蒼き夢の果てに
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第6章 流されて異界
第151話 誓約
前書き
第151話を更新します。
次回更新は、
10月5日。『蒼き夢の果てに』第152話。
タイトルは、『冬の花火』です。
氷空には永遠に欠ける事のない蒼き月。今宵は薄い雲すら掛かる事もなく、その冴えた美貌を地上に向けて魅せている。
竹製の高き壁に、その向こう側から覆い被さるように枝を張り出して来ているのは松であろうか。まるで見事な水墨画の如き独特の世界をここに創り上げていた。
飽くまでも仮定の話なんだが、……とそう前置きをした上で、
「もしも、俺が去った後に――」
最初に設定された通りの年齢……。何時もよりやや幼く見える彼女の瞳を覗き込みながら、そう告げる俺。
小柄で華奢。通常の女子高生としては線が細く、中性的な面立ち。全体的に色素が薄いのか、黒ではなく薄い紫色に見える髪は少し毛先の整っていない……シャギー・ショートボブ。先ほどまでは確かに冷たく、日本人にしては白過ぎる肌が目立っていた彼女。しかし、今はかなり熱いお湯の影響からだろうか、ほんのりと赤く――
普段の実在する事すら疑わしく思えるような儚さは少し薄らぎ、変わって奇妙な色気のような物も漂わせ始めている。
「俺との間の交信が途絶えるような事が起きたら。もしも、俺の存在を感じられなくなった時には、新しい契約者を見つけて欲しい」
今の有希なら自己メンテナンスと人間としての普通の食事。それに、世界から取り入れる気だけでも百年や二百年は命脈を保つ事が出来るはず。その間に、俺以外の新しい契約者を見つける努力をして貰いたい。
ぬばたまの、わが黒髪に――などと考えず、其処から先の自分の未来の事を一番に考えて欲しい。
これはハルケギニアに帰る事に因り、自らの死の可能性が高くなる事に直接言及したに等しい内容。確かに、俺の意志により、有希との間の霊道を閉じる事は可能でしょうが、そんな事を行う訳もないし、する理由もない。
しかし――
当然のように首を横に振る有希。もっとも、これは当たり前の事。誰だって、近しい人間の死を予告された所で、簡単に受け入れられる訳はない。
まして、有希が知っている能力から考えると、俺が死ぬ可能性は、大抵の人間が死ぬ可能性よりもずっと低い。
――少なくとも、普通の人間として暮らして居る限りは。
「普通に考えるのなら、俄かに信じられる話……と言う訳にも行かないか」
確かに、こんな荒唐無稽な話のすべてを信じて貰うのは難しいか。そうため息混じりに呟く俺。何周と言い切る事は出来ない。しかし、それでも俺には複数回の人生の記憶があり、それが自分の未来。武神忍と名乗る少年の人生で明らかな未来に当たる時間にまで及んでいる。……などと言う事が。
それに、そもそも死すべき未来が本当に分かっているのなら、その未来を覆す為の努力をしろ、と言うのが筋。
何故なら、絶対に変えられない未来など存在していないから。絶対に未来が変えられないのなら、この世界は一九九九年七月に始まる異世界からの侵略により、今頃は滅亡の縁に立たされていたはず。
しかし、現実には俺と有希はこうやって月明かりの下、東北の温泉で互いの瞳を覗き込みながら、会話を続ける。……と言う、日常の延長線上にある非日常。ある意味、クリスマスに相応しい平和な夜を過ごしている。
ここから世界の終末を感じる事は出来ない。
ただ――
「これは飽くまでも可能性の問題や」
自らの腕の中に存在する彼女。その直接触れ合った肌を通じて。かなり否定の色の濃い瞳を自らの瞳で語る事によって理解して貰おうとする俺。
このままでは、今、俺の腕の中に居る少女の未来が、俺の転生を待ちながら眠り続ける異世界の精霊王へと成りかねないから。
