【WEB版】マッサージ師、魔界へ - 滅びゆく魔族へほんわかモミモミ -
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第一部
第四章 魔族の秘密
第36話 勇者、倒れる
ぼくが閉じ込められている部屋の中央にある大きな高級ベッド。
今そこに寝ているのは勇者カミラである。
突然倒れたので、ぼくとマッチョ男の二人でベッドの上に寝かせた。
鎧は全部脱がせるべきだと思ったのだが、兜だけはマッチョ男が拒否した。
ぼくの前では、本人の了承なく脱がせるわけにはいかないらしい。
「……」
ベッドの向かいに座っているマッチョ男。
彼は意外と冷静だ。
慌てて誰かを呼びに行く訳でもなかった。
勇者が部屋で突然倒れるという異常な事態。もっと狼狽してもよいと思うのだが。
いったいどういうことか。
「ねえマッチョ男」
「おれはそんな変な名ではない」
「だって名前を聞いても教えてくれないじゃないか」
「お前に教える名などない」
「教える気がないなら別に何て呼ぼうが構わないでしょ」
彼は「勝手にしろ」と吐き捨てた。
「きみ……彼女が倒れるのを初めて見るわけじゃなさそうだね」
「ああ。勇者様は最近こういうことが増えている」
「そうなんだ。なんでだろう」
「恐らく睡眠不足だ」
「え、寝られないくらい忙しいんだ?」
「忙しいのは事実だが……。勇者様は夜になっても寝付けないのだ。薬は飲んでいるがなかなか良くならず困っている」
夜になっても寝付けない……。
不眠症だったのか。
そういえば。
ぼくが拷問を受けたあと、牢の前で彼女がうずくまるように寝ていた。
あれも自発的に寝ていたのではなく、実は失神……?
……。
拷問されたときの「マコト、ボロボロじゃないか……」という勇者のセリフが再生される。
実は彼女もボロボロだったということか。
うーん……。
医療先進国の日本ですら、なかなか不眠症への対処は難しい。
日々悩んでいる不眠症患者は数多くいる。
いわんやこの世界の不眠症治療をや、だろう。
お察しなレベルなのでは?
薬だってどんなものを出されているのかわかったものではない。
心療内科なんてものもないだろうから、改善に向けて正しい指導も受けていないに違いない。
大丈夫なのだろうか。
***
勇者はほどなくして目を覚ました。
「あれ」という彼女の声に、ベッドを挟んで座っていたぼくとマッチョ男が同時に反応する。
「よかった。気づいたんだね」
「勇者様、大丈夫ですか」
「私、また倒れたの……」
「うん。バタリとね。ここのマッチョ男から聞いたけど、夜に全然眠れてないんだ?」
勇者がマッチョ男に一瞬だけ視線を移した。
彼はその視線に対して何も言葉を発しない。兜のせいで表情は不明だ。
ぼくのほうに向き直った彼女は、静かな声で答えた。
「うん、実はそうなんだ。戦が終わって帰ってきてもなかなか眠れない。ベッドに入ってもなかなか寝付けないし、寝てもすぐ起きてしまうんだ」
なかなか寝付けない『入眠障害』に、寝てもすぐに起きてしまう『中途覚醒』。
不眠症の典型的な症状だ。間違いなさそうである。
「原因はストレスかもしれないね」
「ストレス?」
「精神的な緊張とかプレッシャーとか、そういう意味だよ」
「それだと眠れなくなるの?」
「うん。そう言われてるよ」
「そうなんだ……」
むむむ。
不眠症の原因はストレスであることが多いと言われているのだが、この世界ではその知識は広まっていないようだ。
「見ているとさ、きみは繊細な部分がある。普通の人よりも緊張が解けにくい体なんじゃないかな」
「お前、何勝手なことを――」
「いや、マコト、続けて」
マッチョ男が割り込んできたが、勇者はそれを制し、話を続けるようぼくに促した。
「勇者だから当たり前なのかもしれないけど……きみの体は緊張状態に晒され続けることが多くて、リラックスすることを忘れてしまったんだと思う。
忘れてしまっているから、夜に眠くならないし、ベッドで横になっても体はちっとも休んでいないんだよ」
「どうすれば……いいの?」
「体に、リラックスすることを思い出させてあげればいいのさ。忘れているだけなら、思い出すことはできるはず」
ぼくはできるだけ簡単な表現で説明した。
明らかに弱っている人間に、自律神経がどうだのと難解な話をするのは下策だ。
「それ、キミの技術で何とかできたり……するの?」
「うん。やらせてもらえるなら、やってみるけど」
「勇者様!」
またマッチョ男が入ってくるが、また彼女は手のひらを向けて制した。
「頼んで、いいかな」
「うん。じゃあやってみるよ」
「いや、お前みたいな人間に勇者様を任せるわけには――」
「マッチョ男はいちいちうるさいってば……。現在の治療でうまくいっていないんだから、新しいことを試すのも必要だよ。
すでに日中に倒れたりしているくらいだから、重症だと思う。不眠が続くと疲労がいつまでも抜けないわけだから、そのうち何が起きるかわからないよ?
過労で人が死ぬことだってあるんだから」
「……」
「だいたい、そんなにぼくが信用できないなら、すぐ横に張り付いて見ていればいいじゃないか」
「……」
「むしろぼくはしっかり見ていて欲しいと思う。もし効果があるとわかれば、今後はきみが真似してやってくれればいいわけだからね」
施術は横向きでやることにした。
最初は左向きになって体の右側を上に向けてもらう。
兜は邪魔だが、本人が外したくないということなので仕方ない。
まず一番初めに背中を軽擦する。
手のひらを密着させ、体重をかけてさするだけなのだが、実はこれだけでもかなりの施術効果がある。兜から少し声が漏れてきた。
続いて背中を指圧することにした。
左右の手の母指を重ね、母指以外の四指も密着させ、手で包んで絞るようにコックしてから押圧する。
バイクのアクセルを回す動き――そこまでオーバーではないが、イメージとしては近い。
ぐい。
指圧は『診断即治療』といわれる。
治療をおこないながら、同時にその感触で体の状態を察知することができるという意味だ。
脊柱起立筋のハリ具合を確認しながら押していく。
ぐい。
交感神経が優位すぎる生活が続いたせいだろう。やはり背骨の両脇はガチガチだった。
これを緩めるだけでも全然違うだろう。
ぐい。
……あれ!?
…………。
ああ。そういうことだったのか。
「あのさ」
「え?」
「兜、脱いで。もうぼくの前で着けてる意味はないから」
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