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星がこぼれる音を聞いたから

作者:おかぴ1129
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1. 玉子焼きと豚汁

「なんならあたしが一緒に行ってやろうか?」

 生まれてこの方まるで縁のない、フォーマルな晩餐会の出席という明日の任務を前に俺が頭を抱えていると、秘書をしてくれている隼鷹があっけらかんとそんなことを口走っていた。まだ昼間でしかも職務中だというのに、隼鷹の目の前の机の上には日本酒の一升瓶とコップが置いてあった。

「え……いや、だって晩餐会だぞ?」
「うん知ってるよ?」
「フォーマルな場なんだぞ?」
「晩餐会って言えばそらぁフォーマルな場だろうねぇ」
「社交界だぞ? 旧華族の人とかもたくさん来るんだぞ?」
「そら晩餐会だもんねぇ」
「お前……大丈夫か?」
「ひどっ」

 頬をほんのりと赤く染め不機嫌そうに口をとんがらせながら、隼鷹は目の前のコップになみなみと注がれた日本酒に口をつけ、それをおっさんのようにズズッと音を立ててすすり飲んでいた。俺から見た隼鷹の両目は、とても焦点が定まっているようには見えなかった。

 自分がいかに失礼なことを口走っているかは充分承知だ。でも普段の隼鷹を知っている俺はそう思わずにはいられない。考えたくなくても、反射的にこんな失礼な疑問が頭に浮かんでしまう。

 初対面の時のことを俺は今もよく覚えている。前任者の提督からこの鎮守府の運営を引き継ぎ、初めて俺がこの鎮守府にやってきた時……すでにここに在籍していた艦娘の中に、こいつはいた。

「あなたが新しく赴任した提督ですね? 榛名です! はじめまして!!」
「「よろしくだクマー」ニャー」
「古鷹です。これからよろしくお願いしますね」
「うーん……むにゃむにゃ……」
「まぁそんなわけで球磨姉多摩姉ともどもよろしくー」
「やせーん!!」

 激戦区で日々激しい戦いが繰り広げられているというこの鎮守府において、今も希望を捨てずに明日のために戦い続ける艦娘のみんなの中で、一際異彩を放っているヤツがいた。

「飛鷹です。よろしく」
「商戦改装空母の隼鷹でーす!!」

 おしとやかで、ザ・お嬢様という感じの姉と随分違い、えらくテンションの高い女が俺に挨拶してきた。よく見たらほっぺたが赤く、目の焦点が合ってなかった。

「よ、よろしく……」
「ヒャッハァァアアアア!!!」

 俺は最初、この妙な女のハイテンションは緊張の裏返しなのかと思っていた。……だがそれは、俺の大いなる勘違いだった。

「……なんか臭うな。酒臭い……」
「だから飲むなって言ったでしょ隼鷹……」
「ダハハハハ……バレちゃーしょうがないねー」

 その女……隼鷹は、この真っ昼間から……自分の上官になる俺が初めて鎮守府に来るという一大イベントを前にして、あろうことか日本酒を一升瓶でかっくらっていやがったようだ。ダハハハハハハという下品な笑い声を上げながら背中から一升瓶を引っ張り出してくるこの隼鷹という女に対し、俺は最初いいイメージを持たなかった。

「コラ隼鷹! 提督の前でラッパ飲みはやめなさいよ!」
「げふぉ……くはぁぁぁぁぁ……染みるねぇ……どお? 提督も飲む?」

 なんせこの女……飲酒がバレたことを悪いとは思わず、これで気兼ねなしに飲めるとばかりに俺の目の前で一升瓶をラッパ飲みし始めやがったからだ。俺もそう長くない人生の中でそれなりの数の女性は見てきたが、こんなに悪目立ちする女ははじめてだった。

「ダハハハハハハハ!!!」

 その後の鎮守府運営の中で隼鷹のイメージはある程度改善されていったのだが……少なくとも『上品ではない女』という評価が俺の中で揺らいだことはない。この隼鷹という女は上品とはかけ離れた存在……俺が抱く社交界のイメージとは最も遠いところで生きている女という印象だった。

 言ってみれば、ワイングラスよりはワンカップの日本酒。本格フランス料理よりは場末のラーメン屋でラーメンとチャーハン……悪く言えば品がない……でも良く言えば親しみやすい……そんなイメージを俺は隼鷹に抱いていた。

