銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)
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第百五十話 真意
帝国暦 487年10月22日 オーディン 新無憂宮 フランツ・フォン・マリーンドルフ
新無憂宮、南苑の一室、その片隅で三人の男が座っている。七十代の老人、四十代後半の壮年の男、そして二十代前半の青年。遠目には家族三世代の団欒の場に見えるかもしれない。しかし私は目の前で静かに苦笑する二人に恐ろしい疑念を抱いている。
「まさかとは思いますが、あの領地替えの案はブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯との間で事前に打ち合わせがあったのでしょうか?」
私は恐る恐るリヒテンラーデ侯とヴァレンシュタイン元帥に問いかけた。
「そんなものは無い」
「有りませんか……」
私の気のせいなのだろうか? しかしリヒテンラーデ侯とヴァレンシュタイン元帥の苦笑は止まる事が無い。
「もっとも領地替えを考えたのもヴァレンシュタイン元帥では無いがの」
「!」
リヒテンラーデ侯の思いがけない言葉に私はヴァレンシュタイン元帥を見た。元帥はリヒテンラーデ侯に視線を向けたままだ。私の視線に気付いていないとは思えない、それでもこちらを見る事は無い。
「では、一体誰が考えたのです。侯が考えたのですか?」
「私ではない」
侯ではない、ヴァレンシュタイン元帥でもない。では一体誰が?
「あれを考えたのは、ギルベルト・ファルマーというフェザーン人じゃ」
「フェザーン人?」
「うむ。ついでに言えば、御婦人方を陛下の元に戻したのも彼の発案じゃ。ヴァレンシュタイン元帥の友人での、なかなかの人物よ」
そう皮肉っぽい口調で言うとリヒテンラーデ侯は笑い出した。元帥の友人? どういう人物なのか? 元帥に視線を向けると彼は迷惑そうな口調で
「悪い冗談ですね。私と彼は友人ではありません」
と答えた。
侯は笑い、元帥は渋面を作っている。どういうことだろう。
「そのギルベルト・ファルマーというのはどういう人物なのです」
「……元は帝国人での、卿も良く知っている人物だ」
「?」
私も良く知っている? 一体誰だ? リヒテンラーデ侯の皮肉そうな口調が続く。
「確かフレーゲル、そんな名前だったの」
「!」
フレーゲル……、フレーゲル男爵! ギルベルト・ファルマーとはフレーゲル男爵なのか! 男爵は確か急な病で死んだはずだ。あれはクロプシュトック侯の反乱を鎮圧した後の事だった。その男爵が名前を変えてフェザーンで生きている……。
「フレーゲル男爵は死んだはずではないのですか?」
「生きているようじゃの、詳しくは知らんが」
そう言うとリヒテンラーデ侯はヴァレンシュタイン元帥に視線を向けた。それ以上は元帥に聞けと言っている。
リヒテンラーデ侯と私の視線を受けてもヴァレンシュタイン元帥は口を開かなかった。話す積もりは無い、そういうことだろう。リヒテンラーデ侯もそれ以上問おうとはしない。どういうことだろう、元帥とフレーゲル男爵は激しく対立していたはずだ。それが今では、何らかの繋がりがあるようだ。
「それにしても驚いたの、いきなりスクリーンに彼の姿が映ったときには」
「それはこちらも同様です。何とか侯と相談したい、労をとってくれと言うのですからね」
「しかし、会うだけの価値は有った」
リヒテンラーデ侯の言葉にヴァレンシュタイン元帥は感慨深げに頷いた。
「フレーゲル男爵の提案と言う事は、ブラウンシュバイク公とは合意が出来ていた、そういうことではありませんか?」
私の質問をヴァレンシュタイン元帥は首を横に振って否定した。
「そうではないんです。ギルベルト・ファルマー氏は最初に私達に連絡を取り、御婦人方の返還と領地替えの案を出した。私達が同意したのを受けてフェルナー准将に御婦人方の返還を助言したんです。時間を稼げると言って」
「では領地替えは?」
「ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯がそれを受け入れるかどうか、ファルマー氏には確信が持てなかった。それなら私達から最終提案の形で出したほうが効果的だと考え、私達から提示して欲しい、そう言ってきたんです」
「よく分かりませんが、領地替えというのはそれほど良い案なのでしょうか? 自分にはどうも良くわからないのですが……」
私の質問にリヒテンラーデ侯とヴァレンシュタイン元帥が顔を見合わせ苦笑した。
「貴族達を暴発させ、反乱を鎮圧する。その点に関して言えば下策ですね。誉められた策ではありません」
どういうことだろう。領地替えは下策である、そう元帥は言っている。にもかかわらず下策である領地替えを何故勧めるのか? 他に何かあるのだろうか?
