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銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)

作者:azuraiiru
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第二百二十五話 余波

帝国暦 488年  8月 26日  オーディン  宇宙艦隊司令部 エーリッヒ・ヴァレンシュタイン


「じゃあ、キュンメル男爵は協力者については何も知らないのか?」
「ああ、共犯者については何も知らないと言って良い。彼が地球教徒で有る事も知らなかったよ」
応接室で話すフェルナーの口調にはどこか呆れたような響きがあった。

フェルナーの気持は分かる。彼を愚かだと思っているのだろう、ものの見事に地球教に利用されたと。しかし俺はフェルナーに同調できない。俺だって自分の体がもっと丈夫だったらと思うことはある。

この世界に来る前、佐伯隆二の体はごく普通に健康だった。だがエーリッヒ・ヴァレンシュタインの体はキュンメル男爵程ではないが丈夫とは言えない。もどかしさを感じる事も有るし丈夫な連中を見ると羨ましくなることもしばしばだ。

誰だって心に闇を持っている。キュンメル男爵はその闇を突かれた。俺が生き残れたのは彼の良心、そして羞恥心を呼び起こしたからだ。元々愚劣な人間ではない、闇から解放されれば俺を殺そうとは思わない……。酷いことを言ったがあれは止むを得なかった……。

「ゼッフル粒子発生装置の入手経路は?」
「ゼッフル粒子発生装置の購入者リストを洗ったがヴァルター・ローリンゲンの名前は無かった。本当の名前で買ったとは思えないから教団が用意した可能性もある。どちらにしろ直接業者からは購入していないと思うし、間に何人かを経由しているだろう、追うのは無理だ」

キュンメル事件の協力者、いやむしろ主犯と言って良い男は現在行方不明になっている。ヴァルター・ローリンゲン、それが彼の名前だったが偽名だった。写真も無くキュンメル家の人間の記憶を基に作成された似顔絵が有るだけだ。

「生きているかな?」
「分からない、そのうち死体で見つかるかも知れない」
「顔を潰されていたら迷宮入りだな……」
フェルナーが面白くもなさそうに頷いた。そんな顔をするな、面白くないのはこっちも同じだ。

「アントン、明日の準備は?」
「出来ている、問題は無い」
「そうか、気をつけて行ってくれ」
俺の言葉にフェルナーは頷いた。フェルナーは明日、イゼルローン要塞に向かって出立する。戻ってくるのは約三ヶ月後になるだろう。

「最新鋭艦を用意してくれたそうだな」
「最新鋭と言っても巡航艦だよ」
「しかし、向こうに見られるぞ、良いのか?」
フェルナーが心配そうな顔をした。まあそうだな、最新鋭艦を使えば当然向こうは注目するし性能を調べようとするだろう。本来は良くないのだが今回は別だ、最新鋭艦を使う必要がある。

「卿の任務はそれだけ重要なんだ、老朽艦で送り迎えをしては話そのものが信用されないかもしれないからね。護衛を三百隻付けるのもそれが理由だ」
「なるほど、信用付けのためか」
フェルナーが納得したように頷いた。使者を出す、出す以上は出来る限りの支援をすべきだろう。まして話が話だ、一つ間違えば気が狂ったと思われかねない。

「ところでエーリッヒ、何時引っ越すんだ」
「……三日後だ」
「そんな嫌そうな顔をするな。フロイライン、いやフラウに失礼だぞ」
「冷やかさないでくれ」
誠実さが欠片も無い、ニヤニヤしながら言うな、フェルナー。

自分でも分かる、俺の顔はしかめっ面になっているだろう。あの事件の後、爺様連中がいきなりユスティーナと結婚しろと言って来た。結婚は捕虜交換の後のはずだ、そう抗議したがまるで聞いてもらえなかった。

お前のような思慮分別の無い小僧には重石が要る、さっさとユスティーナと結婚しろ。それがリヒテンラーデ侯の言葉だった。そうは言っても住居は決まっていないし、結婚式の準備など何も出来ていない。大体艦隊司令官達は作戦行動中なのだ、彼らの居ない間に式など挙げたらブウブウ言い出すだろう。

