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ダタッツ剣風 〜悪の勇者と奴隷の姫騎士〜

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真最終話 変わりゆく運命
  前編 変わる未来、新たな旅立ち

 ――それから、しばらくの月日が流れた。

「報告によれば、ヴィクトリアの身柄は無事に王国で保護されたようだが――やはり、その王国騎士団の予備団員だというダタッツなる者が……タツマサであると?」
「はい。示された特徴とも一致しております、間違いありません」
「そうか……」

 帝国城の皇室にて、言葉を交わす皇帝とバルスレイの元副官は、互いに渋い表情で纏まった書類を見つめていた。そこには、王国内で行われた調査結果が記されている。
 王国騎士団に所属するダタッツという男は――かつての勇者であると。

「して、いかがされます?」
「決まっていよう。直ちに使者を送り、タツマサを連れ帰る」
「ですが、勇者様は世間的にはすでに死んだ身。勇者様もそれを鑑みて、ダタッツと名を変えられたのでしょう。無理に帝国の勇者様とお呼びしてお連れしようとしても、御本人が納得されるかどうか……」
「わかっておる。だから、ヴィクトリアに代わる王国からの剣術指南役として『王国騎士のダタッツ』を指名するのだ。一時的でもここに連れて来ることが出来れば、いくらでも本人と話はできる」
「……は、畏まりました。では、そのように」
「うむ。……頼んだぞ」

 かつて帝国勇者と呼ばれた青年を、取り戻すため。元副官は皇帝から預かった資料を手に、皇室を後にする。
 その背中を見送った後、皇帝は席を離れ――窓から、緑と花で彩られた庭園を見下ろす。正確には、その中に佇む愛娘を。

(フィオナ……)

 深窓の皇女フィオナは、物憂げな表情で花々を見つめ、蒼い瞳を揺らしている。愛する勇者の行方を想い続けていることは、誰の目にも明らかだ。

(案ずるな、フィオナ。生きている限り――諦めぬ限り。会える可能性は、きっとある。余が、それを証明してみせよう)

 今もなお、一途に勇者を慕う娘のため。皇帝は窓の縁を握り締め、青空を見上げる。あの少年も、この空の下で生きているのだろうと、思いを馳せて。

 ――そうして、帝国に新たな動きが現れてから数週間。

「……行かれるのか。ダタッツ殿」
「……ああ。君がいるなら、ジブンの力も必要ないだろう。元の鞘に収まる、というわけだ」

 王国では、一人の男が新たな旅立ちの時を迎えようとしていた。王国が騎士のために飼いならしていた、一頭の騎馬に跨って。

 予備団員のプロテクターを赤い服の上に纏い、首に赤マフラーを巻く若者の眼前には――青い荘厳な鎧に身を固め、父の両手剣を背にした女騎士の姿がある。

「応じるのだな。私に代わる剣術指南役――という名目の、帰還要請に」
「六年前に、あそこから逃げたっきりだったからな。遅かれ早かれ、いずれ向き合う必要はあったさ」
「……怖くはないのか。裏切り者として、処刑されるやも知れんのだぞ」
「なら、それもジブンの役目の一つだ」

 かつて、この国を脅かす勇者だったダタッツ。かつて、この国最強の騎士だったヴィクトリア。二人は今、互いに新たな道へと歩み出そうとしていた。

 二人の後ろでは、町の人々や騎士達が入り乱れ、破壊された王宮の復興に奔走している。

「――それに、王国が帝国の属国であることには変わりない。王国人の身分で帝国の意向に逆らっても、この国の立場が悪くなるだけだ」

 そう言いながら、ダタッツはプロテクターに固められた己の胸に拳を当てる。その鎧も、剣も、盾も。全て、あの戦いの後に寄付されたものだ。
 ――この国にただ一人存在している予備団員のために、その予算を提供した料亭の少女によって。

「ダタッツ殿……」
「心配ないさ。今のこの国には――君がいるんだ」
「……わかった。約束しよう、ダタッツ殿。あなたが託された、この父の形見に見合う――真の騎士になる、と」

 ――あの死闘の後。

 治療を受けたダタッツが意識を回復させた頃には、すでに数日が経過していた。戦いで破壊された王宮は、有志の民衆や騎士団の手で復興が進められ、バルスレイがその指揮を執っている。

 それと並行して、騎士団ではヴィクトリアによる激指導が始まり、団員達は来る日も来る日も彼女のシゴキに悲鳴を上げる羽目になっていた。その苛烈な訓練に、ただ一人難なく付いて行っているロークは、次期団長とも噂されている。

 ダタッツに新たな鎧や剣、盾を寄付した料亭の娘は、復興作業に勤しむ者達に無料で料理を振舞っているらしい。そんな彼女にナンパを敢行する若者を、父がわりの男性が鉄拳制裁する――という光景は、名物になっているそうだ。

 あの戦いから生き延びた国王は、世に残された最後の魔物が討たれた――という結果が精神に影響してか、徐々に快復に向かっているという。今現在では、再び雄々しい国王として国民の前に立つべく、リハビリを始めているようだ。