 だから俺は、隼鷹が晩餐会の随伴を誰にするか頭を抱えている俺に対して『あたしが一緒に行ってやろうか?』と言い出したことは予想外だった。予想外というか……ある意味では憤りにも近い感覚だった。

「いやお前……テーブルマナーとか知ってるのか? 大丈夫か?」
「大丈夫に決まってんじゃん。むしろ提督は大丈夫なの?」

 自慢じゃないが、生まれてこの方テーブルマナーが必要になった事がない。一応士官学校でその辺も叩きこまれてはいるが……それからもうだいぶ時間も経ってるし、その後もずっと戦闘続きでせっかく学んだテーブルマナーを活用する場なんてなかったから。

 だから隼鷹のこの指摘は、悔しいが的を射ていた。隼鷹が社交界のマナーを熟知しているかどうかは知らない。知らないが、少なくとも俺はマナーに関してはもうあやふやな知識しかない。俺はマナーから遠くかけ離れた世界で下品な笑い声を上げて生きているはずのこの隼鷹の指摘に対し、自信を持って『大丈夫に決まってる』と言うことが出来なかった。

「……いや」
「だと思ったよ」
「お前こそ俺に偉そうにそんなこと言ってるけど大丈夫なのか?」
「あたしゃ元々豪華客船の橿原丸だよ?」

 うーん……なんたか説得力があるような無いような……そもそもお嬢様度合いでいえばお前より飛鷹の方が……という言葉が喉まででかかったが、それはなんとかこらえることが出来た。

「まぁ飛鷹でもいいんだけどさ。飛鷹も元は豪華客船の出雲丸だし」
「せっかく俺が我慢した言葉をお前が口走ってどうする……」
「提督どうする? あたしでもいいし、飛鷹の方がいいならあたしから言っとくよ?」

 ケタケタと笑いつつ一升瓶からコップに日本酒を注ぎながら、この女はあっけらかんとそんなことを言ってのける。自分が『行く』と言い出したのに、それを他の人に振られるだなんてとても悔しいことだと思うのだが、そこのところは気にならないのだろうか?

「まぁ悔しいっちゃー悔しいけどさ。要は提督が晩餐会でマナーに困ることなくしっかり出来りゃそれでいいんだよあたしゃ」

 随分と殊勝なことを言ってくれる。……そこまで言うのなら、この女に晩餐会での俺の運命を任せてもいいのかもしれない。期待度から言えば飛鷹だが……。でも何も手を打たなきゃマナーで恥をかくのは当たり前。しかも他の子を連れて行ったところで……たとえば球磨を連れて行ってもあいつが淑女的装いをしているところなんか想像出来ないし……きっと誰を連れて行っても同じだ。

 ならば最初に言い出してくれたこの品のなさそうな隼鷹を連れて行くのが筋だ。それにこいつだったら、一緒に恥をかいてもあとできっと楽しい思い出になるだろう。緊張で食事が全く喉を通らなかったのなら、晩餐会が終わったその足で、2人でどこか居酒屋に入ってもいい。

「……そうだなぁ。お前と晩餐会で恥をかくってのも有りかも知れないなぁ」
「おーけい。んじゃーあたしも準備しとくよ」

 俺の一言に対し、別段何の感慨も湧いてない素振りで日本酒をすすりながら、隼鷹はそう答えていた。今はまだ昼間でしかも職務中。にもかかわらず日本酒をかっくらうこの女に文句を言う気が起きないあたり、俺も相当毒されたな……。

