しているようです」
トリューニヒトの問いかけにボロディン本部長が言い辛そうに答えた。そんなボロディンの姿にトリューニヒトが苦笑を漏らす。
「私に対する遠慮は無用だ、彼らとは今では何の関係も無い。それで他には?」
「彼らは憂国騎士団の中でももっとも過激な主戦論を展開しています」
「煽っているということか……」
「そういうようにも見えます」
応接室の中で視線が交錯した。トリューニヒト、ホアン、ネグロポンティ、ボロディン、ビュコック、グリーンヒル、私、そして応接室のスクリーンにはヤン・ウェンリーが映っている。重苦しい沈黙が落ちた……。主戦論を煽っているだけ……。普段なら”馬鹿どもが”と眉を顰めて終わりだろう。しかし例の推論が正しければ同盟と帝国の共倒れを狙っての事という事になる、眉を顰めて済む問題ではない。
「他には何か分かったかね」
「今のところはまだ……」
ボロディン本部長の答えに彼方此方で溜息が漏れた。反国家活動をしているならともかく、主戦論を煽っただけでは取り締まりは出来ない、そう思ったのだろう。
「レベロ委員長、そちらは何か分かりましたか?」
「残念だが文書の類は残っていなかった」
ビュコック司令長官の問いに私が答えるとまた溜息が漏れた。
「そうがっかりするな、文書は残っていなかったが人は残っていた」
「?」
私の言葉に皆が、トリューニヒトを除いた皆が訝しげな顔をした。
『人は残っていたとはどういうことでしょう? 当時の関係者は生きていないはずですが……』
ヤン・ウェンリーが問いかけて来た。何人かが同意するかのように頷く。
納得のいかない表情をしている彼らにトリューニヒトが説明を始めた。取引は同盟人が行ったであろうこと、その人物、おそらくは財界人と思われるが彼らをラープ達に紹介したのは同盟の政治家であろうこと、そして彼らとフェザーンの関係は彼らの末裔に継がれている可能性が高いこと、財界人の末裔は私が、政治家の末裔はトリューニヒトが調べたこと……。
「なるほど、トリューニヒト議長の仰る通りです。それで見つかったのでしょうか?」
「ああ、見つかったよ。グリーンヒル総参謀長」
皆の視線がトリューニヒトに集中する。その視線を浴びながら不機嫌そうにトリューニヒトは言葉を続けた。
「彼は自分の先祖がレオポルド・ラープに協力してフェザーンの成立に関与したことを認めた」
彼方此方で溜息が漏れた。
『では、地球が関与していることも認めたのですか?』
「いや、それは知らなかった。彼が認識していたのは地球出身の商人、レオポルド・ラープと自分の先祖が協力してフェザーンを創ったということだけだ」
つまり、ヴァレンシュタイン元帥の推論のうち半分は正しいと証明された。だが肝心の地球との関与ははっきりとしない。フェザーンの背後に地球がいるのか、地球は同盟と帝国の共倒れを狙っているのかは分からない……。
「彼は自慢していたよ……、自分の先祖が同盟の危機を救ったとね。先祖はそうかもしれんが本人はフェザーンの操り人形だ。愚かな……」
トリューニヒトが嫌悪も露わに言い捨てた。その口調に皆不審そうな表情を浮かべた。
「トリューニヒト、それは誰だ?」
ホアンが問いかけて来た。トリューニヒトは答えない、顔を顰め沈黙している。
「トリューニヒト? レベロ、君は知っているのか?」
「知っている」
「誰だ?」
私はトリューニヒトを見た。トリューニヒトが仕方が無いといった表情をした。
「ロイヤル・サンフォード前評議会議長だ」
「!」
トリューニヒトの言葉に声にならない声が応接室に溢れた。視線が彼方此方に飛ぶ。
「本当なのですか?」
「本当だ、ビュコック提督」
信じ難いといった口調のビュコック提督に対しトリューニヒトの言葉はそっけないほどに事務的な口調だ。彼の言葉は嘘ではない、私と共に確認したのだ。もっとも今では彼と会ったのはまるで毒を飲まされたようなものだと思っている。トリューニヒトも同じ思いなのだろう。
サンフォード家は代々政治家を輩出してきた家だ。そして前議長は凡庸と言われながらもどういうわけか議長にまでなった。おそらくはフェザーンの協力があったからだろう。だがトリューニヒトがサンフォードを疑ったわけは他にもある。
「イゼルローン要塞攻略直後のことだが、贈収賄事件が発覚した。当時の情報交通委員長が関与した事件で彼は辞任、後任にはコーネリア・ウィンザーが就任した」
コーネリア・ウィンザー……。その名前を私が口にすると皆が顔を顰めた。皆彼女が政権保持のために帝国領出兵に賛成した事を知っている。
「賄賂を贈った企業はフェザーン資本の企業だった。そして政府内部にはある噂が流れた。その企業は他の人間にも賄賂を贈っていると……。ホアン、君も知っているだろう?」
