ピンクのサウスポー
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第五章
練習をはじめた、その時にコーチに言われた。
「いいか、ストッパーとしてな」
「はい、今日からですね」
「何かあればな」
その時はというのだ。
「使うからな」
「開幕からですか」
「開幕も何もだ」
それこそという返事だった。
「そう決めたからな」
「だからですか」
「そうだ、投げる時になったらな」
「ストッパーとしてですか」
「投げてもらう、いいな」
「わかりました」
水原は柔軟体操をしつつコーチに答えた。
「そしてその時は」
「阿部だろうが村田だろうがな」
巨人のバッター達だ、見れば彼等も三塁側で練習をはじめている。
「抑えてもらうぞ」
「その時はですね」
「九回はな」
その最後のイニング、ストッパーが投げる時はというのだ。
「三者凡退でいってもらうぞ」
「そして〆ですね」
「ああ、ただな」
コーチはここで甲子園を見回した、まだ観客席には誰もおらず静かなものだ。
だがその観客席を見つつだ、彼は練習を続けさせている水原にこうも話した。
「甲子園の応援は凄いぞ」
「はい、聞いてます」
「ファンで聞くのと選手で観るのじゃ違う」
「全然ですか」
「球場が揺れるんだ」
この甲子園がというのだ。
「応援でな」
「揺れるんですが」
「上下にも左右にもな」
「そこまで、ですか」
「それがここだ」
甲子園球場だというのだ。
「ファンの応援なんだ、特にな」
「九回は」
「そうだ、最後で勝利がかかっているからな」
まさにその時だからというのだ。
「応援が違う、揺れるなんてものじゃないぞ」
「そこまで凄いんですか」
「地震みたいだ、その応援に負けるな」
水原にこのことも言うのだった。
「無視しろ、楽しめないで飲み込まれるのならな」
「応援を、ですか」
「そうだ、無視しろ」
どうしてもというのなら、というのだ。
「無視していないものと思って投げろ」
「そうしないといけないですか」
「ああ、それ位じゃないとな」
「甲子園では投げられないですか」
「東京ドームも人は多いが質が違う」
ファンのそれがというのだ。
「何しろ三塁側もバックネットも外野席も埋め尽くすからな」
「ファンの人達が」
「一面黄色と黒に染まるんだ」
言うまでもなく阪神のカラーだ、猛虎のそれだ。
「それで熱狂的な応援だ」
「それに飲まれたら」
「終わりだ」
そうなるというのだ、まさに。
「本来のピッチングが出来なくなってな」
「だからですか」
「その応援を楽しめたらいい」
その場合はというのだ。
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