「とりあえず隼鷹、コーヒー淹れてくれるか?」
「あいよー」

 すでにアルコールが充分に全身に回っているためか、フラフラとした足取りでコーヒーをドリップで淹れてくれる隼鷹。途端に執務室内にコーヒーのよい香りが漂ってきた。

「あれー……カップが二つに見えるよー……」

 そうつぶやきながらも器用にこぼすことなくコーヒーを淹れ終わった隼鷹は、ケタケタと笑いながら俺にコーヒーが入ったカップを一つ持ってきてくれた。

「お前は?」
「あたしは日本酒あっからねー……」

 コーヒーと酒を同列に語るか……まあいい。キチンと仕事さえしてくれれば……そう思い一時間前に隼鷹に渡した書類の束を見ると、ほとんど処理が終わってなかった。

「おいおい……百歩譲って酒は許すとしても、キチンと仕事はしてくれ」
「タハハ……まぁ今日が終わるまでにはやっておきますよ提督どのー」

 まったく……いい加減真面目に仕事をしている姿も見せて欲しい……不満を心に抱えながら隼鷹のコーヒーを片手に俺は仕事を再開した。

 そうして暫くの間、2人で静かに書類を片付けていった後、時計を見る。午後4時。そろそろ夕食の準備に入ったほうがいいかも知れない。鳳翔がこの鎮守府を去ってからは、趣味で彼女に料理を学んでいた俺が鎮守府の食事担当になっている。いくら他の鎮守府に比べて艦娘の人数が少ないといっても、20余人の大所帯の食事の準備は時間もかかる。

「じゃあ俺はこれから夕食の準備してくるから。夕食までにはそれ、終わらせといてくれよ」
「はいよー。今晩のメニューは何?」
「寒くなってきたし、豚汁でもしようかなと思ってる」
「りょーかい。楽しみだねー」
「ありがと。作りがいがあるよ」

 この飲んだくれにそんな嬉しい言葉をかけられ、少し胸が温かくなった自分がなんだか恥ずかしい……そんな隼鷹の言葉を信じ、俺は食堂に急いだ。

 晩ご飯のメニューは豚汁と付け合せにほうれん草のおひたしと玉子焼き。夕方7時頃になると、食堂にはチラホラと鎮守府のみんなが顔を出す。

「あ、提督ー。今日は豚汁?」
「おう。そろそろ寒くなってきたからな。お前も今日は那珂と夜の哨戒があるだろ?」
「うん! 今晩は夜戦できるかなー?」
「出来れば夜戦は無い方が俺は安心だけどな」
「ま、提督はそうだろうねー」

 食堂に入ってくるやいなや、鼻をすんすんと鳴らす川内とそんな会話をしながら、豚汁をお椀に注ぎ、付け合せと共にお盆に乗せて川内に渡した。相変わらずのフラッシュライトみたいな笑顔でそれを受け取った川内は、自分の隣でぴるんぴるん回っている那珂にそのお盆を渡し、再度俺から夕食が乗ったお盆を受け取っていた。

「ありがと!」
「おう」
「那珂ちゃんからもお礼言うねー☆ 提督ありがと!」
「どういたしましてー。いっぱい作ったから好きなだけおかわりしていいぞー」

 俺に背を向けて楽しそうに席に向かって歩いて行く二人を眺めながら、哨戒任務明けの二人におにぎりでも準備しておいてやろうかと思ってしまう俺は、鳳翔から鎮守府のオカン魂を受け継いでしまったのかも知れない……自然と苦笑いが浮かんでしまった。

 次第に食堂の席が艦娘たちで埋まっていく。やがて顔が真っ赤っかな隼鷹とそれを心配そうな眼差しで見守る飛鷹がやってきて、鎮守府にいる艦娘全員が揃った。それでも食堂の席は空席の方が今となっては多い。でも。

「そうよ! このビスマルク、ついに戦艦でありながら魚雷を発射できるようになったのよ!!」
「こ、これが……一人前のれでぃー……!!」
「球磨姉……ちょっと眠いニャ……」
「だからといって食事中に姉ちゃんの膝で寝るのはやめるクマ」
「ぷっ……なんか加古みたいですね」
「……クカー」

 空席の数だけを見ると随分と寂しくなってしまった鎮守府だが、それでも皆、元気に毎日を過ごし、力強く生きている。皆のこの姿勢は、俺も幾度となく助けられた。

 俺も自分の分の夕食をお盆に乗せ、割烹着を着たまま食堂に来た。別に『そうしよう』と思ったわけじゃないんだが、自然と身体が隼鷹の隣の席へと移動してしまう。なんだろうなぁこの感じ。

「ずずっ……うまッ! ちょっと提督!!」
「ん? 隼鷹どうした?」
「ちょっとなんなのこの豚汁! めちゃくちゃうまいじゃん!!」
「そか?」
「今までの提督の料理で最高傑作なんじゃない? 鳳翔さん超えてるよこれ!」

