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ダタッツ剣風 〜悪の勇者と奴隷の姫騎士〜

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第一章 邂逅のブロンズソード
  第10話 ユニコンの幻影

 倒れ伏したダタッツの痛ましい姿に、泣き崩れるハンナ。暫し啜り泣いていた彼女は、やがて顔を上げると――憎しみを込めた視線をアンジャルノンにぶつける。

「ダイアン姫も、ローク君も、ダタッツさんも……みんな、あんたのせいでっ!」
「……ふん。力においては勇者に匹敵するとも謳われたこの俺に歯向かったんだ。当然の結果だろうよ」

 悪びれる様子もなく鼻で笑う巨人は、好色の目でハンナを見下ろす。王国を手に入れた暁には、この娘も手篭めにしてやろう。そんな考えが、表情に出ているようだった。

 その視線に気づかないまま、ハンナはアンジャルノンからダタッツへと再び目線を移し、目元に涙を溜める。

(私達だけ、なんで奪われてばかりなのよ。戦争に負けたのがそんなにいけないことなの? 弱い私達が悪いの? 誰か、誰か答えてよ……!)

 膝をつき、嘆き悲しむ彼女に差し伸べられる手はない。助けは来ない。
 助けるべき立場である者達に、力がなけれは――弱き人間は屠られるのみなのだから。

 ――だが、しかし。

「……どこを、見ている」

 彼女を救うべき人間に、力が伴っていないと――決まったわけではない。

 ハンナの肢体を嘗めるように見つめる、アンジャルノンの背後で――血だるまの剣士が、己の得物を杖に立ち上がろうとしていた。

「……あっ……!」

 その姿を目の当たりにして――ハンナの涙に込められた想いが、「嘆き」から「喜び」に変わっていく。花が開くように、その表情が笑顔に変わる瞬間。
 ダタッツは、残された銅の剣一本を携え、再び立ち上がるのだった。

「……てめぇ!」
「……悪いな。あの程度でくたばってはいられないんだ」

 頭から血を流し、ふらつきながらも、彼の黒い瞳は強く煌き――アンジャルノンの巨体を射抜いている。その灯火は、戦う前から少しも弱っていない。

「……てめぇ、いくらで雇われた。その身なりからして、王国に仕えているわけじゃねぇだろう。この国に大した義理があるわけでもないってのに、よく立ち上がる気になったもんだな」
「そこの女の子の料亭に、居候させて貰ってる。義理ならそれで十分だ」
「……その程度の対価で命を張るとは、愚かな奴だ。帝国についていれば、美味い酒に酔うことも良い女を抱くことも出来たろうに」
「力だけが正義のお前達に、か?」

 自分達を揶揄するようなダタッツの物言いに、アンジャルノンは僅かに眉を顰める。――が、その面持ちは常に、優位に立つ者が見せる「余裕」の色があった。

「それが真実だろう? 王国は弱いから負けた。勝った俺達こそが強者であり、正義。どのような理屈を並べようと、現実に在る力こそが真実。弱者を助ける考えなど、弱い己が生きるための方便に過ぎん。真に強い者とは、弱者を蹂躙する権利を持つ者のことだ」
「……力が強ければ弱者を蹂躙する権利がある――と?」
「無論だ。もし俺達が間違いであるなら、それは力によってのみ正されるだろう。そんな力があれば、の話だがな!」

 高らかに己の道理を語るアンジャルノン。その狂気を孕んだ眼は、見る者達の本能に恐怖を植え付けて行く。
 だが――最も近い位置からその眼差しを浴びているはずのダタッツは、一歩も退くことなく睨み返していた。

「あるさ」
「なんだと?」

 水平に構えられた銅の剣が、光を浴びて鈍い輝きを放つ。
 満身創痍となっているダタッツの一部として、その存在は一際強く煌めいていた。

「強い者が正しい。それこそが真実。確かにその通りだろう。――なら、お前はもう強者などではない」
「ふざけたことを。……虚勢にしか頼れないとは、惨めだな」
「虚勢かどうかは今にわかる。彼女達に正義がないと言いたいのなら――その「正義」の在り処、ジブンが教えてやる」

 刹那、ダタッツの眼差しは剣に勝る鋭さを放ち――アンジャルノンの巨体さえ飲み込む程の殺気を、迸らせた。

「……威勢だけの若造が!」

 その殺気に呑まれかけた巨漢は、自分をほんの一瞬でも怯ませた眼前の男に、激しい怒りを募らせる。
 この男だけは絶対に殺す。その思いを乗せた鉄球が、再び鎚の如き軌道を描いてダタッツの頭上に迫った。

