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銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)

作者:azuraiiru
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第百六十五話 伯父・甥

帝国暦 487年 11月23日   ギルベルト・ファルマー



「平民に媚を売るリヒテンラーデ侯、エーレンベルク、シュタインホフ等は“選ばれた者”の矜持を失った裏切り者に他ならない。今こそ彼らを廃し、我等の手で帝国を正しい姿に戻すのだ! 大神オーディンは我等をこそ守護するであろう。正義の勝利はまさに疑いなし、ジーク・ライヒ! 立ち上がれ、貴族達よ!」

「伯父上……」
スクリーンに獅子吼する伯父上がいる。威厳と力強さに溢れた姿だ。ブラウンシュバイク公爵家の当主に相応しい姿だろう。貴族なら、いや貴族ならずともその姿に憧れるに違いない。しかし、私の心は暗澹たるものだった。どうしてこうなったのか……。

思わず溜息が出た。伯父上が反乱を起した。そしてヴァレンシュタインが死んだ。一体どういうことなのか、領地替えの案はどうなったのか……。

考えられる事は、伯父上はあの領地替えの案をヴァレンシュタインを油断させる罠として利用したということだろう。結果的に私はあの男を殺す手伝いをしたという訳か……。或いは他に何か理由があるのか……。

いや、もう理由を考えても仕方が無い。問題は伯父上に勝算が有るのかということだ。軍はローエングラム伯、或いはメルカッツ提督を中心に行動するだろう。貴族連合では正規軍には勝てない、勝てるとすれば軍を分裂させる事だが……。

どうするか、このままフェザーンにいて良いのか、伯父上の元に行くか? しかし、公式には死んだ自分が行く事は反って伯父上の迷惑にならないだろうか……。ともすれば思考の迷路に入り込みそうな自分を救ったのはTV電話の受信音だった。



「ヴァレンシュタイン、卿、生きていたのか」
「ええ、生きています」
スクリーンに映ったのは暗殺されたはずのヴァレンシュタインだった。伯父上は失敗した、軍の分裂は余り期待できない、苦い思いが胸に満ちた。

「一体何が有ったのだ? 領地替えはどうなった?」
私の問いにヴァレンシュタインは苦渋に満ちた声を出した。
「……申し訳ありません、フロイライン達をランズベルク伯達に奪われました」
「!」

奪われた? フロイライン達? つまりエリザベートだけではなくサビーネも奪われたということか……。
「伯母上たちはどうなのだ、伯母上達も攫われたのか?」

「いえ、御二方はご無事です」
伯母上達は無事、最初からエリザベートとサビーネを狙ったか。伯父上とリッテンハイム侯の弱みを握るのが目的か……。

「警備はどうなっていたのだ、新無憂宮に忍び込んでの誘拐など簡単に出来る事ではないぞ」
「近衛に協力者がいたようです。してやられました」
ヴァレンシュタインは表情を曇らせている。

「では伯父上は脅されたのだな」
「ええ、起たなければフロイラインを盟主として反逆を起すと」
伯父上の一番弱い所を突いてきたか、ランズベルク伯アルフレット、詰まらない詩を作っているだけの男だと思っていたが……。

エリザベート、サビーネを攫ったか、それでは伯父上もリッテンハイム侯も望まずとも起たざるを得なかっただろう、哀れな……。伯父上の心境を思うとやるせなさが募った。

「それにしても卿の暗殺に失敗するとは、伯父上も運が無い」
「そうでもありません。もう少しで、アントンに殺される所でした」
「そうか、もう少しか、やはり伯父上は運が無いな」
私の言葉にヴァレンシュタインは微かに笑いを見せた。苦笑したのだろうか。

「アントン達は、公の元に逃がしました」
「どういうことだ?」
暗殺者を逃がした? 何を考えている、ヴァレンシュタイン。

「詳しくは話せませんが、フロイライン達をランズベルク伯から取り戻すように頼んでいます」
「……」

「ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯は救えませんが、フロイライン達は何とか救いたい」
「あの伯父上の檄は卿が仕組んだものか?」
「……」
ヴァレンシュタインは無言で頷いた。

