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フロンティアを駆け抜けて

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死霊の誘い

今更語るまでもないことだが、ジェムはお化けや霊が好きだ。尊敬する父親が使うのは全てゴーストタイプのポケモンであり、テレビでその幽雅さはずっと見ていた。
家では、賢く優しいけれど不器用な母をヨノワールが支えていたし、外に出ればカゲボウズやヨマワルがジェムと遊んでくれた。たまにジャックの友達らしいフーパに悪戯されたりもした。
おくりび山というホウエン最大の墓地がある場所で育ったジェムにとっては、心霊現象は恐れるものではなくワクワクするものだった。

「はあ、はあ、はあ……!」

 時間は夜。ジェムは夜の中を走っていた。月明かりは、雲に隠れては少し覗いてを繰り返している。彼女の時折後ろを振り返る表情は、恐怖で青ざめていた。その隣には、ラティアスや自分のポケモン達はいない。ボールはあるが、中から出せないのだ。

「……来ないで、喋らないで!」

 月明かりが差し、ジェムを負う人影の姿が映る。それは父と母、ジャックに似ていた。だが似ているだけの無残な屍が、手を伸ばして追ってくる。至らない娘への、罵詈雑言を吐きながら。

『僕に一度勝ったからって得意になって、馬鹿みたい。君のポケモンなんて所詮七光りのもらい物じゃないか』
『ジェム、お前はここに来てから何回負けた?お前のような娘など、ここに送り出すべきじゃなかったな』
『……お前がいなければ、ボクはあの人の傍にずっといられたんだ。お前がいたから、ボクはずっと苦しかった、幸せを奪われた。お前なんて、産まなきゃよかった』

「いや、いやあああああああ!!」

 その声を聞かないように叫びながら、行く当てもなく逃げる。死霊の誘いが、始まっていた。






 時間をさかのぼることしばらく。バトルピラミッドを出てポケモンセンターにつくと、もう日が傾いていた。ポケモンは回復してもらったがジェムも仲間もさんざん歩き回って疲れは溜まっている。シンボルも取れたことだし今日はもう休んだ方がいいだろうと判断した。
回復したポケモンを渡される時、ジョーイさんはボールと、緑を基調に一部金色のラインが入った小型のケースを持ってくる。

「お待たせしました!お預かりしたポケモンはみんな元気になりましたよ!……それと、こちらをどうぞ!」
「ありがとう……?」

 ケースを受け取り、開いてみる。下の部分には8つの窪みがあり、上画面は小さなスクリーンになっていた。電源ボタンを入れるとシンボルをセットしてくださいとの表示が出る。

「これを入れればいいのかしら?」
「はい、まずは一個お願いします!」

 ジェムはⅣの文字を象るタクティクスシンボルを嵌めてみる。すると、スクリーンに電源が入り地図が表示された。一つの島全体がうつっている。

「こちらは、ブレーンに勝利した証を収める『フロンティアパス』でございます。開くと下部分がシンボル収納。そして上画面がこの島の地図を表示できます」
「シンボルをちゃんと飾れるのは嬉しいわね。地図は普通の紙でいいと思うけど」

 あまり機械になじみがないため、アナログですむことならアナログでいいと思う性質である。するとジョーイさんはにっこり微笑んだ。

「では、もう一つのシンボルをどうぞ」
「……うん」

 砂色の三角形を象るピラミッドシンボルをそれぞれの窪みに収める。表示された地図の一カ所に紅い点がついた。首を傾げるジェム。

「この点は、お客様のフロンティアパスが島のどの位置にあるか……ひいてはお客様がどこにいるかがわかります。それにですね、少し触ってもいいですか?」

 ジェムが頷くと、ジョーイさんはスクリーンの紅い点をタッチした。するとその部分が拡大され、主要な建物の位置と名前が表示される。もう一度タッチすると、このポケモンセンターや近くの建物がはっきり表示された。

「このように、操作一つで全体図から拡大図まで、必要に応じた範囲を見ることが出来ます!さらにシンボルがセットされるごとに昨日は追加されていきますので、また獲得したらセットしてみてくださいね」
「これはちょっと便利かも……わかったわ、ありがとうジョーイさん!」
「どういたしまして。それと、もう一つだけ、お伝えしておきたいことがあるのです」