自らの腕の中に居る少女と、彼方の世界に残して来た少女の姿を持つ水の精霊王を比べる俺。彼女の生き方。今まで過ごして来た時間。
そして、俺に対する感情。
確かに……。確かに、それが絶対に不幸な事だとは言えない。
それまでの……。何の希望もないまま、更に不満を胸に抱きながらも、ただ命令に従い続けた生活に比べるのなら。再会の時を待ちわびながら、眠り続けるのも悪くはない。少なくともそれは、悪夢に苛まれ続ける……などと言う類の眠りではないはずだから。
言えないのだが、それでも――
「この世界に召喚される前の俺の状況。それについては有希もある程度は知っているはず。それよりも、更に危険な状況が帰ってからの俺には待ち構えている……と考える方が妥当やと思う」
それでなければ、わざわざ俺を一度、異世界に追放するような真似を奴らはしないと思うから。そして、殺さなければ俺は間違いなくハルケギニアに戻って来る。
奴ら……少なくとも這い寄る混沌に取っては、然したる目的もなく、ただ世界を混乱させる為だけに、ハルケギニアやこの世界で暗躍しているに過ぎない……のだと思う。その世界を混乱させるには、一方のみ。例えばハルケギニアの例でいうのなら、何の意図があってそう言う目的に向かって突き進んでいるのか定かではないが、世界を虚無へと沈めて終おうと画策している連中だけが強いのでは面白味がない。外から眺めているだけならば、争っている戦力は拮抗している方が面白いに決まっているから。
おそらく、今、俺がこの世界に追放されている理由は、有希の望みを叶える為などではなく、その拮抗した戦力、状況を作ろうとしているだけ、なのでしょう。
どう考えても俺はバランス・ブレイカー。デウス・エクス・マキナとも言えるかも知れない。故に、牛種の連中は、俺や仙界がこの世界に関わる事を認める代わりに、俺の首に鈴を付ける為に神話の再現と言う方法を使って、すべてが終わった段階で排除しようと画策している。
それが、聖痕であり、オーディンのオッドアイや銀腕のヌアザの権能だと思う。
確かに彼女……長門有希に対して、向こうの世界の状況について詳しい説明を行っている訳ではない。しかし、最初に召喚された時の俺の怪我の具合から、ハルケギニア世界の状況や、其処で俺の置かれていた立場についての想像もおおよそのトコロは付いていると思う。
そう、未だ完全に、すべてを思い出した訳ではない。更に言うと、前世で経験した事件がすべて起きた訳でもなければ、今回の人生のみで発生した事件も存在する。
但し、その限られた記憶からでも、ひとつだけ確実に言える事がある。
それは、生を重ねる毎に巻き込まれる事件の難易度が上がって来ているように感じて居る……と言う事。
まるで、ループする時間の元を作っているのは俺、もしくは、俺の周囲に居る人物たちなどではなく、世界を闇。……虚無へと沈める為に画策している連中が自らの目的を達成させる為に、何度も何度も転生を繰り返しているかのような状態。
何度、似たような世界に転生を繰り返しているのか、正確な回数ははっきりしない。しかし、それでも、この異世界漂流から帰ってから巻き込まれる可能性の高い聖戦を無事に生き延びた記憶は、今の処、アンドバリの指輪は教えてはくれなかった。
「わたしは――」
東から西へと動いて行く天穹、常に継ぎ足され、枯れるまで湧き出し続ける完全かけ流しの湯。このふたつ以外に動く物、者、モノの存在していない閉じられた空間。それは、すべての意志ある生命が俺と彼女の語らいを邪魔しないように遠ざけられた世界。
その世界の中、彼女が横に首を振った瞬間、彼女を中心にしてお湯の表面に小さな波紋が広がった。
「わたしはあなたに帰って来て欲しい。そう感じて居る」
それは静かな、細く透明な何時もの彼女の声。
彼女が一言、言葉を発する度。小さく身体を動かす度に広がる波紋。それはまるで、今の彼女の心を象徴するかのように静かだった水面に広がって行く。