 そして――

「ダイアン姫も見送りには来ず……か」
「すまない。貴殿が件の話を受けると聞いてから、随分と塞ぎ込んでしまわれてな……。一度でも貴殿に帝国へ行かれては、二度と帰ってこないのではないかと思われているようだ」
「そうか……確かに、帰ってこれるかはわからないからな。彼女の懸念も、間違いじゃない」
「――私としては、誓って欲しいのだがな。必ず、姫様の元へ帰ると」
「ジブンがそういうことを口走るのは、絶対に出来る確信がある時だけさ」

 ――ダタッツの出稽古が決まった日から。ダイアン姫は一歩も自室を出ることなく、塞ぎ込んだ毎日を送っていた。
 誰とも合わぬ日々を過ごしているため、誰も彼女の胸中を知ることは叶わず――城の誰もが、彼女の様子を案じていた。

「彼女には、長く心配を掛けることになるな……だが、いつかは帰ってくる。今は、そう信じて頂く他はない」
「私も――それを信じたい。この国と姫様、そして私の命を救って下さった貴殿の言葉を、信じたい。だから――必ず帰ってきてくれ」
「承知した」

 そんな姫君の苦悩に胸を痛め、切なげな表情を浮かべるヴィクトリア。そんな彼女を励ますように、ダタッツは穏やかな微笑を送る。

 ――そして、彼を乗せた馬が。嘶きと共に蹄を鳴らし、この国を去りゆくため、踵を返した瞬間。

「お待ちなさいッ!」

「……!?」

 聞こえるはずのない声が轟き――現れるはずのない影が。颯爽と、ダタッツが跨る馬に飛び乗ってきた。ブラウンの美しい髪を、荒々しく靡かせて。
 まるで風に舞う葉のように、艶やかな軌道を描き――鞍の後ろに収まる少女。新緑の姫騎士の鎧を纏う彼女は、得意げな笑みを浮かべると――信じられない、といいたげな表情のダタッツとヴィクトリアを、交互に見やる。
 そして――不服そうに、鼻を鳴らすのだった。

「全く……わたくしを差し置いて、何を勝手に話を進めておられるのですか。油断も隙もありませんわね」
「ダイアン姫……!」
「ひ、姫様……!」
「なんですの? 御二方。まるで、信じられないものを見るような眼でわたくしを見て。――わたくしがあのまま、ダタッツ様がおられなくなるまで引き篭もっているつもりだった、とでも?」
「し、しかしっ……」

 先程まで塞ぎ込んでいた、と話されていたとは思えないほどの、溌剌とした表情でダタッツを見遣るダイアン姫。その佇まいに、黒髪の騎士は困惑と共に振り返ると――

「んっ……」
「……!」

 ――その口を、塞がれてしまった。柔らかく、温かい――姫騎士の、唇によって。

 僅か数秒の口付けだったが、その体感は永遠のように長く――彼らの脳裏に焼き付いている。
 そして、ようやく互いの唇が離れた時。上気した頬のまま、愛おしげに騎士を見つめる姫君は、隠すことなく己の想いを口にした。

「わたくしは――もう、決めましたの。もう、自分の気持ちに嘘はつかない。背も向けない。ただ真っ直ぐに――想うままに、愛する人を愛しますわ」
「ダイアン姫……」

 飾り気のない、直球の告白。それを受け、ダタッツは逡巡する。顔を赤らめて視線を逸らし、咳ばらいを繰り返すヴィクトリアを一瞥して。

 ――受けても、いいのだろうか。ジブンが、彼女の愛を……。

 そう重い悩む彼の思考を断ち切るように、ダイアン姫は再び声を張り上げる。反論など許さない、と言わんばかりに。

「ですので――その出稽古。わたくしも、同行しますわ!」
「なっ……!」
「資格がなくとも、わたくしを守ってくださるのでしょう? なら、わたくしが帝国に行くというなら、同行して護衛するしかない。違いますか?」
「……」

 真剣な眼差しで、こちらを射抜く姫君の碧眼。その宝石と視線を交わし、ダタッツは言葉を失ってしまう。
 物々しい装備に身を固めた姫騎士は、これから戦に赴くかのような佇まいで、彼の後ろに跨っている。その年不相応に発育している肢体を――隙間なく、男の背に密着させて。
 さらに、決して離すまいと両腕を絡めて、ダタッツを後方から抱きしめていた。その温もりと、少女のものとは思えぬ色香に耐え切れず、黒髪の騎士は思わず彼女から視線を外してしまった。

「……何も、姫が直々に来られずとも……」
「あなたはどうやら、行く先々で女性にちょっかいを掛ける、ふしだらな殿方のようですからね。帝国で粗相をすることがないよう……わたくしが監視せねばなりません」
「そ、そのようなことは……」
「それに。フィオナ皇女殿下にも、直に報告すべきでしょうから。――もう、この方はわたくしのものであり、わたくしはこの方のものなのだと」

