貧乏神
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第一章
貧乏神
波多野美咲は西成区の天下茶屋でたこ焼き屋を営んでいる家の娘だ、長い髪を完全に脱色していて細い眉に黒目がちの大きな目を持っている細面の少女だ。やや小柄であるが中学生にしては発育がいい。
今日は日曜で朝から家業を手伝って店の店頭でたこ焼きを焼いている、その彼女に同じクラスの友人九重萌美が声をかけた。見れば胸の辺りまである髪の毛を赤く染めていて眉はあえて細くしている。睫毛は長く唇は赤い口紅で素以上に大きく見せている。鼻は少し平たい。背は美咲より五センチ高く胸は美咲よりさらにある。
その萌絵がだ、美咲が焼いたたこ焼きを右手の踏切を通る南海電車を見つつ一個口に入れてから焼いた本人に言った。
「相変わらずやな」
「美味いやろ」
「結構以上にな」
「何しろ代々ここでたこ焼き焼いててや」
美咲の方も言う、たこ焼き用の鉄板を一旦紙ウエスで拭いて奇麗にしながら。
「うちも子供の頃から店におるさかいな」
「焼くのはお手のもんやな」
「そや」
まさにというのだ。
「学校の勉強はあかんでもこっちはや」
「もうプロ顔負けか」
「自信があるわ、ましてな」
「ああ、あんたのお父ちゃんな」
「結核になったさかいな」
「一年入院か」
「難儀な話やで、こっちは毎日忙しいしや」
他の客が注文したものを焼きはじめつつだ、美咲は苦笑いになって言った。
「入院費もかかる、弟や妹にも飯を食わさんとあかんしな」
「それでお母ちゃんと二人でやな」
「こうして店で仕事してるわけや」
萌絵に顔を向けて白い歯を出して言った。
「前からそうやったけれどな」
「お父ちゃんが入院する前からな」
「けれど今はおとんの分までや」
「頑張ってるんやな」
「そや」
焼いているたこ焼きの中にぶつ切りの蛸を入れる、あげ玉と紅生姜も忘れない。
「がんがん働いてな」
「食うてくんやな」
「おとんの手術費も頑張って」
「勤労少女やな」
「そういう自分かてお好み焼き屋で頑張ってるやろ」
家の仕事をというのだ。
「商店街の中の」
「まあな、けどな」
「商店街もかいな」
「お客さんが減ってなあ」
萌美は美咲の焼いたたこ焼きをその場ではふはふしつつ口の中に入れながら残念そうに語る。
「シャッターも増えてるし」
「嫌な話やな」
「この通りかてもうラーメン屋一つ閉店して長いし」
「美味しかったらしいけどな」
「寂しくなってるやろ」
「おかんが言うてるわ、昔はここもっと人多かったってな」
「天下茶屋自体がな」
萌絵も応える。
「暑うて犬のうんこはもっと多かったっていうけど」
「それでも人は多かった」
「それで繁盛してたってな」
「言われてたな」
「それがや」
今はというのだ。
「シャッターが増えてきて」
「お客さんも減って」
「寂しいな」
「何かあれやな」
たこ焼きを慣れた手で一個一個素早くひっくり返しつつだ。美咲は言った。
「疫病神がおる感じやな」
「この天下茶屋に」
「そんな気がするわ」
「あんたのお父ちゃんは結核になったし」
「昔は死ぬ病気やったさかいな」
終戦の頃までそうだった、結核になればもうそれで命はなかった。
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