ゆっくり、ゆっくりと広がって行く。
「この感情が何なのか。何処から発生している物なのか、それがわたしには分からなかった」
何時ものように訥々と。まるで、すべての感情を封殺したかのような、冷ややかで淡々とした口調で、そう話し続ける有希。
しかし――
誰も気付かないレベルで潤んだ瞳。繋がった霊道から流れて来る……普段は冷静な彼女の何処にこれほどの物が隠されていたのか、と言うほどの強い感情。その言葉の中に確かな。――俺だけが気付くレベルながらも、確かな熱が加わっている事が、今の俺には理解出来た。
おそらく彼女と共に過ごした短くない時間が、この事を理解させたのだと思う。
「その答えを求める為のすべての依頼をあなたに拒絶された以上――」
やや上目使いに俺の瞳を覗き込みながら、彼女の言葉で。それは非常に拙い、更に言うと抑揚に乏しい彼女独特の話し方で綴られる思いのたけ。
自らの感情の正体が分からない。そう言いながらも、その事に恐れる事なく、真っ直ぐに向き合おうとする彼女は……多分強い。
少なくとも、常に逃げ道を探そうとしている俺に比べるのなら。
「無事に……」
一言、そう言った後、僅かに息継ぎを行う有希。それは自らの感情を落ち着かせる為に必要な間。そして、それに続く言葉を俺に想像させ、魂に刻み込ませる為に必要な時間。
「無事にわたしの元に帰って来て欲しい。それが今のわたしに残された最後の願い」
小さな右手が俺の胸……心臓の位置に触れながら、そう言葉を締め括る有希。
これは誓約であり、おそらく呪。元々、俺が交わす約束と言う物にはある程度の呪が籠められている。
願わくは、この誓約がループする時間の終わりの始まりであらんことを。今の俺に取って、願いを祈る相手……神はいないが、それでも、何か。普通ではない超自然的な何モノかにそう祈らずには居られない。そう感じさせる真摯な願い。
彼女の視線を正面から受け止める俺。多分、今彼女が発した願いは本物。更に言うと、それまで彼女が口にした願いはすべてフェイク。この内容に持って来るまでの道筋。
どう考えても、……何事に対しても慎重な俺が彼女をハルケギニアに連れて行く訳はない。例え、ハルケギニアに彼女が居なかったとしても、彼女の未来をすべて俺の色に染めるのは未だ躊躇いがある。まして、抱いて欲しいなどと言われても、その事に対する責任の取り様がない状態で、その願いを簡単に受け入れるような男なら、彼女がここまでの好意を寄せるとも思えない。
おそらく、据え膳喰わぬわ何とやら、などと言い訳を口にした挙句に彼女を抱いていたのなら、其処に微かな侮蔑と、取り返しの付かない何かを残した可能性の方が高かった。
俺の式神契約に、普通の使い魔契約魔法の使役者に対する服従を強いるような、精神に強く作用する部分はない。つまり、これは強制された主従関係を彼女が愛情だと勘違いしている訳ではない、と言う事。
もっとも、その愛情が、男女間の恋愛感情から来ているのか、家族に対する感情なのかを彼女も掴みかねているような気配も存在しているとは思いますが。
故に、性的な意味で抱いてくれ、と言って、自らの感情の意味を確かめようとしたのだと思いますから。
ここまで事態が進めば考察は容易。しかし、答えは――難しい。
ハルケギニアに帰らない選択肢。これを選べば答えは簡単。彼女の願いはあっさりと達成される。
但し、その場合、おそらく俺が俺でなくなって仕舞う。
つまり、ハルケギニアに帰らないと言う選択肢はない。その場合――
「それは――」
そう言った切り、完全に固まって仕舞う俺。
何が同じような人生……。おそらく、細部が微妙に違っている以上、記憶の中に存在する前世と言うのはひとつの人生で起きた事件ではない。その、まるで同じ時間をループするかのような人生が何故、発生しているのかの謎を解かなければ、本当の意味で有希の願いを果たす事は出来ないと思う。