「――ッ!」

 それを間一髪、上空に飛んでかわすダタッツ。――しかし、既にアンジャルノンは追撃の姿勢に入っていた。

「無駄だァ、どこに跳ぼうが俺の鉄球からは絶対に逃げられんッ!」

 アンジャルノンの丸太のような腕が、下から抉るかのように振り上げられる。直後、鉄球はその動きに追従し、滞空しているダタッツへと向かって行った。

「だっ、駄目ぇっ!」

 まるで生物のように獲物を付け狙う、漆黒の鉄塊。その姿に恐怖するハンナは、耳と目を閉じ悲鳴を上げる。
 ――ダタッツが撃ち落とされ、叩き潰される未来を予感して。

「……おぉおぉおッ!」

 だが。
 その未来は、幻に終わる。

 激突の瞬間。空中で身を翻したダタッツは、鉄球を蹴ることでそこを足場に変え、さらにジャンプしたのだ。
 軽やかに鉄球の追撃を回避した彼は、風に舞う葉のように地に降り立ち――再び剣を構える。……今度は、頭からは落ちなかったようだ。

「なっ……んだと!?」
「当たらなかったのが、そんなに不思議か?」

 嘲るような言葉で語る、その口調は氷のように冷ややかなものだった。今までのダタッツとは全く違う――別格の剣士が、そこに居たのだ。

「……えっ……あ……!」

 再び沸き立つ歓声の嵐。耳を塞いでいても響いて来るその喧騒に、ハンナは我に帰ると――目の前に広がる光景に歓喜の涙を流すのだった。
 まだ、ダタッツは生きているのだと。

「なんだ、さっきの動きは……! さっきまでとは、まるで別人ではないかッ!?」
「容赦はしない、とは言ったがな。最初から本気を出すなどとは一言も言っていないぞ」
「なにをッ……!」
「あの二人が受けた痛みの、数千分の一でも味わってからでなければ――お前如きとやり合う気にもならなかったからな」

 涙に滲む景色の向こうで、ダタッツは鋭い眼差しと共に剣を振り上げ――アンジャルノンの巨体へ肉迫する。
 その電光石火の如き速さに、巨人は目を剥き……本能に襲い来る恐怖と相対した。

「このっ……小僧がァァァァッ!」

 鉄球の間合いから、一瞬にして懐へと入り込むダタッツ。
 その正面に、ダイアン姫を沈めた鉄拳が迫る。己に降りかかる「恐れ」を、振り切ろうとするかのように。

 アンジャルノンには例え鉄球をかわされても、鋼鉄の籠手で固められた拳という武器がある。それを攻略しなければ、この巨壁を粉砕することは出来ない。

 しかし、真っ向からダタッツに迫っているこの拳をかわせば、そこに隙が生まれる。その僅かなタイムラグがあれば、伸び切った鉄球を引き戻すことも出来る。
 ダタッツが決定打を放つには、アンジャルノンの鉄球が戻ってくる前に、剣が届く間合いまで接敵するしかない。しかしこのまま直進すれば鉄拳に激突し、かわせば攻撃のチャンスを失う。

 そのジレンマの中で――ダタッツは恐れることなく、ただひたむきに進み続けていた。まるで自分に迫る危機など、認識していないかのように。

 そして――その勢いに身を任せたまま、籠手に向かい剣を振り下ろそうとする。

(バカめ、いくら腕が立とうと剣がなまくらでは勝ち目などない。そんな銅のおもちゃでは、俺の拳を粉砕することなど――)

 一見すれば自殺行為でしかない、その行動を嘲り……アンジャルノンが口元を緩める――

帝国式(ていこくしき)――『(とう)剣術(けんじゅつ)

 ――刹那。

 ダタッツの手元から、銅の剣の柄が離れ……その刀身は、銅色の矢と成る。一角獣(ユニコン)の幻影を纏うその一閃は、神獣の一角の如き鋭さで――アンジャルノンの額を狙う。

 その擦り切れた切っ先は、空を斬り裂き風を断ち――巨人の拳を掠めていった。

「……が、あッ……!?」

 そして。

「――『飛剣風(ひけんぷう)』」

 剣の先端が真紅の兜に激突した瞬間。

 アンジャルノンの兜と、ダタッツの剣が――同時に砕け散るのだった。

 刹那――衝撃により生まれる風が、闘技舞台を吹き抜けて……ハンナの頬を撫でる。

「……(けん)の、(かぜ)……」

 その風に触れた彼女が、唇を震わせ呟く頃。

 激突の轟音が闘技舞台に響き渡り――人々が静まり返る。そして、アンジャルノンの巨体が、地響きを上げて倒れ伏して行った。
 受け身も取らず――頭から。

「……武器を失った以上、ジブンに戦闘を続行出来る能力はない。お前の勝ちだ、アンジャルノン」

 それは、この巨人の意識が完全に刈り取られたことを意味している。

 攻撃を繰り出したのは、アンジャルノンが先であった。ダタッツは、「後から」剣を投げた。
 にもかかわらず、先に命中したのはダタッツの剣。それほどの速さで放たれた一撃が、アンジャルノンを打ち抜いたのである。