 ジョーイさんの目が少し真剣になる。ジェムは勿論大人しく耳を傾けた。顔を近づけ、小声で話すジョーイさん。

「実は、フロンティアのシンボルを勝ち取ったものからそれを奪うもの……『闇のシンボルハンター』がこの島に潜んでいるそうなんです。既に被害者も出ているとか。それも窃盗ではなく、バトルによって堂々と奪うそうなのです。なんでも夜に勝利に浮かれて歩くトレーナーを狙うそうなんです」
「ずるいわね……シンボルが欲しいならちゃんと施設に挑戦すればいいのに、悪いことを考える人はいるものね」
「仰る通りでございます。そういうわけで夜出歩くのは危険だと思われるので、くれぐれも安全にはお気をつけを」
「教えてくれてありがとう、ジョーイさん」

頭を下げてお礼を言った後、離れる。ポケモンセンターの回復待ちでたくさんの人がいるなか、室内にも拘らず帽子とフードを厚くかぶって携帯ゲームの世界に入り込んでいるダイバに声をかけた。

「お待たせ、終わったわ」
「……ん、それちょっと見せて」

 ダイバはジェムが今貰ったフロンティアパスを指さす。何の疑問も持たずに渡すと、ダイバも同じものを取り出した。

「あれ、あなたも持ってたの?」
「シンボルを一個でも取った人は本当ならポケモンセンターですぐ渡されるよ……昨日はホテルにすぐ行ったから君には渡されなかったけど」
「そうなんだ。ところで何するの?」

 ダイバはすぐには答えず、両方のパスを開いて電源をつける。そして自分のパスをジェムのパスに向かい合わせて待つこと数秒。ダイバのパスから『ジェム・クオールの位置情報を登録しました』と声が出る。

「はい、返す」
「えっと、何したの?」
「……はあ。君がどこにいるのかすぐにわかるようにしたんだよ」

 ダイバは呆れているが、ジェムはまだよくわからない。飲み込めていないジェムに、ダイバは仕方なくという体で自分のパス画面を見せる。そこにはジェムと同じ地図、同じ個所に緑と赤の点が表示されていた。

「このパスは衛星によって上空からどのパスがどこにあるのかを監視している。今僕と君のパスが交信したことで、僕のパスには君のパスの位置も表示される様になった。……わかった?」
「……なんとなく。じゃあ私からもあなたの居場所がわかるようになったのかしら」

 自分のパスをもう一度見るジェム。しかし、表示される点は自分の赤一個だ。

「無理だよ。この機能はシンボルが3つ以上ないと使えない。それと、もし他人にパスを見せるように言われても断るように。……僕だけがわかっていればいいんだ」
「えー……まあいいわ。明日にでももう一つとって、あなたのこともわかるようにするんだから。あ、そういえばあなたはどこの施設のシンボルを取ったの?」
「ファクトリー、ダイス、パレスの3つ」
「ゴコウさんに勝ったのね……」

 ラティアスをメガシンカさせても勝てなかった、勝負師の老人。苦い思い出の相手を、ダイバはこう語った。

「所詮運任せ。いつまでも最高潮にはならない。じっと待ってれば、そう難しい相手でもないよ」
「簡単に言うわね……でも私も今度は絶対勝つわ!」
「ふん、また調子に乗り始めたんじゃないの?」
「そういうんじゃないわ。負けられない理由が増えたの」
「……へえ。それって何さ」

 ダイバの帽子の内にある緑の目が、ジェムを見つめる。一瞬、メタグロスに手も足も出なかったときの恐怖が蘇るが、目は逸らさない。

「ピラミッドキングのブレーンは私の師匠だって話はしたわよね。私のポケモンバトルを導いてくれたのはお父様だけじゃない。あの人のためにも、私は負けないって決めたの」
「……ハイハイ、立派なことだね」

 そういうと、ダイバは目をそらしてしまった。今度はジェムが目線を合わせる。

「あなたには、そういう人はいないの?この人のために負けたくないって思える人」
「いるわけない。……僕は、僕のために戦う。パパやママ、爺のために戦うなんてあり得ない」