もっとも、このループする時間の元が、俺が阻止し続けて来た事件を起こしている奴らの無念の思いで、その強く暗い怨念がハルケギニア世界自体を虚無に沈めなければ果たせないのなら、晴らせないのなら、この時間……悪夢のような人生のループは永遠に続く事となるのだが。
生を繰り返す度に難易度を上げながら……。
何時の日にか自分たちの目的が成就する其の日。ハルケギニアを虚無に沈め、敵対するすべての存在を世界と共に消して仕舞うその日まで……。
「――その約束は出来ない」
想像するに、かなり苦い物を噛みしめた時のような顔つきをして居る事を感じながら、絞り出すようにそう答える俺。
当然、無事に帰って来たくない訳ではない。しかし、今の状況は通常の人生のやり直しと呼ぶには苛酷すぎる状況だと思う。おそらく、これは俺の意志が強く働いた結果……。例えば、前世でやり残した事が無念で、その人生の修正を加える為に転生を繰り返している類のループなどではなく、俺以外の存在の強い意志に巻き込まれている可能性の方が高い。
正確に何度、同じような……。しかし、細部は微妙に違う世界に関わり続けた人生を歩んだのかは分からない。但し、今の処、これから起きる聖戦以降の時間に対する記憶がインストールされていない以上、俺の生命が其処で断たれた可能性が一番高いと思う。
それに……。
それに、この一連の流れの中で俺の生命が断たれた後に効力が発生する約束は――
「あなたは死なない」
有希と交わした約束。そう考え掛け、彼女を見つめ直そうとした俺。しかし、その俺の思考を遮るかのように発せられた彼女の強い言葉。
但し、内容は至ってシンプル。彼女の強い願いが籠められた、一種、言霊に等しい霊気を感じさせはするが、しかし、そんな物で俺が直面している事件がどうこう出来る程度なら、今まで辿って来た前世ですべてを大団円に導いている。
有希の中の俺は何でも熟す、不敗の王なのかも知れない。確かに、そう感じさせたとしても不思議でもない能力を見せ続けて来た可能性もある。……が、しかし、現実の俺は残念ながら失敗もすれば、ヌケた事も仕出かす普通の人間。彼女の前ではあまりボロが出ていないだけ。
――恋は盲目とはよく言った物だな。そう否定的に捉えながら、俺の左腕に身体を預ける少女をどうやって説得すべきか。その答えを考え始める俺。
しかし、少し首を横に振る有希。そう言えば、今、彼女の重みを俺の腕と太ももが感じて居る事に改めて気づかされた。
今まで、明確に彼女の重みを感じた事はなかった。そんな気がする。それは、おそらく彼女自身が俺に負担を掛けない為に、敢えて自らの体重を感じさせないようにして居たから。
その自らに課した枷を取り払ったと言う事は……。
「違う。向こうの世界のわたしが、あなたが死ぬ事を許す訳はない」
温泉の中。俺の左腕に上半身を預け、太ももの上に横向きに座る美少女。その少し現実離れしたシチュエーションに一瞬、意識を奪われ掛ける俺。彼女に取って、この一瞬、この場で交わす一言、一言の重要さを、そんな些細な事からも感じられる状態。まるで、その精神的な隙を突くかのように想定以上の台詞を口にする彼女。
そう、彼女は確かにこう言った。向こうの世界のわたし……と。
気付かれたか。それとも、もう一人の俺。おそらく、前世の俺の記憶を収めた魔法のアイテム。アンドバリの指輪から夢を見せられたのか。
もしかして、試されたのか? 一瞬、そう感じる俺。確かに、その可能性もある。何故なら、彼女ならば知っているはず。ひとつの世界に同じ魂を持つ存在が同時に存在する事が出来ない事を。
その事を知った上で。――向こうの世界に未来の自分が居る事を知って居ながら、俺にハルケギニアに連れて行けと言ったトコロで、そんな望みを俺が受け入れない事は百も承知だったはず。
