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ソードアート・オンライン もう一人の主人公の物語

作者:マルバ
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■■インフィニティ・モーメント編 主人公:ミドリ■■
壊れた世界◆ラストバトル
  第六十五話 狂気

 
前書き
Nyarlathotepの宇宙的恐怖にあてられたマルバたちが狂気に陥ります。 

 
 フーデットマントの下がぼこぼこと盛り上がり、天井近くまで大きくなっていくのを見ながら、シリカは右手に持った短剣を握り直し、息を呑んだ。ついにボスが真の姿に変わっていく。途中で変身するボスは珍しいものの、下層でも何回か見かけたため、シリカは落ち着いて変身を見つめていた。
 そしてついにモンスターの動きが止まった。初撃はブロック隊が受け止め、その後ダメージディーラーが攻撃を仕掛ける手はずになっている。彼女は姿勢を低くして攻撃態勢を取った。

 ――ボスがマントを引きちぎり、マントの下に隠されていた見るもおぞましい姿をさらけ出すまでは。彼女の目線の高さからはモンスターの頭は見えず、ただその胴体を横から見ただけだったが、それでも彼女の動きを封じるには十分だった。

 仮想世界ではありえないはずなのに、背筋に鳥肌が立つのを感じた。吐き気がこみ上げ、あわてて口元を抑えたため、武器を取り落としてしまった。乾いた音をたてて転がってゆく武器を気に留める余裕はまったくなかった。今すぐ背中を向けて逃げ出さなければいけないのに、身体が全くいうことを聞かない。恐怖で膝から力が抜け、その場にへたり込むが、視線だけはどうしても外すことができなかった。
 ここで死ぬという現実を理解してしまった。むしろすぐに殺してくれと願った。こんなおぞましいものをこれ以上見るのはどうしても不可能だった。視線が外せない以上、今すぐに死ぬことが最も現実的な理想的な解決方法に思えた。短剣で自害しようと考えて初めて、彼女は武器を取り落としていたことに気づいた。しかし落とした武器を拾うために視線を下げることはできなかった。

 これまで戦ってきた意味、隣にいる恋人、明日を共に迎えることを誓った仲間、どれもどうでも良かった。なぜなら彼女はここで死ぬのだから。命乞いをするべきかと一瞬考えたが、どうせ無駄だとすぐに分かってしまったため、すぐに諦めた。命乞いなど受け入れられないし、殺してくれなどと言っても通じやしない。そう、自分の意志でこの現実的絶望から自分を解き放ってしまわなければ、わたしは人間らしく死ぬこともできない。私がいまここで自分の命を自分で奪うことこそがいちばんいい理想的なことでここでシぬことでわたシはこの苦しみからも、このSAOに囚われた苦しみからも逃れてただ自由にいつもの現実世界へと帰っていくことができるんだからわたシはいまここでわたシ自身のイシでシななきゃ――

 突然、高い音が響いた。固定されていた視界のなかに、大きな影が飛び込んできた。シリカの方へ繰り出された攻撃を何者かが盾で防いだようだ。もう一人、長い武器を持った人物が、盾使いの脇から攻撃を仕掛けるのも見た。
 みんな死ぬんだからどうせ無駄なのに、とシリカは思ったが――

「立ち上がれ、俺たちの希望よ! お前らは俺が守る、必ず現実世界に帰してみせる!!」
「あなた達の人生をこんなところで無駄にしちゃダメ! 立ち上がるのよ!!」

 その叫び声が、空気を震わせた。シリカはようやく、名状しがたいソレから視線を外すことに成功した。ミドリとストレアが必死でプレイヤーを守ろうと動き回っているのを捉えた。
 彼らはただわたしたちだけのために、あんな恐ろしいモンスターと戦っているんだ。それに気づくと、シリカの中にようやく『するべきこと』ではなく、『したいこと』を考える余裕が生まれた。

 ――わたしは、自分らしく生きたい。
 ――守られるだけは嫌だ!
 ――守るだけの力が欲しい……!

 いつだったか、マルバと出会い、自分が生きる意味を再確認したときの思いが、再び蘇ってきた。
 そう、たとえ力及ばず死ぬことになろうとも、ただ殺されるのは『わたしらしくない』。かつて、彼女は守る力が足らず、何もできない自分に絶望したことがあった。今、彼女には力がある。無力だったころの自分ではない。せっかく手に入れた守る力を使わずして、彼女は『わたしらしい』生き方で生きたと言えるのだろうか? たとえ死が避けられないとしても、『わたしらしく』生きるために、一番やりたいことはなんだろうか?

