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満願成呪の奇夜

作者:海戦型
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第17夜 撤退

 
 ゆっくり、ゆっくり、全員で歩幅を合わせて前進する。いくら相性の悪い呪法師と一緒であろうと、集団で歩幅を合わせて移動する訓練だけはうんざりするほどやってきた。それこそ目をつぶったままでも、同じサンテリア機関で実技を習った学徒なら歩幅を合わせる事が出来る。

 少し進むと、道の端に柱のようなものが見えた。木ではなく金属製だ。どうやら6メートル以上はあるそれは、先端が折れ曲がってコの字になったアーチのようだ。それも一つ二つではなく、等間隔にいくつも連なっている。上部をよく見ればそれぞれのアーチは鉄骨で繋がっているようだった。
 カンテラの照らすアーチの中央部分には、一般的なランプと同じく逆さ皿のように光を下に集中させる構造が取り付けられていた。

「これ、灯薪の類は取り付けられていないが……外灯か?あの仮設砦までの道を照らす為の……?」
「ターニングポイントの仮設砦に残された物資といいこれといい、本当に建設途中で頓挫しているのだな。元老院からの締め付けは予想以上に厳しいようだ。これでは『大地奪還』など当分先になりそうだ」

 やれ、と呆れたような顔をするドレッドだが、今は頼りにならない外灯などよりも目の前の危機を察知しなければ話にならない。ここから先に――恐らく、自分と同じ時期に入学して、同じ文武を修め、そして自分より早く大地へと還ったであろう誰かがいる。……まだ死体が残っていれば、だが。

 それを直接見たとき、自分はそれでも平静でいられるだろうか。
 足を止め、吐瀉物を大地にばらまく自分の姿だけがやけに鮮明に想像できる。できるが、今はそんな想像をする余裕がない。金属製の柱が周期的に並んでいるというのは、遮蔽物で若干ながら視界が狭まる可能性があることを示している。
 ペトロ・カンテラの光量と角度では、木のように高さのある遮蔽物の後ろまでは照らせない。つまり、それだけ呪獣の隠れる隙間が大きくなり、接近を許すリスクが高まる。

 それほど時間を置かず、全員が悲鳴の上がった付近まで到着した。

 悲鳴の主の死体は見当たらない。代わりに学徒用に貸し出されたペトロ・カンテラだけが転がっている。内部に溜めこんだであろう呪力は術者が死亡しても光りつづける筈だが、既に灯は消えている。原因は二つ考えられ、ひとつは単純に火種が何らかの原因で消えたこと。そしてもう一つは込めた呪力が尽きてしまったことだ。地を這う呪獣がペトロ・カンテラに手を届かせたとは考えにくいので、後者なのだろう。
 しかしそうすると疑問も残る。ペトロ・カンテラは現代の呪法具としても破格の燃費を誇る上に、呪法師の必須アイテムだ。折り返し地点で呪力を再充填したのなら、いくら遅く進んでいたとしても効果が切れるのが早すぎる。それこそこの場に1,2時間ずっと座り込みでもしない限りは、だ。

 念のため、生存の可能性を考えてドレッドが声を張る。

「誰かいるか?俺達は試験の参加者だ!生存しているのなら直ぐにカンテラの光の中に来るか、何か合図を送れ!」

 彼のよく通る声が荒野の闇に響き渡るが、返ってくる反応は一切感じられない。まるで光に照らされた外には世界そのものが存在しないかのようで不気味だ。たっぷり時間を置き、隣のステディは淡々と事実を告げる。

「……………返答、ありませんね。ドレッド様、残念ですがやはり死亡したと考えた方がいいでしょう」
「ああ……名も知らぬ相手だが、志半ばでこの結果はさぞかし無念だったろう」

 呪獣は基本的に殺害した人間の死体に手は出さないが、人知を超えた馬鹿力で吹き飛ばされて崖の下に転落したのなら誰もいない説明はつく。この高さから呪獣に攻撃を受けての転落となると生存は絶望的だろうし、どちらにしろ捜索に向かう暇もない。
 死体のないことに、ほんのわずかにだがほっとする。心を覆う暗雲は晴れる気配がないが、少なくとももう少し平静を保っていられそうだ。しかし、トレックはふとある疑問を思い浮かべた。

