銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)
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第二百九話 ガイエスブルク要塞へ
帝国暦 488年 2月 20日 帝国軍総旗艦 ロキ エルネスト・メックリンガー
今月の五日、フェザーン方面に侵攻したシュムーデ提督率いる四個艦隊を除く帝国軍全艦隊は、敵本隊の撃滅のためブラウンシュバイク星系への集結をヴァレンシュタイン司令長官より命じられた。
三日前、ルッツ提督率いる別働隊が集結、そして今日ヴァレンシュタイン司令長官が到着し全ての艦隊が揃った。ヴァレンシュタイン司令長官は到着すると直ぐに各艦隊司令官に総旗艦ロキへの集合を命じた。
昨年の十二月一日に反乱討伐のためにオーディンを発って以来全員が集まるのは二ヶ月半ぶりだ。司令長官が来るまでの間、総旗艦ロキの会議室には談笑の声が和やかに上がった。
「羨ましい事だ、ルッツ提督。あれほどの大会戦を指揮するとは、武人の誉れだろう」
幾分笑いを含んだ口調でファーレンハイト提督がルッツ提督に問いかけた。二人は士官学校で同期生だったと聞いている。気安いのだろう。
「そうでもないぞ、ファーレンハイト提督。勝つには勝ったが、思ったような勝利ではなかった。自慢など到底出来ぬよ」
ルッツ提督は幾分苦笑気味に答えた。謙遜かとも思ったがロイエンタール、ワーレン等の別働隊の指揮官達は皆頷いている。どうやら謙遜ではないらしい。キフォイザー星域の会戦はかなり苦しい戦だったようだ。
「それにしても辺境星域の平定を中断してガイエスブルク要塞の攻略とは、一体どういうことかな」
ビッテンフェルト提督の言葉に皆が頷いた。
「確かに妙です。司令長官はどちらかと言えば慎重な性格です。辺境星域を放置して本隊の討伐を優先するとはちょっと信じられません」
「ミュラー提督の言う通りだと俺も思う。何かがあったのだろうが、一体何かな」
ケンプ提督が周りを見渡しながら問いかけたが、皆答えられない。先程までの和やかな雰囲気は無い。皆何処と無く不安そうだ。
「分からぬな。だがもう直ぐ司令長官がいらっしゃる。その答えは司令長官が教えてくれるだろう」
メルカッツ副司令長官の言葉に皆が頷いた。五分も経たぬうちにその司令長官が会議室に来た。全員が起立して敬礼で司令長官を迎える。司令長官は答礼すると皆に席に座るように言って自らも着席した。
「メルカッツ提督、ルッツ提督、皆もご苦労様でした。おかげでようやく此処まで貴族連合を追い詰める事が出来ました」
各司令官達が司令長官の労いに軽く礼をした。だが一番苦労をしたのは司令長官だろう。もう少しで殺されそうになったのだ。
「急な集結命令に驚いたと思います。特に辺境星域の平定を一旦凍結し敵本隊の平定を優先した事は不審に思った事でしょう」
何人かが司令長官の言葉に頷いた。
「自由惑星同盟から帝国政府に対して連絡が有りました」
同盟政府? 皆が顔を見合わせた。訝しげな表情をしている。おそらく自分もそうだろう、何故此処で反乱軍が関係してくるのか……。
「同盟領内で主戦論者による帝国への出兵論が力を付けつつあるようです」
「しかし出兵すれば捕虜交換は白紙になります。戦力の回復を願う反乱軍にとって出兵は何の利益も無いと思いますが?」
会議室がざわめく中、クレメンツが疑問を提起した。私も同感だ、同盟は何を考えている? 皆の困惑が更に深まった。
「同盟はフェザーンへ進駐しました。事実上フェザーンは同盟の占領下にあります。つまり同盟はイゼルローン、フェザーンの両回廊を得た。こちらとしては減少した同盟の戦力をイゼルローン、フェザーンの双方にさらに分割する事が出来た、より有利になったと考えていたのですが、同盟では違う事を考えた人間がいたようです」
まだ良く分からない。思わず司令長官に問いかけていた。
「違う事と言いますと?」
「このまま帝国の内乱が長引けば捕虜交換に頼る事無く両回廊を保持したまま戦力の回復が図れる、そう考える人間が同盟に居るということです」
司令長官の言葉に会議室がざわめく。なるほどようやく話が見えてきた。
「それで出兵論ですか、帝国の混乱を助長しようと」
私の言葉に司令長官は頷くと話を続けた。
「拙い事に貴族連合は未だ十五万隻もの大軍を保持しています。彼らと連合すれば内乱を長期化する事が出来る。そしてフェザーンを利用して経済を再建する。そうすれば帝国との協調など必要ない。同盟は両回廊を制圧し、以前よりも強大な戦力を保持できる……。同盟内部の主戦論者、そしてフェザーンの経済力に目を付けた財界人が出兵論を展開し始めたのです」
