ソードアート・オンライン‐黒の幻影‐
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第2章 憎愛のオペレッタ 2024/08
最後の物語:感情の名前
前書き
女の子が一緒に暮らしてから、まじょはほんの少し変わりました。
どんな時でもひとりぼっちではなくなったし、料理もはじめました。
楽しい時間でした。でも、まじょは楽しいと思うたびにちょっとだけ不安な気分になりました。
まじょは、女の子に相談しました。これからもいっしょにいたいか、と。
相談される女の子は、いっしょにいたいと言いました。
そのとき、女の子はまじょのしてきた「悪いこと」を知らなかったのです。
スレイドとの邂逅から四日が経過した。
彼に与えた情報に偽りは無いが、どうにも用心深い性格の為に信じてくれているというと確信に欠ける。それでもピニオラにとってみればそんな彼の葛藤や疑念さえも好奇心の対象であった。それによって攻略組と笑う棺桶との拮抗がどのように変動するのかを見てみたいという感情も僅かばかりあるものの、それはあくまでピニオラ自身が便宜上結論付けたものに過ぎない。
幸か不幸か、まだ両陣営に動きは無い。この好奇心さえいつまで保つのかは定かではないし、普段の創作活動に打ち込む時と比べてもモチベーションは格段に落ちてはいるが、台本も無く、登場人物もこれまでの比にならないであろう群像劇はまたと見られるものではない。一見の価値はあろうと思案しつつ、ピニオラは再び目に前の相手に意識を集中させる。
「お姉ちゃん、なにしてるの?」
足りない身長を無理に爪先立ちで伸ばしながら、ピニオラの奮闘を観ようとするみことに視線を向ける。あまり着慣れないエプロンの裾を掴まれながら、彼女は幼い同居人の頭をそっと撫でつつ、説明をするにも憚られる状態には苦笑いを零す他ない。
「えっと、なんと言えばいいんでしょうかぁ………外食ばかりだと流石に申し訳ないんで、たまには料理でもと思いましてぇ………でもぉ、素人が手を出せる領域ではなかったですね~………」
ピニオラの拠点に存在していた、狭い間取りの約半分を占めるキッチン。
みこととの同居が始まってからずっと食堂での食事で済ませていたのだが、小さい子供相手にこのまま第三次産業どっぷりの自堕落生活を刷り込んでしまうことへの危機感から、急遽空きスロットに《料理》スキルを捩じ込んだのである。設備は備え付けられているし、食材だってレベリングの際に溜まっている。
これならばと万全を期した筈のピニオラに立ちはだかったのは、あまりにも初歩的なゲーム的要素。スキルビギナーへの洗礼だった。
――――スキル習得最初期では100%の確率で作成可能な料理の種類も乏しく、そのラインナップは余りにも粗雑だった。
丸焼き、水煮、塩茹で。
これを料理と言い切る製作者への憎悪を滾らせつつも、しかしピニオラは諦めなかった。何事にも熱を持てなかった自分をしてこれほどに真摯に取り組めるものが、創作活動以外にもあったのかと思えるほどだった。
そう、料理スキルを始めとする生産系スキルは専用技能Modを要する作業以外は初期の状態からでも制作を試みること自体は可能なのである。しかし、当然ながら成功確率は難易度が高くなるにつれて減少する。
むしろ、罷り間違っても成功を期待してはいけない数値が、高難度料理には軒並み並んでいるのである。
そして悲しいかな、子供受けする料理の大多数が高難度に位置付けされるのである。ピニオラのスキル熟練度から見上げる高嶺は、無慈悲にも高く険しかった。
――――だが、システムから提示された可能性は《0%》ではなかったのだ。
夕食に並ぶと喜ぶこと請け合いのハンバーグでは17%、冬の定番ではあるがシチューでは21%、誰でも作れると名高いカレーでさえ香辛料から拘るつもりなのか19%という敷居の高さ。ネットゲーマーであれば脊髄反射で目を背けるであろう低確率の数々。50%でさえ訝しむ声があがるというのに、それでもピニオラはカレーを選び、敢えて立ち向かった。
自らのレベルを大きく逸脱する高難度の料理を挑戦するだけでは、失敗しても熟練度は得られない。だが、仮に成功してしまおうものならばスキルの成長は著しいものとなる。次回からの調理の糧となろう。ただ、自らの行いが成功確率を棚上げした机上の空論であったとピニオラは身を以て思い知らされることとなる。