「もう一度立ち上がることが出来れば、な」

 倒れ行く様など見るまでもない――とでも言うのか。ダタッツは力尽きたアンジャルノンの方を見向きもせず、バルコニーから戦慄の表情を浮かべるババルオを見上げた。

「さて。残るはお前一人だが、どうする? お前だけなら得物がなくとも、どうにでもなるぞ」
「な……なんだ。なんなんだ、お前は!」
「ただの旅人。何度もそう言っているはずだ」

 ババルオは顔面蒼白のまま、辺りを見渡している。残っている兵はいないのか。儂を守る味方はいないのか。視線が、そう訴えているようだった。
 しかし、その心の叫びはどこにも届かない。闘技舞台を囲っていた帝国兵達は、全員ダタッツに打ち倒されている。

(こんなバカなことが、あってたまるものか。この王国を手に入れる計画が……儂の国が、あんな小僧一人に!)

 予期せぬ障害により、全てを失う恐怖。その反動による猛々しい憎しみを込めて、ババルオはダタッツを睨み付ける。

「ぬぅぅうぁ……!」
「……」

 しかし、アンジャルノンを破ったダタッツがその程度で怯むはずもなく――冷ややかな眼差しで、絶えずこちらを見据えていた。

(……とにかく、ダイアン姫だ。ダイアン姫さえ手に入れれば、起死回生のチャンスはある!)

 その瞳に射抜かれ、ババルオは正攻法では敵わないと、ようやく本能で悟る。次いで己の視線を、倒れたままのダイアン姫に移すのだった。

「……ふ、ふふ。良いのか? 次代の国王に、このような不敬を働いて」
「獄中の王になりたいのなら、好きにしろ」
「――獄中へ堕ちるのは、貴様だッ!」

 刹那。ババルオはバルコニーから闘技舞台へ向け、懐に忍ばせていた球状の物体を投げ込んだ。
 それは爆発するように弾け飛ぶと――周囲一帯を灰色の煙で包み込むのだった。

(煙幕……? この隙に逃げるつもりか? ――いや、違う!)

 その煙は民衆が集まっている場所にまで蔓延しており、ダタッツの後ろで人々はパニックに陥っていた。
 そんな中で、ダタッツはババルオの狙いを悟り――煙の向こうで微かに見える、ルーケンの姿を捉えるのだった。

(ぐ、ふふ。ダイアン姫の身柄さえ手に入れば、計画の軌道修正はできるはず。役立たずのアンジャルノンなど、もうどうでもよい。ダイアン姫を攫い、儂の奴隷として調教すれば結果は同じだ!)

 一方、ババルオは周囲の混乱に乗じて、煙に身を隠しながら闘技舞台に上がり込んでいた。身動きが取れないダイアン姫の、肢体を狙って。

(……む? 妙だ。確かに姫はこの辺りに……!)

 だが――起死回生の手段さえ、狙い通りには行かず。ババルオは、闘技舞台の上を彷徨い続けていた。
 先程まで居たはずのダイアン姫が――忽然と、その姿を消していたのである。

(バカな、バカなバカなバカな! このままでは煙が晴れて……!)

 思い描いた未来から、かけ離れて行く。その恐怖を前に、ババルオの全身から血の気が失われつつあった。
 何が原因で。何のせいで。その答えを求め、自らが撒いた煙の中を徘徊する醜男。

 時間経過により煙幕が消え去り、そんな彼の姿が衆目に晒された時。求め続けた答えは、ようやく明らかとなる。

「あ、あの平民ッ……!」

 姫を担ぎ上げ、闘技舞台から逃げるように走り去って行く影。その背を見つけたババルオは、己に在る全ての憎しみを注ぐように――ルーケンを睨み付けるのだった。

「ルーケンさんっ!」
「へっ! ダタッツ君があれだけ頑張ったんだ、俺が働かねぇでどうするよ!」
「ルーケンさん……やったぁあっ!」

 ハンナの元へ帰還したルーケンは汗だくの顔を上げ、得意げな笑みを浮かべる。姫を抱えたその姿に、ハンナは喜びを爆発させるように抱きつくのだった。

 彼らの様子と、ダイアン姫が倒れていた場所に佇んでいるババルオ。それらを目の当たりにした人々は、状況を悟ると――

「やった……姫様が帰ってきたぁあぁあ!」
「ババルオの奴、姫様を攫おうとしてたんだ……なんて奴だっ!」
「だけど、もう大丈夫そうだぞ! 大手柄だなルーケンさんっ!」