「返答がないということは……カンテラの持ち主のパートナーは?」

 呪法師は複数人での行動が原則だ。カンテラの持ち主にも当然パートナーがいた筈だ。その疑問に、周囲を観察していたガルドが返答した。

「これを見ろ、光源杖(ライトスタッフ)だ。未使用だが血痕が付着している」
「カンテラの持ち主は光源杖を装備しない場合が多い。それにカンテラからは随分離れた場所にそれはあった……すなわち、杖の持ち主がパートナーだったと考えるべきか?」
「だが、血痕が少ないのが気になる。致死量どころか鼻血程度しか散らばっていない。殺されたのならもっと血液が落ちていて然るべきだ」
「攻撃を受けてパニックになり光のサークルの外へ逃げ出したのではないか?それなら周囲に死体が転がっているかもしれない」
「かもしれないが、そうではないのかもしれない。どちらにしろ、長居すべきではないと考える」
「ドレッド、遺留品がてらそれを回収して早く進もう。ガルドの意見には俺も賛成だ。ここに長居してもいい事はない」

 ガルドの提案にはトレックも乗る。何が起きたのか全く分からないのは不気味だが、少なくとも事はここで起きたのだ。あるかもしれない危険が潜んでいる場所からは早急に離れた方が身の為だ。何より、一刻も早く濃厚な死の香りがするこの空間を抜け出したかった。

「………敵は、もうすでにこの場を移動したのかもしれないな。どちらにせよ警戒しつつ『境の砦』まで移動するしかあるまい。砦までもうそれほど距離はないが、全員警戒を怠るなよ」
「ああ。………ギルティーネさんも聞いたね?」

 トレックは、一応の確認のためにギルティーネの方を振り向いて――疑問を抱いた。

「……ギルティーネさん?」
「………………」

 ギルティーネが、剣を引き抜いたまま上を向いている。
 今、上にあるのは外灯とさらにその上に広がる星空だけだ。
 おかしいことなど何一つない――そう思った刹那。

 からん、と、何かの落ちる乾いた音がした。

 音のあった場所を見ると、そこにはガルドの持っていた光源杖が転がっていた。
 そして、持っていた筈のガルドの姿が――そこにはなかった。

「え――」

 杖に付着していた血液は、気のせいでなければ先ほどより少し広く朱を広めていた。

 その場にいた全員の人間が、一瞬だけ何の反応も取れなかった。

 それほど前触れなく、唐突に、それは起きた。

「ガルド……って、今、そこにいたよな」
「……………ああ」
「なんで、いないんだよ」
「……………」

 ドレッドは質問に答えない。いや、答えられないのだろう。その場にいる誰もが、まさか突然呪法師がまるまる一人「消える」等とは思わない。それは警戒とか予測といった通常の思考の範疇から余りにも逸脱しすぎている。

 しかし、事実として先ほどまで縄を持って構えていたガルドはいないし、落ちた光源杖に付着した血液に真新しい物が増えている。

 何故いない?

 自分から消えた訳ではあるまいし、方法がない。

 敵に何かされた?

 周囲を幾ら見渡しても、敵はいない。

 その場の全員が、何が起きているのかまるで理解できていなかった。

 ――上を見上げたままのギルティーネを除いて。

「――ッ!!!」

 突然、ギルティーネは目にも止まらない速度でトレックの襟首を掴みとって無理やり背中に背負い、全力でその場を駆け出した。常人離れした速度にトレックは声を出す暇さえもなく左腕と右足をギルティーネに無理矢理掴まれていた。

「なっ、何をッ!?」
「……………ッ!!」

 やっと舌を噛まないギリギリの口で叫ぶが、返答など返ってくるわけがない。彼女は喋ることが出来ない。それでもまるで意図の掴めない行動に激しく混乱した頭はどうしても確認を求めてしまう。

