銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)
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第百六十七話 微笑、覚悟、野心……
帝国暦 487年 11月23日 宇宙艦隊司令部 カール・グスタフ・ケンプ
第五十七会議室は痛いほどの沈黙に包まれている。ヴァレンシュタイン司令長官から十七時に第五十七会議室に集まれと召集通知があった。時刻は十六時五十五分、既に艦隊司令官達は全員集まっている。早い者は二十分近く前から来ていたらしい。
第五十七会議室、懐かしい部屋だ。この部屋から全てが始まった。普通なら思い出話の一つも出て良いだろう。しかし今は左右対称に向き合うように並んだ席に座りながら皆視線を交わすだけで口を開こうとはしない。十分前までは途切れがちだが会話があった。だが、十七時近くになるにつれて皆口を閉ざすようになった。重苦しい空気がさらに沈黙を強いる。
この時間に召集通知が有るという事は、暗殺事件で負傷し病院で治療を受けていたのかもしれない。だとすると反乱鎮圧の陣頭指揮は執れるのか、皆がその点を心配している。
場合によっては作戦計画の変更が入るかもしれない。その場合、本隊を率いるのはローエングラム伯という事もありえるだろう。色々と噂が流れている。不安が無いとは言えない。
今回も司令長官が暗殺されたとのブラウンシュバイク公の檄に妙な動きをしていたようだ。皆、その事で眉をひそめている。もっとも俺のところには何も無かった。どうも扱い辛いと思っているのかもしれない。
チラとローエングラム伯を見た、俺達以上に緊張しているようだ。もし、司令長官が健在ならローエングラム伯は別働隊の指揮官をはずされるかもしれない。代わりにメルカッツ提督が別働隊を指揮するということも有るだろう。伯が緊張しているのもそれが原因かもしれない。
ドアが開いて司令長官が入ってきた。十七時ちょうどだ。皆一斉に起立し敬礼で司令長官を迎える。良かった、怪我はしていないように見える。司令長官は答礼すると席に座った。穏やかな笑みを浮かべている、何時もと変わらない司令長官だ。俺達も椅子に座ったが、皆表情が明るくなっている。ローエングラム伯はさらに緊張を強めたように見えた。
「心配をかけたようですね、済みませんでした」
柔らかく温かみの有る声だ。この声をどれだけ聞きたいと思ったことか……。
「いえ、お怪我はされていないようですが大丈夫なのですか?」
「ええ、幸いリューネブルク中将の機転で怪我一つせずに済みました」
司令長官とメルカッツ提督の会話に周囲から安堵の声が漏れる。先程までの緊張感は嘘のように無くなっていた。
「私が死んだ事にしたほうが貴族達も反乱に参加しやすいでしょうから姿を隠したのです。多分彼らは私が本当に死んだのか、オーディンに確認をとろうとしたでしょう」
「……」
「私の死亡説が流れた事、宇宙艦隊が混乱している事で貴族達も安心して反乱に参加するとブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯に答えたでしょう。敵を欺くには味方からと言います。心配をかけた事、悪く思わないでください」
彼方此方で頷く姿が見える。確かにそうだろう、司令長官が死んだとなれば貴族達も我先に反乱に与するに違いない。一度の内乱で全てを終わらせようということか。
「閣下、あまり心配はさせないでください。小官はもう年なのです。老人の心臓は労わっていただかないと」
周囲から笑いが起こった。珍しい事だ、メルカッツ提督が冗談を言うとは。司令長官が無事だったのでつい軽口が出たのかもしれない。
「メルカッツ提督、未だ老人と呼ぶのは早いでしょう」
「そうです、まだまだお若い」
「いやいや、クレメンツ提督。若い若いと思って油断していると意外な所で身体が弱っている事が分かる。卿も気をつけるが良い、それほど先のことではないぞ」
生真面目な口調だった。冗談ではなかったのかもしれないが、その言葉にまた笑いが起きた。司令長官も穏やかに笑っている。
「ところで、皆さんは今日何が起きたか分かっていますか?」
「……色々と噂が流れてはいますが……」
ロイエンタール提督の言う通りだ、色々と噂が流れている。メックリンガー、ケスラーが調べてきたようだが本当に分かっているのはブラウンシュバイク公が反逆を起した事、司令長官の暗殺事件が起きた事だけだ。
「先ず夜明け前のことですが、フロイライン・ブラウンシュバイク、フロイライン・リッテンハイムが何者かによって攫われました」
「……」
皆の視線が交わる、頷くものも居た。近衛に内通者がいた、その事を考えているのかもしれない。
「お二人を誘拐したのはランズベルク伯アルフレットとその同調者と思われます」
ランズベルク伯? その名前に皆が不審そうな表情をした。ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯と親しいという訳では無かったはずだ。その男が誘拐の首謀者?
