銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)
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第百七十七話 新たな火種
帝国暦 487年 12月 7日 ガイエスブルク要塞 オットー・フォン・ブラウンシュバイク
「どうかな、グライフス総司令官。上手く行くだろうか?」
「上手く行かせるには幾つかのポイントがあります」
「ポイント?」
リッテンハイム侯の言葉にグライフス総司令官は思慮深げな表情で頷いた。
「一つはオーディンまで敵に見つからずに侵攻できるか、もう一つはヴァレンシュタイン元帥の負傷がどの程度のものなのか、それと……」
「それと?」
思わず先を促したわしに対してグライフス総司令官は躊躇いがちに答えた。
「シュターデン大将は参謀の経験はありますが、指揮官の経験はありません。その辺りがどう出るか……」
「シュターデンでは難しかったか」
「……いっそ指揮官はヴァルテンベルク大将の方が良かったかもしれません」
味方殺しの方が良かった? 思いがけない言葉だった。思わずリッテンハイム侯と顔を見合わせた。侯も難しい表情をしている。司令室にあるスクリーンに目をやった。スクリーンにはガイエスブルク要塞を離れる艦隊の姿がある。総勢三万隻、シュターデン大将を総司令官とするオーディン侵攻軍だ。
本来オーディンへの別働隊は送らないはずだった。しかしオーディンで暴動が起き、ヴァレンシュタイン元帥が意識不明の重態という報告が入った事がそれを変えた。十二月四日のことだった。
その日の内にシュターデンが中心となって若い貴族達がオーディンへの進撃を唱えた。作戦は既に決定済みである、頭ごなしに叱責しようかと思った時、グライフスがそれを止めた。
“ヴァレンシュタイン元帥が意識不明の重態と言うのならオーディンの防衛体制には穴がある可能性がある。前提条件が変わった以上検討してみる価値は有るだろう”
シュターデンの意見を無条件に受け入れるのでは無く、否定するのでもない。グライフスは再度“ヴァレンシュタイン元帥、意識不明の重態” の情報の精度の確認を行なった。
“こちらを誘い出す罠と言う事も有り得る、確認が必要だ” 早急な侵攻を希望するシュターデンに対してグライフスは退かなかった。そして分かった事は、敵の本隊が行軍を中止している事だった。敵は混乱している、重態説は誤りではない……。
別働隊を派遣すべきだ、グライフスがそう結論付けたのは翌五日、一昨日の事だ。そこから侵攻軍の準備が始まった。昨日ヴァレンシュタインの意識が回復したとのエーレンベルク元帥の声明が有った。しかし直ぐに軍務につけるわけでは有るまい、グライフスはオーディンへの侵攻軍派遣の決定を変える事はなかった。
オーディン侵攻軍、総勢三万隻。総司令官にはシュターデン大将、そして彼の配下にはラートブルフ男爵、シェッツラー子爵が入る。シュターデン達がオーディンの攻略に成功すれば、当然だがヴァレンシュタインを始め、エーレンベルク、シュタインホフ、リヒテンラーデ侯は死ぬ事になるだろう……。
「後はシュターデン大将の運と力量次第か」
「そういうことになります」
「しかし総司令官が別働隊派遣を受け入れるとは思わなかったな。作戦方針を決めた直後だ、受け入れるのは難しいはずだが」
グライフスはわしの言葉に軽く苦笑した。
「戦争では状況は常に変わるのです。方針は決めてもそれに固執するのは危険です。状況の変化を読み適切に対処しなければなりません」
「なるほど、臨機応変と言う事か」
「そうです。その点でもシュターデン大将には多少の不安が有ります。不測の事態が起きた時、迅速に対処できるか……」
グライフスの語尾は呟くような口調になった。視線はスクリーンに向けられたままだ。
「総司令官のようにかな?」
リッテンハイム侯の問いかけにグライフスは首を振って否定した。
「小官は軍務の殆どを参謀として過ごしました。参謀と言うのは考えるのが仕事です。もしかすると戦場の指揮官としては少し決断に時間がかかるかもしれません。今回の侵攻軍の派遣ももっと早く決断すべきだったのかも……」
妙な男だ、地位が上がれば上がるほど自分の欠点は隠したくなるものだ。それなのにグライフスは平然と自分の欠点を話した。無防備なのか、それともこちらを信頼していると言う意思の表明なのか……。だが嫌な気分では無かった。なんとなくだがグライフスに対して好感が湧いてきた。
