銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)
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第百七十六話 感傷との決別
帝国暦 487年 12月 7日 オーディン 帝国軍病院 エーリッヒ・ヴァレンシュタイン
目が覚めて二日目、俺の体調は順調に回復しているとは言い難かった。理由は簡単、十分に休めなかった所為だ。エーレンベルク元帥がラインハルト、メルカッツ、そして各艦隊司令官に対して俺が目覚めた事を知らせた。その事が俺から休息を奪った。
エーレンベルク元帥の気持は分かる。宇宙艦隊司令長官が昏睡から覚めた、真に以って目出度い。各艦隊司令官達を安心させてやろう、反逆者達も大いに悔しがれば良い、そんなところだろう。
各艦隊司令官達の気持ちもわかる。自分達の上官が生きていたのだ、それは嬉しいだろうし、安心したに違いない。俺だって少なくとも“あ、生きてたの?”なんて思われるよりは遥かに良い。
でも頼むから皆で俺の所に連絡をしてくるのは止めてくれ。特に表向きは俺の体調を心配して連絡を自粛、それなのに裏でこっそり連絡してお話ししようとか、お前ら何考えている?
おかげで俺は、彼らから連絡が来る度に痛みを堪えて上半身を起し、必死に笑みを浮かべながら応対する事になった。嬉しそうにする奴、心配そうに俺を見る奴、暗殺者たちに対して怒る奴、色々だったが一番困ったのがアイゼナッハだった。
じーっと俺を心配そうに見ている。“大丈夫だ”と小声で言ったがアイゼナッハは納得出来ないらしい。心配そうに俺を見るのを止めない。全く困った奴だ、“心配ない”と言っても半信半疑の表情で俺を見ている。
仕方が無い、話題を変えようと思って“元気でやっているか”と問いかけるとようやく頷いた。“無茶はするな、頑張れ”と言うと今度は嬉しそうに頷く。そこまでやってようやく俺が大丈夫だと思ったのだろう。敬礼すると通信を切った。
まるで都会に出た無口な息子とそんな息子を心配する田舎の年老いた父親の会話だった。妙な感じだ、アイゼナッハは原作ではあまり他人に心を開く感じじゃ無いんだが……。
どうも俺には例えは悪いがゴールデン・レトリバーみたいに思える。大型で大人しく賢さと忠誠心とを兼ね備えたゴールデン・レトリバーだ。俺は猫より犬のほうが好きだが、だからといって本人には言えんな。
彼らと話して分かった事がある。クーデター発生後、メルカッツ率いる本隊は俺の意識が戻らない間、進軍を中止していたらしい。一方でラインハルトは辺境星域への進攻を命じられている。帝国首脳部はラインハルトの動向にかなり神経質になっている。まあ無理もないことでは有るが。
彼らの他にもワルトハイム少将を始めとして艦隊の幕僚達とリューネブルク中将が、そしてリヒター、ブラッケを始めとする改革派の文官達が病室に押しかけてきた。皆が良かった、良かったと喜ぶ中でジークフリード・キルヒアイスの目だけが笑っていなかった。
芝居が出来ないなら来なければ良いのだが、俺の状態を自分の目で確かめたかったのだろう。気持は分かるが面白くは無かった。いっそ死にそうなんです、とか言って喘いで見せれば良かったかもしれない。大喜びで帰っただろう。
その後にミュッケンベルガー元帥とユスティーナがやってきた。ユスティーナは来た早々に泣き出し、元帥は苦虫を潰したような表情をしている。俺としては慰めたくても小さな声しか出ないし、動くのは辛い。父親の前で娘を泣かす悪い奴にでもなった気分だ。言っておくが俺は加害者じゃない、被害者だぞ。痛い思いをしたのは俺なんだ。
疲れが出たのだろう、俺は今朝から少し熱がある。おかげでヴァレリーは心配そうな顔で俺を見ているし、女医さん(クラーラ・レーナルトと言うらしい、なんと独身だった)は怖い目で俺を睨む。俺の所為じゃない、俺は可哀想な被害者だと弁解したのだが全く無視された。
まあ、そんなこんなで今日の俺は絶対安静、面会謝絶という一種の隔離状態にある。例外的に部屋に居るのはヴァレリーだけだ。今日は一日ゆっくり出来るだろう、そんな事を考えてウツラウツラしていると悪い老人に起された。
「思いの外に元気そうじゃの」
「……」
リヒテンラーデ侯だった。俺の枕元に座り、嬉しそうに俺を見て笑っているが、どう見ても単純に俺の無事を喜ぶ風情ではない。悪事の相談相手が生きてて良かった、そんな感じだ。
上半身を起そうとすると侯に押さえつけられた。そのままでという事らしい。俺としても寝ているほうが楽なので甘えさせてもらう事にした。ヴァレリーはいつの間にか居なくなっている。目の前の老人が外させたのだろう。
「面会謝絶のはずですが」
「つれないの、私と卿の仲ではないか」
「……」
どんな仲だ? ニタニタ笑いながらリヒテンラーデ侯に言われると今更ながら俺は悪人の仲間なのだとげんなりした。それでも目の前の老人は困った事に命の恩人だ。七十を過ぎて暗殺者をブラスターで撃退する、どういう爺だ?