「同盟政府はどう考えているのでしょう。こちらに知らせてきたと言う事は信用して良いのでしょうか?」
ロイエンタール提督の問いかけに司令長官は僅かに首を傾げた。どうやら司令長官は同意見ではないらしい。
「難しいところですね。彼らはフェザーンから手を引きたがっている。戦力が二分されるのは危険だと考えているのです。こちらに知らせてきたのは敢えて誇大に言う事で我々に貴族連合の戦力を早期に撃滅させ、国内の主戦論者、財界人を抑えるつもりではないかと考えています」
彼方此方で呻き声が上がった。
「その方が同盟にとって利益になる、そう考えているのでしょう。当然ですが出兵したほうが利益になると考えれば躊躇う事無く出兵してくると思います」
「なるほど、辺境星域の平定を一時中断して貴族連合の本隊の撃滅を図るのはそれが理由ですか。そうなると余り時間をかける事は好ましくありませんな、反乱軍にこちらが内乱の鎮圧に梃子摺っている、そう思われかねません」
「その通りです、レンネンカンプ提督。我々はこれからガイエスブルク要塞に向かいます。そして貴族連合と一戦し撃破する。辺境星域の平定も含めて三月末までにはこの内乱を終わらせたいと考えています」
三月末、その言葉にまた会議室にざわめきが起きた。ガイエスブルク要塞に篭る敵本隊だけでなく辺境星域も含めてとなればかなり忙しい。司令長官は自由惑星同盟政府を信用していない。ロイエンタールに言ったようにこちらが不利となればかなりの確率で出兵すると見ている。
「質問はありますか? ……無ければこれより二時間後、ガイエスブルク要塞に向かいます。各司令官は直ちに艦隊に戻り準備を整えてください」
そう言うと司令長官は立ち上がった。我々も一斉に起立し敬礼をする。司令長官は答礼すると我々一人一人確認するかのように会議室を見渡した。
宇宙暦 797年 2月 25日 ハイネセン 最高評議会ビル ジョアン・レベロ
「いいのか、レベロ。此処は評議会議員以外の立ち入りは禁止だろう」
部屋に有るソファーに腰掛けながらシトレが話しかけてきた。
「君は私のブレーンだろう」
「なるほど、そうだったな」
最高評議会ビルは原則として評議会議員、及びそのスタッフの立ち入りのみが許されている。それ以外には事前に申請が必要で許可を得た者のみが立ち入る事が出来る。シトレは私のブレーンだ、フリーパスの状態で此処まで来たのだがその事がどうも納得がいかないらしい。
「大体此処は財政委員長に与えられた部屋だ。此処まで来て言う言葉でもなかろう」
「まあ、そうだが」
シトレが微かに身じろぎした。元々軍人だからこのビルに来る事を出来るだけ避けてきたと言う事も有る。居心地が悪いのかもしれない、落ち着かないのだろう。
「それでどうかな、シトレ。帝国への出兵は」
「軍は出兵は不可との結論を出した。やるなら二ヶ月前、いや内乱勃発と同時に行なうべきだった。ヴァレンシュタイン司令長官が負傷した時にだ。今からでは遅い、何の意味も無いだろう」
「内乱勃発か、しかしそれは」
「捕虜交換を否定する事になるしフェザーン方面での軍事行動も不可能となる。つまりどの道出兵論など不可能と言う事だ。トリューニヒト議長にも国防委員長経由で報告が行く筈だ」
「行く筈?」
「ボロディン大将がネグロポンティ国防委員長に今報告している。議長に報告が届くのは早くともあと一時間はかかるだろう。議長よりも先に結果を知る気分はどうだ?」
シトレはそう言うと悪戯っぽく笑った。
「悪くは無いな。それに軍が反対してくれたと聞いて安心したよ。出兵論など馬鹿げている」
「ま、同感だな。帝国軍宇宙艦隊はヴァレンシュタイン司令長官の命令に従いガイエスブルク要塞に向かっているらしい。ヴァレンシュタイン司令長官自身もだ。重態説は何の根拠も無いということだろう」
「根拠は無いか、これで出兵論も下火になるだろう、一安心だ。それにしても報告が遅いような気がするな。トリューニヒトから軍に出兵論の検討依頼が有ったのは三週間前だろう」
「……」
先程まで笑っていたシトレが無表情に沈黙している。どういうことだ? 何か有るのか……。
「シトレ、君は何か知っているのか?」
「……軍は故意に国防委員長への報告を遅らせたんだ。彼らが結論を出したのは二週間前だ」
「どういうことだ、何故二週間も報告を遅らせる? 何の意味があるんだ、シトレ」
思わず彼を責めるような口調になっていた。だがシトレは無表情なままだ。
「当初、軍は二つの可能性について報告しようとしていた。一つはヴァレンシュタイン司令長官が自ら指揮を取った場合だ。この場合は元帥の重態説が誤りだったと言う事になる。おそらくは内乱は早期に鎮圧されるだろうから当然出兵論は不可だ」