私の言葉にホアンが顔を顰めた。
「……知っている。サンフォードだ、彼に金が流れたと……、しかしよく認めたな」
「シャンタウ星域の会戦以来、フェザーンはサンフォードを切り捨てた。あれだけの敗戦だ、サンフォード家はもう役に立たない、そう思ったのだろうな。それにフェザーンも今では同盟の占領下にある。サンフォードもフェザーンを見切ったと言う事さ」
トリューニヒトが冷笑を浮かべている。いつもの愛想の良い笑顔ではない。
「当時私とトリューニヒトの間で和平を結ぶのならサンフォード議長では無理だと言う話が出た。百五十年続いた戦争を終わらせる、国民だって簡単には納得しない、余程の覚悟が要るだろう。トップがふらついては無理だとね」
「……」
「示し合わせたわけではないが、私とトリューニヒトは密かにサンフォード議長の引き降ろしを別個に図った。材料は例の贈収賄事件だ。だが帝国領出兵が決まり引き降ろしは出来ずに終わった……」
「……」
「その帝国領侵攻作戦だが、あれにはフェザーンが絡んでいるようだ」
私の言葉に皆の視線が集まる。
『どういうことです、レベロ委員長。あれはヴァレンシュタイン元帥の謀略にしてやられたのではないと?』
スクリーンに映るヤン提督が訝しげな表情を見せた。
「いや、それも有るだろう。だがフェザーンが関与したのも事実だ。サンフォードが認めた」
「……」
「当時帝国とフェザーンの関係は決定的に悪化していた。理由はフェザーンが同盟のイゼルローン要塞攻略作戦を事前に帝国に通報しなかったからだ。故意か過失なのかは分からない。だが帝国はこの時からフェザーンを明確に敵として認識するようになった」
『つまり、帝国の眼をフェザーンから逸らすために同盟を利用する必要があった?』
「そうだ、フェザーンから帝国の目を逸らしてくれと依頼を受けたサンフォードは軍部から提出された出兵案を受け取った。本来なら統合作戦本部を通せというべきものだ。一つ間違えばそれを理由に我々に責められる事になる。にも関わらず受け取ったのは彼にとっては私とトリューニヒトの退き下ろしよりもフェザーンからの依頼のほうがウェイトは重かったからだ」
思わず自嘲が漏れた。あの男は私とトリューニヒトの追及を逃れる自信が有ったのだ。だが私達はそうは思わなかった。私達の動きに恐怖したのだと思った。自分達を過大に評価したのだ。そうでなければあの時にフェザーンの関与を知る事が出来たかもしれない。そうであればあの出兵を止められたのかもしれない……。
いや無理か……。帝国とフェザーン、そして同盟でも多くの市民があの出兵に賛成したのだ。いってみれば、この宇宙の殆どがあの出兵を支持し、後押ししたという事になる。止める事など出来なかったに違いない……。何と無力な事か……。
しばらくの間沈黙が応接室を支配した。皆身動ぎもせず黙っている。何を考えているのか……。あの戦争の事か、それとも和平の難しさについて? あるいはフェザーン、いや地球の事か。
「あと一ヶ月もすればヴァレンシュタイン元帥がイゼルローン要塞に来る。こちらも対応を決めねばならんだろう」
トリューニヒトの言葉に皆が頷いた。
「正直に言うしかないだろうな。フェザーンの成立に同盟が絡んだ事は認める。しかし、地球とフェザーンの関係は分からなかった。また地球教に関しても主戦論を唱えている事は認めるが反国家的な行動はしていないと」
「つまり地球教を禁止、弾圧する事は出来ない……。レベロ、君はそう言うんだな」
「その通りだ、今の時点では無理だ」
「それで納得するかな、向こうは」
ホアンが首を捻っている。
「ホアン、レベロは今の時点ではと言っているんだ。この後何らかの証拠が同盟で発見されるか、あるいは帝国から提供されれば話は別だ。国家にとって危険だと判断できれば当然処断する」
「なるほど……」
トリューニヒトの言葉にホアンが頷いた。それを見てトリューニヒトがヤン提督に問いかけた。
「ヤン提督、君はどう思うかね」
『そうですね、私も今の時点では動きようが無いと思います。議長の仰るとおり何らかの新しい情報が手に入らないと……。地球は帝国領内に有ります、帝国は彼らを調査しているはずです。その結果を待ちたいと答えてはどうでしょう?』
「そうだな、地球に関しては我々よりも帝国のほうが情報を得やすいはずだ。その結果を待つとするか。ヤン提督、その方向で対応してくれ給え」
トリューニヒトの言葉にヤン提督が頷いた。良い感じだ、少なくとも最初の頃のように不信感を露わにするような事は無くなった。少しずつだがトリューニヒトは信頼されるように成ってきたようだ……。
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