それこそが、ピニオラとみことの視線の先に広がる《悲劇の産物》に他ならないのだが。
「このお鍋、いい匂いする! おいしそう!」
「あ、そうですか~? ………じゃなくってぇ、危ないから食べちゃダメですからね~。お腹壊しちゃいますからぁ」
一瞬だけ気を良くしかけながらも、ピニオラはなんとかギリギリで踏み止まる。
SAOのシステム上、視覚と嗅覚と味覚へと伝えられる感覚データは、それぞれパラメータが異なっていることも珍しくはない。というより、作成にファンブルした料理というものはほぼ確実に何らかの法則を無視した悍ましい物質として生成される。
みことの視点からは寸胴鍋の中身までは確認することは叶わない。ピニオラしか窺い知ることの出来ないであろう光景に在るのは、鍋一杯の黒く粘性を帯びた液体だった。更に言えば、表面に油膜特有の虹色の光沢を帯びた液体。早い話が原油である。確かに、何か動物性の出汁を使用したような匂いを漂わせてこそいるが、食用に向かないような味覚パラメータであった場合、みことへ与えるダメージはおろか、ピニオラ自身の心の傷さえ計り知れまい。恐らく立ち直ることは出来ないだろうと推測する。
当然、圏内であればダメージも状態異常も発生することはないが、人体に影響を及ぼしかねないトラウマや他諸々の精神疾患を起こし得るような危険物をみことの口に入れるわけにはいかないと、ピニオラはそそくさと鍋ごとアイテムストレージに納めて隠蔽を決め込んだ。不思議そうに首を傾げるみことに、自分の情けなさから出た苦笑いを零しつつ頭を撫でて応じる。
「代わりに……って言ったら変かもですけど、これで許して下さいねぇ?」
意気揚々と挑んだわりには、目測を誤って散々な結果になってしまうという体たらく。文字通り人生初であった一人での料理に溜息を漏らしつつ、保険の為に用意していた店売りのサンドイッチをオブジェクト化してみことへと手渡す。あらかじめパラメータを設定された料理に嫉みの籠った視線を向けるのも一瞬のこと。嬉しそうに手に取ったみことに複雑な感情を抱きながらも、やっぱり胸の奥に温かいものがちらついて笑みが零れてしまう。
同時に、ふと思う。みことと出会ってからというもの、自分の感情に理解が及ばないことが多くなったような気がすると。
というより、これほど感情を揺り動かされること自体が、ピニオラにとっては経験のないことだったと言えるだろう。現実でただの女子高生だった頃には、年相応に何かに興味を持ち、それに全力を尽くすという概念がなかった。この世界に閉じ込められたその結果として、創作活動という得難い嗜好を得たものの、みことと出会ってしまってからはそれさえも褪せたように全く食指が動かない。
そして何より、みことはどうして自分に懐いているのだろうとも、そんな疑問が脳裏を過る事もある。観察対象が自らの意思で傍に留まってくれることについては願ったり叶ったりであるが、控えめに言っても《子供の相手に向く人種ではない》と自己を評価するピニオラにとっては不可解としか言い様がない。
この関係がいつまで続くのか、いつまでも続いていいのだろうか。
そんな疑問を提起する度に、どうしてかピニオラは気分が落ち込むような、重苦しい感覚に責められる。
「お姉ちゃん、どうしたの? 考え事?」
「………いいえ~、何でもないですよぉ。そんなことより、みことさんはご飯食べないんですか~?」
「うん。ちゃんとみんな椅子に座って、いただきますしてから食べなきゃダメなんだよ。ママが言ってたの」
「偉いですねぇ。じゃあ早くご飯にしましょっか~」
――――素直な子だ。
こんな淀んだ世界に閉じ込められていながら、今もなお無垢で、温かい。
だからこそ、胸の重苦しさが晴れることはない。みことの傍らに在って守ってあげられるような人間は、間違いなく自分ではない。だからこそ、みこととはいつか道を隔てなくてはならない。思えば、こうしてみことの行く末さえ考えてしまうことさえ、ピニオラからすれば以上でしかないのに、軋んだ歯車のように動くことのなかった感情は、小さな同居人と触れ合うようになってからというもの、これほどまでに機微に富むようになった。それが、恐ろしくさえ思えてしまう。
「………そういえば、みことさんとお話したいことがあるんですけどぉ、良いですかぁ?」