「閣下、それはブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯の命令によるものでしょうか?」
ロイエンタール提督の質問に司令長官は微かに首を傾げた。
「いえ、それについては何とも言えません。有りうる事だとは思いますが、確証は取れていないようです。ただ、何らかの形で繋がりはあると思います」
「……」
「後は私の暗殺未遂事件とブラウンシュバイク公の決起宣言です。これで帝国は内戦状態に入った事が確定しました。間も無く帝国政府より帝国が内乱状態に入った事の宣言と我々に対し討伐命令が出されるはずです」
「……」
「出撃は十二月一日とします。既に準備は出来ているとは思いますが再度出撃に備え、準備の確認を御願いします」
「はっ」
皆力強く答えた。一週間後か、待ち遠しい、今から腕が鳴る。司令長官の言葉に会議室の中はまた緊張感に満ち溢れた。最もさっきの様な嫌な感じではない、身の引き締まるような緊張感だ。
「今回の内乱は単純な権力闘争ではありません。これからの帝国の進路を決める戦いです。我々が勝てば帝国はルドルフ大帝の作った帝国からフリードリヒ四世陛下の作る帝国に変わります。十月十五日に発布された勅令に従い五箇条の御誓文が帝国の国是となるでしょう」
司令長官の言葉に第五十七会議室が静まりかえった。
「……」
「一部の特権階級が全てを支配し弱者を踏みにじる国家ではなく、誰もが安心して暮らせる国家、我々はそれを作るための剣に成らなければならない。新しい時代を我等の手で切り開くのです」
誰もが安心して暮らせる国家、新しい時代を我等の手で切り開く、その言葉が俺を高揚させた。その先には宇宙の統一が待っている。そうだ、俺達は新しい時代を切り開く剣になるのだ。あの時と、初めてこの部屋に来た時と同じだ。此処から全てが始まる……。自分の顔が紅潮するのが分かった。
「当初の作戦計画通り、別働隊はローエングラム伯が率いてください」
「はっ」
皆が視線を交わす。ローエングラム伯はほっとしたようだ。初めて緊張から解放されているように見えた。
「本隊はしばらくの間、メルカッツ提督に率いてもらいます」
司令長官の言葉に部屋がざわめいた。メルカッツ提督も驚いている。そしてローエングラム伯が愕然とするのが見えた。
「閣下、それは一体」
「メルカッツ提督、私は先ず自由惑星同盟とフェザーンを相手にしなければなりません。彼らを大人しくさせておかないと厄介な事になりますからね」
自由惑星同盟、フェザーン、その言葉に部屋が沈黙した。
「フェザーン方面は既にシュムーデ提督を総司令官として四個艦隊を向かわせました」
四個艦隊、司令長官の言葉にまた部屋がざわめく。
「閣下、彼らの任務は一体……」
「……主としてフェザーン方面の補給線の確保になります、まあ他にも多少有りますが……」
ローエングラム伯の質問に司令長官は少し考えてから答えた。
「メルカッツ提督」
「はっ」
「メルカッツ提督には宇宙艦隊副司令長官に就任していただくことになりました」
宇宙艦隊副司令長官! その言葉に部屋がまたざわめく。これで何度目だろう。だが直ぐに沈黙が落ちた。皆司令長官、ローエングラム伯、メルカッツ提督を交互に見ている。司令長官は穏やかに、ローエングラム伯は蒼白に、メルカッツ提督は困惑している。
沈黙の中で司令長官の声だけが流れた。
「明日には辞令が発令されるでしょう。メルカッツ提督、心臓には悪いかもしれませんが、私を助けてください」
「……」
