Sword Art Rider-Awakening Clock Up
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ビーター
リーダーを失ったレイド。
レイドメンバーのほぼ全員が、己が武器を縋るように握り締め、両眼を見開いている。だが誰も動こうとしない。リーダーが真っ先に倒れる、いや死ぬという状況が余りに想定外で、どうすべきなのか判断できていないのだ。
その時、2つの音が同時に響き、逡巡するレイドメンバー達を叩いた。
1つは、最前線で、再び硬直から脱したイルファングが暴れ始めた音。金属音と悲鳴、ダメージエフェクトが塊となって薄闇を激しく揺らす。
そしてもう1つは、俺の近くに膝をついたキバオウの声だった。
「……何で……何でや……。ディアベルはん、リーダーのアンタが、何で最初に……」
ボスのLAを取ろうとしたからだ。
そう告げることは容易い。だが、俺は言わなかった。
今にして思えば、最初の会議の席上で、キバオウがディアベルに食ってかかった一幕。元ベータテスターに謝罪と不正財産の拠出をしてもらわねば仲間にはなれないという過激な言説を、ディアベルは妨げずにちゃんと議題にしようとした。
あの一幕は、自分の身を守るための行為だったのかどうかはわからないが、少なくとも自分自身が元ベータテスターだということは知られないようにしていたはずだ。
しかし、そのディアベルは死んだ。死んだ今となっては、どうでもいい話題だ。ボスを倒すという俺の意思に一切の揺らぎはない。
俺は項垂れるキバオウに近づき、言った。
「やる気がないなら、さっさと死ね」
低い声で言うと、小さな眼にお馴染みの敵意がかすかに瞬く。
「……な……なんやと?」
「E隊のリーダーであるあんたが腑抜けてたら、お前も他の連中も、ディアベルの二の舞だぞ。いいか、センチネルはまだ追加で湧く。そいつらはお前が処理しろ」
「……な、なら、自分はどうすんねん?」
「決まってんだろ……」
右手の片手剣をガシャリと鳴らし、俺は言った。
「ボスのLAを取りに行くんだよ」
この世界に囚われてから1ヶ月、俺は自分1人の命を繋げるためにあらゆる行動を選択してきた。ベータテスト時代に得た膨大な知識を誰にも分け与えず、高効率な狩り場やクエストを1人で受け、ひたすら己だけを強化し続けてきた。
ソロプレイヤー……いや、俺自身としての行動規範を貫くなら、まだボスモンスターと俺の間に多くのレイドメンバーが立っている今の内、出口に向かってひたすら走るべきだ。荒れ狂うコボルド王が仲間を何人殺そうとも振り向かず、むしろ積極的に彼らを盾にして、自分の安全だけを確保する。
ボスを倒せ。騎士ディアベルはそう言おうとしたのだ。皆を逃がせ、ではなく。レアアイテム取得確率を大幅にブーストするラストアタックに固執し、それゆえに命を落とした彼だが、指揮能力は間違いなく卓越したものがあった。そんなディアベルが、最後に下した決断は《撤退》ではなく《血戦》だった。ならば、俺はレイドの1人としてその遺志を実行するのみ。
ネザーは瞬時に体の向きを変え、広間の奥に向かって走り出す。行く手では怒号と絶叫が間断なく弾ける。ディアベルに続く死亡者こそまだ出ていないようだが、前衛部隊の平均HPは全て半分を下回り、リーダーを失ったC隊に至っては2割を切っている。完全に恐荒して逃げ惑うだけのプレイヤーもおり、このままでは数十秒のうちに隊列が瓦解するだろう。
まずは、皆のパニックを鎮めねばならない。だが、この状況では、生半な指示など喧噪にかき消されてしまう。何か短く、しかも強烈な一言が必要だ。
その時、近くにいたアスナが、激しくはためくフード付きローブを邪魔そうに掴み、一気に体から引き剥がした。
左右の壁に掛かる無数の松明の光を、一点に凝集させたかのような輝き。艶やかな栗色のロングヘアーが、今だけは深い黄金の色を放ち、ボス部屋の薄闇を吹き散らす。