 ――二人以上に、歓喜の渦を巻き起こすのだった。その様子を一瞥するダタッツも、口元を微かに緩めている。

 アンジャルノンや私兵団は倒され、ダイアン姫の身柄も奪還された。
 もう、ババルオを守るものは何もない。

 力だけがものを言う舞台に立つ彼は、ダタッツとの対峙を余儀無くされるのだった。

「ぐ、ぬ、ぅぁ……!」
「――さて。手札はもうなくなってしまったな。力が正義、とするならお前が悪者になってしまうが、どうする?」
「な、なんなんだ……! アンジャルノンを倒した剣術といい……貴様、一体何なのだ!」
「帝国式投剣術のことか。帝国の上流貴族のお前なら、知っているはずだろう」
「投剣術……投剣術だと!?」

 ダタッツの口から語られた、帝国式投剣術という流派。その名を聞いたババルオは、直に見た彼の技と照らし合わせ――自らの私兵達が身につけていた闘剣術とは違う存在にたどり着くのだった。

 ――帝国式投剣術。

 この世界を支配していた魔王を倒すため、異世界から勇者が召喚される数百年前。まだ、投石機も発達していない頃。
 魔王が使役する飛竜の群れに、多くの兵士達が蹂躙されていた。剣も槍も届かず、矢では鱗を貫けない。そんな空の尖兵に対抗するべく、当時の帝国騎士達は矢や槍に勝る質量を持つ剣を、正確に投擲する術を練り上げたのである。

 矢の如し速さで竜の鱗を貫く、飛空の剣。それが、帝国式投剣術。

 膂力に恵まれた一部の兵士にしか扱えぬその技は、勇者が現れる時代が来るまで人類の矛であり続けたという伝説を残している。
 だが、投石機や大砲の発達に伴い、投剣術は歴史の中で廃れて行き……実戦で使う兵士はいなくなったと言われている。

 今では古文書にその名が僅かに登場するのみであり、そういった類に触れる機会を持つ特権階級――皇族や上流貴族の一部にしか知られていない。

(あのバルスレイ将軍が投剣術の研究をしていたと聞いたことはあるが……まさか、この小僧……!)

 帝国軍最高司令官として、王国と戦い抜いた猛将バルスレイ。投剣術を現代に繋いでいる者など、その男しかいない――ババルオはそう踏んでいた。
 しかし、ここにいるのはバルスレイではない。彼以外の男が投剣術を学び、体得までしているとは、にわかには信じられなかったのだ。

 そこでババルオは、ある一人の男の存在を思い出す。

 六年前の戦争の中で――バルスレイの指揮下のもと、鬼神の如き剣技を以て王国軍を、アイラックス将軍を屠った剣士がいたことを。

(そんなバカな……いや、しかし……それ以外には考えられんッ!)

 その存在と、ダタッツの影が重なって行く。目に映るビジョンに、ババルオは息を飲むのだった。

「貴様は帝国のッ……!」

 そして――ビジョンが示した仮説を語るべく、肥え太った唇が動き出した時。

「――そこまでだ、ババルオ。王国の民を苦しめてきた罪、今こそ清算してもらうぞ」

 民衆の背後から迫る、騎馬の群れ。その軍勢に守られた馬車の中から響く、荘厳な声が――この場にいる全ての人間から、注目を集めるのだった。

 ババルオの私兵達とは違う、煌びやかでありながら厳かな雰囲気を湛える鎧を纏う――帝国の精鋭騎士団。その一団は鮮やかに剣を抜き放ち、瞬く間に臨戦態勢に入っていく。

 そして、彼らの背後に立つ指揮官――艶やかな銀髪と逞しい口髭を持つ、壮年の騎士は。己が歩んできた歴戦の道に裏打ちされた、鋭い眼差しで――精鋭騎士団の登場に怯えるババルオを射抜くのだった。

「逃げられるなどとは――思わぬことだな」
「バルスレイッ……!」

 バルスレイ将軍と、その直属である精鋭騎士団に包囲され――ババルオは、四面楚歌となる。
 ……そして、この瞬間。ババルオの権勢による支配は、終わりを迎えるのだった。
 
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