 尖った鋼を突き刺すような、冷たい声だった。爺、とはだれのことなのかジェムは気になったが、今聞いても答えてはくれないだろう。目深に帽子を被り直したダイバを見て、仕方なく話題を変える。

「それと、『闇のシンボルハンター』の話は聞いた?もう取られた人もいるみたいだし、気を付けないと……」
「くだらないね。あんな子供だまし真に受けるわけないだろ」
「え、嘘なの?」

 ジョーイさんがあんな嘘をつく理由が思い浮かばないジェム。ダイバがぼそりと聞いた。

「……ジェム。このフロンティアが始まったのはいつ」
「二日前ね」
「……シンボルを取った人ってどれくらいいると思う」
「私とあなたと、あと数人?」
「まだ始まったばかりの状態で、そんな存在が広まるのはおかしい。シンボルの強奪なんてこの施設の目的上最大のタブーと言ってもいいにも拘わらず、特に対処しないばかりか平然と情報を流す。しかも『闇のシンボルハンター』なんてネーミング、普通に考えて犯罪者につけない」
「まあそうかも……じゃあなんであんな嘘を?」
「多分嘘……ではないね」
「???」

 完全に理解が追い付かず、頭の中にハテナマークが旋回する。それを察したダイバは、大きなため息をついた。

「……はあ。結論だけ言うと君みたいな子供は夜道に気を付けましょうってことだよ。お化けを使って子供に言うことを聞かせようってことさ」

 これで理解できるわけがないのだが、もうダイバは説明する気を無くしたようだ。ポケモンセンターの出口へ向かう。さっぱりわからないので後で自分で考えることにして、ジェムも後を追った。
ジェムが自分なりに解釈をするより早く――それは、起こった。

「お父様……?」

 先に気付いたのはジェムだった。日が沈んだフロンティアとはいえ、まだ通行人はいる。その中で、はっきりこちらを見る3つの人影がいた。
人影は、まるで自分を呪いにかけようとするような眼をしていた。まるで生まれたてのゴーストポケモンのように、怨嗟をまき散らしている。輪郭さえ朧なのにジェムの大切な人たちと同じ姿だと理解できた。
偉大な父と、優しい母と、愉快な師匠が、深い不快感を持って自分を見ている。狼狽えだしたジェムを、ダイバは不審の目で見た。自分が全く眼中に入っていないことに謎の苛立ちを覚える。

「……ちょっと。いきなり挙動不審になるのやめてくれないかな」
「え、うん。あれ……」

 ジェムが人影を示そうと指を伸ばしたその瞬間、耳元で囁き声がした。


『――出来損ないが』


 よく知る父親の、全く聞いたことがない声だった。ジェムを凄まじい怖気が襲い、顔面蒼白になる。追い打ちを浴びせるように、母親と師匠の言葉が続く。


『――あの人はいつだって私を元気にしてくれたのに、お前はどうして気苦労ばかりかけさせるんだい』


『――僕の300分の1しか生きていないのに、随分偉そうになったね』


 肩耳から、脳髄を貫くような痛みを伴う声だった。ジェムが愛されたい相手からの、突然の怨嗟に耐えられようはずもない。錯乱同然で、耳を塞いで人影から、声から逃げ出す。

「ひっ……!!」
「……サーナイト」

 ジェムの見ていたほうをダイバも見たが、特に不思議なものはない。いつも通りの敗者たちが歩いている光景だ。
ならばポケモンによる幻覚あたりだろう。とにかくジェムがまた勝手に動かれると面倒なのは間違いなかった。モンスターボールからサーナイトを出し、子猫の首根っこを掴んで持ちあげるがごとく念力を使わせようとしたが。
だが、モンスターボールからサーナイトは出てこなかった。ボールの中を見るが、サーナイトも困惑しており出てくることを拒否しているわけではないようだった。何度かスイッチを押すが、何の変化もない。

