銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)
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第二百八話 傀儡
帝国暦 488年 2月 10日 オーディン 新無憂宮 クラウス・フォン・リヒテンラーデ
「それで、ヴァレンシュタインはレンテンベルク要塞を何時発つ?」
『明日には』
「ふむ」
スクリーンに映るシュタインホフ元帥が私の問いに答えた。彼の隣にはエーレンベルク元帥が映っている。
「何か言っておったか?」
『おそらくは脅しだろうと言っておりましたが、内乱の鎮圧に手間取れば本当に出兵と言う事も有り得ぬ話ではない、辺境星域の平定よりもガイエスブルク要塞の攻略を優先せざるを得ないだろうと言っておりましたな』
「そうじゃろうな」
全く碌でもない連中だ、シュタインホフ元帥の返事を聞きながら思った。反乱軍の連中はフェザーンを早く帝国に返したいと思っている。そのためには帝国の内乱が早く片付いて欲しいのじゃろう。内乱が長引けばフェザーンを占領しろとの意見が出かねない、いや今でも出ているだろうがそれが大勢を占めかねない……。
出兵論が出ているとの事じゃが自作自演の可能性もある。その上でこちらに何食わぬ顔で早く内乱を収めてくれと殊勝な顔で縋ってきおった。喰えぬ奴らよ。
「他には?」
『攻略には少々手間取るかもしれぬと言っておりましたな。自信無さげでしたが……』
「いつもの事じゃ、あれが自信有りげに言う事のほうが珍しいわ」
スクリーンの中で二人が笑っているのが見えた。
「……何か可笑しい事でも有るのか」
『いえ、何も可笑しい事は有りません』
二人が表情を改めた。碌でもない連中は反乱軍だけではないようじゃ。帝国にも居ったか。
「ヴァレンシュタインもそろそろ働いて良い時じゃ。いい加減休息も飽きたじゃろう」
はて、どういう事かの。エーレンベルクもシュタインホフも妙な表情をしておる。
「何か有るのか?」
スクリーンに映る二人が顔を見合わせた。そして渋々といった調子でエーレンベルクが話し出した。
『実は軍中央病院よりある懸念が伝えられました』
「……」
軍中央病院? 懸念? エーレンベルク、妙な事を言うの。ヴァレンシュタインの事か。
『ヴァレンシュタイン元帥の健康管理は万全かと』
「……どういうことじゃ、軍務尚書」
思わず小声になった。スクリーンに映る二人の表情は渋い。
『先日の負傷ですが、健康状態が良好ならあそこまで危険な状態にはならなかったそうです』
「……」
『ヴァレンシュタインは元々身体が丈夫とはいえませんし、宇宙艦隊司令長官は激務ですからな。かなり無理をさせたようで……』
確かに無理はさせたかもしれん。イゼルローン要塞が陥落してから働きづめじゃ。
「今あれに倒れられては困る、宇宙艦隊司令長官を辞めさせもう少し楽な立場においたほうが良いかの?」
とは言っても何処に置く? いっそ内務尚書にでもするか、あれは軍人よりも政治家の方が向いておろう。
『それも一案では有りますが、後任が……』
「悩む事はあるまい、シュタインホフ元帥。メルカッツがおろう、あれに任せてはどうじゃ」
私の言葉にシュタインホフは困惑したような表情を見せた。エーレンベルクも同じような表情をしている。
「メルカッツではいかぬかの」
『メルカッツ上級大将が無能とは言いません。ヴァレンシュタインの後は彼しかいないのも事実ではありますが……』
シュタインホフの口調は歯切れが悪い。奥歯に物が挟まったような口調だ。
「妙な言い様じゃの。何か不満があるか」
私の言葉に今度はエーレンベルクが話を続けた。
『宇宙艦隊司令長官という役職は少々特殊なのです。兵を鼓舞し、喜んで死地に赴かせる何か、威というか華というか、能力以外の何かが要ります。メルカッツには能力は有りますが、その何かが不足していると思えるのです』
「……」
『メルカッツを責める事は出来ません。宇宙艦隊司令長官とはそれほど難しい職なのです。能力だけで務める事は出来ない』
「卿らでも難しいか」
『私もシュタインホフ元帥も艦隊を率い戦場に出て武勲を挙げました。決して無能ではなかったと思います。しかし宇宙艦隊司令長官にはならなかった、いやなれなかった。メルカッツ同様、いや彼以上に能力以外の何かが私達には無かったと当時の軍上層部は判断したのでしょう』
「なるほど、ミュッケンベルガーにはそれが有ったか……」
私の言葉にスクリーンの二人が頷いた。
『ミュッケンベルガー元帥は若い頃から独特の雰囲気を持っていました。誰もが彼の前では身を正したくなるような威厳。そしてそれは年を経るに従って強くなりました。そういう何かが宇宙艦隊司令長官には必要なのです』
“威”、“華”、エーレンベルクの言う事は分からぬでもない。ミュッケンベルガーもあの小僧、ローエングラム伯もどこにいても周囲の目を集めた。ミュッケンベルガーには“威”が、あの小僧には“華”が……。
エーレンベルクがローエングラム伯の名を出さずとも分かる。じゃがヴァレンシュタインにもそれが有るのか? その辺りがどうもよく分からぬ……。あれは目立つ事を好まぬし、“威”や“華”などあるようには見えぬが。
「ヴァレンシュタインにもそれが有るか」
私の問いにエーレンベルクはまた困惑したような表情を見せた。
『彼は少し違うような気がします』
「……と言うと?」
『私は彼が未だ尉官の頃から知っています。彼が有能な軍官僚、参謀には成るかとは思いましたが宇宙艦隊司令長官になるとは思いませんでした』
「ふむ」
私が頷くとシュタインホフも同意するかのように頷いた。
『ですが例の事件、陛下が御倒れに成ったときですが、あれで化けましたな』
「あれか」
スクリーンの中でエーレンベルクが頷くのが見えた。あの一件は私とエーレンベルクでヴァレンシュタインにオーディンの治安を任せた。ヴァレンシュタインは見事に内乱を防いだが化けたとはどういうことか?