長い髪を靡かせて疾駆するアスナは、まるで闇の底に突如現れた一筋の流星だった。恐荒の極みにあるプレイヤー達すら、その凄絶なる美しさに眼を奪われ、沈黙した。奇跡的に生まれた刹那の静寂を逃さず、アスナのすぐ隣に立っていたキリトが、喉も裂けよとばかりに叫んだ。
「全員、出口方向に十歩下がれ!ボスを囲まれなければ、範囲攻撃は来ない!」
キリトの声の残響が消えると同時に、再び時間が流れ出す。
「……斬り殺してやるよ」
野蛮な言葉を発しながらネザーは、キリトとアスナに挟まれる形で真ん中に立った。
同時に、ザッ!!と音を立て、最前線のプレイヤー達がキリトとアスナの左右を、一斉に後方へと動く。それを追うように、コボルド王も体の向きを変え、並んで走るゲド達と正対する。
「アスナ、ネザー、手順はセンチネルと同じだ!行くぞ!」
名前を呼ばれた瞬間、細剣使いはちらりとキリトを見たが、「正面だけ向いてろ」とネザーに言われ、すぐに視線を前方に戻して応じた。
「わかったわ!」
前方では、コボルド王が両手で握っていた野太刀から左手を離し、左の腰だめに構えようとしている。あのモーションは、確か……
「あれはッ……!!」
俺は息を詰め、自分もソードスキルを始動させた。右手の剣を同じく左腰に据え、体を転倒寸前まで前に倒す。この角度が足りないとシステムがモーションを認識してくれない。地を這うような低さから、右足を全力で踏み切る。全身が薄青い光に包まれ、俺はボスとの距離10メートルを瞬時に駆け抜ける。片手剣基本突進技、《レイジスパイク》、再び。
同時に、ボスが構えた野太刀がギラリと緑色に輝き、視認不可能な速度で斬り払われた。刀直線遠距離技、《辻風》。居合い系の技なので、発動を見てからでは対処が間に合わない。
「うああッ!!」
咆哮と共に左から突き上げた俺の剣の軌道と、イルファングの野太刀の軌道が交差した。甲高い金属音と共に大量の火花が弾け、俺とボスは互いに剣技を相殺させて2メートル以上もノックバックした。
生まれた隙を、俺の突進技に迫るスピードで追ってきたキリトが、見事に捉えた。
「セアアッ!!」
短く鋭い気勢に乗せて放たれたソードスキルは、コボルド王の右腹を深々と打ち抜いた。四段目のHPゲージが、わずかに、しかし確かな幅で減少する。
右手に残る強烈な手応えを意識しながら、俺は成算と危惧を等しく噛み締めた。
ベータ時代のイルファングが装備していた湾刀のソードスキルを、当時の俺は自分のスキルで完全に相殺することはできなかった。しかし刀は湾刀と比べて軽いせいか、先の激突で俺のHPゲージは減っていない。しかし代わりに、技のスピードがとんでもないことになっている。これをノーミスで見切り続けることが、果たして可能か。
仮想世界のモンスターとの戦闘は、現実世界での戦闘と違い、スキルや武器を入手しなければならない。その点においては非常に面倒だと思った。《あの力》を使えばあんなポリゴンの塊など簡単に倒せるが、ほかの人がいる以上、それは不可能だった。だが、俺は《奴ら》と戦う時以外は《あの力》を使わないと決めている。もし使うとすれば、極限までの最悪な状況になった時だろう。今はまだその時ではない。
センチネルを楽勝で倒した俺だが、さすがにボスモンスターのHPは雑魚とは比べものにならない量だ。1人で斬り掛かり続けても、何発かかるだろうか。ボスはその巨体ゆえに複数人で同時攻撃できるというのがプレイヤー側の大きなメリットなので、できれば左右にもう1人ずつアタッカーが欲しいが、背後に下げたAからGまでのパーティーは全員HPを大きく減らしている。ポーションで回復するまでは呼ぶに呼べない。
俺とこの2人で、やれるところまでやるしかない。そもそも最初は俺1人でそうにかしようとしていたが、それが俺を含めて3人になったのだ。この上何を望めようか。
「……次が来るぞ!」
硬直から解放された俺はそう叫び、ボスの振り翳す長大な刃にのみ全精神力を集中させた。
「しまっ……!!」