 そこへ追い討ちをかけるように、ダイアン姫は胸や腹、脚を擦り付け、耳元に甘い吐息を吹き掛ける。まるで、自分の香りをマーキングするかのように。
 ――他の女を寄せ付けまい、とするかのように。

 さらに、彼女は挑戦的な笑みを浮かべ、帝国の方角を見つめている。大国の皇女からダタッツを――勇者を奪うと宣言した彼女の瞳は、かつてない情熱を帯びていた。
 焼け付くような煌めきを放つその眼にたじろぎながら、ダタッツは助けを求めるようにヴィクトリアを見遣る。だが、剣にのみ生きた女騎士には刺激が強過ぎたのか――彼女は真っ赤な顔を両手で覆ったまま、顔を伏せていた。

 ……どうやら彼女が知らないうちに、この姫君は大人に近づき過ぎていたようだ。

「ダ、ダイアン姫。あまり無茶は……んっ!?」
「ちゅっ……ん、ぁ、れうっ……」
「ん、ん……」

 そんな彼女を宥めるため、振り返ったダタッツは――またしても、彼女に唇を塞がれてしまった。
 しかも、今度は唇同士が軽く触れ合うだけでは済まされない。彼女の舌はダタッツという男を知ろうと、彼の口内に押し入り――じゃれる猫のように、ねぶるのだった。

 抑え続けてきた想いが、枷を失い弾けたためか。彼女の求愛は、それまでの素っ気ない装いからは想像もつかない情熱を纏っている。
 その身を焦がすような熱に、ダタッツも――彼女自身も、翻弄されているようだった。

「んぷっ、はぁ……ん……。ダタッツ、様……もう、独りには……」
「……」

 それから、数秒。ようやく彼から唇を離した彼女は、透明な糸を引いていた口元をそのままに、再び愛する騎士に身を摺り寄せた。
 今まで戦い続けた分だけ、内側に押し込んできた「甘え」を、この瞬間に解き放つかのように。

 そんな彼女の、弱さを汲んでか。ダタッツはそれ以上何かを言うことなく、静かに彼女の行動を受け入れていた。そのままようやく、手綱を引き――馬の歩みを進めるまで。

「ダタッツ殿……。姫様を、頼む」
「……ああ、わかった」

 ようやく気を取り直したヴィクトリアとも、別れの挨拶を済まし。今度こそ、彼は旅立って行く。独りになるはずだった旅路に、予期せぬ人物を伴って。

 上気した頬のまま、自分の背にもたれ掛かる姫君を一瞥したのを最後に、彼は振り返ることなく旅路を進んでいく。その行く先を見守る女騎士は、今まで背負い続けてきたものを下ろしたかのような――穏やかな笑みで、彼らの門出を見送っていた。

「ダタッツ殿……ありがとう」

 ――この国の誰もが、どこかで胸に秘めていながら。過去の因縁ゆえに、口に出せないままでいた言葉を――その旅立ちに添えて。

「ローク君、良かったのか? 見送りに行かなくて」
「別に。オレはまだまだ未熟だからな。次にダタッツに会って、あいつをビックリさせてやる日までは――修練あるのみ、さ。あんたこそ弟子の門出だってのに、ここで油売ってる場合かよ」
「……その必要はない。もうあの子は――いや、彼は。見送りが必要になるような男ではあるまい」
「はは、違いねぇな」

 その頃、喧騒の中で復興に尽力していたバルスレイとロークは。互いに笑い合いながら、別れを惜しむ必要などない、と言わんばかりに。今の自分達が為すべき使命に、奔走していた。

(私は、彼の父にはなり切れなかった。だが、せめて……彼の強さだけは、信じてやりたい。もはや、私にできることはそれだけだ)

 息子のように想ってきた青年の行く末を憂う一方で、彼の選択を尊重したいとも願う。そんな矛盾した思いを胸中に抱えるバルスレイが、一瞬だけ弟子がいるであろう方角を見遣る時。

「ローク君、バルスレイ様! そろそろお昼にしませんかー!」

 遥か遠くから自分達を呼ぶ大声が轟いてくる。元気が取り柄と評判の、料亭の看板娘だ。

「よーし、そいつはそこに積んでくれ! ……ふう」
「どーしたんでぇ、親父さん。ため息なんてらしくもねぇ」
「……いや、なに。いなくなっちゃいけねぇ奴がいなくなる――そんな気がしてよ」

 彼女の隣では、彼女の父代わりが男達を率いて、復興を進めていた。――明るく、豪快なようで。その面持ちは、どこか儚い。

「む、もうそんな時間か。……行くか、ローク君」
「おう、行く行く! 朝っぱらから荷物だの何だの運んでばっかで、腹ペコなんだ!」

 その一方で。彼女の呼び声に応じるように、二人は歩み出して行く。希望に溢れた、笑みを浮かべて。――また、暖かい食事を持って彼らを迎える茶髪の少女も。

(きっと……理由があったんだよね。私は信じるよ、ダタッツさん。――だからどうか、元気で……ね)

 人知れず。あの日、恋い焦がれた黒髪の騎士に思いを馳せながら――この国の人々に尽くす日々を送っていた。
 
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