「陛下と侯のおかげで助かったようですね」
「私はともかく、陛下の御働きによるものである事は間違いないの。卿は運が良い」
リヒテンラーデ侯が神妙な表情になった。この老人にも可愛いところがある。陛下が絡むと顔から悪相が消え、普通の老人になるのだ。それが無ければクラウス・フォン・リヒテンラーデはただの陰謀爺だろう。
「何かおかしいか?」
「いえ、何も……」
俺はいつの間にか笑っていたらしい。リヒテンラーデ侯も俺が何故笑ったか気付いたのだろう。不機嫌そうに一つ鼻を鳴らすと悪人面に戻った。宮廷政治家、国務尚書リヒテンラーデ侯の顔だ。
「何が起きたかは知っておるな?」
「ええ、クーデターですね」
「うむ」
少しの間沈黙があった。リヒテンラーデ侯は腕を組みこちらを見ている。
「……宮内省、内務省、フェザーンそしてローエングラム伯が絡んだクーデターだ。まあローエングラム伯は伯自身よりもその周囲が動いたのじゃろうがの」
「……」
おそらくそうだろう。オーベルシュタイン、ジークフリード・キルヒアイス、この二人が動いたと見て良い。ラインハルト自身はクーデターは認めても俺の暗殺など認めまい。それでは俺に勝った事にならない。あの男は覇者なのだ。覇者には覇者の誇りがある。
「残念だが内務省とフェザーン、ローエングラム伯の関与は証明できぬ。証明できぬ以上、彼らを罪に問う事は出来ぬ。つまりクーデターの芽は残ったままと言う事になるの」
「……ローエングラム伯は排除します」
リヒテンラーデ侯が俺を見ている。何処か値踏みするような目だ。
「何時じゃ」
「今は無理です。内乱勃発早々、別働隊の指揮官を罷免は出来ません」
「卿はローエングラム伯には甘いの」
「……」
リヒテンラーデ侯が顔を耳元に寄せてきた。そして囁くように言葉を出す。
「内乱鎮圧後ともなれば伯は武勲を挙げて戻ってくる。反って排除は難しくなろう。やるなら今じゃ」
「……」
思わず侯を見た。顔を上げた侯が厳しい視線を向けてくる。
「ローエングラム伯を排除し内務省を制圧する。早いほうが良いのは卿とて分かっていよう」
「……」
内務省の制圧か……。確かにこのままでは内乱の芽を残す事になる、優先するべきだろう。しかし……。
「あの男を殺したくないか……。卿は妙な男じゃの、あの男の危険性を十分に承知しながらあの男を庇う。何故じゃ?」
「……」
答えられなかった。別に庇っているつもりは無い。あの男を排除すると決めたのだ。そう思ったが、答えられなかった。
「分かっておるのか、伯を、伯の周囲を反逆にまで追い込んだのは卿じゃぞ」
「!」
俺がラインハルトを追い込んだ? 何を言っている。冗談かと思ったがリヒテンラーデ侯は厳しい表情をしている。冗談を言っているのではないらしい。
「卿はいつでもローエングラム伯を排除できた。押さえつけ、それに反発するようなら首にすれば良かったのじゃ。だがそうはしなかった。適当に優遇し、適当に押さえた。伯とその周囲にしてみれば卿に弄られているようなものじゃろう」
「馬鹿な……」
リヒテンラーデ侯は俺の言葉を全く気にもせず話し続けた。
「猫が鼠を弄ぶような物よ。ローエングラム伯が活路を求めても常に卿がそれを塞いでしまう。そのくせそれ以上は何もせぬ。今回のクーデターは卿自身が招いた事じゃ、まさに窮鼠、猫を噛むじゃの……。卿は伯が自ら頭を下げる事を期待していたのか?」
「……」
リヒテンラーデ侯が俺を哀れむような顔で見ている。馬鹿馬鹿しい、ラインハルトが自ら頭を下げる? 有り得ない事だ。そんな事を期待した事など俺は無い……。俺は首を横に振って答えた。
「そうか、ならば決着をつけるべきじゃな。これ以上伯を弄るのは止める事じゃ、何よりも伯自身が決着を付ける事を望んでいよう。どんな結末であろうともな」
「……でっち上げますか、証拠を」
俺の言葉にリヒテンラーデ侯は首を横に振って否定した。
「卿のところには伯の忠臣が居たの」
「……ジークフリード・キルヒアイス准将ですね」