自らが愛されているのか。その事が知りたかったのか……。
そう考え掛け、しかし、その可能性が非常に低い事に直ぐに気が付く。
それは、彼女に取って俺の感情など手を取るように分かっているはずだから。
俺が彼女の心の奥底に秘められた感情が何となく分かるように、彼女も俺の感情が分かるはず。ふたりの関係に於いて、言葉が少ない事から発生するすれ違いは絶対に発生する事はない。
少なくとも、自分が愛されているか、どうかを試してみなければならないほど、不安になる謂れはない。本当に自慢にはならないのだが、その程度の感情なら、長門有希と言う名前の少女を見つめる度に発していたと思う。
……やれやれ。これは、有希に鎌を掛けられたと言う事だと思う。
つまり――
「想像通り、向こうの世界に未来の長門有希が居る。少なくとも、俺はそう考えている」
いや、ハルケギニアの水の精霊王。湖の乙女と名乗った少女は間違いなくこの、腕の中から俺の事をみつめている少女だ。それでなければ、アンドバリの指輪。……前世で命を失った後に、約束通り彼女の元に辿り着いた魂の記憶の部分を、彼女が持っているはずはない。
おそらく、俺の魂は直ぐに解放され輪廻へと還されたのでしょう。その記憶の部分を彼女の手に残して。
そして、その残された記憶が有希、もしくは彼女の師である玄辰水星の手に因ってアンドバリの指輪と言う魔法のアイテムへと変えられ、ハルケギニアへと転生した長門有希から、同じように転生を果たした俺に預けられた。
結局、俺がここで行ったのは、このまま俺がハルケギニアに帰った後に、前世と同じように聖戦に参加。結果、志半ばで死した場合、彼女がハルケギニアに転生する道を選ぶ覚悟を決めさせただけ。
成るほど。未来を変えなければ、この流れを変える事は難しい。……そう言う事か。
小さくため息を吐き出しながら、そう考える俺。今の処、蘇えっている記憶から言わせて貰うのなら、前世ではこの東北地方への旅行すら発生していないと思うので、少しずつだが歴史は変わっていると思う。
確かに、徐々に遭遇する事件の難易度は上がっているが、それは正解……。すべてを終わらせて、その結果、このループする人生を終わらせる事が可能な道に近付いている可能性もある、と言う事だってある。
眉根を寄せ、ハルケギニアに帰ってからの困難な未来に頭を悩ませる俺。結局、有希の未来――自分の後を追ってハルケギニア世界へと転生して来る未来を書き換える事によって、今の自分の心が感じて居る重さから解放されようとした小細工は、藪を突いて蛇を出す……と言う無様な結果に。
確かにそのこと自体が迷惑ではない。むしろ面映ゆいと言って良い状態なのだが、彼女の未来の可能性をひとつにして仕舞うのは問題がある。……と言うのは俺の考えであって、それを押し付けるのは矢張り無理があった、と言う事なのでしょう。
彼女には彼女の目的がある。そして、彼女が自分で考えて行動する事を推奨したのは他ならぬ俺自身。その俺が、俺の考えを押し付けようとした段階で既に間違いだった、そう言う事。
ただ……。
「約束は難しい――」
そもそも、簡単に約束出来るのなら苦労はしない。俺の口から発せられるかなり否定的な言葉。しかし、その程度の表面的な部分で彼女の心が揺れる事はない。
静かに見つめる事で、言葉の先を促す有希。
でも――と、言葉を続ける俺。この辺りの呼吸も慣れたモノ。
「ただ、努力はする。それだけで勘弁して欲しい」
今、俺が出来る約束はそれだけ。
今まで何度の生命が繰り返され、結果、力及ばなかったのかは分からない。ただ、その度に努力はして来たと思う。少なくとも、俺は諦めが良い方でもなければ、死にたがりと言う訳でもない。更に言うと、有希との間で結ばれた俺が死した後に発動する契約が存在する以上、その契約が履行される度に、アンドバリの指輪に蓄積されて行く記憶は大きな物となって行っているはず。