「そうか、エルウィン・ヨーゼフ殿下は当てにならんか」
「フロイライン達を救うというのは私だけの考えでは有りません。リヒテンラーデ侯、エーレンベルク、シュタインホフ両元帥との合意事項です」
ヴァレンシュタインは生真面目な表情で答えた。

信じてもいいだろう。彼らにとってもエリザベート、サビーネは必要だ。見捨てる事は出来ない。彼女ら二人を救えるとなれば伯父上にとってもリッテンハイム侯にとってもせめてもの救いだろう。

「卿らも苦労するな」
皮肉を言ったつもりは無かった。しかしヴァレンシュタインは苦笑している。皮肉に聞こえたのかもしれない。

エルウィン・ヨーゼフが当てにならないなら最初からエリザベートを次期皇帝としておけば良かった。だがそれでは貴族達の時代は終わらない、ヴァレンシュタイン達が目指す新しい帝国を作る事は出来ない。国家とはなんと厄介で面倒なものか……。

「ヘル・ファルマー、これからどうなさるつもりです」
「……」
「もしブラウンシュバイク公の元に行こうとしているのなら止めてください」

「……」
「行けば今度こそ貴方は死ぬ事になる。反逆者として、そして死んだと帝国を欺いていたとしてです」

確かにそうだろう。死んだはずの人間が生きていて、しかも反乱に加わったとなれば許される事は有るまい。
「ヴァレンシュタイン、私は……」

私は最後まで喋る事が出来なかった。ヴァレンシュタインは私の言葉を遮り話し始めた。
「ヘル・ファルマー、ブラウンシュバイク公をこれ以上苦しめないで頂きたい」

「……苦しめる?」
思いがけない言葉だった。伯父上を苦しめる、私が伯父上の元に行くのは伯父上を苦しめる事になるとスクリーンに映る男は言っている。

「私は、フレーゲル男爵を処断すると決めた時のブラウンシュバイク公を見ました。あの時の公の顔を忘れる事は出来ません。公は苦しんでいたんです。今、貴方がブラウンシュバイク公の元に行けば、貴方を巻き込んでしまうと苦しむでしょう」
「……」

「貴方がフレーゲル男爵であろうとすれば死ななければならない、しかしギルベルト・ファルマーであれば死なずにすむ。お願いです、自重してください」
ヴァレンシュタインが懇願している。この男は本気で私を気遣っている。

「……何故だ、何故そこまで私と伯父上の事を気遣う。エリザベートを攫われた事の償いか? ヴァレンシュタイン」
「それも有るかもしれません。ですが私はブラウンシュバイク公が嫌いになれないんです」

嫌いになれない、そう言うとヴァレンシュタインは困ったように笑いを浮かべた。常に穏やかな表情を崩さないこの男が何処か泣き出しそうな表情で笑っている。

「私は公が傲慢で我儘で強欲な人間だと最初は思っていました。だから憎んでいました。ですが、あの日私の前で公が見せた顔は息子の不祥事を嘆き、息子を失うことを悲しむ父親の顔でしかなかった。あんな顔は見たくなかった……」
「……」

「貴方がブラウンシュバイク公の元に行けば、公はまたあの時の顔をするでしょう。御願いです、フェザーンに留まってください」
「……ヴァレンシュタイン、卿は酷い男だな」
「……そうかもしれません」

「私は幼い時に両親を失った。それ以来あの人を父親だと思って育ったのだ。あの人が好きだった、いつかあの人の役に立ちたいと思った……。だがフレーゲル男爵は死に、ギルベルト・ファルマーはフェザーンから動けない。私は一体何のために生まれてきたのか……」