毒づき、キリトは発動しかけた垂直斬り《バーチカル》をキャンセルしようとした。上段と読んだイルファングの刃が、クルリと半円を描いて動き、真下に回ったのだ。同じモーションから上下ランダムに発動する技、《幻月》。必死に右手の片手剣を引き戻したが、ガクンと不快なショックが全身を襲い、動きが止まる。
「あっ……!!」
隣でアスナが小さく叫んだ時にはもう、真下から跳ね上がってきた野太刀が、キリトの体を正面から捉えていた。
氷のような冷たさを感じさせる、鋭い衝撃。全身が痺れ、HPゲージがガクッと3割以上も減る。
吹き飛ばされ、辛くも膝を突いたキリトの代わりに、アスナがコボルド王に突っ込んだ。キリトは「だめだ」と叫ぼうとした。《幻月》は技後硬直が短い。高く切り上げられたままの刃が、ギラッと血の色に光った。これは、ディアベルを殺したのと同じ、三連撃技、《緋扇》。
「……はあああッ!!」
叫びが轟いたのは、太刀がアスナを襲う寸前だった。
アスナの頭上を掠めるように、片手剣が撃ち込まれる。
野太刀の初撃と、片手剣が激突した。ボス部屋全体に震えるほどのインパクトが生まれ、イルファングが大きく後方にノックバック。しかし攻撃者は、長めの革のブーツを履いた両足を踏ん張り、1メートルほど下がっただけで留まる。
割って入ったのは、同じパーティーのメンバーであるネザーだった。床に跪いたコートのポケットを探るキリトを腰越しに見ながら、愛想のない口調で言った。
「ボスを倒す前に死なれると、こっちが迷惑なんだよ。さっさと回復して立て」
「……すまん」
キリトは短く答え、胸に込み上げようとする何かを回復ポーションで強引に飲み干した。
そして、ネザーの後方には、斧使いエギルが率いるB隊をメインに数名、傷が浅かった者達が回復を終えて復帰したのだ。
キリトはアスナに、視線で「大丈夫」と伝えてから、剣士達に向かってありったけの声で叫んだ。
「ボスを後ろまで囲むと全方位攻撃が来るぞ!技の軌道は、正面の奴が受けてくれ!無理にソードスキルで相殺しなくても、盾や武器できっちり守れば大ダメージは喰わない!」
「おう!!」
野太く響いた男達の声に、気のせいか苛立ちの混じるコボルド王の雄叫びが重なった。
壁近くに下がり、低級ポーションによる遅々とした回復を持つ傍ら、ネザーは後方の様子を確認した。
ボスの武器が変更されていた時点でもしやと思ったが、やはり《ルインコボルド・センチネル》の湧出回数も追加されていたようだった。キバオウ率いるE隊と、被害の少なかったポールアーム装備のG隊が、4匹の重装衛兵を同時に相手にしている。今のところ被ダメージは大したことはないが、恐らく今後はイルファングが生きている限り、壁の穴から4匹のセンチネルが定期的に何度も湧くだろう。2パーティーだけではいずれ限界が来る。
膝立ちの姿勢でうずくまったネザーの眼は、ボスコボルドの動きを捉え、ソードスキルを判別する端から「右水平斬り!」だの「左斬り下ろし!」だのと大声で叫び続けた。
エギルら6人は、ネザーの指示どおり一か八かの相殺には挑まず、盾や大型武器でガードに徹した。元々壁型構成のプレイヤー達なので防御力もHP量も高いが、それでもボスの放つソードスキルをゼロダメージに抑えるのは不可能だ。派手なサウンドエフェクトが炸裂するたび、ゲージはジワジワと減っていく。
そんな彼らの間を、軽やかに舞う1人のフェンサー。アスナだ。決してボスの正面と背後には回らず、それでいてイルファングが少しでも硬直すると、その隙を逃さずに渾身の《リニアー》を叩き込む。もちろんそれを繰り返しているとボスの増悪値がアスナ1人だけ上がってしまうが、壁の6人が《威嚇》などのヘイトスキルを適宜使用しターゲットを取り続ける。
要素のどれが1つでも破綻すれば、その瞬間崩壊する危うい戦闘が、実に5分近くも続いた。
やがてついにボスのHPが残り3割を下回り、最後のゲージが赤く染まった。
その瞬間、一瞬気が緩んだのか、壁役の1人が脚をもつれさせた。よろめき、立ち止まったのはイルファングの真後ろだった。
「……速く動け!」