「ん? なぁに?」
問いかけに、みことは訝しむ表情一つ見せることなく首を傾げて応じる。
「みことさんは、わたしと居ても平気ですかぁ?」
この質問はピニオラからすれば好奇心を満たすものではない。ずっと抱えていたモノを確かめる為に、ただ不安を解消するための質問。
こんなにも、怯えながら誰かと相対したことはあっただろうかとさえ思えるほど、答えを返されるまでの間が重く圧し掛かってくるようにさえ感じられるなか、首を傾げたみことは居住まいを正すと、あっけらかんと問いに答える。
「平気だけど、どうして?」
「………………え?」
「え?」
あっさりと、呆気なく不安が解消された。
「え、いや……だってぇ、料理だってちゃんと作れないですしぃ、ご不便をお掛けしてるかな~って思いまして~………」
「料理出来ないと、平気じゃなくなっちゃうの?」
「い、いいえ、そういうわけじゃないですけどぉ………」
言葉が詰まる。また、胸の奥に温かなモノを感じるが、それでも不安を拭えない。
不安な箇所を厳密に挙げるのであれば、一緒に居られるか否かではない。
みことが本心から自分と一緒に居ても良いと認めてくれているか。
このまま、ずっと一緒に居られるのかどうか。
――――自分に、みことの傍に居るに足る資格があるかどうか。
しかし、不安を余所にみことは再びピニオラに言葉を告げた。
「わたしね、お姉ちゃんと初めてあった時、すごくうれしかったの」
「………初めて会った時、ですかぁ?」
それは六日前、第一層でみことが複数の《軍》のプレイヤーに囲まれていた場面に起因する。
ピニオラからすれば、ただ目障りだったから排除しただけ。それなのに、みことはまだ他人に慣れていない中で必死にお礼をしてくれたことを、ピニオラは思い出す。
「あの人達にイジメられてる時は、みんな助けてくれないけど、お姉ちゃんだけが助けてくれたんだよ? だからね、わたし、すごくうれしかったの。………ホントはお姉ちゃんも恐かったけど、優しかったから大丈夫だって思ったの。コワイ男の人達からも助けてくれたし」
「優しい、ですかぁ? ………わたしが?」
そう評されたのは、恐らく生まれてから今まで経験のない事だったかも知れない。
誰かに善意を向けたことのないピニオラには、最も縁遠い他者評価。むしろ、現実では誰かと馴れ合うことにさえ煩わしさを感じていた彼女にとっては好ましいものではなかっただろうが、みことから告げられた言葉であったからか、嬉しくさえ思えてしまう。
「それにね、わたし、お姉ちゃんと一緒にご飯食べて、お話して、お出掛けして、お風呂に入って、同じベッドで寝るの、すっごく楽しくて、すっごく嬉しいよ? ………お姉ちゃんは、ちがうの?」
「………そう、ですかぁ…………そうですよねぇ」
探し求めていた、疑問への答え。
ただ純粋に、ありのままを感じ取れるような素朴な言葉。
誰かが傍に居るから《楽しくて》、寄り添ってくれるから《嬉しい》。
たったそれだけの事へ至るまで、どれだけ遠回りしていたのだろう。
思わず苦笑を漏らしつつ、ピニオラは気付くと込み上げる感情に任せてみことを抱き締めていた。
困惑することなく、心地良さそうに身を委ねるみことに視線を落としつつ、ピニオラは初めて、ある願いを抱いた。
「わたしも、すっごく楽しくてぇ、すっごく嬉しいですよ~」
――――願わくば、このままこの子と過ごす日々がずっと続きますように、と。
後書き
ピニオラ視点、ほのぼの回。
みことの為に料理スキルを習得したピニオラさん。しかし、ネトゲの成功確率表示に奇跡など起きる筈もなく、現実はただただ非情でした。カレーのつもりが何故か原油カレーを作ってしまったピニオラさんですが、全てはシステムの責任なのです。ちなみにヒヨリの料理スキル習得初期は燐ちゃんが丸焼き地獄の餌食になっていました。料理は業が深い。
さて、今回はピニオラがみことを《ただの観察対象》から《本当の友達》として認識を改める場面でもありました。みことに情が移り、少しづつ人間らしさを得ていくピニオラさんの変化の片鱗が窺えればと思います。というか、何気にこの二人ってば相思相愛ですね(白目)
次回、全くのノープランではありますが頑張っていきたいと思います。
ではまたノシ
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