「化けたとは?」
『オーディンが、帝国が内乱に突入しなかったのはヴァレンシュタインの力量によるものでした。誰もが彼を事に及んでは断固たる決断が出来る人物だと認識した、大きな決断が下せる人間だと認識したのです。そして大きな決断を下せる人間こそが大軍を指揮統率できる……』
エーレンベルクが口を噤むと今度はシュタインホフが代わって話し始めた。
『そして第三次ティアマト会戦、あの戦いでヴァレンシュタインは全軍の危機を防ぎました。にもかかわらず本人は軍規違反の責任を取って軍を辞めようとした。将兵にとって彼以上に信頼できる人物はいなくなったのです』
「なるほどの」
ヴァレンシュタインの持つ何かとは、“威”でもなく“華”でもなく“信頼”か。
『不思議ではありますが、将兵は艦隊司令官の経験の無い彼を誰よりも信頼しました。そしてシャンタウ星域の会戦での大勝利、将兵にとってヴァレンシュタイン以上に宇宙艦隊司令長官に相応しい人物は居ません』
「では今しばらくはヴァレンシュタインに宇宙艦隊司令長官を委ねるしかないの」
『少なくともあと三年はヴァレンシュタインが司令長官の職に有るべきだと私もシュタインホフ元帥も考えています』
あと三年、つまり自由惑星同盟を征服するまでか。その後なら、平時ならメルカッツでも問題ないということか。苦労をかけるの、ヴァレンシュタイン。なんとかその苦労を軽くしてやりたいとは思うが、はてどうしたものか……。
帝国暦 488年 2月 15日 フェザーン 自治領主府 ヨッフェン・フォン・レムシャイド
「これはレムシャイド伯、お忙しい中御足労をおかけします」
「いやいや、気になされますな。して何か有りましたかな、オリベイラ弁務官。わざわざ自治領主府に呼ばれるとは」
部屋に入ると執務机に座っていたオリベイラ弁務官は席を立ち私の方に歩いて来た。顔には満面の笑みがある、但し目は笑っていない、油断できない男だ。
意識して笑みを浮かべながら目の前の新任のオリベイラ高等弁務官を見た。元は学者だということだが、どうみてもそうは見えない。自信と優越感に溢れた官僚に見える。まあフェザーンを占領したのだ、自信に満ち溢れているのも無理は無い。
その証拠がこの部屋だろう。自治領主の執務室、フェザーン占領以来ルビンスキーの捜索を口実に此処で執務を取っている。フェザーンの統治者は自分だと周囲に示したいらしい。笑止な事だ。
「もしかするとルビンスキーの居所が知れましたか、或いは既に身柄を確保しましたかな?」
「いえ、残念ですがまだ彼の行方は分かりません」
オリベイラ弁務官の表情が歪んだ。
ルビンスキーの捕縛は帝国が同盟にフェザーン進駐を認めた条件の一つだ。オリベイラは着任早々ルビンスキーに失踪されることで失点を付けた。
「なるほど、困った事ですな」
「実はルビンスキーが失踪してから今日までフェザーンの自治領主は不在です。何時までも空席にしておくわけにもいかないと思うのですが、伯は如何お考えですかな」
やはり、それか……。先日から目の前の男が同盟に好意的な人物で自治領主になってもおかしくない人物を探していると部下から報告があったがどうやら相応しい人物が見つかったようだ。
ルビンスキー失踪でおそらくは同盟本国からも叱責でもされたのだろう。自治領主に同盟の言う事を聞く人間を付けて失点の挽回と言う事か。では話を合わせてやるか。
「確かにそうですな。しかしどなたか良い人物がおりますかな?」
「ええ、幸いにも。その事で伯の、帝国の了承を得たいと思いましてな」
そう言うとオリベイラ弁務官は出口に向かいドアを開けると“入ってくれ”と声を出した。
部屋に入ってきたのは五十代後半の男だった。
「マルティン・ペイワード氏です。先代の自治領主、ワレンコフ氏の下で補佐官を務めていました。ルビンスキーが自治領主になった時に彼に合わないものを感じ補佐官を辞めました」
オリベイラ弁務官の紹介が終わるとペイワードは緊張した面持ちで名乗った。
「マルティン・ペイワードです」
「如何でしょうかな、レムシャイド伯。御了承願えましょうか」
幾分緊張気味にオリベイラ弁務官が問いかけてきた。ペイワードも同様だ。傀儡でも自治領主になりたいか、愚かな。