キリトが反射的に叫んだが、コンマ1秒間に合わなかった。ボスが《取り囲まれ状態》を感知し、ひときわ獰猛に吠えた。
グッ、と巨体が沈む。全身のバネを使って高く垂直ジャンプ。その軌道上で、野太刀と己の肉体を、1つのゼンマイのようにギリギリと巻き絞っていく。全方位攻撃、《旋車》……
「……うああああッ!」
ネザーは短く吠え、未だ全身には至らない自分のHPゲージのことも忘れて、壁際から飛び出した。
剣を右肩に担ぐように構え、左足で思い切り床を蹴り付ける。本来の敏捷力ではあり得ない加速度が背中を叩き、ゲドの体は斜め上空へと砲弾のように飛び出す。片手剣突進技、《ソニックリーブ》。《レイジスパイク》より射程は短いが、軌道を上空にも向けられる。
右手の剣が、鮮やかな黄緑色の光に包まれた。行く手では、ジャンプの頂点に達したイルファングの刀が、深紅の輝きを生もうとしている。
「……くたばれえぇぇッ!」
叫びつつ、限界まで右腕を伸ばしながら、ネザーは剣を振った。
片手剣の先端が、空中に長いアーチを描きながら走り、《旋車》発動寸前のイルファングの左腰を捉えた。
ざしゅうっ!という重く鋭い斬撃音。クリティカルヒット特有の激しいライトエフェクトがネザーを横切る。次の瞬間、コボルド王の巨体は空中でグラリと傾き、必殺の竜巻を生まぬまま床へと叩き付けられた。
「ぐるうっ!」
喚き、立ち上がろうと手足をばたつかせる。人型モンスター特有のバッドステータス、《転倒》状態。
辛くも倒れることなく着地に成功したネザーは、イルファングに向き直ると、肺から空気を絞り尽くす勢いで叫んだ。
「全員で囲め!!全力攻撃だ!!」
「お……オオオオ!!」
エギルら6人が、これまでガードに専念させられた鬱憤を爆発させるかのように叫んだ。倒れたコボルド王をグルリと取り囲み、縦斬り系ソードスキルを同時に発動させる。色取り取りの光に包まれた斧、メイス、ハンマー達が、巨体に轟然と降り注ぐ。爆発めいた光と音が炸裂し、視界上部に固定表示されたイルファングのHPゲージが、ガリガリと削り取られる。
これは賭けだ。コボルド王が立つまでに全HPを削り切れればこちらの勝利。その前に奴が《転倒》から脱すれば、その瞬間再び《旋車》が炸裂し、今度こそ全員を切り倒す。
エギル達は、次のスキルの予備動作に入った。同時にコボルド王はもがくのをやめ、立ち上がるべく上空を起こした。
「クソッ!」
ネザーは押し殺した声で叫び、いつの間にか近くに立っていたキリトに向けて声を張り上げた。
「キリト、ソードスキルを同時にやるぞ!」
「わかった!」
本来なら誰かと手を組むのは御免だ。しかし、事が事なので仕方がない。そんなことを思いながら、6人が武器が再び同時に唸り、ボスの巨体をライトエフェクトの渦に呑み込む。
だがその光が薄れるのを持たず、ボスが雄叫びと共に体を起こす。HPゲージは、わずか3パーセントだが残り、赤々と輝いている。
エギルらはディレイを課せられ、動けない。対して、《転倒》中に攻撃されたイルファングはスタンもノックバックもせず、滑らかに垂直ジャンプのモーションに入る。
「行っ……けえッ!!」
キリトは、絶叫するや否や、ネザーと同時に地を蹴った。
エギル達の隙間を抜け、まずアスナが先に渾身の《リニアー》をボスの左脇腹に打ち込んだ。
わずかに遅れ、青い光芒を纏ったネザーの剣が、コボルド王の右肩口から腹までを斬り裂いた。結果、コボルド王のHPゲージは、残り1ドット。
獣人が、ニヤリと笑った気がした。それに対し、ネザーは怒りの表情を返すと、素早く手首を返した。
「ふああああッ!!」
全身全霊の気勢と共に、剣を跳ね上げる。激戦を経て数箇所刃こぼれした刃が、先の斬撃と合わせてV字の軌跡を描き、イルファングの左肩口から抜けた。片手剣二連撃技、《バーチカル・アーク》。
コボルド王の巨躯が、不意に力を失い、後方へとよろめいた。
オオカミに似た顔を天井へと向け、細く高く吠える。その体に、ビシッと音を立てて無数のヒビが入る。
