星がこぼれる音を聞いたから
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3. 指輪
「これでどうかな?」
燕尾服一式を俺に準備してくれたトノサマ洋装店のおじいちゃん店主が上品に優しく、だが威厳のある声で俺に服の具合を聞いてきた。
「ええ。よく分かりませんが……着心地がいい」
「うん。それが一番だ。君にその服が似合ってる証拠だよ」
柔らかい笑顔で満足そうにそう言ってくれた。
店主が選んでくれた服の一式は俺の身体にピッタリとフィットし、それでいて身体を締め付けない。目の前の鏡に写っている俺は、まるで歴史物の映画の登場人物のように燕尾服がよく似合っていた。自然と胸が高鳴ってくる。これだけのことでちょっと胸がドキドキしてしまうだなんて、大人としてどうなんだ。
「……なんかワクワクする」
「いい服ってのは、そういうものだよ。着る者の胸をどうしようもなく昂ぶらせてくれる」
「そうなんですか?」
「ああ。どうやら私はいい仕事をしたみたいだ」
俺が鏡の前でドキドキしていたら、その様子を見ていた店主がそう言っていた。長年の洋装店の店主としての自信や誇りのようなものが感じられる一言だった。
ところで、先程から隼鷹の姿が見えない。俺がこの服を着るためにフィッティングルームに入るところまでは確かにいたんだが……
「店主」
「ん?」
「俺のつれは? どこかに行きました?」
なぜか俺のこの返答に対し、『ぷっ』と軽く吹き出す店主。不思議な人だ。ただの吹き出しですら、ここまで上品にこなす人をおれは見たことがない。それも長年磨いた品の成せる業か……。
「……私がいいことを教えようか」
「はい」
「淑女というものは、紳士を待たせるものだよ」
「はぁ……」
「そして……淑女を待つのは、紳士の務めだ」
「……?」
うーん……要は『時間がかかるから静かに待て』ってことか?
「ま、そういうわけだ。君もその服が似合う紳士なら、静かに彼女を待ちなさいよ」
「はい」
「そうすれば、彼女は淑女として君の元に戻ってくるだろう」
俺をこんな紳士の様相に仕立て上げた店主の言葉なら仕方ない。時間はないがもう少し待つことにしようか。そうして俺は、しばらく店内を見まわって隼鷹を待つことにした。
「おー! 提督! よく似あってんじゃん!!」
スーツに使う生地のコーナーを見まわっていた俺の耳に、聞き慣れたいつもの隼鷹の声が聞こえてきた。
「おー、お前のおか……げ……」
声がした方を振り返った俺の目に写ったもの。それは……。
「あたしも準備出来たよ。時間もないし、そろそろ行こっか」
隼鷹によく似たえらい美人がそこにいた。光沢が美しいピンク色の丈の長いドレスに身を包んだその美人は、耳にはキラキラと揺れる小さなイヤリングをつけ、同じく胸元にキラキラと輝く小さなネックレスをつけていて、それが店内の照明を反射してとても綺麗だった。
「あたしもイブニングドレスなんて着るの久しぶりだからさー……」
この女は隼鷹と同じで少しだけ紫がかった髪の色をしているが、それがドレスの色とマッチしてとても綺麗だ。イヤリングとネックレスのせいだろうか。その綺麗でつややかな髪が少しだけ輝いて、揺れる度にその光がこぼれ落ちていた。
「さあ、紳士の時間だ」
店主の声が聞こえた。フラフラとこの隼鷹似の女に歩み寄る俺。スカートの裾から見えるハイヒールも服に合っていてとても綺麗だ。
「? ていとくー? どうしたー?」
「……あ、いや」
「んー? あたし、どっかおかしい?」
そう言い、隼鷹は自分のドレス姿をキョロキョロと確認しはじめた。隼鷹が顔を動かす度に揺れるイヤリング。その輝きが、俺の目を離さなかった。
「あ、す、すまん……そういうんじゃないんだけどな」
「んー? ま、いいか。提督もよく似合ってんじゃんそれ」
「お前も……」
天の川みたいにキレイだなぁ……という言葉が喉まで出かかった。
「……似合ってるな」
「……バッ……ちょっと……やめてよ!」
なんだか……いつもの隼鷹にちょっとだけ戻った気がした。
「あー……ところでご両人」
「はい?」
「ぉお?」