「では、何故その案を受け入れるのです?」
リヒテンラーデ侯とヴァレンシュタイン元帥はまた顔を見合わせた。今度は侯は意味ありげに笑い、元帥は困った顔をしている。
「教えてはいただけませんか」
「領地替えを認めず、ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯を暴発させる。今は良いのじゃがの、問題は十年後、十五年後かの……」
「……」
十年後、十五年後か……。一体何が有るのだろう? 私はリヒテンラーデ侯とヴァレンシュタイン元帥を見つめた。話してくれるだろうか? 私がどれだけ信頼されているか、判断するいい機会かもしれない。
「……卿はエルウィン・ヨーゼフ殿下に拝謁した事が有るか?」
「一度有りますが、それが何か?」
「一度か、では分からなかったかもしれんの」
溜息交じりの侯の声だった。分からない? 分からないとは何のことだろう?
「殿下は天晴れ、暴君になる御器量をお持ちだ」
「!」
驚いてリヒテンラーデ侯とヴァレンシュタイン元帥を見る。リヒテンラーデ侯は表情を歪ませている。そして元帥は微かに笑みを浮かべている。そして柔らかい口調で話し始めた。
「困るのですよ、自由惑星同盟の人間が帝国の統治に不安を覚えるような皇帝は。暴君など宇宙の統一にとっては障害でしかない。そうは思いませんか?」
穏やかな笑み、穏やかな口調だ、しかし眼は笑っていない、冷たい色を湛えている。
「……」
「これまでは、皇族であれば、皇位継承権を持っていれば皇帝になれました。たとえ凡庸でもです。しかしこれからは皇帝としての資質の有無こそが皇帝即位への条件になるでしょう。それくらいこれからの帝国の統治にはデリケートさが必要になります」
十年後、十五年後と言えば、殿下はそろそろ帝国の統治に関わっても可笑しくは無い年齢になる。つまりエルウィン・ヨーゼフ殿下には帝国の統治は無理だと二人は考えている。
その二人にとってフレーゲル男爵からの提案は渡りに船だった。だからブラウンシュバイク、リッテンハイム両夫人、両令嬢を受け取り領地替えを提示した、そういうことだろうか?
「フレーゲル男爵はエルウィン・ヨーゼフ殿下を大分詳しく調べたようだの」
「調べた? 殿下をですか?」
つまり、フレーゲル男爵も殿下には皇帝としての資質が無いと判断したということか。
「当然でしょう、競争相手ですからね」
「競争相手、ですか?」
ヴァレンシュタイン元帥は軽く頷いて言葉を続けた。
「ええ、エリザベート・フォン・ブラウンシュバイクが女帝になれば、フレーゲル男爵は新たなブラウンシュバイク公となりました。上手く行けば女帝夫君として帝国に君臨する事も出来たでしょう」
「……」
「サビーネ・フォン・リッテンハイムが女帝になってもそれは同じです。エリザベートと結婚するか、あるいはエリザベートにはリッテンハイム侯の近親者を配偶者に選び自分はサビーネの夫になる。それが可能だと考えたようですね。彼にとって邪魔なのはエルウィン・ヨーゼフ殿下だけだった……」
「フレーゲル男爵は殿下を調べ、皇帝になる器量は無い、そう考えた……」
「そうじゃろうの、だから舞い上がり、ヴァレンシュタイン元帥に押さえつけられた……。皮肉なものよ……」
リヒテンラーデ侯はヴァレンシュタイン元帥に目をやりながら何処か感慨深げに呟いた。在りし日のフレーゲル男爵を思い出しているのかもしれない。
「しかし、よろしいのですか? 場合によってはまた外戚が力を振るうことになりかねませんが」
エリザベート、サビーネ、この二人が女帝として登極すればブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯が外戚として力を振るうことになる。その事は考えないのだろうか?