スクリーンに映るヴァレンシュタインは項垂れている。この男が何故私に連絡をしてきたのかが分かった。この男は私を止めるために連絡をしてきたのだ。それがどれほど残酷な事かを知りながら、それでも私を止めるために連絡をしてきた……。

この男を責める事はできない。私自身の愚かさがこの事態を生み出したのだ。責められるべきは私自身だ。この男には何の責任も無い。

「ヴァレンシュタイン、卿の忠告に従おう。私はフェザーンを動かぬ」
「有難うございます。御胸中、御察しします」
「うむ、卿も忙しいだろう、自分の仕事に戻ってくれ」
「分かりました、では失礼します」


何も映さなくなったスクリーンを見ながら伯父上に連絡を取るべきかどうか迷った。会う事は出来ない、だが話はしておきたい。内乱が本格的になれば伯父上と話す暇はなくなるだろう。話すなら今しかない。



スクリーンに伯父上が映った。私だとは思わなかったのだろう。驚いた表情をしている。何を言うべきか、そう考えていると伯父上の方から話しかけてきた。

「ヘル・ファルマーか、フェルナーより卿の事は聞いている。わしがオットー・フォン・ブラウンシュバイクだ」
低く、太く響く声だった。懐かしい声……。

伯父上……。
「ギルベルト・ファルマーです」
何も言えなくなった。

「……」
「……」
私は伯父上を伯父上は私を見ている。しばらくの間沈黙があった。

「卿とは一度話をしたいと思っていたのだが、ちょうど良い時に話すことが出来た。これから先は忙しくなりそうなのだ」
「……」

「もう知っていると思うが、わしは今度反乱を起す事にした。つまらぬ反乱だがこれでも門閥貴族としての意地があるのでな。我ながら酔狂な事だ」
幾分自嘲するかのような口調だった。無理も無い、伯父上自身、不本意な反乱なのだろう。

「私にお手伝いできる事が有りましょうか?」
思わず声が掠れた。
「……いや、無い。これは貴族だけの宴なのだ、残念だが卿の協力は受けられん。気持ちだけは有難く受け取っておく」
「……」

伯父上が戸惑いがちに口を開いた。
「ヘル・ファルマー、わしには甥がいた。馬鹿な甥であったがかわいい甥でもあった。病気で死んでしまったが、あれが死んだときは随分と悲しんだものだ」
「……」

「だが、今では死んでくれて良かったと思っている。こんな馬鹿げた反乱に巻き込む事は出来んからな」
「……」

「生きていれば卿と同じくらいか、何処となく卿に似ているようだ。まあ器量は卿には及ばぬが」
そう言うと伯父上は苦笑した。おそらく昔の私を思い出しているのだろう。その通りだ、昔の私は特権意識に凝り固まった愚か者だった。

「ヘル・ファルマー、もっと早く卿に会いたかったものだ」
「私ももっと早く公にお会いしたかったと思います」
「上手く行かぬものだな」

上手く行かぬ……。傍にいるときはどうにもならぬ愚か者で迷惑ばかりかけていた。少しましになった時には傍に居る事を許されぬ立場になっている。一体自分は何をしているのか……。愚かさは変わらぬということか……。

「……」
言葉が途切れた。心なしか伯父上の眼が潤んでいるように見える。それとも潤んでいるのは私の眼のほうだろうか。

「わしは皆の所に戻らねばならん。卿と話せて心残りも消えた、思う存分戦えそうだ。ヘル・ファルマー、達者で暮らせ。わしに武運あらば、また会うことも出来よう、さらばだ」
「公爵閣下も御自愛ください」

伯父上がゆっくりと頷いた。そしてスクリーンが真っ暗になる。もう、会う事は出来ないだろう。話したい事は他にもあったはずだ。だが何も話せなかった。なんと自分は愚かなのか……。

「伯父上……、お許しください、伯父上……」
真っ暗なスクリーンに向かい私はただ詫び、ただ泣いていた。愚かな私にはそれしか出来ることがなかった……。





 
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