俺達の様子を微笑ましく見ていた店主が、オホンと咳払いをし、俺達の前に立っていた。その両手にはそれぞれ1つずつ、小さな箱が握られていた。ワイン色のあの箱はきっと、指輪のケースだ。
「私が関わったこんな素敵な紳士淑女の二人に、今の格好で外出させるのは忍びない」
「いやいや、あなたのおかげですよ」
「だからこそだ。私が関わった紳士には、常に完璧でいてもらいたい」
「……」
「そして、こんなに素晴らしい紳士には、やはり素晴らしい淑女にそばにいてもらいたいものだ」
「……」
なんだか意味のわからないことを優しい声でぺらぺらと話す店主は、器用に手に持つケースの蓋を開けていた。中から出てきたのは一組の指輪。宝石はついてないけれど、プラチナ色にキラキラと輝くその二つの指輪は、今俺の隣りにいる隼鷹似の女の次ぐらいに美しかった。
「……受け取りなさい」
「ぇえ!?」
「そんな……悪いよ店長さん!!」
「構わない。どうせ安物だ。私が面白半分で趣味で作ったものだから」
「いやでも……」
「君たちはね。この輝きを手に備えて真の紳士であり淑女なんだ。これは私のワガママだけど……どうか聞いてくれないか?」
「……」
「……」
優しい口調でこう語る店主。俺は隼鷹と互いの顔を見合わせた。
「ていとくー……」
隼鷹の美しい口が、少しだけ悪戯っぽく笑う。その笑顔が、俺の心を一回だけノックした。
「もらっちゃおうか」
……分かった。
「じゃあ店主。いただきます」
「ありがとう。これで私は、自分の仕事に妥協せずに済んだ」
笑顔で俺達に小箱を渡す店主。小箱は思ったよりも重くて、受け取った途端にずっしりとその重みが感じられた。改めてその指輪を見る。やはり宝石はついてないが、星のような輝きは宝石以上だ。
あれ? でもこの指輪、おれにはちょっと小さいような……?
「残念……ちょっとサイズがあわないなー……大きい」
俺がサイズに関して疑問を感じていると、同じく隼鷹が口をとんがらせてこんなことを口走っていた。……ということは?
「……さあ、紳士淑女の時間だ」
店主がいたずらっぽい無邪気な笑顔をこぼしていた。隼鷹を見る。
「タッハッハッ……」
隼鷹は、あまり聞いたことのない困ったような声を上げながら、顔中に苦笑いを浮かべていた。でも、その顔はほんのり桜色に染まっている。
くっそ……店主にハメられた……これじゃまるで……
「相手のどの指に通すかは君たちの自由だ。でも」
店主の最後の言葉は、隼鷹から時折聞こえる星がこぼれる音と共に、俺の耳にいつまでも残響して消えることはなかった。
「私の期待通りの指に通してくれると信じているよ?」
時間も差し迫ってる……迷っている時間はない。俺と同じく桜色のほっぺたのまま指輪を見つめている隼鷹の左手を俺は取った。
「え……」
希少価値の高い、隼鷹のうろたえた声が響くが、気にしない。俺はしなやかで美しい彼女の左手を取り、その薬指の指先に自分が持っている指輪を近づけ、そして止める。
「……はめるぞ?」
「……いいの?」
「……」
「だって、あたしだよ?」
――だって隼鷹から、星がこぼれる音が聞こえたから
口から零れそうになった本音をぐっとこらえた。我ながらしまらん。“星がこぼれる音”って何だよ……。
「だって、その方がお前も晩餐会で動きやすいだろ?」
「……そうだね。ま、あたしは提督婦人として今日は出席するからね。薬指につけておいたほうがいいよね」
少しだけ赤みがひいた隼鷹の薬指に、俺は指輪を通した。ムードもへったくれもない。なんせ、俺と隼鷹だから。
「……んじゃ、次はあたしが提督に指輪を通してあげる番だね」
同じく隼鷹も、俺の左手を取って何のためらいもなく薬指に指輪を通してくれた。
――ありがと……冗談でも任務でも、うれしいよ
この特殊な状況ゆえか……それともその特殊な状況にのぼせた俺のうぬぼれなのか……隼鷹から聞こえてきたその声は、それまで耳から離れなかった店主の声をかき消して、俺の耳に残響し続けた。そして、その残響は俺の心に、ほんの小さなトゲとして刺さり、残り続けた。
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