 そら褒めすぎだ……。ちなみに豚汁における俺と鳳翔の違いは、俺はさつまいもを使うという点だ。おかげで鳳翔が作るそれに比べてほのかな甘みがつく。隼鷹にはそれがよかったのかもしれない。

 隼鷹は俺の隣で、鼻の頭を赤くして美味しそうにハフハフと豚汁を堪能していた。隼鷹の向かいで冷や汗を垂らしつつ上品に豚汁を味わっている飛鷹に比べて、なんてはしたない……七味も真っ赤になるほど入れちゃって……風味付け以上の効果が出てくるぞそんなに入れたら……

「そういや提督」
「ん?」
「明日は晩餐会なんですって?」

 俺の隣の飲んだくれ女の姉とは思えない上品な声で、飛鷹は俺にそう言った。

「ああ。テーブルマナーなんか覚えてないし、恥をかきに行くようなもんだな。隼鷹とおもしろエピソードでも作ってくるよ」
「おもしろエピソード……ね」

 飛鷹の箸が玉子焼きまで伸び、そして隣のおひたしに方向転換していた。綺麗な所作で箸につままれたほうれん草はそのまま静かに飛鷹の口へと運ばれていく。

 静かにほうれん草を咀嚼し喉に通した飛鷹は、幾分不機嫌そうな顔を俺に向けた。飛鷹がへそを曲げる理由がよく分からない。俺何か変なこと言ったか?

「……大丈夫よ。隼鷹が一緒に行くなら、そんなことにはならないわ」
「そうか?」
「ええ」

 飛鷹の言葉を受け、つい隼鷹を見てしまった。

「あ〜……最高だよ提督〜……酒が欲しくなる……ビール飲んでいいかな?」

 この剛の者は、豚汁を肴にビールを飲むつもりなのか……と俺が呆れていたら、隼鷹はふらりと立ち上がり、そして台所に向かって行く。足取りが若干アヤシイ。フラフラとバランスを少しずつ崩しつつ、そして少しずつ直しながら、危なっかしい足取りで奥の方へと姿を消した。

「……あれで?」

 昼間に引き続き、つい失礼な疑問が口をつく。一瞬『しまった』と思ったが、出てしまったものは仕方ない。その疑問を飛鷹にそのままぶつけてみた。

「大丈夫よ。隼鷹が一緒ならね」

 豚汁を静かに味わう飛鷹は、よどみなくすっぱりとそう言い切っていた。

 夕食が終われば、艦娘のみんなは各々自由時間になる。もっとも、夜間の哨戒任務につく子だけは別だが……今晩は川内と那珂がその当番だ。何もなければいいのだが。

 そして夕食も終わり後片付けと皿洗いが終わった今、俺の目の前には、ある小さな問題が発生している。

「……」

 夕食の付け合せとして出した玉子焼きだが……みんなには不評だったようで、全員が大なり小なり玉子焼きを残していた。もったいないと思い食器を洗いながら玉子焼きを別皿に移していたら、最終的にとんでもない量の玉子焼きになっていた。

「どうするんだこれ……」

 総勢20余人の分の玉子焼き。一人あたり3切れぐらいずつ切り分けたわけだから、単純計算で60切れ弱の玉子焼きが今、俺の前にそびえ立っている。

「これじゃまるで芋粥だ……いやそこまでヒドくはないか」

 悪態をつこうとして、やめる。みんなが残した意味が、俺には分かっているから。

「まぁ仕方ない。……俺が食べるか」

 覚悟を決めた俺は、この恐るべき玉子焼きたちをすべて自分で食べる覚悟を決めた。でも、こればっかりは俺の玉子焼きの師匠を恨む。そして、それがすさまじく美味かったからといって、師匠の玉子焼きを忠実に受け継いでしまった自分自身のことも。