俺の反論はものの見事に粉砕された。エーレンベルクが式は後でいいから先にユスティーナを入籍させろと言って来た。手際のいい事に婚姻届まで用意している。おまけに住居も用意されていた。ミュッケンベルガー家だ、元帥父娘と同居しろとのことだった。当然だがミュッケンベルガー元帥の了承は事前に得ている。

半ば強制的に婚姻届を書かせられるとシュタインホフが止めを刺してきた。“これで卿が死んだら、ユスティーナは未亡人になる。少しは自分の命を大事にするのだな、無茶はいかんぞ”。全く碌でもない爺どもだ。

「式を挙げるのは俺が帰ってからにしてくれよ」
「式は捕虜交換の後だ、心配しないで良いよ」
「そうか……。あれで終わりとは思えない、気をつけろよ、エーリッヒ。連中は危険だ、これからも卿を狙ってくるぞ」
「ああ、分かっている」

フェルナーが帰った後、俺は一人応接室に残った。皆少し心配しすぎだ、俺の死が帝国の崩壊に繋がるかのように心配している。しかしそれは無い、俺は皇帝ではないのだ。俺は帝国軍三長官の一人、しかも第三位の宇宙艦隊司令長官でしかない。痛手ではあるだろうが致命傷ではない。

そして俺が望む宇宙の統一、国政の改革は皆が理解し進めようとしている事だ。たとえ俺が死んでも帝国の進路は揺るがない。多少の混乱は有っても最終的にはより堅固になるだろう。帝国は動き出したのだ、もう後戻りはできない。俺が死んでも流れが変わることはない。

原作のキュンメル事件でラインハルトが暗殺されたのなら帝国が崩壊した可能性は有るだろう。彼は後継者が居ない皇帝だったし親類縁者にも有力者は居なかった。アンネローゼが居たが彼女に帝国を統治し部下を統括するだけの力量が有ったとは思えない。

ラインハルトの死によって誕生まもない帝国は間違いなく混乱しただろうし、場合によってはアレクサンダー大王死後のマケドニアのように部下達によって分割された可能性もある。アレクサンダーには子供がいたが全て殺された。彼の血統は断絶している。

アンネローゼは一度も帝国の統治に関わった事は無いのだ。血の繋がり、それだけで周囲が彼女を女帝として認める事が出来たかどうか……。それが出来ると思ったのならオーベルシュタインはあそこまで同僚達の力を抑えようとはしなかったはずだ。

ローエングラム朝銀河帝国は脆弱だった、だからオーベルシュタインの存在する余地があった。今の帝国にはオーベルシュタインは必要ない。そんな脆弱さとは無縁なのだ……。


宇宙暦 797年  8月 26日  ハイネセン  ある少年の日記

八月十五日

大変なことが起こった。お昼のニュースでとんでもないことを言っていた。フェザーン回廊で同盟軍と帝国軍の間で戦闘が起きたらしい。戦闘が起きたのはフェザーン回廊の帝国よりの宙域で本当なら同盟軍は行ってはいけない処なのだそうだ。

学校でも午後からはそのニュースで持ち切りだった。捕虜交換にも影響が出るかもしれない、帝国は内乱が終わったから今回の件をきっかけに戦争を仕掛けてくるかもしれないと皆が言っている。

でも皆が不思議がっている。同盟軍はなんでわざわざ行ってはいけない処に行ったのだろうって。そんな事をしたら大変なことになるって分かるはずだ。僕だって分かるのに何でだろう? 本当に帝国よりの場所で戦闘が始まったのだろうか? もしかすると帝国に上手くやられたんじゃないだろうか? ヴァレンシュタイン元帥が何か仕掛けたんじゃないだろうか?

夜になって詳しいことが分かった。戦闘が起きた場所は間違いなくフェザーン回廊の帝国よりの宙域らしい。それも帝国軍は三千隻、同盟軍は二千隻、同盟軍が不利なのにこちらから挑発行為をしたらしい。

帝国軍が何度も警告し退去を命じたのに無視して帝国軍に近づいたそうだ。話を聞いていると同盟軍に非が有るように見える。ヴァレンシュタイン元帥は関係ないみたいだ。でも味方が不利なのに近づくってどういうことだろう? なんだかさっぱり分からない。

八月十六日

今日の朝のニュースでも一番最初に報道されたのはフェザーン回廊での戦闘のことだった。同盟軍はかなり劣勢で危険な状態らしい。同盟軍の指揮官はサンドル・アラルコン少将という人だ。なんでも主戦派の一人らしいんだけど今回の戦闘もここ最近の帝国との協調路線に反発してのことじゃないかとアナウンサーが言っていた。第三艦隊司令官のルフェーブル中将はアラルコン少将を救うために艦隊を出動させたそうだ。

いいのかな? 戦闘が激しくなっちゃうんじゃないの? そう思ったけど軍の発表では味方を救うためなんだそうだ。アラルコン少将は自力では撤退できないくらい劣勢らしい。自分で喧嘩を売っていてやられてるなんて、情けない奴、主戦派だって言ってたけど本当なのかな?