「となると、もう一つは元帥が指揮を取らなかった場合……、つまり元帥の重態説が事実だった場合だな」
私の問いかけにシトレは頷いた。
「君の言う通りだ。その場合は密かにイゼルローン方面に艦隊を動かし様子を見るべきだと考えていた。勘違いしないでくれよ、レベロ。彼らは無条件に出兵論に賛成しているわけじゃない。出兵は危険で出来る限り避けるべきだと考えている。だから帝国が内乱鎮圧にかなり梃子摺る、そう判断できた場合にのみ帝国領再侵攻の可能性があると考えたんだ」
「捕虜交換はどうなる。軍はそれを望んでいたはずだろう?」
「内乱鎮圧が遅くなる、つまり捕虜交換は先延ばしになると言う事だ。それまで主戦論を抑えきれると思うか? トリューニヒトが出兵論の検討をしろと言ったのはそういうことだろう」
思わず溜息が出た。この国の主戦論の根強さとは一体何なのだろう。シャンタウ星域の会戦であれだけの大敗を喫しても未だ戦いたいと言う人間が居る。そしてその声は決して小さくない。
「分かった。だが君はまだ私の問いに答えてはいない。何故報告が遅くなった?」
「恐れたのさ」
「恐れた? 妙な事を言う。何を恐れたと言うのだ?」
私の問いにシトレは微かに笑みを浮かべた。何処かで見た事がある笑みだ。そう、あれは彼を私のブレーンにと誘ったときだった。あの時と同じような笑みを浮かべている。暗い笑みだ。
「軍が出兵に賛成していると言う意見が一人歩きするのを、利用されるのを恐れたんだ」
「……」
「彼らは出兵には反対だ。だが可能性が有るのは認めた、それだけだ。出兵に賛成などしてはいない。だがそう受け取られる可能性が有ると恐れた」
「……」
「どの道、軍を動かすのであればフェザーンから第九、第十一艦隊が戻ってからに成る。であれば彼らが戻ってくるぎりぎりまで帝国の状況を見るべきだと考えたのだ。報告を急ぐ必要は無いと」
「第九、第十一の二個艦隊はあと一週間もすれば帰ってくるんだったな」
「そうだ、そして待った甲斐は有った。ヴァレンシュタイン元帥重態説には根拠が無いと分かったからな。であれば出兵の可能性があるなどと報告する必要は無い、違うかな」
「そうだな……、君の言う通りだ」
トリューニヒト政権に対する同盟市民の支持率は非常に高い。前政権が三十パーセントほどの支持率しか得なかったのに対しフェザーンを得た直後と言う事もあり七十パーセントを超える支持率を得ている。
これだけの支持率があるから出兵論を抑える事が出来る。だが時間が経てば当然支持率は下がるだろうし、出兵論は勢いを増すだろう。そんな時に軍が出兵に賛成していると言う意見が出たらどうなるか……。シトレの、軍の恐れを意味のない事と笑う事は出来ない。
「レベロ、君は怒っているか、何故二週間前に報告をしなかったと。自分を信じないのかと」
シトレが私に問いかけてきた。静かな穏やかな目をしている。
「……いや、そうは思わない。知っていれば何処かで私はそれを言っていただろう、出兵論など可能性が有るだけだと。主戦論者にとってはその可能性だけで十分なのにな」
「そう思ってくれるか……、有難う。あの時の君の気持が分かったような気がする」
あの時? あの時か……。君が統合作戦本部長をやめた時、私が君をブレーンにと望んだ時、そして君が私を非難したとき……。
「君が私を信じていないわけではなかったのだろうと今回の事で理解できた。可能性がある以上リスクは回避しなくてはならない。そのためにああしたのだろうと」
「だが私は失敗した。シャンタウ星域の会戦が起きたのは誤った人物を宇宙艦隊司令長官にしたからだ。その責任は私にもある」
リスクを回避したつもりだった。だが結果はより酷いものになった。私はリスクを回避するつもりでより大きなリスクを抱え込んだ事に気付かなかった。
「そうだな、確かに判断は誤ったかもしれない。だが私はあの時君が私を信頼していないと非難した、それは間違いだったよ。許してくれ、私は君に酷いことを言ってしまった……」
シトレが首を横に振っている。あの時の自分を責めているのかもしれない。
そうじゃないシトレ。君はあの敗戦で全てを失った。軍人としての名誉、名声、地位、権力、その全てを。私を非難するのは当然だ。私がその立場でも非難するだろう。君は当然の権利を行使したに過ぎない。だがそれでも君は私を助けてくれる。君こそ信頼に値する人物だ。
「シトレ、私は良いブレーンに、友人に恵まれたと思う。これからも私を助けてくれるだろう?」
「ああ、もちろんだ」
手を差し出すとシトレは私の手を握ってきた。大きな手だ、力強い手でもある。信頼できる男の手だと思った。
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