 ……そして、その師匠が鎮守府を去ってまだ間もないうちにこの玉子焼きを作ってしまった、自分のデリカシーのなさにも、俺は落胆していた。

 大皿に山のように盛られた玉子焼きを持って食堂に向かった。一切れ一切れは大したこと無い重さでも、それが流石に60切れ弱もあるとかなりヘビーなことになってくる。

「あっとと……」

 おまけに大皿の重みもあって、こうやって両手で持って歩いているとフラフラしてしまう。ぶちまけてしまわないよう、俺は慎重に食堂に玉子焼きの山を運んだ。

「あ、提督ー。待ってたよー」
「?」

 食堂には、一升瓶をテーブルに置いて一人で晩酌をやっている隼鷹がいた。誰もいないと思っていたからちょっとびっくりして変な声が出そうになったのは秘密だ。テーブルの上には、酒が入ったコップと空のコップの2つが置かれている。

「……部屋に戻ったんじゃないのか?」
「秘書艦だからねー。提督が帰ってこないなら、待つのが任務さ」

 そう言いながら隼鷹は、ケタケタと笑ってコップに日本酒を注いでいた。その笑顔のまま、隼鷹の目が俺を見た。

 無言で頷く俺。それを受けて隼鷹は、もうひとつの空のコップに少しだけ日本酒を注ぐ。ともすれば綺麗な水晶と見間違う程に透き通ったその酒は、コップに少しだけ注がれ、隼鷹によって俺に差し出された。恐るべき玉子焼きの山をテーブルに置き、俺は向かいの席についてそのコップを受け取る。

「酒の肴が玉子焼きってどうなんだろうな……」
「あんたはあまり酒飲まないから知らないだろうけど、あんたの玉子焼きの師匠は、よくこれで日本酒飲んでたよ?」
「マジか……」
「甘い玉子焼きと日本酒って合うんだって。……ま、今から分かることじゃん」

 確かにそうだと思いつつ、隼鷹とコップを重ねた。

「……師匠の瑞鳳に」
「……戦友の瑞鳳に」
「「……乾杯」」

 コップの中の日本酒に少し口をつけたあと、即座に玉子焼きに箸を伸ばした。晩酌は本来の目的じゃない。本来の目的は、残り物の玉子焼きだ。瑞鳳直伝の、冷めても美味しい絶品玉子焼きを口に運び、丁寧に味わう。……うむ。上出来だ。だが……

「……甘いな」
「だねー。ま、あんたの師匠の味だからね」
「……大根おろしでも乗せてみるか」
「いいかもしんない」

 心の中で瑞鳳師匠に詫びを入れつつ、俺は一度食堂に戻って大根と大根おろし、そして受け皿を持ってきた。食堂に鳴り響く、しゃりしゃりという大根を下ろす音。

 悠長にのんびりと大根をおろす俺の前で、隼鷹は頬杖をついて心地よさそうに微笑んでいた。酒を飲んでるせいか、ほっぺたが少し赤い。おかげでいつもは感じない艶ってのようなものを、隼鷹はまとっていた。

「隼鷹」
「ん?」
「なんで静かにしてるんだ?」
「あんたが大根をおろす音が聞きたいから。心地いいんだー」

 やがて出来上がった大根おろし。それを一切れの玉子焼きの上に少量乗せ、少しだけ醤油をかけた。

「お先」
「んー」

 出来上がった大根おろしを乗せた玉子焼きを、俺よりも隼鷹が先に口に運ぶ。

「どうだ?」
「んー……」

 隼鷹は、目を閉じて静かに味わっていた。何かを確かめるように、思い出の中の瑞鳳の玉子焼きと比べるように、神経を研ぎ澄ませて味わい、そして飲み込んでいた。

「……美味しいよ。瑞鳳ぽさもあるけど、それ以上に提督の味だね」
「そか?」
「うん。あたしゃ好きだよ」

 笑顔でそう語る隼鷹の背後の窓には、綺麗な満月が顔を出していた。

「……さ、食べよっか。今晩はとことん付き合うよー」
「つっても酒飲むだけだろうお前……」

 そう言いながら俺達は、日本酒と玉子焼きに舌鼓を打った。とはいえ流石に60個弱の玉子焼きをたった二人で食べきるのは無理があったようで、いくつかの玉子焼きは残してしまった。

 残った卵焼きは、哨戒任務中の川内と那珂の夜食として、おにぎりと豚汁の残りと一緒に置いておいた。翌朝、俺の大根おろし乗せ玉子焼きは、二人の『美味しかった! ありがと!! でも昨日は残してごめんね』の置き手紙と引き換えに綺麗さっぱりなくなっていた。
 
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