「メルカッツ提督、私には提督の助けが必要なんです」
何処か哀しさを感じさせる口調だった。覚悟を決めたのだろう、力強くメルカッツ提督が答えた。
「はっ、精一杯努めさせていただきます」
「……おめでとうございます!」
「おめでとうございます!」
「おめでとうございます! メルカッツ提督」
一瞬の沈黙の後、ビッテンフェルト提督が大声で祝福した。俺もそれに続く、そして皆が続いた。帝国の宿将がそれに相応しい地位に就いた。帝国にとって祝福すべきことであるのは間違いない。司令長官が嬉しそうに頷くのが見えた。
会議が終了したのは十八時に近かった。司令長官が会議室で言っていた内乱の宣言が政府から出されたのはさらに三十分後の事だった。
宣言はブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯が皇帝の女婿で有るにも関わらず反乱を起した事を厳しく非難し、十月十五日の勅令を否定するかのような行動はいかなる意味でも許されることではないと断言した。そして帝国が内乱状態に入った事を宣言し、軍に対し内乱鎮圧が命じられた。
帝国暦 487年 11月23日 宇宙艦隊司令部 ウィリバルト・ヨアヒム・フォン・メルカッツ
第五十七会議室での会議が終わると私とケスラー提督は司令長官に応接室にと誘われた。好都合だった、私も尋ねなければならないことがある。誘われなければ、こちらから伺うところだった。
「それにしても驚きました。小官が宇宙艦隊副司令長官などとは」
「私は最初からメルカッツ提督には副司令長官をと思っていたのですが」
「念願がかなったということですな」
「そうですね、ケスラー提督の言うとおりです」
応接室に司令長官とケスラー提督の笑いが満ちたが、自分は素直には喜べなかった。目の前の司令長官が自分を高く評価し、敬意を払ってくれている事は分かっていた。副司令長官にと考えているのも分かっていた。しかし本当にその日が来るとは……。
「司令長官、小官は何時まで本隊の指揮を執るのでしょうか?」
「そうですね、……大体二ヶ月程度と考えてもらえば良いかと思います」
「二ヶ月ですか」
私の言葉に司令長官は頷いた。
「シュムーデ提督達は今、カストロプを過ぎマリーンドルフに向かう所でしょう。彼らにはフェザーンまで行って貰う事になります。フェザーンまで大体一ヶ月程度、作戦の開始から終了、そして私が本隊に合流するまでさらに一ヶ月、そんなところでしょう」
はて、彼らの任務は補給線の確保だけではないのか? 思わずケスラー提督と顔を見合わせた。ケスラー提督が私の疑問を口にした。
「閣下、彼らの任務とは一体……」
司令長官は横に置いてあった書類袋から書類を取り出した。そしてこちらに向けて差し出す。『第一次フェザーン侵攻作戦』……。ケスラー提督ともう一度顔を見合わせた。
「彼らはそれに従って行動しています」
司令長官の声にもう一度計画書を見る。『第一次フェザーン侵攻作戦』……。フェザーンに攻め込むというのか……。
「その作戦計画書は持っていてください。お二人にはそれを理解して貰わなければなりません」
「それは、どういうことですか?」
ケスラー提督の訝しげな声に司令長官は微かに微笑んだ。
「私に万一の事が有った場合……」
「閣下!」
「大事な事なのです、メルカッツ提督」
司令長官は諌めようとした私を押し留めた。
「私に万一の事が有った場合、その時はメルカッツ提督が宇宙艦隊司令長官に親補されます」
「!」
宇宙艦隊司令長官! 私が?