「ジャミング……?」

 単なる故障とは到底思えない。状況が出来過ぎだ。モンスターボールも立派な電子機器である以上、遠隔で何かしらの妨害は可能であることは知っていたし、故にこそ彼は基本外では一体は護衛のポケモンを出しておく。だがポケモンセンターを出た直後という隙を狙われた。
ジェムの足は速く、思考を巡らせる間に大分遠くに行ってしまった。自力で走って追いつくのは難しい。故に慌てて動かない。周囲を警戒する。すると異常は自分にも現れた。


『――お前が犯罪者と独裁者の子か』


 誰のものとも知らぬ、物心ついた時から聞き飽きた声だった。いつの間にか、自分に向かって幾人もの朧な人影が歩いてきている。


『――ロクに目線も合わせられぬ。いったいどういう教育をされているのか』


『――どうせ世間体と金のために作られた子供だろう、相手にするだけ無駄だ』


 虫の羽音のような、耳障りな声。ダイバは狼狽えることなく、人影を見ている。ジェムもこんな声を聞いたのだろうか。

(……だとしたら、とんだ弱虫だ)

 幼い頃から両親とともに出席させられた社交界。
母親は自分が生まれる前に、大都市を崩壊させようとしたことがあると聞いている。そしてお縄にかかった母親を父親が金で無理やり釈放させた後のうのうと芸能界に返り咲いたらしい。
父親も20歳になるころには自分の会社を持ち、優秀な人間や取引先には十二分な報酬を渡すが、使えないと判断した相手や意に反する存在は容赦なく切り捨て、潰してきた人だ。

 世間一般からは絶大な存在意義を持つがゆえに、敵も多い。そしてそのことを二人とも意に介さず何を言われようとも堪えない。常に派手で人目を引く両親の陰で物言わぬ幼子は、出席者にとって優秀で傲慢な二人への恨み言のはけ口だった。
昔一度そのことを母親に伝えたことがあるが、勝手に言わせておけばいいんですよ、と笑ってのたまったことははっきり覚えている。だから今更、特別思うところなどない。結局僕の気持ちなんて誰も考えてないんだと再認識するだけだ。
それはそれとして、あの人影に触れるとどうなるかわからない以上は無視するわけにもいかない。ポケモンセンターに逃げ込んで助けを求めることは不可能ではないが、得策ではないと踏んでいた。

(どうせこれも、パパが仕組んだくだらないイベントなんだ)

 ジェムに説明が面倒なので言わなかったのは、先の『闇のシンボルハンター』とやらは予期せぬアクシデントではなく、フロンティアが意図的に発生させているシンボル獲得者への試練だということだ。
よってポケモンセンターは実質的に役に立たない。ジェムを追いかけたいところではあるが、人影はジェムの走り去った方から向かってきている。

「……何がフロンティアだ。馬鹿馬鹿しいね」

 人影たちに踵を返し、曲がり角を利用して身を隠しながら走る。ダイバは昔からポケモンバトルの英才教育を受けている。それは単にポケモンを操り、ポケモンを知ることに留まらない。身体能力は元より、小回りを効かせて相手から逃げることも出来る故に10歳の少年とは思えない身軽さと機転だ。だが5分ほど走っても振り切れなかった。人影は、夜の月のようにいくら走っても一定の距離を保ってついてくるようだった。
ならば、とダイバはフロンティアパスを開きジェムの居場所を確認した。

(……どこまで走ったんだよ)

 ジェムは、もうフロンティアの大分端の方にいた。多分何も考えずにまっすぐ全力疾走したのだろう。人影に捕まらないようにしつつ、そちらに向かうほかない。


(僕が最短で全てのシンボルを集めるために、ジェムにはシンボルを保持してもらわないといけない……とはいえ、ここまで手がかかるなんて)


 ダイバの目的は、ただジェムを支配することだけではない。支配するメリットがなければ、あんな見たことないほどお節介で世間知らずな弱虫と関わろうなどと思わない。目を付けたのは、相手がチャンピオンの娘で持ってるポケモンが強かったから、それだけだ。


(……それだけだ。だから、せいぜい僕が行くまで無事でいてよ?)


 モンスターボールを弄りながらフロンティアパスが示す先へ向かう。ジェムを支配しようとしたそもそもの理由を思い出しながら。  
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