両手が緩み、野太刀が床に転がった。直後、アインクラッド第1層フロアボス、《イルファング・ザ。コボルドロード》は、その体を幾千幾万のガラス片へと変えて盛大に四散させた。
ネザーの視界に、【You got the Last Attack!!】というシステムメッセージが、音もなく瞬いた。
ボスが消滅すると同時に、後方に残っていたセンチネルも儚く四散したようだった。
周囲の壁に掲げられた松明が、暗いオレンジから、明るいイエローへと色彩を変える。ボス部屋を覆っていた薄闇が一気に吹き払われ、どこからか涼しい風が吹いて激戦の予熱を押し流していく。
訪れた静寂を、破ろうとする者はなかなかいなかった。最後方のE・G隊は立ったまま、中陣のA・C・D・F隊は片膝立ちの回復待機姿勢で、そしてエギルとB隊を主にする《最後の壁》達は床に座り込み、呆然と周囲を見回している。まるで、恐ろしい獣人の王が復活してくるのを怖れるかのように。
そして俺もまた、右手の剣を斬り上げた姿勢のまま、疲労して動くことができなかった。
その時、誰かの手がそっと俺の右肩に触れた。振り向いてみると、立っていたのは黒いコートを着た片手剣使いのキリトだった。黒い髪を微風に揺らしながら、ジッと俺を見つめながら囁いた。
「お疲れ」
その言葉に、俺は確信した。終わったのだ……8000人ものプレイヤー達を第1層に閉じ込め続けた最大の障害が、ついに取り除かれたのだ。
と、まるでシステムが俺のその認識を待っていたかのように、新たなメッセージが視界に流れた。獲得経験値。分配されたコルの額。そして、獲得アイテム。そして頭上に、【Congratulations!】という文字が浮かび上がった。
同じものを見たその場の全員が、ようやく顔に表情を取り戻した。一瞬の溜めのあと、わっ!!と歓声が弾ける。
両手を突き上げて叫ぶ者。仲間と抱き合う者。無茶苦茶な踊りを披露する者。嵐のような騒ぎの中、床から立ち上がってゆっくり近づく大きな人影があった。両手斧使いエギルだ。
「見事な指揮だったぞ。そしてそれ以上に見事な戦いだった。コングラチュレーション、この勝利はあんたのものだ」
途中の英単語を、それこそ見事な発言で言ってのけた巨漢は、口を閉じるとニッと太い笑みを浮かべた。巨大な石拳を固め、ズイッと突き出してくる。
俺は何と答えるべきか考えたが、返す言葉など何1つもない。そのまま沈黙し続けた。
その時だった。
「なんでやぁ!?」
突然、そんな叫び声が俺の背後で弾けた。半ば裏返った、ほとんど泣き叫んでいるかのようなその響きに、広間の歓声が一瞬で静まりかえる。
エギルから視線を外し、振り向いた俺は、そこに立つ軽鎧姿のシミター使いの男が誰だかすぐにわかった。
「何でや!?何でディアベルはんを見殺しにしたんや!?」
この男は、遊撃用として結成されたE隊を率いていた、キバオウだ。視線を移すと、彼の背後にも、今は亡きディアベルの当初からの仲間だったC隊のメンバー4人が、顔をクシャクシャにして立っていた。
もう一度キバオウを見て、俺は呟いた。
「見殺し……」
「そうやろうが!!自分はボスの使う技を知っとたやないか!!最初からその情報を伝えとったら、ディアベルはんは死なずに済んだはずや!!」
血を吐くような叫び声に、残りのメンバー達がざわめく。「そういえば……」「なんでだ?」「攻略本にも書かれてなかったぞ」などという声が生まれ、徐々に広がっていく。
C隊のメンバーの1人が、右手の人差し指を俺に突きつけ、叫ぶ。
「きっとあいつ、元ベータテスターなんだ!!だからボスの攻撃パターンとか、全部知ってたんだ!!知ってて隠してたんだ!!」
その言葉を聞いても、C隊の中に驚く者は1人もいなかった。ディアベルから聞いたわけではないだろうが、俺や……傍らにいるキリトと同じ元ベータテスターであり、それを仲間に隠していたディアベルが、自分からベータテスターの話題を持ち出すとは考えにくい。だが俺が、誰もが初見のはずの刀スキルを見切った時点でほぼ確信していたのだろう。
キバオウは更に、両眼にいっそうの憎しみを滾らせ、再度何かを叫ぼうとした。
