満願成呪の奇夜
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第16夜 断末
「俺のことが嫌だろうとなんだろうと、この試験が終了するまでは何が何でも俺との連携を維持しろ。しないのならお前の背中を後ろから撃って俺だけ進ませてもらう。――いいか、これは「はい」とか「いいえ」とかそんな応答を求めているんじゃあなくて、『確認』だ」
それだけ告げて、俺はそのまま前を向く。横で聞いていた人間の内、ドレッドが肩を竦めて苦笑した。
「我がチームメイトの命を勝手に持って行かれるのは、困るのだがね」
「なら俺が撃つ必要が無いように手綱をしっかり握るんだな。俺だって撃ちたい訳じゃないが、そうなったら『仕方がない』だろう?」
「……不思議な男だ。普通の人間の様に悩むかと思えば、我々と同じような本気の眼を見せる」
――これぐらい本気で言わないと、お前らは信じないからな。
その内心は、口には出さずに心の内に仕舞い込んだ。
まったく、本気でないことを悟られないように脅さなければいけないこっちの身にもなって欲しいものだ。本気で殺す気だと感じられなければ、『欠落』持ちからは完全にナメられてしまう。
こちらの意を汲まないことのデメリットを『確認』させ、見捨てる条件をはっきりさせ、その上で本気で殺せるだけの覚悟を込めて喋る。これが出来れば『普通』の精神を持つ人間でも最低限の意思疎通が可能……というのが、トレックの研究成果だ。あくまで暫定的で、なんの根拠もない経験則だが。
(………この演技力なら演劇俳優でも通じるんじゃないか?)
なんとなく、次の就職先を探す事になったら俳優を目指そう――と馬鹿な事を考える。その時はギルティーネともお別れで、喋れない彼女に気を揉むこともなくなるだろう。周りは普通の人ばかりで、もしかしたら大成して人気者になるかもしれない。
大陸に迫る危機だって、俺が生きているうちに顕在化するとは限らない。もしかしたら200年、300年、あるいはもっと先の問題で、トレックが気に病んでも現実は何も変わらないかもしれない。どうせ呪法師連中と仲よくすることなど土台無理なのだし、抜けてもだれも困らない――。
『ドーラット準法師。『三度目はないと思え』よ。これがお前の最後の好機だ。精々あのお方から与えられた機会を物にするんだな』
(あ………)
一人。たった一人かもしれないが、トレックが呪法師の道を諦めて困るかもしれない人物が、斜め後ろからトレックをずっと見ていた。
その女の子は自分では言葉を発することはおろか、他者に自分の意志を伝えるための行動が一切できない。罪人の身で、おそらく数度の失敗を経て最後の挑戦に挑んでいる。これで失敗すれば、彼女はまたあの錠と鎖だらけの闇が待つ牢獄の中に閉じ込められるのだろう。
女として存在することも許されず、常人ならば気が狂ってもおかしくない常夜の箱に、鉄の拘束具に絡みつかれた猛獣のように拘束される。
ずぐり、と胸の奥が抉られるような錯覚。
自分とはなんの縁もゆかりもない、今日に大人の都合で顔を合わせただけの女の子だ。綺麗だと思ったし、同情もしたけど、同時に怖がりもしていた。なのに、ギルティーネがもう一度あの牢獄に閉じ込められて馬車に運ばれる光景を頭に思い浮かべると、心の内の誰かが「それでいいのか」と責め立てるように警鐘を鳴らす。
その選択を是としてしまうのは、同時に自分の中にある大切な何かの意味を決定的に違える。
ペトロ・カンテラに照らされて僅かに艶の戻った黒髪を揺らす、儚げな少女。戦う際は烈火の如く、しかしこうして静かに歩いていると、ふとした拍子に闇に融けて泡沫の夢と消えてしまうのではないかと思えてくる。
(………消させたく、ないな。少なくとも彼女の立場が安定するまでは)
唯の自己満足なのだと分かってはいる。
それでも、少女一人。何が「人喰い」なのかも分からない、分からないことだらけだが嫌いだとは思えない彼女を助けたいと思うのは人としておかしいことだろうか。
トレックの想いをよそに、ドレッドから声がかかる。
「道も中ほどを過ぎた。呪獣の数も少ない。気を抜かず進み、全員でクリアすれば誰も死なずに済むだろう。ステディのことにそこまで目くじらを立てないでくれたまえよ?」
「そいつはそちらの出方次第だ。俺だって無駄に争いたくはない。配給される銃弾の数だって多くはないんだから」
「ふっ………なるほど、君はそういう男な訳だ」
「?」
勝手に得心したように微笑を浮かべるドレッドを、俺は不思議に思う。意味が解らないのもそうだが、そう言えば『欠落』持ちに好かれたことのない俺に対し、彼は一切不快感のようなものを覗かせない。そういう『欠落』という可能性もあるが、どうしてなのだろう。
トレックはその疑問を、試験が終わってから彼にぶつけてみようと考えた。
――少し後に、その決断を激しく後悔することになるとは知らず。