「ではグライフス総司令官から見て臨機応変の才を持つ人物とは誰かな?」
わしの問いかけは幾分笑いの成分が入っていたかも知れぬ。本心から訊ねたかったのではない、ただグライフスともう少し話をしたかった。
わしの気持が分かったのかもしれない、グライフスは笑みを浮かべた。
「これは、公のお言葉とも思えません。既にお分かりでは有りませんか?」
「すまぬ、試すつもりでは無かったのだ。ただ卿と少し話したくてな……、卿もそう思うか」
グライフスは頷くと話を続けた。
「……もう三年近く前になります。ヴァンフリート星域の会戦で小官は敵に、いえ戦場に振り回されました。敵も味方も混乱していたと思います。そんな中で戦場を制御していたのがヴァレンシュタイン元帥でした。あの時、自分の限界を思い知らされたような気がしました……」
「……」
「あれから三年です……、大佐だった彼は元帥になり当代の名将として全ての人に知られるようになりました。おかしな話です、あの当時は己の未熟さを思い知るだけでした。しかし今は彼と無性に戦いたいと思います。あれから三年、小官は何を得たのか、何が足りなかったのか……。戦う事でそれが分かるかもしれません……」
何を言って良いのか、わしには分からなかった。グライフスはスクリーンを見ている。次第にガイエスブルク要塞を離れていく艦隊が。いや本当に見ているのだろうか、或いは別な何かを見ているのではないだろうか。そんな事を考えさせるような眼だった。
リッテンハイム侯もわしもただ黙ってスクリーンを見ているしかなかった。他の誰かが我等を見れば出撃する味方を見送っている、そんな風に思っただろう……。
司令室を離れて自室に戻るとそこには既に人が居た。
「伯父上、見送りですか」
「まあ、そんなところだ」
部屋に居たのは甥のシャイド男爵だった。皮肉そうな口調で話しかけてくる。
「よろしいのですかな、伯父上。シュターデン達がオーディンを攻略すれば、皇帝を擁し勅命を利用して好き勝手をしだしますぞ」
「或いは我等を裏切り自分達だけで栄達をと考えるかも知れぬ、卿はそう思っているようだな。卿もシュターデンもそう思っているなら愚かな事だな」
「?」
シャイドが訝しげな顔をした。
「分からぬか? 今回の内戦はこれまでの権力争いとは違うのだ。全てを持つ我等貴族対持たざる者達の戦いだ。たとえ勅命だろうと彼らが退く事は無い。退けば我等に叩き潰されるからな」
「……」
「シュターデン達がオーディンを占拠しても短期間で終わるだろう。メルカッツ率いる帝国軍本隊の手でシュターデン達は征伐されるに違いない。夢に酔うのもほんの僅かな時間だな」
「では、何故別働隊の出撃を許したのです? 悪戯に兵を失うだけでは有りませんか?」
幾分怒りを感じさせる口調だった。シャイドは少なくとも兵の大切さを知ってはいるようだ。
「ヴァレンシュタインが死ねばメルカッツとローエングラム伯の間で後継者争いが発生するだろうな」
「……」
「おそらくはメルカッツが勝つ、だが軍は、いや政府は混乱するはずだ。エーレンベルク、シュタインホフ、ヴァレンシュタイン、そしてリヒテンラーデ侯が死ぬのだからな。そうなれば或いは我等にも勝機が見えてくるかもしれぬ」
「……」
「別働隊がオーディンを攻略する可能性は決して高くは無い。いや、むしろ低いだろう。しかし僅かなりとも勝機を見出すための犠牲だと思えば決して無駄とは言えぬ。成功すれば十分に採算は取れる……」
たとえ失敗しても、何かにつけてグライフスに対抗意識を出すシュターデンなら軍の統率上はむしろプラスに働くだろう。シュターデンは失っても惜しくない駒なのだ。
「……伯父上、勝機と言われましたがこの戦い、それほどまでに危ういのですか?」
シャイドの表情は青褪めている。これだけの大軍だ、楽に勝てるとでも思ったのかもしれない。
「逃げ出すなら今のうちだぞ、シャイド。いずれ軍がこの要塞を取り囲むだろう。そうなっては逃げる事は出来ぬ」
「……」
ローエングラム伯は誤ったな、沈黙したシャイド男爵を見ながら思った。本来のミューゼルのままで居るべきだったのだ。門閥貴族の一員であるローエングラム伯爵家など継ぐべきではなかった。
そうであれば彼の立場も今よりはるかに安定したものになっていたかもしれない。ローエングラム伯爵家を継いだ事があの男を、門閥貴族からも平民からも距離を取らせることになった。