政府は帝国側にはあくまで味方を収容するのが目的だと伝えたらしい。帝国側は最初は納得しなかったらしいけど、最後は認めたらしい。もっともルフェーブル中将がアラルコン少将を収容する前に彼の艦隊は壊滅しちゃうんじゃないか、って皆が言っている。

帝国軍の指揮官の名前もわかった。ハルバーシュタット大将、黒色槍騎兵という艦隊の副司令官らしい。司令官はビッテンフェルト上級大将、シャンタウ星域の会戦でも活躍した提督でパエッタ元帥の艦隊はあっという間に粉砕された。

今回戦ったのは部下のハルバーシュタット大将だけどそれでも帝国屈指の精鋭部隊だ。アラルコン少将は何を考えていたのだろう? 負けても戦争がしたかったのだろうか? 本当はただのバカなんじゃないの、アラルコン少将って。

皆怒っている、これが原因で戦争になったら捕虜交換が取りやめになってしまう。彼らが帰ってくるのを待っている人が居るのにそれを無視するなんて、アラルコン少将なんて思いっきりやられてしまえばいいんだと言ってる人もいる。

政府も軍の上層部も今回の件ではアラルコン少将を厳しく非難している。もしこれが原因で捕虜交換が無くなったら、捕虜の家族に八つ裂きにされるだろう。戦死したほうが彼のためだってアナウンサーが言っていた。ちょっと酷い言い方だけど八つ裂きって言うのは大袈裟じゃない、僕の周りでも同じようなことを言ってる人が居る。

夜遅くなって戦闘が終結したことが分かった。帝国軍はルフェーブル中将が戦場に着くまでに撤退したそうだ。ただしアラルコン少将の艦隊はかなりの損害を受けたらしい。ニュースではアラルコン少将は帝国軍からキツイお仕置きを受けた、と言っていた。情けない奴だ。どうやら今回の件はヴァレンシュタイン元帥は関係ないみたいだ、多分アラルコン少将が馬鹿なだけなんだろう、本当に情けない奴だ。

八月十八日

今日、フェザーンで帝国、同盟両国の高等弁務官による共同会見が有った。内容は先日の軍事衝突が同盟と帝国の関係を悪化させるものではないと言うことだった。あれはアラルコン少将個人の愚かな行為で同盟政府の悪意ある挑発では無いとなったようだ。

捕虜交換が行われることが改めて発表された。今回の戦闘は馬鹿げたことだけれど捕虜交換の実施が改めて確認されたことは良いことだと皆が言っている。僕もそう思う、今回の戦闘の唯一の収穫だ。

会見はちょっと面白くなかった。オリベイラ弁務官はちょっと気まり悪げだった。気持は分かる、僕だってオリベイラ弁務官の立場だったら決まりが悪いよ。それに比べてレムシャイド伯は余裕だった。内乱前に有った共同会見でもレムシャイド伯は堂々としていた。恰好良いとは思うけど面白くない、一度面目なさげな伯爵を見てみたいと思う。

会見終了間際、レムシャイド伯は席を立ちながらさらっとトンデモナイことを言った。“帝国は劣悪遺伝子排除法を廃法にする”。会見を取材していた記者たちも一瞬何を言われたのか分からなかったみたいだ。分かった時にはレムシャイド伯は会見場には居なかった。皆大騒ぎだった。多分伯爵は何処かでそれを見て楽しんでいたんだろう、嫌な奴だ。

劣悪遺伝子排除法って、簒奪者ルドルフが作った法律で人民を弾圧し迫害することになった法律だ。自由惑星同盟が誕生したのもこの法律の所為だと言う人もいる。今ではほとんど意味を持たない法律らしいけどルドルフが作った法律だから廃法には出来なかったようだ。