 気づけば、彼女は一歩踏み出していた。足元に転がった短剣を拾い、ミドリたちの元へ駆け寄る。おぞましい姿のモンスターをまともに見ることは相変わらずできなかったが、それでも仲間たちと肩を並べ、大切なものを、大切な人を守るために戦いたいという気持ちが、彼女をつき動かしていた。


  †


 一体僕は何をしているんだ……?
 マルバは圧倒的存在を前に立ち尽くしていた。ふと目を下げれば、彼の両手には反抗の証である武器が握られていて、彼はそれをたまらなく不可解に感じた。この存在を前に、彼のような小さな存在が一体何ができるというのか、彼には全く分からなかった。自然と手が緩み、両手から短剣が滑り落ち、床を転がった。武器が転がってゆく様子を、彼は無感動に眺めた。
 ああ――なにもかもが、どうでもいい。このまま死ぬのは明白だったし、彼はそれに甘んじるつもりだった。彼は今、ここまで昇りつめた自分を誇りに思っていた。ここで死んでも本望だというような気分にすらなっていた。やれることはやった、それでどうやっても勝てない敵に出くわして死んだ、十分じゃないか、と。これは逃げではない。相手の強さを認め、敗北を受け入れる、ただそれだけのことだ、と。

 だのに、まだ諦めない、諦めの悪いヤツもいるものだ。
 マルバは、これほどまでに圧倒的なその存在を前に、まだ反抗心を捨てない仲間たちを、好奇と、わずかばかりの軽蔑を含んだ視線で見つめた。現実を認識していないからあんなことができる、ただそれだけのことだと、マルバには分かっていた。やるべきことは全てやった、もうできることなんてないのに、と。

 彼は自らの死が不可避だと認識したあと、自らの短い生涯を振り返っていた。彼の人生は短いながらも、常人に比べはるかに多くの経験を積んできたことは確かだった。彼は葵の命を救ったことや、SAOでシリカと出会ったことを人生の中で最も素晴らしい一幕だったと考えた。そう、このような状況で死ぬことになろうとも、自分はシリカと出会えたのだから、SAOに入って良かったと胸を張って言える……

 ――しかしマルバの思考は、当の本人であるシリカによって遮られた。
 短剣を構え、まっすぐに駆け込んでゆく。敵が強攻撃の後に硬直した隙を狙って弱い一撃を加え、そしてすぐに離脱し、次の機会を伺う。マルバが過去に彼女に教えた強敵に対する戦法の一つを、彼女はいままさに実践しているところだった。
 彼女は強かった。敵は強い、しかし味方は殆ど倒れてしまったという窮地の中で、まだあの強敵に立ち向かうだけの精神力を持っている。彼女らしいな、とマルバは思った。つい先程、ミドリたちを少しばかり軽蔑したことを恥じた。現実を認識することを拒み、ただ自分のやれることを、誰かのためにやりたいことを追求する生き方を、尊敬していたことを思い出したからだ。彼女を人生の目標と定めた彼にとって、彼女のような強い精神力を持つことは永遠にできないような気がした。何故なら、彼はすでにやれることをすべてやりつくし、ただ死を待っているだけなのだ……

 ……そんなのは、嫌だ。
 彼は顔を上げた。今、シリカは自分の手で変えようのない未来を変えようと努力している。それはマルバにもできることではないか?
 クールに現実を見据え、無駄なことは何もしない、そういう生き方を彼は目指していたのか? 否だ! 彼が目指すのは、シリカのような、自分を強く持つ精神的強さだ。
 それならば……現実を見ることなど放棄しろ! ただ泥臭く、目の前の現実を変えようと努力しろ! それが、彼の目指す道ではなかったか!

 マルバは姿勢を低くして、必死で戦うシリカの元へと突っ込んでいった。自らの運命への反抗の証として、床に転がった短剣を拾い上げながら。 
 

 
後書き
なんというか、狂気としては立ち直りがかなり早かったですね。とはいっても、すでに10人の攻略組が命を落としています。
次回、あの人が覚醒し、プレイヤーの危機を救います。

裏設定いきます。
プレイヤーのほとんどが正気を失っていますが、これは純粋に見た目が恐ろしいからだけではなく、恐怖した時の脳の反応を模倣するようにナーヴギアが信号を流し込んでいます。プレイヤーは強制的に恐怖させられているわけです。 
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