「辺境に領地替えをすれば両家とも体力を失います、それに彼らを担ぐ貴族達はもう直ぐ滅びますからね。彼ら単独では力を振るう事など出来ません。それもわからずに外戚として力を振るおうとするならば……」
「するならば?」
「その時は彼らにも滅んでもらう事になるでしょう。両家が生き残ったのは新帝国の成立に協力したからです。外戚として受け入れられたわけではない」
穏やかな表情だ。目の前で元帥は穏やかに微笑んでいる。本当に今の言葉は元帥が言ったのだろうか? そんな疑問を抱かせる表情だ。
こちらがどう反応するか見ているのだろうか? 思わず、唾を飲み込む。その音が大きく響いた。その途端、リヒテンラーデ侯の笑い声が聞こえた。
「なかなか怖い男であろう? 気張るのじゃな、マリーンドルフ伯」
からかうようなリヒテンラーデ侯の言葉に答えることが出来ない。それでも何とか掠れる声で元帥に問いかけた。
「もし、両家が暴発に巻き込まれたらどうします。両家のフロイラインは反逆者の娘になります。女帝になるのは難しいのでは有りませんか?」
「ブラウンシュバイク、リッテンハイムの両家は公にはなっていませんが帝国への恭順を受け入れたのです。その証として彼女達を人質として差し出した。両家が暴発に巻き込まれた場合はその事を公にし、彼女たちには罪が無い事を表明します」
「……」
「その後の事ですが、父親が反逆した以上、家は取り潰されます。となれば母方の実家に戻ることになりますね」
「実家に戻る……」
「ええ、以後はゴールデンバウムの姓を名乗っていただく。つまり、お二人は皇族の籍に入られる」
「! 元帥、それは」
ヴァレンシュタイン元帥は穏やかな笑みを浮かべたままだ。リヒテンラーデ侯を見ると侯は面白そうに私を見ている。つまり二人にとっては辺境への領地替えが上手く行くかどうかは二の次と言う事か。大切なのは両家の夫人、令嬢を手に入れたこと……。
「この事を知る者は?」
思わず声が小さくなった。
「文官では、ゲルラッハ子爵と卿かの。軍では帝国軍三長官のみじゃ」
「……」
やはりそうか、私でも疑問を持つ領地替えにエーレンベルク、シュタインホフの両元帥が反対しなかったのは事前に打ち合わせが出来ていたからか。つまり、エルウィン・ヨーゼフ殿下が皇帝になる可能性は現時点では皆無と言う事だ。
「ローエングラム伯は?」
「伯は知らぬ」
「!」
「何故、ローエングラム伯に教えないのです?」
「そうじゃの、我等の見る十五年後とローエングラム伯の見る十五年後はどうやら違うようなのでな」
「……」
「私が領地替えの案を出した事に不満そうでしたね。まさか暴発しても構わないと考えているとは思ってもいないのでしょう。誤魔化すのが大変でした」
苦笑交じりの元帥の声だった。どうやら私は信用されているらしい、そしてローエングラム伯は信用されていない。“伯は知らぬ” そう言ったリヒテンラーデ侯の口調は冷ややかだった。それにしてもローエングラム伯の見る十五年後とは一体どんな未来なのか……。
「マリーンドルフ伯、そうほっとした表情をせぬ事だ。私も元帥も本当の事を全て言っているとは限らぬ。伝えたい真実のみを伝えているかもしれんからの」
「はっ、恐れ入ります」
どうやら、表情を読まれたようだ。それほど感情が顔に出るとは思わないが、この二人からみれば読み取るのは容易なのかもしれない。
汗を拭う私にヴァレンシュタイン元帥が話しかけてきた。
「マリーンドルフ伯」
「何でしょう、ヴァレンシュタイン元帥」
「フロイラインのことですが、そろそろ重要な仕事を任せたいと考えています」
ヒルダに重要な仕事?
「それは有難いお話ですが、娘に務まりましょうか?」
「ええ、フロイラインなら大丈夫だと思います」
「マリーンドルフ伯、ヴァレンシュタイン元帥は卿のフロイラインを高く評価しているようじゃ。羨ましい事じゃの」
「恐れ入ります。それで仕事とは?」
「ローエングラム伯の元で幕僚任務に就いてもらいます」
「! それは」
ローエングラム伯の元で幕僚任務! リヒテンラーデ侯は伯を信用していない。おそらく元帥も同様だろう。その伯の幕僚になる……。娘にローエングラム伯を見張れ、そういうことだろうか。
「内乱が起きればローエングラム伯は長期に亘って独立して軍事行動を起す事になります。伯にはフロイラインの持つ政治センスが必要なのですよ」
「……」
「今日のこと、フロイラインに話すのは止めてください。フロイラインには妙な先入観は持って欲しくないのです。その方が二人にとっても帝国にとっても良い結果を生むと思います。よろしいですね」
「……承知しました」
娘をローエングラム伯の元に送る。リヒテンラーデ侯、ヴァレンシュタイン元帥が信用していない人物の元に送る。どうやら厄介な事になりそうだ。何処まで出来るか判らないがヒルダを守ってやらなければなるまい。
先ずは、ローエングラム伯の見る十五年後、これを知るべきだろう。リヒテンラーデ侯もヴァレンシュタイン元帥も伯とは目指す所が違う、そう考えている。そしてそれを受け入れられないと考えている。彼が一体何を目指しているのか? それを調べなければならない……。
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