 凄まじい速度で疾走するギルティーネの背中の上は激しく揺れ、万力のようにがっちり捕まれた腕と脚が締め付けられて瞬時にむくむ。何の脈絡もないその走りに唖然としていたのはトレックだけではなく、残されたドレッドとステディとの距離も遠ざかっていく。

「御しきれていると思ったのは買い被り過ぎたかッ!!ステディ、追うぞ!!」
「え?……は、はいっ!!しかしガルドは――」
「見つからない以上は捨て置く他あるまいッ!!」

 それは非情で、しかし集団として行動する以上は避けられない判断だった。



 一方、ギルティーネに抱えながらも二人を遙かに超える速度で走り続けるトレックは、暴れ馬に引かれた馬車のような振動に揺さぶられて頭痛と吐き気を覚えながら、必死で頭脳を回していた。

(ギルティーネさんは何でいきなり俺を抱えて動き出した!?俺は指示してない、ってことはギルティーネさんが独断で何かをしているってことだ!!それは何だ!?言葉で理解できないなら前後の行動で割り出せるはずだ!!考えろ……考えろ……!!)

 行動前、気が付けばギルティーネは上を見上げていた。あれはどう考えてもこれまでになかった反応だった。しかし、行動の意図はまだ見えない。それ以前は遺留品らしき杖のチェック。この時はギルティーネから目を離していたので判然としない。そして唐突なガルドの消失から数秒後、彼女は突然トレックを抱えて動き出した。

 彼女が突然行動を起こしたのは何故だ。トレックの言う事を聞くはずの彼女が動いた理由は。

(これまでギルティーネさんが自律的に行動したこと……鉄仮面を外すとき――これは単なる習慣的なものだろう。次は鍵を持ってきて自分の武器のケースを開けさせたとき……試験に不可欠な物だったからだろう。次は……櫛の件は単なる言葉の錯誤だから……最後は確か、ステディさんが殺気立った瞬間に割り込んできたことくらいか?)

 ステディと自分の間に割って入ったという事は、護衛対象を防衛するための行動。つまり殺気を感じてステディがトレックに害意を加えようとしていると考えての行動だったのだろう。
 以上の条件からして今の状況を説明するのに、習慣的行動は考えにくい。
 事実の錯誤は、何を錯誤したらこうなるのか説明がつけられない。
 トレックを抱えて砦に戻らなければならない程残り時間はひっ迫していないから、試験に不可欠な行動とも思えない。――いや、とトレックは考え直す。

(俺が死んだら、必然的にギルティーネさんの未来は閉ざされる。つまり俺に命の危機が迫ったらギルティーネさんは行動する。不可欠な行動と俺の防衛はイコールになる……俺に、命の危機が迫っている?)

 周囲の何所にも敵のいないあの場所の一体どこに命の危機があったのか。確かに外灯のせいで普通より視界は悪かったが、そもそも呪獣は周囲に光があると極端な行動をとる習性がある。光を避けて逃げ出すか、光の源を殺そうと決死の覚悟で光に踏み込むかだ。

 ――但し、あまり考えたくはないが、上位種はその限りではない。
 
(上位種が、いたのか!?あの場所の何所に――)

 かつん。

 ほんの小さな、金属を叩く甲高い音が耳に響く。
 今の音は、何だ。激しく揺さぶられながら周囲を見渡すが、何も見当たらない。一瞬あまりにも早すぎる移動速度にペトロ・カンテラ(ジャック)が追い付かなくなって壊れたかと思ったが、カンテラは丁寧に外灯に当たらない高度を保ちながらきっちり主を追跡している。