「それを追い込んで暴発させる。餌は卿じゃの、ここまで事を引き伸ばしたつけじゃ。卿自身が払うと良かろう」
なるほど、今のキルヒアイスはラインハルトから離れ孤立している。暴発に追い込むのは難しくはないだろう。それにしても……。
「餌は私ですか、相変わらず酷い事だ」
「自業自得じゃ、皆を危険に晒したのじゃぞ」
「……」
確かにそうだ。俺がラインハルトをもっと早く押さえつけるか排除していれば、今回のクーデターは無かったかもしれない。俺が皆を危険に晒した……。
「卿は退院したら直ぐに出撃する事じゃの」
「フェザーンはどうします?」
「止むを得まい、こちらで対応する」
「……」
「卿は伯の忠臣と共に出撃せい。策はこちらで考える。卿は自分の身の安全だけを考えるのじゃな」
「……」
ラインハルトを排除すると言ったのだが、俺に任せると甘さが出るとでも思ったか、やれやれだな。退院は二週間後、そして出撃。レーナルト先生とヴァレリーは目を剥いて怒るだろう、厄介な事になった、どうやって説得するか……。
リヒテンラーデ侯が帰るとヴァレリーとレーナルト先生がやってきた。二人とも“絶対安静なのに”、“面会謝絶は守ってもらわないと”などとぼやいている。俺にも何か言っていたようだが、考え事をしていた俺は上の空で余り気にならなかった。
俺がラインハルトを追い詰めた、窮鼠にした。弄ったつもりは無い、しかしラインハルト達は弄られたと思った……。リヒテンラーデ侯の考えを俺は否定できるだろうか?
“卿はローエングラム伯には甘いの”
“あの男を殺したくないか”
“卿は妙な男じゃの、あの男の危険性を十分に承知しながらあの男を庇う。何故じゃ?”
リヒテンラーデ侯の言葉が蘇る。否定できなかった、何故甘いのだろう、何故殺したくないのだろう、何故庇うのだろう……。
分かっている。俺はあの男を殺したくない、いや殺してはいけないと思っていたのだ。だからあの男を排除しようと思っても理由をつけては先延ばしにした。
この世界は銀河英雄伝説の世界だ。いや、今となっては俺が変えてしまったから銀河英雄伝説の世界だったというべきかも知れない……。しかし元々はラインハルトとヤン・ウェンリーの世界なのだ。
二人の英雄が、その周囲に居る人間達が、人類の未来を宇宙の覇権を争う物語の世界だった。俺自身何度も彼らに感情移入しては喜び、哀しみ、楽しんで読んでいた世界だった。
小説の中のラインハルトは嫌いじゃなかった、未熟だなとは思ったが格好良さに憧れ、不器用な優しさに好感を持った……。キルヒアイス死後の彼の孤独には同情した、戦争好きなのには困ったものだと思ったが……。
異分子は俺のほうなのだ。最初はラインハルトに協力しようと思った。しかし出来なくなった、そして対立した。だからと言って排除できるだろうか? 出来はしない、出来るわけが無い。
それでは俺の知っている銀河英雄伝説の世界ではなくなってしまう。俺の知っている銀河英雄伝説の世界が消えてしまう、多分俺はそう思ったのだろう。だからラインハルトを排除できなかった……。
そろそろ現実を再認識すべきときだろう。この世界は俺の知っている銀河英雄伝説の世界とは別なのだと。そうでなければこの先へ進むのが危険になる。
俺はもう佐伯 隆二という一読者じゃない。帝国元帥、宇宙艦隊司令長官、エーリッヒ・ヴァレンシュタインなのだ。多くの人間に対して責任を持つ立場なのだ。前世の感傷などという愚かしいものに捕らわれるべきではない。
部屋を見渡すとレーナルト先生は居なかった。ヴァレリーだけが俺を気遣わしげに見ている。
「フィッツシモンズ中佐」
「何でしょう、元帥」
「少し一人にしてもらえませんか、考えたい事があるんです」
ヴァレリーはちょっと心配そうな顔をしたが何も言わずに部屋を出て行ってくれた。すまないな、ヴァレリー。本当は考えたい事なんて無い、ただ昔みたいにラインハルトになった想像をしてみたいんだ。そのくらいは今の俺にも許されて良いだろう……。
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