その点ではヴァレンシュタインは見事なものだった。元帥杖授与式で貴族になる事を拒否した。あれはどんな言葉よりも彼の立場を強化しただろう。平民達の希望として……。だからこそ彼を殺さなければならない、我等が生き残る可能性を僅かでも見出すために……。
宇宙暦 796年 12月 8日 ハイネセン 宇宙艦隊司令部
ドワイト・グリーンヒル
「帝国の状況も今ひとつはっきりせんな」
「そうですな」
面白くなさそうに話すビュコック司令長官に私は相槌を打った。確かにはっきりしない。
「大丈夫かな、彼らは」
「まあ、あれだけ言ったのです。大丈夫だと思うのですが……」
「だと良いがな……」
何処か不安そうなビュコック提督を見ながら彼らのことを考えた。彼ら、第三艦隊司令官ルフェーブル中将、第九艦隊司令官アル・サレム中将、第十一艦隊司令官ルグランジュ中将。今回のフェザーン方面派遣軍の司令官達だ。
当初、フェザーン方面派遣軍の目的はフェザーン回廊の中立を守るためだと言った時、彼らはそれに特別不服を唱えなかった。しかしフェザーンへ向かう途上、帝国からヴァレンシュタイン元帥重傷の報告が入ると彼らの態度が変わった。
場合によっては実力をもってしてもフェザーン回廊を守るべし。それが彼らの主張だった。一体何を考えているのか、捕虜交換を帝国との間に約束している今、いかなる意味でも帝国との間に戦闘行為は慎むべきなのに。
「やはり不満があるのでしょうか? 我々はシャンタウ星域で敗戦したにも関わらず昇進し軍中央にいます。しかし彼らは艦隊司令官のままです、面白くないのかもしれません」
「それも有るだろうが、やはりヴァレンシュタイン元帥重傷の知らせが大きいじゃろうな。彼らは帝国が混乱すると見たのだろう。帝国軍の侵攻部隊もどうなるか分からんと見た……」
「有り得ることでは有りますが、ヴァレンシュタイン元帥は意識を取り戻しました。それは彼らも分かっているはずです」
私の言葉にビュコック司令長官は頷きつつ答えた。
「何処かでヴァレンシュタイン元帥の鼻を明かしたい、そんな気持ちがあるのだろう。それと我等を見返したいという思いも有ると見た……」
「……なるほど、厄介ですな」
「フェザーン回廊を制圧すれば、同盟はイゼルローン、フェザーンの両回廊を押さえる事になる。同盟の安全を確保するためには両回廊を押さえるべきだと言う彼らの言葉には一理有るのは確かじゃが……」
ビュコック提督が語尾を濁した。右手で額を押さえている。確かに頭の痛い問題だ。せめてあと三個艦隊有れば可能だ、だが今の同盟にはそれが無い。
「今の同盟には両回廊を維持できるだけの兵力がありません。フェザーンは中立国家として存在してもらわなくては……」
「そうじゃの。フェザーンには色々と思うところもあるが、とりあえずは緩衝地帯として存在してもらわなければならん」
そのためにも政府には外交交渉を頑張ってもらわなければならない。しかし……。
「総参謀長、貴官は例の新任の高等弁務官だが、あの男を如何思うかね?」
ビュコック司令長官が顔を顰めて問いかけてきた。
「オリベイラ弁務官の事ですか、まあ前任者のヘンスロー弁務官よりはましかもしれませんが……」
例の共同会見以来、ヘンスロー前弁務官の評判は下降する一方と言って良い。帝国の弁務官が堂々としていたのに対しヘンスロー前弁務官の態度は醜態といってよかった。フェザーンに買収されていたと言う噂もある。
「あの男が煽ったと言う事は考えられんかな、総参謀長」
「まさか……」
今回のフェザーン方面派遣軍にはオリベイラ新弁務官が同乗している。
ビュコック司令長官の言葉に私は出発前に挨拶に来たオリベイラ弁務官を思い出した。以前は国立中央自治大学学長という地位に在ったが、学者と言うよりは自信と優越感に溢れた官僚のような雰囲気を持った男だった。
「いや、わしの気のせいかもしれん。年を取ると疑い深くなっての、困った事だ」
「……」
ビュコック司令長官が疑い深いなどと言う事は無い。人を見る眼は確かだ。確かにオリベイラ弁務官には私自身危うさを感じなかったわけではない。だとすると同盟はフェザーンに新たな火種を抱え込んだのかもしれない……。
これからはイゼルローンよりもフェザーンの方が危険かもしれない。フェザーンにもより注意深く目を向けなければならないだろう。先ずは駐在武官か……。
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