「……ん?前方にペトロ・カンテラの灯があるな。先行していた別の学徒か?」
「ふむ、妙だな……我々は上位種相手にそれなりの時間手こずったし、その後ペースアップもしていない。なのに先行していた学徒に追いつきはじめるというのは考え難い。何か足止めを受けているのか――」
忘れがちだが、この試験は多数の人間が受けているのだから、当然暗闇の中に味方の姿を発見することとてありうる。距離にしておおよそ100m程度先にあるその灯りは明らかにペトロ・カンテラのそれだった。
だが、理由を分析するより前に――耳を劈く悲鳴が暗闇を引き裂いた。
『………やめろぉ、やめろぉッ!!嫌だ……俺は………!!う、うわぁぁぁあああああああああああーーーーーーッ!!!』
断末魔と、銃声が一発、二発、三発――直後、音がピタリと止んだ。
気が付けばカンテラの灯は途切れており、遅れてカラリと乾いた金属音が響く。
闇に包まれた世界で起きた一瞬の物音は、その後の耳が痛いほどの静寂によって包み込まれた。
「………今の、は?」
喉が干上がるのを感じながら、トレックは自分の予想が外れであってほしいと思った。
しかし、この状況とあの音で導き出される結論など、残酷なもの以外はあり得ない。
それは、嘗てないほどに近く感じる死神の足音。
声に出すことで想像が現実になってしまうことを怖れたトレックに代わるように、ドレッドが口を開いた。
「試験を受けた学徒の悲鳴だろう。だが、途中で声が途切れたとなると……」
「死んだのだろう。敵に殺されて。どちらにしろ進めばわかる事……そうですね、ドレッド様?」
「――全員、気を引き締めろ。我々と同じく帰路についていた戦士の悲鳴ともあらば、もしやこの先には更なる上位種がいるのかもしれん」
ドレッドは険しい顔で拳銃を握りしめ、ガルドは無言で縄をいつでも投擲できるよう腕に引っかける。ステディは今の悲鳴をそよ風か何かだと思っているかのように自然体で前へ進む。この先にあるであろう現実を前に、淡々と。
(おい、嘘だろお前ら……この状況で抱く感想が、それだけか?それっぽっちで終わりなのか……?し……死んでるかもしれないんだぞ、人間が。俺達と同じ、人間が――!)
正気か、とトレックは叫びかけた。
これまで上手くいっていた道中での、突然の『死』というワードが背筋を冷たくなぞる。
この試験は毎年死者を出す。それは知識として知っている。しかし、自分はその死者にならないように頑張っていて、事実上位種にも対応できた。だからこの先に相手を殺した敵がいても安心だ――などと楽観的な考えはトレックには浮かばない。むしろ、それとは違ったベクトルの感情が湧きあがる。
痛烈な違和感と、自分と相手を隔てる恐ろしいまでの温度差。
彼らの言葉に乗った「死」の重量が、余りにも軽い。
死者のむごたらしい骸があるかもしれない場所に、どうして近づきたいと思うか。
つい昨日まで同じクラスにいたかもしれない人間の死を知り、平気でいられるか。
今までに自分の周囲で見えなかった『結果』が具現化して現れようというときに――何故そうまで淡々と自分には関係がないとでも言いたげな顔が出来るのか。
死人など、人生で一度二度、棺桶の中で眠っているのを拝んだことしかない。
しかし、これから待ち受けているかもしれないものは、自分がもしかしたら到るかもしれない最悪の結末の一つとしてそこにあるのだ。必死で抑えこんだ「普通」の人間としての心が箱の中で大暴れし、蓋をこじ開けようとする。暴れる原因は今更言うまでもない――自己の消失という絶対的なまでの「恐怖」。
死と言う存在を日常に近づけないために人間が抱く「恐怖」を、何故この場で自分しか抱いていない。
急に、背後からの視線が強くなった気がして、トレックは後ろを向いた。
そこには、今までも全く変わらない態度で剣に手をかけたまま歩くギルティーネがいた。
「…………………」
陰影のせいだろう。彼女の顔は、何故か「次の得物はどこだ」と問いかけているようだった。
何の根拠もない妄想だ。しかし、その妄想がトレックの心にまとわりついて離れない。
この場で人間らしい感情を抱いているのは、トレック・レトリック唯一人。
ならば、他の『欠落』を抱えた4人は。彼らはまるで、人間ではないかのようではないか。
(俺は狼の群れに混じった羊………周囲とは、そもそもまるで違う生き物――)
トレックは頭を振って、思考を無理やり頭から追い出した。
今は、生き延びて、ギルティーネと共に試験をクリアすることだけを考ればいい。余計なものは全てオオカミの毛皮の奥に仕舞い込んで、精一杯に狼のふりを続けろ。生き残ることが出来れば、周囲が何だろうと構わないのだから。
後書き
今回はちょっと短めでした。
トレックくんは鬱陶しくなるほど苦しんで悩みまくる子だと思います。
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