「閣下、冗談はお止めください。ローエングラム伯が先任です。私は……」
「メルカッツ提督、これは帝国軍三長官、国務尚書の間で決まった決定事項なのです。逃げる事は出来ません」
宇宙艦隊司令長官、 私が……。隣にいるケスラー提督を見た。驚いたような表情はしていない。
「ケスラー提督、卿は知っていたのか?」
少し迷った後、司令長官に視線を向けてからケスラー提督は答えた。
「……はい」
「しかし、私にはそんな力はありません。誰よりも自分が分かっています。十万隻の艦隊、一千万の人間を死地に立たせるような器量は私には無い、短期間の代理ならともかく、司令長官など無理です」
そう、私にはそんな能力は無い、だからミュッケンベルガー元帥は私を戦場から遠ざけた。戦功を挙げさせないため、これ以上昇進させないためだ。だから此処で一個艦隊の司令官として扱われても不満には思わなかった。
一個艦隊の指揮ならミュッケンベルガー元帥にも目の前に居る司令長官にも劣るとは思わない。三個艦隊ならば何とか互角に渡り合えるだろう。だがそれ以上になれば自分が勝てるとは思えない……。
司令長官はローエングラム伯であるべきだ。確かに功に逸る所はある、不安定な所もあるだろう。今回もいささか眼に余る行動をしたのは確かだ。だがあれは少しでも混乱を収めたいという気持ちが空回りしただけだろう。能力は間違いなく有る。彼の足りない部分、未熟な部分を我々が補えば良い。
「閣下、宇宙艦隊司令長官はローエングラム伯であるべきです。彼なら……」
「ローエングラム伯は私が暗殺された場合、その首謀者として処断されます」
「まさか……」
司令長官は何時もの温顔を捨て冷たい表情をしている。ケスラー提督も驚いたような表情をしていない。この場で知らないのは私だけか、空調の利いている応接室の温度が一気に冷え込んだような感じがした。
「伯自身は私の暗殺など考えてはいないでしょう。しかし伯の周りにはそれを考える人間がいるのですよ」
「……」
「そして伯が宇宙艦隊司令長官になれば、その実戦力を背景に一気に簒奪に走るでしょう。彼は皇帝になりたがっている」
「そんな……」
「これは私だけの考えでは有りません。エーレンベルク、シュタインホフの両元帥、リヒテンラーデ侯も同意見です。そして陛下も……」
「!」
簒奪、ローエングラム伯が簒奪。覇気の有る青年だとは思っていた。野心家だとも思っていた。しかし若いのだ、野心も覇気も有るだろう。それが簒奪……。陛下もご存知……。
「司令長官への就任を断らないでください。断れば新たな内乱が生じかねない。それは帝国にとって不幸以外の何物でもない……」
「……分かりました。どれだけお役に立てるかは分かりませんが、精一杯努めさせていただきます」
私の言葉に司令長官は“御苦労をおかけします”と言うと頭を下げた。
「閣下、御願いですから身の回りの警備を厳重にしてください。万一の場合などが起きないように」
「もちろんです。私も未だ死にたくはありません」
司令長官が普段の温顔に戻った。
「メルカッツ提督が宇宙艦隊司令長官になった時は、ケスラー提督に総参謀長をお願いすると良いでしょう。ケスラー提督なら軍事、政治の両面でメルカッツ提督を支えてくれるはずです」
司令長官の言葉にケスラー提督を見た。彼は驚いたようだったが、私と眼を合わせると“必ず御期待に応えます”と言った。
「大丈夫です。宇宙艦隊には人材が揃っています。メルカッツ提督の足手纏いになる人間や足を引っ張るような人間はいません。それに自由惑星同盟は戦力が枯渇しています。正攻法で難しい戦いをすることなく勝てるはずです。心配する事は無いでしょう」
そう言うと司令長官は微笑を浮かべた、何時ものように……。
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