それが今回廃止される……。今日のニュースは捕虜交換よりも劣悪遺伝子排除法が廃止されることばかりを取り上げていた。帝国は変わったと言っていたけどどういうことなんだろう、ちょっと良く分からない。帝国との講和とか言ってる人もいたけど意味のない法律を廃止するだけで和平を結ぶの? 馬鹿馬鹿しい、帝国相手に和平なんてありえない、何考えてるんだろう……。


宇宙暦 797年  8月 20日  ハイネセン  最高評議会ビル  ジョアン・レベロ


「とりあえず終わったな、トリューニヒト」
「ああ、終わった」
私の目の前でトリューニヒトは疲れたような声を出した。実際に疲れているのだろう。今回の一件では随分と忙しい思いをした。

同盟の政官財界には色々な考えを持つ人間が居る……。捕虜交換の実現を心配する者、戦争を望む主戦派、帝国との和平を望む者、そしてフェザーンを支配するべきだと考えている者……。

それらがマスコミに自分の意見を伝え、マスコミはそれを報道する。市民がどの程度自分の考えを支持するか確認しようというのだろう。そしてその度にマスコミは政府の考えを、トリューニヒトがどう考えているかを聞きに来る。トリューニヒトにしてみれば連中の考えが分かるだけにうんざりするのだろう。

「アラルコン少将の取り調べはどうなっているんだ?」
「始まったばかりだ、ボロディンからはまだ報告はない」
アラルコン少将に協力者がいるのか、居るとすれば誰なのか、どこまで広がっているのか……。主戦派だけの企みなのか、それとも他に別な思惑を持った人間が居るのか……。終わったのは帝国との紛争の後始末だけだ。同盟ではこれからが本当の後始末が始まる。

「レベロ、例の報告書だが君は見たか?」
「ああ、見たよ。なかなかショッキングなことが書いてあったな」
「ああ」

例の報告書、軍の情報部が亡命者達から得た帝国の情報をまとめたものだ。多くの貴族、軍人達から聞き出した情報は千金の価値が有るだろう。表紙には“極秘”とスタンプが押されていた。普段なら馬鹿な官僚が訳も分からずに押したのだろうと毒づくところだが今回はそれを押すだけの価値はある。

「以前君は言ったな、リヒテンラーデ侯とヴァレンシュタイン元帥の協力体制は盤石だと……」
「ああ、言ったな」
「その理由が同盟を征服する、正確には宇宙を統一するためとはね。驚いたよ」

報告書によれば両者は内乱を乗り切るために一時的に手を結んだというわけではない。国政改革も貴族達を暴発させるためだけに行うのではなく、同盟の征服を考慮しての事だと書かれていた。いや、それ以上に門閥貴族の存在そのものが宇宙の統一には邪魔になると両者は判断したのだろう。

リヒテンラーデ侯が何故改革を認めたのか、ようやく分かった。シャンタウ星域の会戦で同盟軍は著しく弱体化した。宇宙の統一が可能になった。だから同盟が帝国の支配を受け入れやすいように邪魔なものを切り捨て、必要なものを取り入れ始めた、そういうことだろう。

劣悪遺伝子排除法が廃法になったのもその所為だ。意味の無い、名前だけの法律……。ルドルフが作成したから名前だけ残っていた法律だが、その名前さえ存続を許されなくなった。帝国は本気だ、情報の確度はかなり高い。

「レベロ、帝国との和平は難しいかな、どう思う?」
「……難しいかもしれん。しかし諦めるべきじゃない」
「……そうだな、戦備を整えつつ和平の機会を窺うか……。難しい舵取りになるな」

トリューニヒトが憂鬱そうに呟く。トリューニヒトが疲れたように見えるのは報告書の件もあるのかもしれない。帝国は国家目標がはっきりしている、そして着実に国の体制を整えている。それに比べて同盟は……、憂鬱にもなるだろう。

「トリューニヒト、先ずは捕虜交換を片付けよう、そうすれば軍の戦力は上がる」
私の言葉にトリューニヒトが頷いた。彼が議長に就任してまだ一年に満たない、しかしトリューニヒトの髪には白いものが混じり始めている。戦争だけが戦いじゃない、政治だって戦いなのだ。負けるわけにはいかない……。



 
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