 カンテラではない。周囲でもない。他に、音が鳴る場所。
 自分には見えていない場所。ギルティーネが気付けた場所。
 
 ギルティーネは、上を見ていた。

「真上かぁっ!!」

 ほとんど反射的に、トレックは『炎の矢』で外灯の合間に三発の炎弾を放つ。
 そのうちの一発が――黒と紫の斑模様をした何かに掠った。

『ギア゛グッ!?』

 人ならざる存在の悲鳴が、トレックに事実を告げる。
 敵は――皮肉にも、人間の作った外灯の上というカンテラの照らせない安全領域から、下の人間を攻撃していたのだ。
斑模様の全てが完全に見えない場所へと逃げ込み、大きさも姿も碌に確認できない。しかしあの耳元を虫が這うような不快な鳴き声と自然に存在する生物のそれとは思えないぞっとする黒と紫のコントラストは、相手が呪獣であることを裏付けている。
 あの呪獣はずっと上方にいたのだろう。そして上から何らかの方法でガルドや悲鳴を上げた学徒を殺したのだ。方法も姿も不明だが、極めて危険な存在であることは疑いようもなかった。

(だけど、それなら外灯から離れた方が得策なんじゃないのか!?高所に陣取られたらどう考えても不利だろっ!!)

 ギルティーネは外灯の真ん中を突っ切るように走り続けているが、本来ならそれは自分が不利な場所に居座っているのと同じことだ。多少遠回りになっても外灯から離れた方が攻撃されるリスクが低い。それを問い質したいのに、ギルティーネは問いに答える事が出来ない存在だ。

 トレックはただひたすら混乱しながらギルティーネの疾走に揺さぶられ続ける他なかった。
 今、止まれば恰好の餌になる状況が完成している。もし無理をしてトレックがギルティーネから離れれば、恐らく死ぬのはトレックだ。何も出来ない。上に銃を撃つぐらいは辛うじて出来るが、疾走する彼女の背中で激しく揺さぶられながらでは手元がぶれて狙いなど到底絞れない。雨の粒を拳銃で狙うようなものである。

(せめて、あれが俺達を追いかけている間は残りの二人に矛先は向かないと考えるしかないか……?くそっ、俺の力はギルティーネさん以下だから何をされても逆らえないっていうのかよ……!!力づくが通るから躊躇なく俺に鍵を渡したっていうのか――!!)

 だとしたら、荷物の中に仕舞い込んだ鍵束を持て余すトレックは、どこかで間違えたのかもしれない。今となっては後悔しても詮無きことだった。

(っていうか……これっ……この状態、走った振動が、リュックサックみたいに、俺の体を揺らしっ……!!)

 碌に抵抗できず揺さぶられ続けることは、確実に人体にダメージと疲労を蓄積させる。ギルティーネの際限ない疾走に抵抗することも許されなかったトレックは、次第に考え事をする余裕さえ失せて行った。トレックは次第に息を切らせ、暴れ狂う三半規管と胃の悲鳴に支配されていく。

 やがて、トレックとギルティーネは出発点である『境の砦』に到着した。
 呪獣の正体も、ガルドが本当に死んだのかも、それどころか置いてくる形になったドレッドとステディの安否さえ確認できない。ただ、ゴールと同時にギルティーネはトレックを離し、長時間揺さぶられ続けて疲労困憊のトレックはそのまま受け身も取れずに地面に叩きつけられた。

「かはっ……!……ぜぇ、ぜぇ……ぉぐっ!?」

 起き上がろうとした直後に耐えがたい吐き気が襲い、トレックは朦朧とした意識のまま嘔吐する。胃がひっくり返るような苦しさと虚脱感が、トレックが体を動かす体力と余裕を完全に奪い去った。

 砦には、教導師と数名の衛兵らしき呪法師が待っていた。トレックがフラフラの身体で起き上がろうとすると、教導師はトレックに目もくれずに法衣の懐をまさぐり、仮設砦で貰った紙を摘まみ上げて「合格だ、休んでいいぞ」とただ一言告げた。未だに立ち上がれずにいるトレックのことは、既にどうでもいいらしい。

「………ひどい有様だな。おい、ドーラット準法師。焦っていたのは分かるが、次はもう少し丁寧に運んでやれ」
「…………………」

 薄れていく視線の先にいたのは、虫けらを何の感慨もなく見つめるような表情のない美貌。

 そこから砦の一室で目を覚ますまで、トレックは自分がどうやって移動したのかを覚えていない。
  
 

 
後書き
ちなみにあの場に留まった場合、ギルティーネさん以外全滅です。 
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