おぢばにおかえり
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第三十四話 あちこちでその九
「まあそこまではじゃなくて」
「そう、普通に厳しいだけよ」
「暴力とかもないですか」
「ないない、ないわよ」
「奈良県の中学って普通に先生が暴力振るいますけれどね」
「奈良県って怖いのね」
「はい、結構先生酷いですよ」
そういえばそんなことを自宅生の娘から聞いたことがあります。剣道部の部活で女の子を泣かせて笑っていたような男の先生がいるって。
「暴力振るってもお咎めなしですから」
「ヤクザ屋さんの世界みたいなのね」
「否定出来ないですね」
実際にというのです。
「そうした先生いますから」
「体罰ってレベルじゃないのよね」
「全然、何十発も殴ったり蹴ったり人の前で罵り倒したりですから」
「一般社会でそんなことしたら」
それこそです。
「懲戒免職よね」
「それか逮捕ですよね」
「警察沙汰になってもおかしくないけれど」
「奈良県じゃ違うんです」
「そんな先生がいて普通にいたら」
私は簡単に想像出来ました、その場合は。
「腐っていくわね」
「その先生からですね」
「悪い人がそのままいたら」
更生とかされないで、です。
「その先生見て自分もって思う人出るから」
「まあそのせいか」
「奈良県の先生って酷い人多いのね」
「小学校はそうでもなかったんですよ」
阿波野君にしては珍しく暗い表情での言葉でした。
「別に」
「じゃあ中学が」
「はい、とんでもない先生結構いて」
「この高校はそうでもないけれど」
天理高校はです、むしろいい先生ばかりと言っていいです。
「奈良県の中学ってそうなのね」
「だからそうした先生には近付かない方がいいです」
こうも言った阿波野君でした。
「本当に」
「変な人にはってことね」
「何かあったらまずいですからね」
「暴力振るう人はね」
私にしてもです、そうした人は。
「好きじゃないし」
「そうした人こそおみちの教えで、ですよね」
「心をあらためてもらわないといけないけれど」
このことは暴力だけじゃなくてお酒やギャンブルについてもです、世の中困ったことに依存してしまっている人もいるので。
「けれど教えられる人がいて」
「僕達だと」
「まだまだ伏せ込みが足りないからね」
仏教で言う修行がです・
「そこまではね」
「そういうものなんですね」
「ええ、においがけとかもね」
天理教では布教のことをこう言うのです、この辺り独特の表現です。
「していても」
「そうした人に信心してもらうには」
「そう、かなりの人がお話しないとね」
「聞いてくれないんですね」
「困った人はいるから」
本当にそうした人は、です。
「中々難しいのよ」
「そのこと覚えておきますね」
「ええ、ただね」
「ただ?」
「阿波野君の今の言葉は」
私はふと気付きました。
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