同じミスを同じタイミングで行うのはバカだ。何らかの特殊な力が作用して……。例えば、因果律を操作されるなどして、意図的に指輪内の記憶が封印されている可能性もあるとは思うが、クトゥルフの邪神と雖も万能ではない。地球産の神々だって無能ではないはずだ。
僅かに首を動かす……と言うか、ほぼ視線のみを上下させ、肯定の意を示す有希。多分なのだが、前世で二〇〇二年の十二月に現代社会に召喚されたらしき記憶は確かに存在する。しかし、彼女の元に帰って来ると明確に約束した記憶はない。
少なくとも、誓約に近い形で交わした約束は存在しなかった。
今回の生は召喚自体が事故に近い形で始まったり、その際に俺が大怪我を負っていたりしたので、それまでの前世と比べると事態が複雑で、それまでの人生以上にハルケギニア世界の危険度が有希に伝わり易かったのでしょう。
何にしても誓約は交わされた。彼女の元に帰る為に行動する事で、俺はこれまで以上の能力を振るう事が出来るようになり、彼女は俺が彼女の元に帰る事によって、自らが得た感情の答えを見つけ出す事が出来るようになる。
そして、誓約が果たされなければ、また似たような時間が繰り返される事となる。
離れようと思えば何時でも離れられるのに、未だ左腕に上半身を。そして、太ももの上に横向きに座り続ける彼女から視線を外し、上空を仰ぎ見る俺。其処には晴れ渡った……雲ひとつない、仲冬の夜が存在した。
そう、忌々しいほどに翳りひとつ存在しない、聖夜に相応しい夜空が。
彼女が離れない理由は……半分は意趣返しだと思う。少しの我が儘。そりゃ、ここに彼女が現われてからコッチ、彼女の提案をずっと否定し続けて来たのだから、これは仕方がない。
そしてもう半分はもっと分かり易い。単純に離れたくないだけだ。
そう考えた瞬間――
後書き
ループする時間を創り上げているのは主人公ではない?
珍しいタイプの転生物ですね、コレ。
そもそも、外部の記憶媒体を使って前世の記憶をインストールしている以上、その前世と言われている記憶自体が、実は主人公の記憶ではない可能性もあるのですから。
まぁ、これまでもかなり捻った物語を紡いで来たのですから、転生の部分に関しても少々捻りを入れていたとしても不思議ではないでしょ。そもそも、大抵の転生物……と言うか、ループする時間を主軸に於いた物語では、主人公だけ、もしくは主人公周りの味方だけがループする時間に囚われていて、敵のサイドにそのような有利な風は吹かないのが普通ですからね。
でも、普通に考えるとそれって可笑しいのよね。何故、こいつらの方ばかりに有利な風が吹くの? サイコロの出目が操作されているのってね。
小説。物語なら理由は分かる。ややこしくなるから。そんな事を考え出すと収拾がつかなくなるから。
しかし、オイラの世界は――発表されている形は小説と言う形態を取っているけど、小説の中に登場している人物たちに取って、其処はリアルな世界。
主人公サイドの後ろ側に居るのが神ならば、敵側の後ろに居るのも神。ならば、主人公サイドにばかり有利な風が吹く訳はない。もっとも敵側に付いているのは状況が面白くなれば良いだけの奴だから――
おっと、妙な所で毒を吐く所だった。
それでは次回タイトルは『冬の花火』です。
蛇足。前作ではこの東北への道行きは予定して居なかった。
その代わりにハルケのラグドリアン湖の異常増水から魃姫に繋がった事件の結末。蚩尤が顕われる事件に繋ぐ心算だった。
本来、弓月桜の登場はこの事件で顔見世。本格的な参戦は……もう少し後の予定だったのだけど、かなり前倒しにして十二月の召喚の際に本格的な参戦とした。
う~む、この辺りの流れは……何処か別の作品で使うかな。
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