それを遮ったのは、エギルとアスナだった。
「おい、お前……」「あなたね……」
だが、未だ元ベータテスターということを隠しているキリトだけは、2人のように遮ることができなかった。ずっと床に眼を向けたまま、何を言うことができなかった。いや、言う資格などないのだ。それは本人もわかっているはず。
……しかし。
俺の脳裏に、この流れをチャンスに変える手段が浮かんだ。
直立し、一歩前に出ると、愛想のない無表情でキバオウの顔を眺める。
「元ベータテスター……俺をあんな奴らと一緒にするな」
「な……なんだと?」
「SAOのクローズドベータテストは、とんでもない倍率の抽選だった。受かった1000人のうち、本物のMMOゲーマーが何人いたか知ってるか。ほとんどがレベリングのやり方を知らない素人ばかりだった。今のお前らのほうがまだマシだ」
声は至って穏やかだが、どこか恐怖染みたものを感じさせる言葉に、42人のプレイヤー達が一斉に黙り込む。まるでボス戦前の緊張感が戻ってきたかのような冷たさが、眼に見えない刃となって肌を撫でる。
「……だが、俺は違う。俺はベータテスト中に、他の誰も到達できなかった層まで登った。ボスの刀スキルを知っていたのは、ずっと上の層で刀を使うMobと散々戦ったからだ。このゲームの知識に関しては俺のほうが、攻略本を配布したアルゴ以上に詳しい」
「……なんや、それ……」
最初に俺を元テスターと指摘したキバオウが、掠れ声で言った。
「そんなん……もうベータテスターどころやないやんか……もうチートや、チーターやろ!」
周囲から、そうだ、チーターだ、ベータのチーターだ、という声がいくつも湧き上がる。それらはやがて混じり合い、《ビーター》という奇妙な響きが単語が俺の耳に届く。
「……《ビーター》……か」
俺はその場の全員をグルリと見回しながら、感情を押し殺した声でハッキリと言った。
「《ビーター》か……悪くないネーミングだな。これからは、俺を他の元テスター如きと一緒にするな。そう思われるだけで気分が悪くなる」
__これでいい。
これで、現在4〜500人ほどいると思われる元ベータテスターは、《素人上がりの単なるテスター》と、ほんの少しの《情報を独占する汚いビーター》という2つの種類に分かれた。
今後、新規プレイヤーの敵意は、すべてビーターに向けられるだろう。仮に元テスターだと露見しても、すぐに目の敵にされることはない。俺1人を除いて__。
しかし、俺が自ら望んでやった行為だ。悔いはない。
俺の目的も他のプレイヤー達と同様、この世界からの脱出。だが、俺の目指すゴールはもっと高みにある。ゲーム世界からの脱出など、目的の半分でしかない。そのゴールを目指すために、余計な思想は捨てるべきだ。余計な人間が付いてくるのも迷惑だ。
今までの過去も、これからの未来も、ずっと独りのつもりだ。今回も同じ。誰とも関わりを持たない。そして誰かとパーティーを組む気もない。どこかのギルドに入る気も毛頭ない。
蒼白な顔で黙り込むレイドメンバー達から視線を外し、俺はメニューウィンドウを開くと、装備フィギュアに指を走らせた。
今まで装備していたハーフコートの代わりに、ついさっきボスからドロップしたばかりのアイテム、《コート・オブ・ミットナイト》を設定する。すると、俺の体を小さな光が包み、くたびれた灰色の生地が、艶のあるダークブルーの革へと変化した。丈も随分と伸び、裾が膝下まで達している。
そのロングコートの襟首に付いたフードを頭にバサリと被り、俺は背後の、ボス部屋の奥にある小さな扉へと向き直った。
そこへ向かって歩き出した俺を、エギル、アスナ、そしてキリトの3人だけがジッと見つめてきた。
3人とも、特にキリトだけは、何もかもわかってる、という眼をしていた。だが俺は気にせず、大股で歩き進み、主なき玉座のすぐ後ろに設けられた、第2層へと繋がる扉を押し開けた。
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