「ふむ。ペイワード氏が帝国に対して不利益を働く事が無ければ帝国としては反対する理由は有りませぬな」
「もちろんです。私はルビンスキー前自治領主とは違います。信じていただきたい」
「ならば帝国としては異存有りません。しかし長老会議がペイワード氏を自治領主として認めますかな?」
「問題ありますまい。帝国と同盟が支持しているのです」
オリベイラ弁務官が事も無げに言ってのけた。勝者の余裕、いや傲慢か。喜びを露わにしているペイワードと満足そうなオリベイラ弁務官を見ながら思った。傲慢は時として馬鹿と同義語になる、分かっているのかこの男……。
「ところで帝国駐在のボルテック高等弁務官ですが留任と言う事でよろしいですかな」
「……」
私の言葉にオリベイラ弁務官とペイワードが顔を見合わせた。二人とも表情が厳しい、やはりボルテックの事を気にしていたようだ。
「彼はオーディンに居る方がそちらにとっても好都合かと思われるが如何かな。下手にこちらに戻すと愚か者どもが彼を自治領主にと騒ぎかねぬ」
「なるほど、確かにそうですな。いや、伯の御好意には感謝いたします」
オリベイラ弁務官が笑みを浮かべた。ペイワードも安心したような表情をしている。競争相手が減ったとでも思ったか……。
「そのボルテック弁務官ですが一人補佐官をフェザーンより送って欲しいと言っております。確かケッセルリンクと言いましたかな、若い補佐官です。仕事が忙しいので助けて欲しいと」
「……そうですか」
「私からこのような事を聞くなど不愉快でしょうがルビンスキーが失踪して以来、誰に相談してよいか分からなかったようです。如何でしょうな」
私の問いかけにペイワードはオリベイラ弁務官を見た。その視線を受けてオリベイラ弁務官が微かに頷く。
「分かりました。彼をボルテック弁務官の下に送りましょう」
ペイワードの答えにオリベイラ弁務官が満足そうな表情を見せた。自分の思い通りに動かす事が出来る事が嬉しいらしい。
オリベイラは自分の意のままに動く傀儡を自治領主にしたつもりだろう。そしてフェザーンを同盟のために利用しようと考えているのだろうが、ペイワードにも感情がある。度が過ぎればいずれはペイワード自身がオリベイラを疎んじるようになる。ペイワードが何時我慢できなくなるか、半年、或いは一年か……。まあそれまではせいぜいフェザーンの支配者を楽しむ事だ、オリベイラ弁務官殿……。
帝国高等弁務官府に戻ると一時間も経たないうちに面会を求めてきたものが居た。ルパート・ケッセルリンク、端正な顔立ちの青年だが表情が少々暗い。
「ルパート・ケッセルリンクです。この度、オーディンの高等弁務官事務所に赴任する事になりました。ボルテック弁務官からの要請と聞きましたが、私に何をさせたいのでしょう? ご存知でしたらお教えください。こちらにも準備が有ります」
「ペイワードにこちらを探って来いとでも言われたか、御苦労だな」
「……そのような事は」
「ボルテック弁務官は関係ない。卿を必要としているのは帝国だ」
私の答えにケッセルリンクは表情を強張らせた。
「……それは、どういう意味でしょう」
「答える必要があるかな」
「……」
「……」
「……いえ、有りません」
「結構」
表情は青褪めているがそれなりに肝は有るか。
「父親からの連絡は有るか? それとも居所を知っているかな?」
ケッセルリンクは黙ったまま首を横に振った。
「信用されてはおらぬか」
「……」
私の言葉にケッセルリンクの表情が歪む。
「卿はオーディンに着いたらボルテックの元に行け。そして帝国が卿を送ったと言うのだ」
「ボルテック弁務官は私の事を……」
「知っている」
また表情が歪んだ。
「私の役目は?」
「とりあえずはボルテック弁務官の補佐だ。その他はオーディンについてからだな」
「……」
「逃げても良いぞ。だがその場合は同盟に卿の素性を教える事になる。帝国でも同盟でも一生追われ続けることになるな。このフェザーンでもだ」
「……」
「帝国を見くびるな。分かったか」
声に威圧を込めて話すと青褪めた表情でルパート・ケッセルリンクが頷くのが見えた。
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